獺祭(だっさい)

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 昔は、以前から自分が秘かに好きだったものに人気が出て、広く知られるようになったりすると、例えば小説なんかだったら「ああ、俺の北方謙三がああ!何もわからん一般人に汚されていくぅう!」などと残念に思ったものだった。

 最近はそういうことをあまり思わなくなり、「ヒットしてよかったなあ」などと思うようになった。

 以前から「おいしいなあ」と思っていた酒、「獺祭(だっさい)」が、いよいよ行き渡り、定番の酒の地位を獲得しつつあるのだそうな。

 なんかこう、嬉しい感じがする。

デデ・たま

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 長女が「お父さん、『デデデデ』の新しいの、読んだんだっけ?」と聞いてくる。

「おう、そういやアレ、出たんだったか?」

「そうそう、この前5巻出たよ、……お父さん4巻読んだっけ?」

「いや、えーっと、どうだったかな……」

「じゃ、……ほら、これ」

……と、4巻と5巻を両方とも出してきて並べてくれる。

 長女は、自分の好みの仲間を増やしたい気持ちもこれあり、私と一緒に面白がることができそうなものを推奨(リコメンド)してくるようになった。

 そうかと思うと、先日などはゴソゴソとロフトを漁っている。何しているのかな、と思ううち、私が昔購入して大事に仕舞っておいた「たま」のアルバム「さんだる」を引っ張り出してきて、「お父さん、これ、何、何?!」と聞いてきたりする。初盤限定オリジナルカード付きの逸品だ。

「おう、これ、お父さんが時々カーステレオでかけてる、『♪今日~人類がはじめてェ~……』って曲あるだろ、アレの入ったやつだ」

「あ、あれ、これだったんだ!?」

「お前が生まれる前、お父さんとお母さんが知り合うよりもまだ前で、お父さんは20代だったがな。『イカすバンド天国』っていう深夜番組があって、ロックバンドが勝ち抜き戦で競うんだけど、ある年の最強チャンピオンがこの『たま』だったんだよ。……割と最近、何年か前まで活動してたけど、解散しちゃったんだよな」

「へえ……これ、貰ってもいい?」

「……。お、おう。やる」

 長女は熱心に古いCDを聴いては「たまは天才だー!」「何か新しい~」などと言っている。我が娘ながら、なんだか変わっているとは思う。

 子供というものも好みや趣味はだんだんと変遷するもので、まあ、長女は今そういう時期なのだろう。

メディアとしての憲法

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 やろうと思えばまだできる、という時期に「もうしません、永久にやめました」とアピールするのと、やろうと思ってももうできない、という時期に同じことを言うのでは、相手の受け取り方は全く違う。

 前者なら、「よくぞ言った!偉いッ!」と受け取られたかも知れない。

 後者だと、「いや、永久にやめましたもヘッタクレも、そもそもお前んとこ、元からそんなこと出来ねぇだろうがよ。ナニわかり切ったこと言ってんだ。アホか」とバカにされるだけだ。

 私などは「何が憲法改正だ。改正などとは手ぬるい。最善は『破棄』である。それができないくらいなら、いっそ一切何も手を付けず、千年くらいこのままがよい」などと(うそぶ)いている。これを聞く人は「またこの変人佐藤が、キチガイみたいなこと言ってるぜ」と笑って流してくれるが、私は大真面目なのだ。

「何が『緊急事態の宣言』だ!ここは『戒厳令』と書かねばならぬ。条文もあんな臭い口語体ではダメだダメだダメだッ!『天皇ハ戒厳ヲ宣告ス 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム』にせんかァ!」

「おいおいおいおい佐藤さん、それは旧帝国憲法のパクりでしょうが」

「キミキミっ!今『旧帝国憲法』と言ったね!?『旧』とは何だ『旧』とは!まだ生きているものについて言うのに『旧』なんてつけなくていいんだッ!『大日本帝國憲法』、と言いなさい、この際、『国』という字は旧字体で『國』と書いたものを音読する気持ちで、さあ、言ってみよう、さん、ハイッ!!

「(……またはじまったよ、マジ面倒臭いオッサンだなあ) ハイハイ、わかりましたって(笑)」

……なぞという狂った会話を普段からしていれば、そりゃあ誰も相手になどしてくれないのは当然ではあるが……。

 だが、落ち着いて考えれば、癇癪を起して、喧騒(けんそう)、興奮、混乱、分断のうちに改定ないし破棄するというのも慌て過ぎだ。

 反面、喧騒や興奮などすれば、諸外国はそれに注目する。憲法に盛り込まれた文言は、内に向かっては、その縛ろうとするものが権力であろうとはた国民であろうと、外に対しては、日本が諸外国に向かって誓約する宣言としての機能が大きい。

 つまりは最高法規の姿をした強力な媒体(メディア)となることは疑いない。そう思う時、喧騒、興奮、混乱、分断もまたそれに期待される機能を自然に持つのだ、とも思う。

学のない者のプロトコル

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 「学のない者のプロトコル」という標題で何か書こうとしたのだが、標題だけ書いて何を書こうとしていたのだったか忘れてしまった。

 多分、「学のない者のプロトコル」について書こうとしていたのだと思うが、思い出せない。いや、この標題から想像できるようなことは文字列化できると思うが、それは最初に思いついたこととは違う。

 うーん、う~ん。ダメだ。思い出せない。脳の中の何かが減っている。

 この調子だと、きっと私は健康そのものの痴呆老人になると思う。

キンッ(Ouch!

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 毎日毎日、雑踏に()まれて都会の通勤に()えている。埼玉住まいの東京通い、17年ほどになろうか。

 日常の通勤経路上、大事件に出くわすことなど滅多(めった)にないが、駅の混雑や道沿いの雑踏にも様々な人間模様、喜怒哀楽が見え隠れすることがあって、面白いと思う。

 歩き方ひとつとっても人それぞれだ。うなだれてノロノロ歩く人、スマホに夢中で周りが見えていない危険な人、急ぎ足、喋りながら楽しそうに歩くカップルや学生もある。若者がうなだれて歩いていると、先日の電通の過労事件などを思い起こす。疲れて病んでいる人を殊更(ことさら)励ますようなことは(かえ)って逆効果だ、などと最新のメンタルヘルス・ナレッジは言うが、それでも心の中では励まさずにおれない。

 そんな中、健康そうに昂然(こうぜん)と顔を上げ、胸を張り、正しく後ろ30度前45度に腕を振ってスタスタ歩いていく人を見るのは気持ちの良いものだ。が、雑踏で状況を考えもせずこういうふうに歩くと、如何にせん、元気よく振っている腕の、後ろに振った拳が他人に当たってしまう場合がある。

 こういうタイプの女性の後ろを男性が歩いていて、キンタマに「キンッ!」と、しかも、人にもよるが、男前タイプの性格を持った女性だとグーで思いっきりキメてしまう場合があって、イイ歳こいたイイ面構えのおっさんが「はうぐっ!」などと、人目も(はばか)らず切ない悲鳴を上げている。キメちまった女性の方も「な、なななナニヨ知らないわよあうあうあ」みたいな慌て方をしていて、そういうところに偶々(たまたま)いあわせたりすると相当気まずい。

 また、この逆の場合で、男性が元気よく腕を前後に振って歩いていると、後ろからスマホなぞ覗き込みながら接近してきた女性の股間にサクッと手刀が命中し、痴漢の現行犯で私人逮捕されてしまうということも、見たことはないが聞いたことがある。

 未確認情報なのだが、この二つの場合、どちらも「男が痴漢」ということになってしまうのだという。女性が男性の股間にキメちまった場合も「不注意な男が悪い」のだそうだ。

 昨今、男でい続けることもなかなか大変ではある。しかし、そういう時勢なので我慢するより仕方がない。

 ともあれ、まあ、大人が大人の股間にキメちまったという「大人同士」の間でのことなら、状況にもよるが、多くの場合「すみませんでした」「いやこちらも不注意で」ぐらいの頭の下げ合いで済むだろうと思う。が、大人同士でなかったら、そうはいかない場合がある。

 先日見かけたことだ。この秋は長雨で傘持ち通勤が続いたが、そんな雑踏の中を、傘の尖った方を後ろにして掴み、掴んだその手をブンブンと振って元気よく歩いている者がいた。大人ばかりならそれでもいいのだが、その時は、電車で通学する、赤いランドセルを背負(しょ)った小学生が後ろから早い歩調で近づいていた。その小学生は雨で濡れた床で滑らないよう下を見て歩いており、ただでさえ黄色い通学キャップを目深(まぶか)(かぶ)っているので、前を歩く大人がブンブン前後に振っている(とが)った傘の先が、今にも目に突き刺さりそうになっているのに気が付かないのだ。

 あぶない、お嬢ちゃんあぶないよ!と喉元まで出かかったその時、赤いランドセルの女の子はフラリフラリと通路の反対側にそれていったので何事もなかった。ホッとしたが、しかし、それはまぐれで無事だっただけだ。

 傘など尖ったものを後ろに向けて、それを握った手を元気よくブンブン振って歩くのは、田舎のあぜ道かどこかでなら大丈夫だが、都会の駅の構内などでは厳禁だ。

 都会の人間は疲れ果てて元気がなく見えるが、他人に迷惑をかけないためには、手などあまり振らず、傘の尖った先端も、自分の前に向けて静かに歩き、危険や損失を避けるのが好ましい身ごなしと言える。満員電車で姿勢よく四肢を踏ん張って立っている人も多いが、それで気分が良いのは自分だけで、肩肘をゴツゴツぶつけられて周りの者は迷惑だとしか思っていない。だから電車内では柔軟に脱力し、死んだような姿勢で通勤するしかない。

 例え不健康だと思われようと、それが「嫂叔(そうしゅく)は親授せず、長幼は比肩せず、瓜田(かでん)(くつ)を容れず、李下に(かんむり)を正さず」というものだろう。

 通勤する人々に元気が見えず、不健康な歩き方や立ち方になるのは、この所以(ゆえん)をもってやむを得ない。それが都会の身ごなしというものだからだ。

労組と故高橋まつり氏

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 高橋まつり氏は死んだ。あまりにも痛々しい亡くなりかたであり、母上の悲痛に同情する。

 その間、各所の労働組合は何をしていたかというと、「安倍政権粉砕」「戦争反対」「原子力発電所全廃」と言っていた。身に覚えがあろう。

 政治や戦争も、もちろん国民全体の大きな幸せに影響すること大であって、労働組合としてそれに関わろうとするのも正論と言えば言える。

 だが、彼ら労働組合は、この東大出の優秀な女性が自殺を選ばざるを得ないという、そういう異様な事態に、なんで「私たちは無関係、無罪、だからもっと大きい政治的課題に取り組むのだ」というような態度を取り続けておれるのか。同じ労働者たる仲間を救おうと、なぜしないのか。

 これは、もはや労働組合なるものが、とうの昔から働く人たちの味方などではなく、共産主義者、ひいては外患誘致を図ろうとする勢力、すなわちロシア、中国、北朝鮮の代表でしかないということを物語る。

大雪

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 雪には勿論難渋したものの、別段どうってことなかった。船橋のあたりから来ている人が、雨はすごかったけど雪ではなかったのでなぁんだと思って東京に来てみたら積もっていて驚いた、なんてのんびりしたことを言う。私の住まいのあたりはくるぶしまでの雪だったが。しかし東武線スカイツリーラインはせいぜい15分ほどの遅れ。いつも通り7時半には涼しい顔で職場の自分の席を占めていた。

 一日、ごく普通に仕事して終わり。

 台湾の総統選、ウッカリ、というか、むしろ確信的に政府からおめでとうございますとか言っちまったもんで、型どおり中共に大使が呼び付けられて怒られてる。へへっ、茶番茶番。

FBの「いいね!」ボタン拡張

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 もう一息。FBに病中の記事を書く人も多い。「お大事に」ボタンがほしい。「お大事に」は、今般拡張された「いいね」「超いいね」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」の、どれにもあたらない。

 そうは言うものの、なんでもかんでもボタンを増やしゃあいいってもんじゃない。こういうのは、ほんと、コメントで「お大事に」って書くものなんでしょうな。うん。

空漠、索漠

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 祝日の夜にもかかわらず、空漠たる不安、索漠たる思いにとらわれ、沈鬱な気持ちで入浴し、牛乳飲んで、戸棚を見るとジンジャエールの缶があったから、それでハイボールを作って飲む。

 で、筆のすさびに書いてしまってから「はて、『空漠』『索漠』って、どういう意味だっけ」と、検索する。

くう‐ばく【空漠】

[ト・タル][文][形動タリ]
1 果てしなく広いさま。茫漠(ぼうばく)。「空漠とした大洋」
2 漠然としてとらえどころがないさま。「空漠とした不安」
[名・形動]
1 1に同じ。
2 2に同じ。
「此―の荒野(あらぬ)には、音信(おとずれ)も無し、影も無し」〈上田敏訳・海潮音〉
「如何に―なる主人でも」〈漱石・吾輩は猫である〉

さく‐ばく【索漠/索×莫/索×寞】

[ト・タル][文][形動タリ]心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。「冬枯れの―とした風景」「―たる思いにとらわれる」

 まあ、もうすぐ正月休みだから、気の休まる間もあろう。