庭の緑を物色

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 やっと手入れが終わった庭に、緑を増やそうと思う。今日はホームセンターの園芸売り場や、園芸専門店を一回りしてきた。

 家の庭は裏のお宅が建ったため、日陰になった。ただ、まったく日が差さぬというわけではなく、日の当たるところも多少ある。そういう庭にはそういう庭に向く植物があるそうで、ちゃんと選んで植えるとなかなか濡れた風情のある、それはそれでよい庭になるのだそうだ。こうした庭のことを「シェード・ガーデン」などと言って珍重する向きもあるらしい。

 よその植栽でよく見かける「龍の髭(リュウノヒゲ)」(蛇の髭(ジャノヒゲ)とか、玉龍(タマリュウ)白龍(ハクリュウ)などというものも、だいたい同じものだそうな)などは、こうした日陰の庭のグランドカバーの定番であるらしい。自宅に近い「トマト園芸」という専門店では5センチほどのポッド入りのものが60円~90円であった。同じく近所の「ケイヨーデイツー」というホームセンターの園芸売り場では、5センチポッドの「黒龍」「白龍」が298円、「タマリュウ」が98円である。

 折鶴蘭(オリヅルラン)という、龍の髭に似た姿の宿根草の花があって、これはトマト園芸で198円、三郷のスーパービバホームで248円。

 半日陰に向く低木に「馬酔木(アセビ)」があるが、これがケイヨーデイツーでポッド入り498円。

 日陰向きではないが、ひと夏の間色よく咲く「百日紅(サルスベリ)」を植えてみたい。ケイヨーデイツーで6号(18cm)鉢が1480円。

 但し、いずれの植物も植え付けに向くのは9月以降の少し涼しくなってからがよく、現在のような盛夏は駄目だそうである。折鶴蘭だけは強く、真夏でも植え付けできるらしい。

 次のような植物類を物色した。

植物 値段
スーパービバホーム 百日紅(サルスベリ) 6号鉢 \960-.
百日紅(サルスベリ) 8号鉢 \3800-.
()入り青木(アオキ) 15cmポッド \980-.
いろは紅葉(モミジ) 7号鉢 \2980-.
紅葉(モミジ) \1980-.
藪蘭(ヤブラン) \298-.
折鶴蘭(オリヅルラン) \248-.
トマト園芸 コニファー ポッド入り \198-.
折鶴蘭(オリヅルラン) \198-.
玉龍(タマリュウ) \60-.~\90-.
ケイヨーデイツー 馬酔木(アセビ) ポッド入り \498-.
玉龍(タマリュウ) \98-.
白龍(ハクリュウ) \298-.
黒龍(コクリュウ) \398-.
久留米(クルメ)躑躅(ツツジ) \498-.
皐月(サツキ) \498-.
百日紅(サルスベリ) 6号鉢 \1,480-.

 他に、日陰向きの植物として、紫陽花(アジサイ)梔子(クチナシ)万両(マンリョウ)八手(ヤツデ)沈丁花(ジンチョウゲ)などに興味がある。

和田修司氏のこと

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 一昨日。8月9日の日曜日、中学校の同級生であった和田修司氏が亡くなった。53歳。

 私にとっては中学校の同級生の印象が強いが、世間では関西の格闘界で存在感を保持し続けていた格闘家として知る人ぞ知る。自ら「顕修塾」という道場を経営して多くの弟子を育成し、また「RKSプロモーション」という格闘団体の相談役もつとめていた。

 中学校の頃の和田氏は強面(こわもて)のするヤンキーであった。だが、「一般人」に迷惑をかけるような、弱い者いじめをする人ではなかった。同じヤンキー仲間の中で異彩を放ち、むしろヤンキーをシバき、当時の彼の口癖を真似れば「カタにハメて」いて、彼自身はまことに堂々たるもの、怖いものなし、不可侵の存在であった。

 さもあろう、彼は子供の頃からあの極真会館の道場に通って本格的に空手を修めていた。極真空手は素人目から見れば派手だが、やはり肉体を鍛える武道に違いはない。精神を鍛える手っ取り早い方法は肉体を鍛えることだが、まさしく和田氏は早くも中学生の時分から肉体を通じて鍛え上げられた精神を持っていた。だからこそ、弱い者いじめをしなかったのだと思う。

 中学校の修学旅行の時、余興に「試割り」をやって見せる、と宿泊先に瓦などを持ち込み、すさまじい鉄拳や肘打ち、足刀を披露してくれたことがある。どう考えても人間の肉体よりも堅いものを軽々と打ち砕く和田氏の鉄拳の威力にゾクゾクしたものだ。

 私は中学校を出てすぐに大阪を離れたので、和田氏との付き合いはそこで絶えた。それに、中学生の頃は仲良しというわけでもなかった。私には近づきがたい怖い人でもあった。

 ところが、私が18歳の時、正月明けの間もない、まだ寒い1月のこと。

 私の兄が事故で死んだ。年子(としご)の兄で、ヤンキーだった。十代で既に職を何件も転々とし、警察の厄介になったことも両度三度では足りない。知人と二人、堺市の港湾の岸壁から乗用車で突っ込んで海底に沈み、大方1か月ほども行方不明になっていた。用船が錨をひっかけて岸壁近くに沈んでいる乗用車を発見し、知人はその乗用車の中から、兄は乗用車から30mほど離れた海底から、腐乱して発見された。地方版の、ごく小さな新聞記事になった。

 私は急遽当時の居所から帰省し、通夜、葬儀に出たのだが、葬儀の時、なぜか和田氏が、女性を含む数名の知らない人たちと一緒に参列してくれた。ボールペンの、上手とは言えない、しかも誤字で「御()前」と書かれた香典を出してくれた。だがむしろ、逆に素朴な真心がこもっているように感じられ、胸に迫った。和田氏とその女性は「金岡の斎場(やきば)」と呼びならわされている地元の火葬場にまで来て、兄を見送ってくれた。

 だがしかし、「なんで和田君がわざわざ兄の葬式に来てくれるんだろう?」と思った。私と和田氏とは、そこまで親しくはなかったからである。

 私は当時の仕事の都合もあり、急いで戻らなければならず、そのことはそれっきり、そのままになった。

 それから30年以上経った。数年前、世間で流行しだした「Facebook」で、当時の同級生たちと再びささやかな付き合いが生まれた。その中に和田氏がいた。少しメッセージなどやりとりしているうち、和田氏と私の兄との深い付き合いが分かった。

 私の兄が死ぬ前に、珍しく泊まり込んでいたのが和田氏の部屋だったのだという。ギターやベースの趣味があった兄は、和田氏と音楽談義をし、そこに後に和田氏の妻となった人もいたのだという。

 「私達夫妻は本当に兄さんとは思い出を共有していまして」と、和田氏はメッセージに書いてくれた。そしてまた、「兄さんと最後の夜過ごしたのはおそらく自分だと思います 1度佐藤君と飲んでゆっくりとその日の話してみたいですね この年になるまで私自身誰にも話したことが無い兄さんとの話もあるんですよ」とも書いてくれた。

 葬儀や火葬場にまで来てくれていた女性が、後年の和田氏の奥さんだったということが、そこでわかった。

 いつか和田氏と会って、その話を聞こう、と思ううち、5年前、和田氏の奥さんが亡くなった。

 気の毒なことだ、と同情した。また、私の兄の死ぬ前のことを知るひとが亡くなってしまったわけでもある。

 だが、生活というものは容赦ない。私も日常に取り紛れ、和田氏に会わぬまま、ついつい、この5年が経過した。

 そして、一昨日だ。その和田氏が、亡くなってしまったのである。

 私の兄の死の前後や、もしかすると真相をも知る和田氏夫妻は、結局、数年をおいて、二人で秘密を棺桶の中に持って行ってしまった。それは、もう永遠に聞くことはできない情報だ。

 和田氏は多くの弟子をかかえ、育成してきた人である。だから、多くの人が様々に悲しむことだろう。だが、私は、上のような事情や様々の経緯(いきさつ)から、私だけの悲しみ方、私だけの悼み方で、和田氏の死を悲しみ、悼む。

 祈冥福(めいふくをいのる)

キーボードを買い替える

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 20年以上使っていたキボードがイカれた。今時珍しいPS/2規格で、ミニDIN6ピンのプラグがついたものだ。当時よく売れていたらしいRT6672TJPという品番のもので、検索してみるとミネベア製らしい。もちろん、買った時はそんなことは知らなかったのだが、もともとこの品番のものを二つ所有していて、一つは太い方の「DINコネクタ」がついていたものだ。そっちのほうはいつだったか捨ててしまった。

 このキーボードは反応もよく、重くてガッシリしており、押し心地が深く、微妙なクリック感があってよかった。

 しかし、ついに「zxcv……」の下一列がまったく反応しなくなってしまった。

 代わりはどんなキーボードでもいいや、とばかり、Amazonでエレコムの「TK-FFCM01BK」というUSB接続の安いやつをポチったのだが、使ってみるとペナペナ、ヘニョヘニョ、カスカス……と、なんとも情けなく頼りない打ち心地である。

 いや、実用上はこれで全く問題ない。打ち心地が良かろうが悪かろうが、出てくる文字は同じだ。値段相応の使い心地なのであって、エレコム社は何も悪くない。

 だがそれにしても、しかし、である。

 キーボードはやっぱり、古いものに限るなあ、と思う。

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 5月の末頃から長い間かかって家の周囲の砂利の下に防草シートを施工し、ジャングルのように荒れ放題だった庭の雑草を全部抜いて砂利を除け、こっちにも防草シートを施工し、砂利をふるい分けて敷き直した。荒れ放題だった花壇をきれいにして、防草シートを敷き、バークチップや砂利で覆った。

 煉瓦(れんが)やモルタルを買い込んできて、新しい花壇を3つ積み、(ふる)った土を入れた。余計なところには砕石を詰めて突き固めた。

 今日の午後までかかってやっと考えていたところまでできた。結構な重労働で、一人で運び入れた砂利やセメントは合計300kgほどにもなり、反面、私の体重は5キロも減って56kgほどになってしまった。まるで中学生だ。タニタのヘルスメーターで計ると、体脂肪が9%くらいになってしまった。

 余談だが、ダイエットに悩む向きは、めしを食わずに庭でもいじるといいと思う。

 長年空き地だった庭側の裏によそ様の家が建ち(写真の左)、庭は日陰になった。庭づくりには今一つ面白くないが、こういう庭はシェード・ガーデンと言って、日陰だからこそ楽しめる植栽もあるという。

 八手(ヤツデ)や龍の髭、雪ノ下、石蕗(ツワブキ)沈丁花(じんちょうげ)馬酔木(あせび)など、日陰ならではの植物があるというから、ひとつ今度はこれらを試してみよう。

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 先週までにエッチラオッチラ、庭の砂利敷きの下に防草シートを施工し終えた。

 今日はモルタルや3mm厚の薄いベニヤ板、細い角材など買い込んできて、庭の隅の部分2箇所に花壇を積んだ。花壇用の煉瓦は、庭の家屋側に埋もれていたものを使った。

 3mmのベニヤ板は一番安いもので、これは斜めになった地面にモルタルの基礎を打つための型枠だ。型枠大工の真似事をする。すなわち、ベニヤに細い角材を打ち付け、半円状に曲げて庭のブロック塀の隅に立て、そこにモルタルを流し込むのだ。モルタルが半固まりになった頃合いに、洗った煉瓦を縦に植え付ける。

 明日の日曜、ベニヤの型枠を壊して外す。

やっとこさ

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 去る2.5.31(日)から、少しずつ家の周囲の砂利敷きの下に防草シートを施工していたが、やっとこさひと段落した。

 荒れ放題だった花壇の「(つる)日々草(にちにちそう)」と、家のそばに這わせておいたグランドカバーの「アイビー」を全部引っこ抜く。

 腰が痛くなった。

 砂利敷きはなんとか終わったので、次は沓脱石の周囲に防草シートを敷いて砂利敷きにし、余った土を入れるところを花壇にしようと思う。

一杯

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 梅雨の黄昏(たそがれ)どき、酒肴を(こしら)えて一杯やる。

 写真で見ると「唐揚げ」のように見えるが、違っていて、これは「厚揚げ」である。

 絹()し豆腐が冷蔵庫にあったので、適当に切り分け、それに薄力粉を軽く打ち、こんがりと揚げたのだ。

 薬味には大葉と新生姜の(おろ)したてを添える。市販の「めんつゆ」で食べる。途中で少し七味唐辛子をふるのもよい。熱々で、外側はカリカリ、中身はトロトロ、実に旨い。

 飲み料はいつもの「WhiteHorse」。揚げ出し豆腐は日本酒にもよく合うが、油っこいのでウィスキーにも合う。

 誰にでもできる簡単酒肴なので、左党諸兄にはぜひお試しいただきたい。

自分の身の丈宅地

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 ふと思いついて地球の面積をGoogleで検索してみると、5億1千10万平方キロメートル、と出た。このうち、陸地は1億4千7百24万平方キロメートルで、全体の28.9%であるという。

 陸地を地球からべりべりッと剥がし、四角く形を整えて、人間を規則正しく等間隔に並べるとすると、1億4千7百24万平方キロメートル÷70億人≒2万1千平方メートル(2.1ヘクタール)、と計算できる。一人当たり2万1千平方メートルというと、平方根をとれば145メートルだ。つまり、145メートル置きに1人、人間が並ぶわけだ。

 一人当たり随分と広大な地面があるのに、私の自宅は約30坪(約100平方メートル)しかない。う~ん。一体誰でェ、ワシの取り分を領地にしてるフテぇ野郎は(笑)。

 しかし、この「1億4千7百24万平方キロメートル」という陸地面積には、ゴビ砂漠だとか南極だとかヒマラヤ山脈の標高5千メートル以上の(こう)()()なども含まれているのであろうから、もう少しよく調べなければ私の取り分は簡単にはわからない。

 検索してみると、「木が生えるところ」は「樹林気候域」といい、だいたい人間の住める、農業などのできるところらしい。これは地球の陸地の54.8%であるそうな。そうすると、2万1千平方メートル×54.8%≒1万1千5百平方メートル、ということになり、先の「何メートルおきに人が並ぶか」との計算によれば、\sqrt{11500\, \mathrm{(m^2)}} \fallingdotseq 107\, \mathrm{(m)}、ざっと100メートルに1人、人がいる計算だ。「お~い」と声をかけて届く範囲に人がいる、しかも四周、向かいと裏、両(どなり)だけでなく、(はす)向かいと裏(どなり)も入れると、8人いる。

 一人に必要な農地や牛馬の牧場、鉱山、工場なども勘定に入れると、これはどうも、足りなさそうだ。結局、私は今の30坪ほどの自宅に収まっているのがせいぜい身の丈に合っている、……ということとなろうか。

共感も場合によりけり

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 「ハウ・トゥよりも共感だ」と、最新のメンヘル対応要領は口を揃えて教える。

 しかし、まったく解決策のない、「そうだねえ、苦しいねえ、大変だねえ」ばっかりの共感一辺倒というのも、特に理屈っぽくて面倒くさいオッサンやジジイには却って激昂をかってしまい、無意味であるように思う。

 極端な例でいうと、共感過多な弁護士のところへ法律相談に行ったら、「それは苦労しましたねえ、大変でしたねえ、お見舞い申し上げます」と共感のみ並べ立て、肝心の賠償金請求や相続問題や訴訟の方法などにはまったく(こた)えてくれないという状況をどう思うか、ということである。

 対応も状況と場合と人によりけり、というところであろうか。慰めが必要であればカウンセラーや宗教家のところへ行くがよろしい。解決が必要であれば医者や弁護士や社労士や税理士や裁判所や警察へ行くがよろしい。逆に言うと医者や弁護士や社労士や税理士や裁判所や警察は、悩みの受け止めや魂の救済を求める場所とは違う。

 この際において、「職場の上司に訴える」というのは、最も愚策であると言える。職場の上司はあなたに仕事をさせることを目標としており、あなたを守り慰めることはその手段に過ぎない。その愛は見せかけ、偽物の愛である。