各国語からフォーマットを切り離すことは

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 英語や中国語やスペイン語や、そういう各国語の外面から意味を切り離す時代が、おぼろげながら見えてきているように思う。

 CSS原理主義の人が言うように、言葉、いや、もっと言うなら意識、思想を、文字や発音から切り離してダイレクトかつ生理的に伝達することが、この科学的な世の中でできないはずはあるまいと思うが、できないようである。

上皇陛下御誕生日

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天皇陛下万歳

 本日は法律で定められた祝日ではないが、上皇陛下の御誕生日である。昨年まで祝日であったことは誰しも等しく知るところである。

 明治以降、天皇陛下の生誕日は「天長節」と唱え奉っていたが、大東亜戦争後「天皇誕生日」と呼ぶよう改められた。

 明治天皇の天長節は、崩御後「明治節」とされ、残ることとなった。また、明治節は戦後「文化の日」と名を改めて残ることとなった。

 大正天皇は御在位が短かったこともあってか、今は皇室以外では御誕生日が記念されていないのは誠に残念なことである。大正天皇の御誕生日は8月31日である。

 昭和天皇の御誕生日は「昭和の日」として記念されている。

 上皇陛下の御誕生日も、記念したいものである。私は一国民としてこれを願うものであるが、もし国が公式に上皇陛下の御誕生日を記念するのであれば、全国民的な請願運動がなければならない。

 天皇誕生日は英語では「National holiday of The Emperor’s birthday」とでも言うのだと思うが、上皇陛下の御誕生日は、「His Majesty the Emperor Emeritus’s birthday」とでもなるのであろうか。

読書

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 引き続き約60年前の古書、平凡社世界教養全集第5巻に所載の評論「恋愛論」を読む。

 Googleでふと「スタンダール」を検索してみたら、キーワード・サジェスチョンに「症候群」と出る。「スタンダール症候群」というものがあるらしく、何か文学的な偏執症のようなことなのかな、と思いきや、その昔、スタンダールが有名な聖堂のフロアで丸天井の壮大な装飾を見上げて、眩暈(めまい)と動揺に襲われたそうで、そのような症状をスタンダール症候群というのだそうである。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」より引用。以下の<blockquote>タグも同じ。
p.316から

 恋する技術とは結局そのときどきの陶酔の程度に応じて自分の気持ちを正確にいうことに尽きるようだ。つまり自分の魂に聞くことである。これがあまりたやすく出来ると思ってはならない。真に恋している男は、恋人から嬉しい言葉をかけられると、もう口をきく力がない。

p.340から

 ある有名な女がボナパルト将軍に突然いった。彼がまだ光栄に包まれた若い英雄で自由に対し罪悪を犯していなかったころの話である。「将軍様、女はあなたの妻となるか妹になるほかはありませんのね」英雄はこのお世辞を理解しなかった。相手は巧妙な悪口で仇を((ママ))った。こういう女は恋人に軽蔑されることを好む。恋人が残酷でなければ気に入らない。

p.355註〈1〉より

「スペイン人の目的は光栄ではなく独立です。もしスペイン人が名誉のためにのみ戦ったのだったら、戦闘は、トウデラの戦い(一八〇八年十一月)で終わっていたでしょう。名誉心は変わった性質をもっています。一度汚されると動けなくなってしまう。……スペインの前線部隊はやはり名誉の偏見に囚われていたので(つまりヨーロッパ風現代風になったのです)一度敗北すると、全ては名誉とともに失われたと考えて壊滅しました」

p.357註〈3〉より

 ああ、時代の哀れな芸術に当たるやいかに辛き。
 子らはいとけなくして、ただ人にもてはやされんことをのみ願う。

ティブルス、一、四。
言葉
丁年

 「定年」「停年」というと、老齢による退職の年齢だが、「丁年」は一人前の年齢、ということだそうである。

下線太字佐藤。以下の<blockquote>タグ同じ。
p.333より

ついにドンナ・ディアナの丁年が近づいた。彼女は父親に勝手にわが身の始末をする権利を行使するつもりだと告げた。

 まだこの評論、半分ほどである。引き続きこれを読む。

未来と言うよりも現代は素晴らしい

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 ツイッターのタイムラインで、こんなビデオが流れてきた。

 本当に、私は驚くべき時代に生きている。

 私は以前から、翻訳・通訳に携わる人たちが知的な職業であることに疑いをいれる余地はないかのようになんとなく考えてきた。

 しかし、最近なかなか精度の良いポケット翻訳機などが発売され、テレビで明石家さんまが宣伝しているのを見るにつけ、なにやら風向きが変わってきたな、と感じるようになってきていた。

 そのぼんやりとした感じが、前掲のビデオを見て鮮明になり始めた。

 遠からず、翻訳者・通訳者までもが機械的な作業に携わっているだけであるとされ、いずれAIに駆逐されてしまうという幻影が垣間見えるのだ。語学に通暁した者は、もはやAIに学習させるための教師や、翻訳ロジックを記述する仕事でもするより他はなくなるかも知れない。

 そして数十年を経ると、AIは語学に関して「Bootstrap(ブートストラップ)」し、自らによって自らを立ち上げ、遂に人手を要しなくなるだろう。AIそれ自身によってロジックも高度に仕上がっていく。

 キリスト教徒の所説によれば、その昔、バベルの塔を積み上げて自ら神たらんとした人間たちは神の怒りに触れ、人々の言葉は相通ずることなきようバラバラにされたという。塔の建設はそのため中断し、言葉の通じなくなった人たちは世界中に分かれてしまい、話すことができなくなったのだ。旧約聖書には「(この)(ゆゑ)(その)()はバベル(淆亂(みだれ))と呼ばる」とある。つまり、人ぞ知る「バベルの塔」の名は、塔の建設が中断した後で名づけられた格好だ。

 全地(ぜんち)(ひとつ)言語(ことば)(ひとつ)(おん)のみなりき

 (こゝ)人衆(ひとびと)東に移りてシナルの地に平野を得て其處(そこ)居住(すめ)

 彼等(かれら)(たがひ)(いひ)けるは去來(いざ)甎石(かはら)を作り(これ)()(やか)んと遂に石の(かはり)甎石(かはら)()灰沙(しっくひ)(かはり)石漆(ちゃん)を獲たり

 又(いひ)けるは去來(いざ)(まち)と塔とを建て(その)塔の(いただき)を天にいたらしめん(かく)して我等(われら)名を(あげ)全地(ぜんち)表面(おもて)に散ることを(まぬか)れんと

 ヱホバ降臨(くだ)りて(かの)人衆(ひとびと)(たつ)(まち)と塔とを()たまへり

 ヱホバ(いひ)たまひけるは()(たみ)(ひとつ)にして(みな)(ひとつ)言語(ことば)(もち)ふ今(すで)(これ)()し始めたり(され)(すべ)(その)(なさ)んと圖維(はか)る事は禁止(とど)め得られざるべし

 去來(いざ)我等(われら)(くだ)彼處(かしこ)にて彼等(かれら)言語(ことば)(みだ)(たがひ)言語(ことば)を通ずることを得ざらしめんと

 ヱホバ(つひ)彼等(かれら)彼處(かしこ)より全地(ぜんち)の表面に(ちら)したまひければ彼等(まち)(たつ)ることを(やめ)たり

 (この)(ゆゑ)(その)名はバベル(淆亂(みだれ))と呼ばる()はヱホバ彼處(かしこ)に全地の言語(ことば)(みだ)したまひしに(より)てなり彼處(かしこ)よりヱホバ彼等(かれら)を全地の(おもて)(ちら)したまへり

 いかにもキリスト教らしいおとぎ話ではあるが、これを奉ずる白人たちはAIやクラウドにより再び一つの言葉を手に入れようとしている。彼ら白人は彼ら自ら信ずるところを否定して前に進む。キリスト教徒にとってキリスト教は、もはや雰囲気を愛でるための詩以下でしかない。

えええい、英語で質問してくんな、観光客ッ!!!

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I am a genuine Japanese person, so I can not understand your words. Therefore, please speak more slowly.

ファクト、レガシー

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 ドナルド・トランプがファクトだレガシーだ、と連呼したものだから、すっかりこの言い方が定着したようだ。

 「レガシー legacy」というと、私にとっては「レガシー・システム」などと言うのは耳に馴染む言葉であって、これはCOBOLで書かれた基幹システムなどをそう呼んでぴったりと来る。まず、誉めてはいない言葉ではある。

 自動車ファンなら往年の名車、スバル「レガシィ」だろう。この方は適訳を探すと、遺産、と言うよりはいい意味での「古風」かも知れない。

 「ファクター factor」は以前からよくカタカナ語として聞く言葉だったが、「ファクト fact」は今まではあまり使わなかった。

 「ファクト fact」「ファクター factor」「ファクトリ factory」は全部同じ語源で、「何かを生み出して、実際にそこにある」ようなことを指す意味だという。なるほど、「工場(ファクトリ)」と「事実(ファクト)」が同じ語源だというのも、何か(うなず)ける。

人道と語学は違うぞ

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%e8%8b%b1%e8%aa%9e%e5%b1%8b ……わからん。そういう時は、英語がどうとかじゃなくて、有無を言わせず「大丈夫かッ!?」と日本語で問いかけ、119番するなり人を呼ぶなり叫ぶなりするんじゃないか?

 英語がどうとかじゃなくって、人道の問題だろ。ふざけた例え話を作って、日本から日本語を排斥しようとすんじゃねえよ商売人が。どっか行っちまえ。

俺相手に商売したけりゃなあ、日本語で売り込んで来い

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 俺相手に商売したけりゃなあ、日本語で売り込んで来い、このボケ商人どもめが。チャラチャラチャラチャラ、英語で喋るなッ、腹立つなあ。

「ビジネスマンが正義」ではない

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 あー、これ、あるねえ。なんか、モゾモゾと言いたかったんだけどうまく言えなかったところを、さっ、と整理して代弁してくれた感じがする。

 卑近な例だと、PTAの会合なんかで、「会社みたいに……」動こうとして、「なんて非効率なことやってんだ!」と俄然鼻息荒く、なんとなくダラダラしている周りの奥さんたちを叱りまくり、改革に着手しだす、なんていう、会社員お父さん・お母さん、って構図、ありますよ。

 あと、小学校の運営がダメだ、クソだ、という批判のもと、ビジネスマンから転身した人を校長先生に据えてみたら、結局全然うまくいかず、その校長先生が自殺してしまった、とかね。

 ところで、上の記事、よく見たら、最近ウェブ上でよく活動している三橋貴明と言う人の論説みたいだな。

知・美でコミットコミット~

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 毎日毎日、陰惨な気持ちで通勤している。

 すし詰めの通勤電車にようやっと乗り込んで、さて、と一息ついて、壁から天井から絢爛(けんらん)豪華にうるさくぶら下がっている車内広告を眺め渡すと、こんなに独立起業が困難で大抵の会社は4年以内に潰れてしまう、なんていう冷厳な指摘があるにもかかわらず、いろんな金儲けが存在するものだな、と、むしろ感心してしまうのである。

 その中でも、ははあ、と、色々考え込まざるを得ないのが、

バカ・デブ・ブス・ハゲ

……に訴求する広告である。

 上記の通り、片仮名で人の形容を書きつけると、本当に差別的で腹の立つ字面(じづら)になるなあ、と思う。なので、これを美しい字面に書き直すと、

知・美

……となろうか。

 「知」には「高学歴・英語」、「美」には「デブ・ハゲ・ブス」など、もろもろが含まれるのだろう。

 いや、これは、私がそういうことを言ってるんじゃないんです。電車の中に貼られている広告を、「結局こういうことでしょ?」と、私ができるだけ分かり易く訳してみようとしただけで、私には責任はないんです。

 いまや、こういうふうに、差別的カタカナ用語で書いたら多分袋叩きに遭って路上で(なぶ)り殺しにされかねないような、ものすごい広告のオンパレードである。この十年、状況は変わらない。

 金もうけの奥義なんだろうなあ、これ。なんというか、知とか美って、本来人間には寄り添ってない不自然なものだから、大概(たいがい)はそんなのコッチの味方じゃないのよ。ところが、嫉妬というか、知性や美が自分より優れた他人を見ると、「ワタシだってぇ~」と、焦るわけだ。

 単なるやかましい訴求のことを「コミット」などと言い換えて、卑怯なもんだと思う。

 そこへつけこんで、一発勝負をかけると、あぶく銭がじゃらじゃら入る、ってことなんでしょうね。

ジャンル等 訴求先
バカ
英語 バカ
ライザップ デブ
TBC ブス・ハゲ
GABA・ベルリッツ バカ
林修 バカ
社会人大学院で修士 バカ

 こういう貼り紙に惑わされて、じゃぶじゃぶお金つぎ込むわけだわ、ほとんど全部無駄なんだけれどもさ。

 だからさ、こういう、善意を装った、その実、結局、「差別の増大」を図るようなものは、戒めなくちゃならないんじゃないか。こういう広告は差別だから、公権力で取り(はら)わなくてはいけないのではないか。