清濁、金胎、理と慈悲

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 土木技術者であり医学者であり、また自らも体と心を(さいな)む修行者であった弘法大師空海は、既に一千年の(いにしえ)、「理」と「情」を分かち並び立たせて論じていた。

 これ(すなわ)ち、「金胎両界曼荼羅」である。

 (しか)るにこの一千年、人になんの進歩があったか。新型コロナウイルス「COVID-19」の蔓延(まんえん)猖獗(しょうけつ)にあって、この(てい)たらくはなんとしたことであるか。

 学術的かつ医学的な対処と、人々の訴えに応えて優しく差し伸べる手の、両様のバランスこそごくあたりまえの「両界」とは言えないか。

 疫病に狼狽(うろた)え恐れ遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)、見苦しく商品を買い(あさ)り、他への誹謗(ひぼう)侮辱讒謗(ざんぼう)など、見るだに無様(ぶざま)で、残念というほかはない。

 おそらく、微生物禍は克服できる計算が成り立つだろう。しかし人の心はそれを(がえ)んじ(がた)く、依怙地(いこじ)で頑固なものだ。

 (みにく)く依怙地で頑固で自分勝手で他者を差別して小馬鹿にする、そんな、人間というものを丸ごと認めてこそ、落ち着いて日々を経過できるものである。

PCRナンチャラと「サンプル調査」「部分抽出による全体の推定」手法の暴論的否定と

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 「大学の入試は、各科目について学力の部分部分を検するもので、体系的・全体的な学力・能力の検出が行われているとは言えない。したがって、東大だろうと京大だろうと、合格した者のあらゆる入学は無効である。」

 「民意を測定するための世論調査は、時間とともに民意が移ろいゆくものであることから、長くても30分以内の至短時間に、約1億3千万国民の全員を対象にアンケートを行わなければまったく意味がなく、長時間をかけてせいぜい1000人ほどの抽出しかしていない朝日の世論調査や毎日の世論調査は、民意を測定しているとは到底言えず、すべて無効である。」

 「新型コロナウイルスのPCR検査は抽出数が少なく……(中略)アベ(中略)オリンピック(中略)森友(以下略)」

 起こってみなければわからないことについて最尤(さいゆう)な推定をしたり、あるいはすべての数を調査することが不可能な場合に一部から全体を推定するために、「確率」や「統計」という技法・手法があります。不確かなものは定量的に不確かに、確実なものは定量的にその確実さを表すことができるよう、「信頼区間」というような指標もあります。

 一部分の抽出の手段にも、浅学にしてよくは知りませんが、層化抽出技法など、いくつかの手段があると聞きます。

 しかし、こと新型コロナウイルスの検査に関する限り、皆さん、立派な学校を出ている割には、そういう抽出や推定に関するセンスが全然ないんですね。

 私は中卒ですが、それくらいのことは知っていますよ。

 ……ええ、皮肉です。

今週のSOBA満月

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 依然(いぜん)、新型コロナウイルス「COVID-19」は猖獗(しょうけつ)を極めており、世相は増々(ますます)紛糾・沈滞・遅疑(ちぎ)・不信・我執(がしゅう)(おもむき)を加えつつある。企業は休業、役人・司直は徹夜、株価は急落、日本はそれでもまだましな方で、欧州でのこの微生物()は、もはや歴史的水準(レヴェル)を超えようとしている。

 そんな折にあっても、春は深まり、梅も桃も桜も咲く。

 微生物禍などどこのことだとでも言いたげな快晴、暖かな風の吹く青い空の下、読みかけの本を持ってお気に入りの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。

 街の八百屋さんやスーパーの店先には春野菜が出ているから、今日のSOBA満月では、天婦羅を頼めば何かおいしい春野菜が揚がっているかな、と思ってメニューを見ると、季節メニューで「蛍烏賊(ほたるいか)の酢味噌()え」が出ている。これは是非注文しなければ。天婦羅は来週のお楽しみにしよう。

 新潟の銘酒「鶴齢(かくれい)」の純米吟醸がメニューにある。無論酒はこれにする。二合。

 旨い。蛍烏賊の香り、歯ごたえ、軽い味。「鶴齢」を含みつつ、交々(こもごも)箸をのばす。鶴齢の甘からず辛からず淡麗な飲み口に、この肴はぴったりである。

 酢味噌の味噌は濃い味付けに調えられている。

 なにより、付け合わせの「菜の花」の程よい茹で加減、歯ごたえ、香り、申し分なしである。

 飲みかつ喰い、持ってきた本を10ページばかり読む。

 仕上げに生粉(きこ)()ち・十割の「もり」。

 香り、歯ごたえ、味、のど越し、何をとってもこのお店の生粉打ちは旨い。

 帰り、自宅を通り過ぎて、小一時間ばかり歩く。自宅の東の方にある「谷古田(やこた)用水河畔(かはん)緑道(りょくどう)」の桜を見ようと思ったからだ。

 桜は六分咲き、今が一番見頃であろうか。

 青天白日、桜を見上げながらゆっくりと歩き、SOBA満月で飲んだ鶴齢の微醺(びくん)を楽しむ。

 世間の騒ぎをよそに、私の家の周囲は、かくも静謐・平和である。

差別根性露呈ウイルス

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 依然、コロナウイルスは猖獗(しょうけつ)を極めている。

 日本人お断りだとか中国人入国禁止だとか、そんなことを言っていても、結局は欧州(ヨーロッパ)で大流行している。人々はそのうち、欧州(ヨーロッパ)白人入国禁止、なんぞと言い出しかねないが、日本に入国する外国人の圧倒的大多数は中国人・韓国人なので、その点、欧州からの入国を禁止しようがしまいが、大したことではなかろうけれども、それにしても。

 事ここに至って、つくづく、人間と言うのは差別を餌に生きる、愚かな存在だと思う。なんとなら、(なに)人だとかカニ人だとか、何国からだとかどこ国からだとか、そんなことはもはや、何の関係もなくなっていると考えられるからだ。

 「人が人に病気をうつす」のだ。「(なに)国人からうつった」なんて追及は、今や既に意味を持っていない。

 それでも人々は、何国ではとか、(なに)人は、とか言わないと生きて行けない。

 人間の(みにく)性根(しょうね)が、ウイルスによって露呈(ろてい)されたと言える。

 「行政が」とか「政府が」とか「アベが」とか「野党が」とか、そんな言い分も結局同じことだ。

 私は、差別を好み、誰であれ他人を見下し、責任を(なす)り付け合わないと(おのれ)を保てない、そんな自分の(いや)しい精神を()じ、世界人類の愛と平和を真面目に考えてこなかったことを反省し、そういう反省の機会を与えてくれたコロナウイルスに感謝することにしたい。これぞ仏罰、神罰、試練と言えよう。私自身の精神が飛躍する絶好の機会なのだ。そこから逃げようとする怯懦(きょうだ)をこそ自ら(いまし)めねばならぬ。

 なあに、自分が感染したら、そして、あるいは死ぬようなことがあれば、そうしたら(いさぎよ)くそれを受け止めるまでである。

あら、来た。

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 ありゃりゃ、ついに私の通勤路線(東武スカイツリーライン(旧東武伊勢崎線))にも、来ちゃったなあ……。

 まァ、しょうがないなア。うつったらその時は恬淡(てんたん)、治療に専念する以外にないわナ。

 ……私なんて、これで死ぬんなら、今までにだって10回ぐらい死んでるだろうよ。あんなこととか、こんなこととか。だから、今回も大丈夫だろ。

新型コロナ感染世界マップ

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 日経新聞のビジュアル・マップがなかなか見やすい。

 日本政府の努力ぶりがよくわかると思う。

子供が可哀想(かわいそう)ではないか

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 コロナウイルス蔓延騒動で、小中高は休みにすべしとの政府コメントが出た。ところが、ここへ来て

「普段仕事で忙しく、わが子と一緒に過ごす時間をこれまで全然持てなかった。思いがけず子供と過ごすことができます。安倍総理ありがとう」

……ではなく、

「子供の面倒見るために仕事休まなくちゃなんねェだろうが、学童保育はどうするんだ、経済損失をどうする気だ、アベはどう責任を取るつもりなのか!」

というのが知能の高い人々の考え方らしい。

 もはや「経済(ゼニカネ)の邪魔者扱い」の子供たちが、あまりにも可哀想である。

 学校が休みでカネが儲からなくなった、などと、新聞やテレビが大きな字と子供に聞こえるような大きな声で、ガンガン書き立て言い立てるようなことではない。

 せめて子供と沁々(しみじみ)と過ごす一時(ひととき)に感謝すべきではなかろうか。

時事散誌

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 近所のドラッグ・ストアではニュースで報じられているのと同じく、トイレットペーパーが払底している。

 我々は全く、浅はかなものだ。

 私はというと、コロナウイルス騒ぎも、もはや、飽きてきた。どうでもいい、こんなの。

 ほっとけばそのうち、医学者が特効薬でも作るだろう。ペストだろうと天然痘だろうと結核だろうと、はたまたチフス、炭疽病、梅毒、黄熱病、その他あらゆる微生物病を、人類はそうやって克服してきたのだ。

 何?そんな悠長なこと言ってる間にお前自身がコロナウイルスに感染して死んだらどうするんだって?

 そりゃあ、(いさぎよ)く死ぬか、運よく治るか、二者任天、ありのままの人生を受け入れるしかない。

 さておき。

しかしよく考えると

 確かに、ポテトチップスを(つま)んで食べると、手に油がついてそこらじゅうを汚してしまう。

 しかしまあ、それはとりもなおさず、「あれほど大量の油を摂取してしまう食べ物も他にない」ということを言ってもおり、この点からポテトチップスというと「デブの素」の代表格食品であるというのは定説でもある。

 これだと一袋くらいあっという間に腹に収まってしまい、どんどん肥満してしまうに違いない。

 しかし、よく考えると、この「飲み口」みたいな奴がなくても、袋の角っこを三角に切り取れば、同じ喰い方ができるのではなかろうか。

し、四天王寺、て……(絶句)

 世界一古い企業は日本にあるのだという。それは「金剛組」という建築会社だそうだ。

 創業は西暦578年というから、遠く飛鳥時代にまで(さかのぼ)る。これは和暦だと敏達天皇七年、……と言ってもピンと来ないが、これは有名な女帝の推古天皇、と言って分からなければ聖徳太子の時代の少し前の時代、ええい、と言って分からなければ更にこう言おう、厩戸皇子(うまやどのみこ)の時代よりもまだ少し前の時代である。百済(くだら)からの渡来人で、四天王寺を建てたのが彼らだそうだ。今でも宮大工、つまり寺社建築を主とする職人団であるようだ。

ついにアンチも出る始末

 なんだか、クスッと笑ってしまった。……いや、失敬、失敬。要するに、「アッチの右翼」ですな、これは。

老朽テレビ業界も、やっとここまで来たか

 よくよく考えると地上波デジタルの前に、堀江何某が「そんなの既存のテレビをネットにつなげばいいだけじゃん」なぞと、「お前、それを言っちゃあ身も蓋もねェじゃん」みたいなことを言い放ったものだが、あれからハテ、かれこれ10年ほども経ったろうか。

 作ったコンテンツをネットに放流することなぞ、技術上は大した話ではない。そんなこと、(つたな)いながらも既に素人がYouTubeなどでバンバンやっている。だが、テレビ業界も大きな業界で、しかも老朽化したカチコチの業界だから、動くのにやっぱりこれくらいの時間はかかった、ということなのだろう。

 しかしこうして、結局はテレビもネットも、ダラダラと融合していくより他にないのだ。

 昔、SGIの創業者のジム・クラークは、インタラクティブ・テレビこそが次世代のメディア(媒体)を制する、と考えてSGIを退社し、創業しようとした。ところが、ティム・バーナーズ・リーの「WWW」とマーク・アンドリーセンの「NCSA Mosaic」を見て「これぞ私の考えていた次世代メディアだ」と考えを改め、即マーク・アンドリーセンにメールで接触を図ったという。二人がNetscape Navigatorを売りまくってから後の経緯は、誰しも知るところだ。

 そういう誰が(たく)んだわけでもない流れの中に、全部のメディアは乗っている。新聞だって雑誌だって、みんなそうだろ。本だってそう、漫画だってそう、音楽だってそう、写真だってそうだ。仏教用語で「耳鼻舌身意(じびぜっしんに)」なぞと言うが、これに沿って考えると、今やネットから流れてこない情報は、「香り」「味」ぐらいなものである。

 受信料がどうとか陰謀だとか何とかは、そんなことどうだっていい。

コロナウイルスどこ吹く風

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 それにしても大東京のサラリーマン諸氏には恐れ入る。学校が休みになろうが政府の自粛指示があろうが、なんの関係もなく押し合いへし合いの満員電車で沈黙通勤、混み具合なんか普段と全く変わらない。「テレワーク?なんスかソレ。営業は足で稼ぐんスよ」みたいな顔をしている人が半分ぐらいいて、残りの半分は「ワシはマスクなんか絶対するものか、アメリカでは効果がないと言っている、だいたいマスクなんてものは、菌がこもって気色悪いんぢゃッ!」……というような顔をしたスッピン・マスクなしの頑固爺の群れである。女の人も、ヒールの(かかと)の音も高くカツカツカツカツ、「何がコロナウイルスよお給料貰わなきゃ生きていけないでしょうがバカヤローあほんだら!」みたいな怒りを眉宇(びう)にパンパンに(みなぎ)らせて、物凄い勢いで下りエスカレーターの右側を駆け抜けていく。

 今日の夜なんて、いつもどおり「ハナキン」の夜、街の居酒屋の入り口をちょっと覗くと、今時(いまどき)煙草の煙がもうもうと立ち込めた店の中で、酔眼のおっさん連中が冷奴なんぞを前に赤い顔して「それがよォ、お(めェ)、アッチのほうがコレもんでよォ」などと、大声で御託(ゴタク)を並べている。ガールズ・バーの前にはいつもと同じお姉さん、キャバクラの前にはいつもと同じお兄さんが呼び込みに余念がない。

 思うに、ネットで恐怖説を拡散しているのは、おそらくこうした、どこ吹く風の実際の光景など全く見ていないような自営業の人などが主体なのではあるまいか。

 人類はこれまで、梅毒やペストや結核や黄熱病など、恐るべき微生物感染症を克服してきた。そこからすると、今般の事態が収束した暁には、また新たな人類に進化しているだろう。無論、それは、このコロナウイルスなどどこ吹く風の強靭な背広通勤集団によってなされるのであろうことに疑いを()れる余地はない。

(くじ)とウイルス

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 私は新型コロナウイルスに感染しないという妙な自信があるのですが、それは次のような馬鹿々々しい理由によります。

 私は毎年宝(くじ)を買うのですが、ほんの10万円ほどですら当たったことはありません。一方、下サイトによると、毎年10万円以上当籤(とうせん)する人は18万人近くもいるそうです。しかし、私はそれすらも当たりません。ましてや、6千万円以上8億円以下の当籤者は1000人いない程度しかおらず、私にあたる分は残されていそうにもありません。

 コロナウイルスにせよ宝くじにせよ、「分母の取り方」が大変難しいので、一概には言えませんが、しかし、運・不運の違いこそあれ、今日現在、国内に1000人以下ほどいるというコロナウイルス感染者は、宝くじで大当たりに当選した億万長者と同じくらいの運の持ち主だと言えるのではないでしょうか。

 であれば、私がコロナウイルスに感染した暁には、みごと宝くじにも当たって億万長者になり、仕事も辞められると思うのです。

 しかし、そんな日は永久に来ないでしょう。