時事疑義

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何かおかしくないか

 米国の死人の増加っぷりは、何かおかしくないだろうか。本日(令和2年(2020)5月8日(金))現在、7万5千5百43人という常軌を逸した人命が失われているというのだが……。

 自由な国である代償か、もともとよくわからない死人が多い国柄なのだが、そういう死人を新型コロナウイルスのせいにして誤魔化しているのではないか?

なりふり構ってないよな、もはや。

 いや、敵を求めたいのはわかるが、真珠湾ってのは違うだろ。アレはむしろ、米国のほうが馬鹿だったから招き寄せた結果だぜ?

 もしも日本か、その他の誰かから「広島・長崎へ原爆を投下したことの報いが微生物禍となって米国を襲っているのだ」(など)と言われたとして、お前ら米国は気分がいいか?よくないだろ。

 だったら真珠湾なんか引き合いに出すような言い方をやめろ。戦争野郎め。

腹が(よじ)れるよ

 いやもう、馬鹿馬鹿しくって阿呆らしくって。

 こんなことにゼニカネ注ぎ込んで、愚かなことだなあ、と思う。まあ、馬鹿は他にも大勢いるから、この人たちばかり責めるわけにもいくまい。

 パチ玉がそのまま煮るか焼くかでもして食えるようになるとかすれば、生活必需ということになる気もするが、あんなもの、煮たって焼いたって食えるものではない。結局は、やくざ者や北朝鮮~韓国への送金にしかならんのだからなあ……。

だいぶ前の記事だが

 良い記事だ。多分、山林でも河川でも農地でも、似たような環境維持が行われているのであろう。

時事放言

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必ずしも(ジジ)(ババ)キラーというわけでもないようだ

 高齢で治癒したということはめでたいことである。この方の今後の幸福を祈りたい。

思ったよりもマシ

 今日は東京都200人超えの報を聞くかな、と思っていたから、まだしもだった。

なぜ米国人はこのような目にあわなければならないのか

 亡くなった無辜(むこ)の米国人の冥福を祈り、盟邦(めいほう)の国民の一人として、悲しみをともにするより他はない。

 しかし、()えて言えば、世界最強最先端を誇示する米国人が、なぜ電子顕微鏡をもって拡大しなければ見ることも(あた)わぬようなちっぽけなウイルスに襲い掛かられ、かくもバタバタと死ななければならないのだろうか。

 これを当の米国人たちは、その因果に思いを巡らして反省すべきなのではないか。

 つけつけと言い(つの)ろう。所謂(いわゆる)「9.11」に報復するに、一部の過激思想家とは何の関係もなかったアフガンの多くの一般人、保有していない核兵器への言いがかりでどれほどのイラクの一般人、そしてシリアで、いや、もっと言うならベトナムで、長崎で、広島で、大阪で、東京で、どれほど多くの「なんの罪もない人」を「自分たちの手で」殺したか、米国人はよくよく反省するがいい。それらは天然現象などではなく、米国人の意思と手によってなされたことだ。

 新型コロナウイルスは違う。厳しく言って、米国人の白人エリート、すなわち筋金入りの清教徒由来の人々らが信じている「神」が、いまやウイルスの姿となって顕現(けんげん)垂迹(すいじゃく)したのだと知るがいい。

 こんなことを言い捨てたところで、それこそゴミのような一言に過ぎず、世界が変わることはない。米国も何も変わるまい。このウイルス禍が過ぎ去った後、経済を復興させるため、米国は()りもせずまた戦争をするだろう。あるいは中東では(あきた)らず、再びアジアに魔手を伸ばすかもしれない。恐ろしいことだ。野望、(いな)、非望である。

 米国の野望は断固としてこれを(くじ)くべきではあるが、日本にはそうするだけの力は、残念ながら、ない。したがって、巧妙・機微に立ち回り、詐術などの手段を用いて、「日本だけが無関係かつ安全に閉じこもっておれる」ようにするのが次善だろう。更にそれが駄目なら、今度は逆に米国が行う殺戮(さつりく)に加担し、戦勝国の側に並ぶことが次々善だ。それだけの覚悟が、日本人にはあるだろうか。

ESRI、なかなかいい仕事してる

 しかし、なんというか、チトゴチャゴチャしてるよな。

いや、私はいいと思う。

 安倍総理のツイートが批判されているという。それが右のツイートである。

 シンガー・ソング・ライター星野源氏の音楽に合わせて、自宅で静かに過ごしてもらいたい、という趣旨のことを訴えているわけである。

 私はこの映像に対する批判は当たらないと思う。内閣総理大臣自らなんとかしようと訴える至情にあふれているのではなかろうか。それに、当意即妙、なかなか品があり、よく出来ているではないか。

 一国の内閣総理大臣ともあろう人が、タレントや俳優の真似事までして、そこまでして何とか無用の外出を控えてもらおうとあの手この手を尽くしている、そういう誠意が伝わってもくる。少なくとも、私には伝わった。

 そのようなわけであるから、私はこの首相のメッセージを批判する立場の人と、残念ながら、永久に分かり合えそうもない。多分、向こうから見れば私は宇宙人とか汚物同然なのであろうし、私から見ると彼らは異物、鉱物とか液体、昆虫などに見える。

 だから、お互い無関係に、分かり合うことなく幸せに別々の道を行きたいものである。


なんっか、腹立つんだよなあ……

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 ローマ法王が来日し、長崎でスピーチしたそうな。

 その内容である。

 なんっか、腹立つんだよなあ……。

 広島の、そして長崎の惨劇と虐殺は、お前らが営々と築き上げてきた西欧文明の所為(せい)で起こったんと違うんかい。その西欧文明はキリスト教によって生まれたんだろうが。それを、何を今さら、アメリカの批判だって?笑わせンな。

 ごめんなさいと謝ったって、偽善以外の何物でもない。アメリカ人のキリスト教徒を全員破門にでもするというのならまだしも。

 この善人韜晦っぷり。だからキリスト教は大嫌いなんだ。

長崎原爆忌

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 原爆忌である。悲しい哉。

 幾十万の魂魄よ、只管(ひたすら)安らかに(ねむ)れ。

 いつの日か、アメリカ人には必ず悔恨させる。200年、いや、300年先、ことによると1000年先になろうか。

広島原爆忌

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 原爆忌である。一日逼塞(ひっそく)して過ごす。

 幾十万の魂魄よ、只管(ひたすら)安らかに(ねむ)れ。

Twitterのアカウント凍結は釈然としない

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 くだらんことでTwitterのアカウントを一時凍結され、釈然としない。

 アメリカ人に対する敵意を端的に書いたまでだが、削除しないとアカウントは凍結だという。

 原爆を生身の人間の上で炸裂させたアメリカ人を、日本人が静かに恨んで何が悪いというのか。随分とTwitterの運営会社も肝っ玉の小さいことだ。

金ちゃん妄想

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 ああ、北朝鮮を俳優に仕立てた茶番、ロシア・中国共同プレゼンツのドラマが見えてきた。

 狡猾そのものじゃないか。

 実は、原爆や水爆と見えたものは、デブの金チャンが爪に火を(とも)すようにしてため込んだTNT火薬だったのだ。何キロトン、何メガトンとか言うが、文字通り、本当に爆薬を千トン、一万トンとため込み、せっせと山岳地帯の洞窟に運び込み、炸裂させただけなのだ。

 その爆薬は、ロシアと中国からどしどしと運び込まれた石油を遺憾なく注ぎ込んで合成したものだ。

 すっかり騙されて怒った米国が「大量破壊兵器許すまじ」とばかり北朝鮮に攻め込む。だが、もとより核開発なんかする力もないから、北朝鮮国内をいくら家探ししようが大量破壊兵器の「ヘ」の字も見つからない。

 つまり、米国は、イラクの繰り返しをもう一度やらされて、世界中に恥晒しをしてしまうのだ。

 赤っ恥をかかされて吠え面のアメリカを、ロシアと中国が糾弾する。「戦争までしておいてそのザマかよ!」「弁償しろ馬鹿野郎」「謝れアホが」……というわけだ。

ちゃう島

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 チャウシマ、という言葉を知った。

 ルーマニアのチャウシェスク暗黒時代、古い文化財級の建物がチャウシェスクによって無理やり取り壊され、無味乾燥な現代風の建物に強制建て替えされたそうだが、ルーマニアの人々はその死屍累々ともいうべき惨状を指して、「ヒロシマ」になぞらえて、自嘲的に「チャウシマ」と呼んだものだそうな。

魂なき科学と長崎原爆忌

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 8月は広島原爆忌、長崎原爆忌、敗戦忌と続く。

 今日は長崎原爆忌だ。幾万の犠牲者のたまき()魂魄(こんぱく)を思い、悲しむ。

 長崎に投下された原爆は、「Mark 3 “Fat man(デブ)“」という名前であったことが知られる。

 実は20年ほど前までは、この「Fat man」が広島に、長崎にはもう一方の「Little boy(チビ)」が投下されたと信じられてきた。ところが情報公開が進み、逆であったことがわかったのである。

 長崎に投下された原爆の種類と、広島のそれとが逆に発表されてきたことには、実は腹立たしい理由がある。

 長崎に投下された「Fat man」は、広島に投下された「Little boy」より威力が大きかった。だが、長崎のほうが死者が少なかった。そうすると、これらを設計した科学者や技術者の計算ミスと言うことになり、多くの者が処分されてしまう。そこで、広島に投下されたものと長崎に投下されたものとを、長らく逆に発表してきたのだ。

 死者が多い少ないと言う恐ろしい報告は、豆とか麦を(ます)で計って目方が多い少ないなどと言う事とはわけが違う。額に汗して真面目に暮らしていた人々の、かけがえのない命が2万3万多いだとか少ないだとか言っているのだ。数十余万に及ぶ(おびただ)しい人々を虐殺しておいて、博士修士といった連中のたかが100人がところが「俺がクビになっちまう、来月の給料はぁ~?」などと言ってうるさいから、とりあえず逆に報告しておきましょうなどという、そういう話なのだ。

 この文章を読む方に言いたいが、指を折って2万とか3万とかいう数を数えたことがあるだろうか。ほとんどの人が、実際に指折り数えたことがある数字は、千くらいまでがせいぜいだと思う。自分が数えたこともないような数の人が死んでいるのだ。それを、科学者の地位の保全のために誤魔化(ごまか)したのである。

 使われたプルトニウムはハンフォード・サイトというところにある原子炉で作られたが、この近所には、今、億万長者ビル・ゲイツ氏の自宅がある。近所、と言っても200kmほど離れているが。

 「ファットマン」はプルトニウム爆縮型の核兵器だ。プルトニウムを爆薬で包み込み、爆薬に点火すると爆圧が急激に内向する。それによりプルトニウムが高速かつ極度に圧縮されて臨界を超え、核爆発が起こるのだ。原理的に丸い形状にならざるを得ないので、文字通り「Fat Man(デブ)」の形状となったのである。

 だが、単純に爆薬で覆えばいいと言うものではない。1か所に点火すると、爆発が点火場所から順次伝わっていくので、プルトニウムを全方向から均一に圧縮することができない。

 どうにかならないかというわけで、点火栓を周囲に沢山取り付けて爆発させてみた。ところが、これでは「あちこちから棒で同時に突ッつき回した」ようになってしまい、プルトニウムを均一に圧縮することはできなかった。

 そこで、かのフォン・ノイマンの登場となる。そう、「ノイマン型コンピュータ」の考案者、あのノイマンだ。天才的数学者であった彼は、爆轟速度の異なる2種類の火薬を二次曲面で精緻に組み合わせた「爆縮レンズ」を計算により編み出した。

 魂を持たぬ科学、愛を失った天才ほど恐ろしいものはない。この計画を強力に推進したアインシュタインでさえ、後年に至って

「私たちは、知性を神格化しないように、十分注意しなければなりません。知性は、言うまでもなく強力な筋肉をもってはいますが、人格をもってはおりません。〔……〕知性は、方法や道具に対しては、鋭い鑑識眼をもってはいますが、目的や価値に関しては盲目です。」

「宗教なき科学はびっこ((出典ママ))であり、科学なき宗教はめくら((出典ママ))なのです」

(アルバート・アインシュタイン『晩年に思う』より)

 と言っている。

 かくてプルトニウムは全周囲から爆発的圧力で均等に圧縮可能となった。技術的には、科学的には、つまり人間の脳味噌のなしうる器用な働きの上からは、これは大成功だ。

 だがその大成功の産物は、あいつらの言う、人類が到達しえた至高の知性の産物は、無辜(むこ)・無防備の素朴な長崎市民の只中へ放り込まれ、恐るべき地獄の業火となって炸裂したのである。

 稀代の頭脳にして人類の至宝、フォン・ノイマンの手になる、精緻な科学的知性の帰結であるこのガジェットが(もたら)した凄惨な地獄絵図は、結果として人類文明史上最悪の汚点となり、かつまた欧米白人科学史上の恥となって永久に消えぬこととなった。

 戦争であろうと、科学であろうと、やっていいことといけないことの区別が、やはりあろう。それを思えば、長崎の虐殺は「やってはいけないこと」であったには違いない。

「原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる!そうしたことを計画、実行した人たちが今、被告たちを裁いているのだ!」(東京裁判弁護人・ベン・ブルース・ブレイクニー少佐の弁護より)

 東京裁判では、米側弁護人ですらこう言わざるを得なかったのだ。

 原爆が欧米白人科学史上の恥となった、と私が言う証拠に、ブレイクニーが畳みかけたこのくだりは、見てのとおり映像には残ったものの、映像の中にも触れられている通り、同時通訳が停止され、速記録からは抹殺された状態で出版されてしまった。

本当に腹の底から悲しめ原爆忌

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 原爆忌である。

 思うだに、考えるだに、いたましい(かな)、悲しい哉。多くの人が(こうべ)を垂れ、遠いかの日に思いを致している。

 だが、本当のところを喝破(かっぱ)すれば、実は(ほとん)どの者が悲しんでもいなければ(いわん)や反省などしてはいるまい。

 その証拠に、本当に悲しみ、本当に反省しているのならば、核兵器で死ぬ者が二度とないように現実の物理的努力をしているはずだ。だが、殆どの者はそんな物理的努力などしていない。政治家から学者、有名人、金持ちから貧乏人、一般人に至るまで殆どが、だ。

 日本は中国・ロシアという核兵器保有国に隣接している。日本に向けて照準を定め終わり、いつでも発射可能な核弾頭の数は数百を下らない。それらはポチッとスイッチを押せば、地獄の業火となって私たちの頭上に降り注ぐ。軍事施設ではない、無辜(むこ)の一般市民の頭上に降り注ぐのだ。かてて加えて、新興核武装国にして敵国、北朝鮮は、この凄惨な兵器の開発を()めぬばかりか更なる増産増備の構えを強めてさえいる。

 この冷厳な事実に対抗するための具体的で物理的な努力に関して、人々はあまりにも冷淡である。はっきり言えば「何もしていないし、何も考えていない」のが実際である。それが、私たち共通の悲劇のこの日、広島原爆忌に、多くの者が悲しんでいるフリを実はしているだけだと、露悪的に私が()所以(ゆえん)だ。

 日本はある程度の弾道ミサイル防衛の実力を持ってはいる。だが、1発2発なら器用に撃ち落とす見事な腕前くらいは見せられても、20発30発と撃ち込まれれば、もう弾切れになり青息吐息だ。これを「飽和攻撃」と言う。そうなれば広島どころではない。何十万、いや、何百万もの人が焼け爛れて死に、中性子線による放射線障害でのたうち回って死に、遺伝子に対する甚大な影響で子孫までがおかしくなってしまうのだ。

 中国もロシアも、50発でも60発でも核兵器を日本に打ち込む実力を潜在している。戦争は弱い者いじめだ。中国もロシアも、アメリカ本国に撃ち込めば苛烈な仕返しに遭って自分たちが困る。核戦争を開始するなら、まず弱小な敵国・やる気も覇気もない日本に数十発がところを撃ち込み、その親分アメリカの出方を見るだろう。ま、本当にやるかどうかは別問題として……。

 まして、仮に、仮にだ。今もってなお世界一の軍事国家、水爆の殿堂にして核兵器の巣窟、かのアメリカ合衆国が、万が一にも日本の敵となる日が来たら、どうなるか。

 反省するなら、悲しむなら、ポーズやフリではなく、本当に反省し、本当に悲しんでほしい。情緒的に悲しんで見せるのなど、中学生以下の子供でもできることだ。

 ただし最後に言おう、本当の反省は、情緒よりする悲しみから出発する。だから、まず腹の底から慟哭(どうこく)し、悲しまねばならぬ。それがスタートだ。