オノレは自分の家族にも使わせられんような出鱈目を世界中に売り
- ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ IT企業のトップたちは複雑な感情を抱いている(東洋経済、アンデシュ・ハンセン : 精神科医、令和2年(2020)12月27日(日)14時00分)
「だからこそやっぱりジョブズは偉いッ!」みたいな筆致も我慢がならない。こんなものを有難がっていてどうする。
オッサンは生きている。
オノレは自分の家族にも使わせられんような出鱈目を世界中に売り
「だからこそやっぱりジョブズは偉いッ!」みたいな筆致も我慢がならない。こんなものを有難がっていてどうする。
美大に進学した長女にMacBookを買ってやる約束だったが、今日まで忙しく、なかなか果たせていなかった。
ちょうど今日は長女も暇で、私も休みになった。久しぶりに父娘肩を並べ、近所のPC-DepotのAppleブースと、秋葉原ヨドバシ1FのAppleフロアへ行って品定めしてきた。
やはり絵画やデザインをやるのには、少々スペックを奢らなければならないようだ。「MacBook Pro 15インチ Retinaディスプレイ・モデル」のうち、Intel Core i7 2.2GHz クアッドコアのモデルを購入することにした。
時代は「オムニチャネル」ということらしいが、なんというか、「コッチから手動オムニチャネル」というかマニュアル
やはり、価格.comの最安店にまさる店はない。アップル本サイトより2割くらいは安い。……というわけで、21万1千101円(税込)でポチ。
それにしても、今までApple製品に縁がなかったのは、実は「嫌い」だったからである。開いているように見せかけて、実は閉じ切った商売っぷりや、作ったスノビズムっぽさなどが嫌いだったのだ。また、劇的な病死のこともあって尊敬されているジョブズ氏も実は嫌いで、ウォズニアック氏の真直さに比べたら、伝え聞くジョブズの若い頃の暴君ぶり、
だが、長女のためとならば親馬鹿にもなるというものである。
さて届くのは来週。なんだか楽しみだぞ。若い頃、Apple II c/eやMacintoshなんてものは、高価で手が出なかったんだもんなあ。長女のものとは言え、iPhone含めApple製品が我が家の敷居をまたぐのは全く初めてのことである。
「Google後」について論考しようとして、とてものことに私などその器ではないと思い直す。
タブレットやモバイルにしても、ポンとアイデアを思い付きで出して、運よく資本エンジェルが金出して、スクスク一発屋商売がヒットした、というわけではない。
私にとってのスマートフォン元年は平成21年の夏ごろだ。ドコモから「HT-03A」が発売されたところから、スマートフォンの盛り上がりを感じはじめた。古くからのiPhoneユーザにとってのスマートフォン元年は、もう少し早いだろう。
が、これはポンと出してポンと売れたものではない。HT-03Aは、更にそれを遡る2年前に、Googleが組織した「OHA」(Open Handset Alliance)に、日本3大キャリアや有力IT企業が参加して、営々とAndroidの研究を続けていたのである。ようやく台湾HTC社のハードウェアの発売に漕ぎ付けるのにそれくらいかかったということだ。
そのGoogleにしても、どれほどの努力の年月を重ねたか。
Web2.0を標榜したAmazonの商売が、やっとこさ軌道に乗るのに何年かかったかを振り返るのも分かりやすい。
iPhoneにしても、日本での最初のスタートなんか散々なものであったと記憶する。それを、それこそソフトバンクがタダ同然でばらまくようなふるまいに及んで、ようやく今のような市場を握ることに成功したのだ。しかも、それすら、2年後3年後にどうなるかなど、誰も予測できない。
そこからは、血の臭いすら、する。文字通り血のにじむような営業努力だ。
Google後はますます、ピカッと光るような才能とクリエイティビティが世界を変える、と、多くの人が考えているように感じられるが、私はそうは思わない。
死んだジョブズのプレゼンになんか、私は騙されないぞ。
クリエイティビティの対極にある、ゲロのにおいの、血と苦汁とションベン臭い汗のしたたりにじむ、蟻が地を這うような、サラリーマンのおっさんの活動が、実は世界を変えている。