引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。
第14巻、「新文章読本(川端康成)/日本文芸入門(西尾実)/世々の歌びと(折口信夫)/俳句読本(高浜虚子)/現代詩概観(三好達治)」のうち、五つ目、最後の「現代詩概観(三好達治著)を、朝、行きの通勤電車の中、御茶ノ水駅のあたりで読み終わった。
著者の三好達治は自身が高名な詩人であり、学校の教科書にも作品が載っているから、知らぬ人はない。その三好達治が、和歌・俳諧といった定型詩から離れた日本の明治以降の詩について、起点のメルクマールとも言える「新体詩抄」から昭和の口語自由詩まで、
気になった箇所
他の<blockquote>タグ同じ。p.396より
落葉 秋の日の
ヸオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。(ヴェルレーヌ「詩集」)
純粋な日本詩ではなく、上田敏という人がフランスのヴェルレーヌの詩を翻訳したものだ。翻訳詩集「
私は小学生の頃からこの詩を知っていた。詩が好きだったからではない。小学生向けの、たしか、「スパイの秘密」という娯楽本にこの詩が載っていたのだ。なぜ「スパイの秘密」なんていう、しかも小学生向けの本にこんな大人びた詩が載っていたのかと言うと、「スパイ」―「暗号」という関連で、第2次世界大戦の欧州戦線、連合軍のノルマンディ上陸作戦に先立って、フランスのレジスタンスたちに向けてイギリスから放送された「上陸作戦決行近し」の暗号が、この詩の冒頭「秋の日の/
何分、私も子供の頃であったので、「なんでフランス人が、日本の難しい言葉で書かれた詩を暗号にするんじゃい」などと思ったもので、すぐにフランスの詩を訳したものであることは知ったものの、今度は「なんで外国の詩をこんな昔の言葉で、俺ら子供向けの本に書くんじゃい」とも思ったものだ。それが印象に残り、50歳を過ぎた今でも、この詩の冒頭をそらんじていたわけである。
三好達治の本書中での評論によれば、この訳詩は当時のフランス訳詞中の白眉とされたもので、翻訳そのものが日本の詩壇に与えた影響は極めて大きかったらしく、日本でヴェルレーヌの詩と言うと、この上田敏の翻訳をもってまず知られるのだそうである。
ゆえに、子供向けの娯楽本にまで、この訳詞が引用されたようだ。
七見るとなく涙ながれぬ。
かの小鳥
在ればまた来て、
茨のなかの紅き実を啄 み去るを。
あはれまた、
啄み去るを。八
女子 よ
汝 はかなし、
のたまはぬ汝はかなし、
ただひとつ、
一言 のわれをおもふと。
天才・北原白秋の「思ひ出」という詩集からの抜粋である。
三好達治は、本書中で北原白秋についてかなりのページ数を割き、もはや「ベタ褒め」と言ってよいほどの激賞ぶりである。
実際、私などの素人から見てさえ、白秋の詩は他の近代詩のどれと並べても群を抜いているように感じられる。
次
次は第15巻である。「空想から科学へ(F.エンゲルス著、宮川実訳)/共産党宣言(K.マルクス・F.エンゲルス著、宮川実訳)/職業としての政治(M.ヴェーバー著、清水幾太郎・清水礼子訳)/矛盾論(毛沢東著、竹内好訳)/第二貧乏物語(川上肇著)」の5作品が収載されている。
えっらくまた、共産主義色が濃厚な一冊である。私は右翼であるが、読み進めてみようではないか。私は夜間大学を中退したのだが、学部は経済学部で、「マル経」を学んだことも、実はあるのだ。