2の(べき)乗漫話

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 このエントリの話は、別のエントリで、少し脚色して、別の話にして書いたことがある。下のリンクの通りだ。

 今回書くのは、上リンクのエントリの元になった話である。

先祖の数とビット数

 ある日、ある時、ある場所で、ある人が次のような話をした。

 いかなる人にも父母がある。イエス・キリストのように処女マリアから生まれたとかいう嘘臭いおとぎ話のような例外を除けば、1人の人の親は2人である。複雑な家系などの特殊な場合を除き、祖父母は父方と母方を合わせると1人の人に付き4人であり、同様の理屈で曾祖父母は8人、高祖父母は16人となる。この計算は、

m = 2 ^ n

ここに

m: 先祖の人数
n: 代の数。父母なら1、祖父母なら2。

となる。

 ここで、30代ほど(さかのぼ)ると、先祖の数は何人になるか。

……と、その人は話を切って、聞き手たちに質問した。

 皆、急いで「2の30乗」がどれくらいになるか計算しようとしたが、口の中で「1、2、4、8、16、32……」といくつか数えただけで、面倒になり数えるのをやめた。

 その人は話を続けた。

 皆、こうして突然質問されても、急には答えが出ないと思う。正解を言うと、これは、

2^{30} = 1,073,741,824

という計算であり、約10億7千万人という途方もない数になる。

 30代遡る、と言ったが、仮に、人間の男女が1世代平均30歳前後で子孫を残すと考えると、30代前というのは30 \times 30 = 900、900年ほど前の、だいたい鎌倉時代ということになる。

 昔の日本の人口については様々な研究があるが、鎌倉時代の日本の人口については、一般的には750万人程度と言われている。どんなに多く見積もっても、10億人以上の人が鎌倉時代の日本にいたはずはない。

 このことは、「非常に多くの共通の先祖」がいるのでなければ説明がつかない。つまり、君や、君、そしてこの私は、まったくのアカの他人だが、しかし、どこかで共通の先祖を持った、親戚である可能性が非常に高い、ということである。

 お互いにそうした親しみをもって、心を合わせて仕事をしていこうではないか。

 その人の話はここで終わった。この話の主題は最後の「心を合わせて仕事をしよう」ということであり、2のn乗ということについては話の種にすぎない。

 さておき。実は、この話の途中、私には「2の30乗」がいくつぐらいか、すぐに暗算で分かった。

 2の(べき)乗の中でも、(るい)乗についてはいくつかは覚えていてすぐに言えるようでないと、ITで口を(のり)していくことは難しい。というのも、「2のn乗はいくつか」という質問は、「2進数nビットで表せる数は何個か」という質問と同じだからである。

 4ビットで表せる数は0~15の16個。

 同様に、8ビットでは256個。

 16ビットでは65,536個。

 この計算は、4ビット以上では、最後の一桁が必ず6 \times 6 = 36の掛け算になるため、どんなにビット数が増えても、常に「なになに6」というふうに「6」が付く。

 ここまでなら、ちょっとプログラミングなどを(かじ)ったことのある者なら、誰もが(そら)んじている。C言語でプログラミングをしたことのある者なら、「/usr/include/limits.h」などというヘッダ・ファイルに、整数型変数のビット長に応じた限界値が記述してあり、そこにこれらの数字が並んでいることを誰でもが知っている。これがわかっていないと、例えばループ処理ひとつにしてからが、まともなコードが書けない。ループカウンタにどれほどの大きさのものを用意すればよいかがわからないからである。

 しかし、32ビットで表せる数の種類となると、パッと答えられる人は少ない。これは「4,294,967,296」、約43億である。

 これは語呂合わせで、「(4)(29)(4)(9)(6)(72)(9)(6)」と覚える。

 この「約43億」という数は、「1人の人の先祖を32代遡ると何人になるか」という質問に対する答えと同じである。(ひるがえ)って、上掲の話の中での質問は、「30代遡ったら何人になるか」であった。

 ここで、2進数の特性が出てくる。10進数は一桁増やすと10倍、減らすと\dfrac{1}{10}になるが、全く同じ理屈で、2進数は一桁増やすと2倍、減らすと\dfrac{1}{2}になるのである。

 32ビットを一桁減らして31ビットにすると、約43億の半分で約21億5千万。さらに一桁減らして30ビットにすると更に半分で約10億7500万。すなわち、30代前の先祖の数は約10億7500万人。

 そういう計算になる。

2の累乗のビックリ話色々

 この「2の累乗」については、少しの回数数字を操作するだけで驚くほど大きな数が出てくるので、昔から面白い話が結構多く転がっている。以下にいくつか挙げてみよう。

紙を折ると月に届く話

 この話はネットを漁るとわりと多くヒットするし、「トリビアの泉」というテレビ番組で出たことがあるらしいので、知っている人も多いと思う。

 中質の普通のプリンタ用紙がここにあるとしよう。この厚みを測ると、0.09mmほどである。もし自分で測ってみようという人がいたら、ノギスを用意して測るとよい。1枚だと薄すぎて測りづらいので、10枚ばかりまとめて測るとよいだろう。0.9mmほどになるはずである。10枚だから\dfrac{1}{10}で、0.09mmだ。

 この紙を1枚とり、綺麗に二つに折る。そうすると、厚みは倍で、0.18mmとなる。もう一度折ると0.36mm。3回目、八つ折りにすると更にその倍で0.72mm。単純で、何の疑問もない。式に書いてもまことに単純極まる。

\phi = 2 ^ n \times 0.09(mm)

ここに

\phi: 折った紙の厚み
n: 折った回数

 実際に紙を折ってみれば(わか)るが、現実の紙の物性、すなわち展性であるとか(じん)性、()性といったようなことが関係するので、普通に手で折ればせいぜい7回折るのが限度で、工具などを使って無理に折っても8回が限度である。

 ただ、それではこの話は全然面白くないので、架空の、理論上の話として、「何度でも折ることができる不思議な紙」があると仮定して話を作る。

 この紙を、「7~8回折り」という限界を超えて、無理矢理10回折るとどうなるか。

 実は、これがあまり大したことがない。2 ^ {10} \times 0.09(mm) = 92.16(mm)、つまり9cmちょいである。手のひらに乗る程度のかわいらしいものだ。

 だが、これを根気よく折っていくと、あるところから突然効果が出始め、びっくりするような数字になる。

 20回折ってみよう。

2 ^ {20} \times 0.09(mm) = 94,371.84(mm) = 94.37184(m)

なんと約94m。続けて、更に2回、累計22回折ると377.48736mとなって東京タワーの高さを超え、もう1回、累計23回折ると754.97472mに達して東京スカイツリーの高さを超える。

 しつこく折ろう。42回折る。

2 ^ {42} \times 0.09(mm) = 395,824,185,999.36(mm) = 395,824.18599936(km)

なんと約39万6千kmに達する。地球から月までの距離は約38万kmであるから、そのへんにある紙を42回折ると月に届くわけだ。

 さらにしつこく折る。56回。

2 ^ {56} \times 0.09(mm) = 6,485,183,463,413,514.24(mm) = 6,485,183,463.41351424(km)

約65億km。地球から冥王星までの距離が約48億kmだから、もうここまでくると太陽系外へ脱出しようとするほどの厚みになる。

 さて、この、「紙を折るだけでビックリするような数字が出てくる」話は、スピーチなどの種にうまく使える。私はある時ある場所で、「人間の努力」をこれになぞらえて話した。

 私は10年間ピアノの稽古をした。多少弾けるようになったが、10年間の稽古というのは紙を10回折った程度で、9センチほどの厚み、せいぜい手のひらに乗る程度、想像の付くレベルに到達しただけだった。残念ながら、私はそこで努力をやめてしまった。

 しかし、難曲を弾きこなすピアノの上手な人たちというのは、この例えで言えば、20年、紙を20回折ったのだろう。そして、90mという見上げるような高さにそれを仕上げたのだ。コンクールに出るような人たちは、30回、40回、紙を折ったのだろう。努力というのはそういうものだ。

……云々。この話は結構聞き手に感心して貰えて、「私も20回、30回、紙を折るように努力します」と言ってくれる人もいた。ただ、実際の紙は、7回折るのが限度なんですけどね(苦笑)。

太閤秀吉と曽呂利(そろり)新左衛門の話

 全く同じ話を、別の話にしてしまうこともできる。標記の曽呂利(そろり)新左衛門の話は昔話として有名である。

 その昔、時の関白太政大臣(かんぱくだじょうだいじん)羽柴筑前守(はしばちくぜんのかみ)太閤豊臣秀吉(たいこうとよとみひでよし)曽呂利(そろり)新左衛門(しんざえもん)という家来があった。この家来は頭が良く、(とん)()の利くことで有名であった。

 ある時、秀吉は今で言う(うつ)病のような(やまい)(かか)ってしまった。曽呂利新左衛門はここが忠義の見せどころと看病を尽くし、得意の頓智で秀吉の気分を(ほぐ)すことに努めた。その甲斐あって、やがて秀吉は快癒した。

 (こと)(ほか)喜んだ秀吉、

「この(たび)のその方の働き、誠に天晴(あっぱ)れであった。(ほう)()を取らすによって、何なりと申すがよい」

「ははッ、誠に勿体なきお言葉、(かたじけの)(ぞん)(たてまつ)る。されば、(きん)()(いただ)きとう御座る」

 新左衛門の(ちょく)(せつ)な望みに秀吉は破顔一笑、

「ははは、褒美に金子とは、正直な奴じゃて。して、望みは幾らじゃ。この太閤、少々の金子でビクともするものではないぞよ、好きなだけ申してみい。千両か、万両か」

「いえ、千両万両などとそのような。つきましては(ぜに)を一文、頂ければと存じ奉る」

「なんじゃと、銭? 銭とは、あの、銭か。それを、一文で良いのか」

「はい、(ただ)し、よろしゅう御座(ござ)れば、初日にまず銭一文、二日目に二文、三日目に四文、というふうに、日々ごとに倍々にして、ひと月の間褒美をくださいますれば、(それがし)、これに過ぎる幸せはございませぬ」

「ぬぅ、曽呂利よ、よくぞ言うた。これほどの手柄にもかかわらず、銭一文二文の褒美で良いとは、その方の質素なる心底(しんてい)、まっこと武士の鏡であるぞ。感じ()った。……ああ、コレ、勘定方! 勘定方やある! おお、勘定方、今ほど聞いた通りじゃ、曽呂利新左衛門の申す通りに褒美をつかわせい。わははは、天晴れ至極である」

 さてこうして、初日に一文、二日目に二文と貰い始めた曽呂利新左衛門。5日()ったところで貰ったのはようやくたったの16文で、それまで貰った分の15文を合わせても、二八の夜鳴き蕎麦が1杯16文だから、合わせてたった31文では蕎麦のお代りを1杯手繰るにも足りない。

 勘定方はじめ、家来たちは「曽呂利の奴め、頓智が利きすぎて馬鹿になっちまったんじゃないか、これでは褒美にもなりゃしない」と馬鹿にしてせせら笑った。

 しかし、8日経ち10日経って、銭1千文を超えてくると様子が変わってきた。11日で2,048文、12日目に4,096文。

 そろそろ慌て始めた勘定方、算盤(そろばん)をおいてみて、青くなった。

 銭というのは4千文で1両になる。1両というのは今のお金の価値に直すと6万円くらいである。このまま秀吉の下知(げち)通り、新左衛門に褒美を下げ渡し続ければ、20日で約105万文、すなわち約262両という大金、それまでに下げ渡した分も併せると500両を超えてしまう。約束のひと月になると約27万両、それまでの分を合わせると54万両、現代のお金に直すと約320億円という大金が曽呂利新左衛門の懐に転がり込むという途方もない算盤ではないか。

 いかに天下の太閤、豊臣秀吉といえども54万両、千両箱に直して540箱という途方もない金額、現代のお金で320億円という金は、さすがに(かね)(ぐら)にない。

 勘定方は泡を食って秀吉に注進に及ぶ。これを耳に入れた秀吉、怒ることか怒るまいことか、

「ぬぅ、曽呂利め、この関白を(たばか)りおったか、手()ちにしてくれる! ええい小姓っ、何をしておる、太刀(たち)をこれへ!」

と青筋を立てたが、しかしここで怒っているような小さな器では(せん)(なり)(びょう)(たん)も誇りやかな天下人になぞなれるものではない。

 無論、すぐに勘気を落ち着かせた秀吉、さすがは大器である。(おもむ)ろに曽呂利新左衛門を呼びにやり、言うことには

「のう曽呂利よ、その方の頓智の(ほど)(あい)()かった、この秀吉、さすがに兜をぬがねばなるまいの」

 秀吉の勘気のほどを薄々聞いてはいた曽呂利、恐縮心服の(てい)平伏(へいふく)し、

「ははァッ、有難きお言葉、新左衛門、汗顔の至りに御座りまする」

 かつて信長から猿と愚弄された秀吉、そのチンマリとした顔を莞爾(にっこ)(ほころ)ばせ、笑い(じわ)で満面をもみくちゃにしつつも、その目は流石(さすが)の戦国武士、笑ってなどいない。

「じゃがのう、曽呂利よ、54万両はチトやりすぎじゃ。この関白、こうしてその方に頭を下げるじゃによって、その、……千両ほどに負けておかぬか、のう」

曽呂利はますます床に額をこすりつけ、

「関白様、恐れ多くも(あるじ)を試すが如き挙に()でたること、それがし、臣たるものの行儀を(わきまえ)えぬこと甚だしく、このとおり平伏するのみにて御座る。千両は恐れ多く、百両ほども下しおかるれば、それにて幸いにございます」

「うむ、殊勝なり、天晴れじゃ、わははは」

 曽呂利新左衛門、手討ちを(まぬが)れたばかりか、しかもなお、天下の太閤に褒美を値切らせ、加えて百両をまんまとせしめたという(ひと)(くだり)のお話。

吉四六(きっちょむ)さんと米ひと粒の話

 上の「曽呂利新左衛門」の話は、全く同じ構成で「吉四六(きっちょむ)さん昔話」にもあようだ。これはググるとすぐに見つかるだろう。

 吉四六さんの場合は、「銭一文」が「米ひと粒」に置き換わっており、最後には米俵を積んだ大八車が吉四六さんの家の前で行列になってしまった、という筋書きである。

 昔の日本は、いわば「米本位制」の貨幣経済であった。つまり、「米」が「金塊」と同じ位置にあったわけである。いうなれば米粒は「再生可能な金貨一枚」に等しい。この不思議な貨幣経済構造が、吉四六さんの米ひと粒の話の下敷きになっている。

 仮にこの話をちょっと作り変えるとするなら、大八車の行列をなした米俵の山を、吉四六さんは腹を空かせた老人や子供に分け与え、悪い札差(ふださし)には全額を投げ(かえ)して今後一切諸村借財不問の証文を書かせた上、自分は約束の最初の米一粒をとって満足した、……などとすれば、そこそこ「イイ昔話」になるのではあるまいか。

(ネズミ)講」の元締(もとじめ)

 結局、(ネズミ)講の元締(もとじめ)や親方が儲かるのも、こうした「n乗」の指数関数の理屈によるということになろうか。

本当の先祖の数は
神奈いです氏のツイート

 ここからは必ずしも「2の冪乗」の話でもなくなる。

 ツイッターにこの話に関係するツイートを連投したことがある。

 小説家の神奈いです氏がツイッターで、次のようなことをツイートした。無論、当今問題の「統一教会の600万円の壺買わされて破産するような阿呆」にことよせてのツイートだ。

 おっと、この「先祖の数」の話、このエントリの最初の方にも書いたように、ちょっと面白い計算になるので、私もコメントをつけて混ぜッ返した。

 ところが、この計算は、冗談で書いているだけで、あまり正確ではない。で、見識を疑われてもなんなので、少し解説を連投した。下がそのスレッドである。

 上のスレッドの内容を、下に書き改めておきたい。

先祖の人数と2の冪乗のパラドックス

 先祖を400代遡ると、果たしてどれくらいの人数になるのか。

 上にリンクしたツイートのとおり、単純に「先祖の数は2^n」とすると、400代では

2^{400} = 2.582249878086908589655919172003 \times 10^{120}(人)

という途方もない数になり、もはやこれを分かりやすく表すための「億」とか「兆」とか、はたまた「那由他」などという位取り漢数詞自体が存在しない。一番大きい漢数詞は「無量大数」だが、これですら10^{68}で、約2.6 \times 10^{120}という先祖の数には遠く及ばない。

 だがしかし、400代前に、こんな途方もない数の先祖がいたはずもないことは、考える前から自明である。

 そこで、次のように考える。

 一組の人間の男女が子供を産み育てる年齢をざっと平均して30歳前後ということにすると、30歳×400代で、遡ること1万2千年前ということになる。

 1万2千年前というと日本では中石器時代の先縄文時代、ヨーロッパではマドレーヌ文化だの、あの中国ですら山頂洞人とか言っている途方もない大昔である。某教団は、そんな大昔の先祖をも救済すると言っていることになる。

 一方、重ねて記すが、旧石器時代の世界人口が、先の「父母の数は1人の人に対して必ず2人、祖父母の数は4人、つまり先祖の数は2のn乗倍」という説明、400代前の先祖の数が「無量大数」をも(はる)かに(しの)ぐほどあった、などということは、誰がどう考えても絶対にありえない。

 しかし、1人の人に必ず2人の父母、4人の祖父母がいるということは、これは絶対間違いない。なのに、どうしてこういう破綻した数字の論理になってしまうのか。

 実は、「1人の人に必ず2人の父母、4人の祖父母がいる」というこの文章には、ちょっとしたトリックが仕込まれているのである。

 そのトリックと言うのは、「1人の人に必ず2人の父母、4人の祖父母がいる」という文章は、説明がかなり省略された文章だということである。この文章を正しくするには、

「多くの人の中からただ一人にだけ着目したとき、その人の先祖は理論上2のn乗倍の人数になる」

とする必要がある。

 「多くの人の中からただ一人にだけ着目したとき」というところが焦点だ。

 ここで、先祖の人数に関する別の説明を提示する。

「多くの人の親の数をざっくり平均し、1人当たり何人の親がいるかを計算すると、だいたい1人強の親がいる。数代遡る程度なら、1人の人の先祖はやっぱり1人」

……どうも、違うことを言っているように感じられるだろう。だが、この説明も正しいのだ。この説明のトリックは、

「多くの人の親の数を『ざっくり平均し』」

とか、

「1人当たり」

とか、

「だいたい1人強」

という表現に仕込まれてある。

 その説明は、次の通りだ。

 昔の人口についてはいろいろな研究があるが、ネットで検索すると、「2万年前の地球全体の人口は100万人くらい」「(人口爆発の始まった)1万2千年前の地球全体の人口は500万人くらい」という数字はすぐに出てくる。例えば下のリンクなどだ。

 そこで、この500万人の人が、1世代平均して30歳前後で何人か子供を産み、昔のことだから何人も子供は死ぬ、また子供を産まぬ人もいる、それやこれやを差し引き、全部込みにして計算を試みてみればよい。

 すなわち「1万2千年前から現代まで、400代の長きにわたり、平均30歳で1人当たりざっくり何人子孫を残したか」という計算を試みると、いろいろと先に述べた先祖の人数の論理のパラドックスが見えてくるのだ。

 つい先日のニュースによれば、現在の人口は80億人に達したそうである。400代前の500万人と現代の80億人との関係を式にすると、

8,000,000,000 = 5,000,000 \times x ^{400}

ここに

x: 一世代の人が一人当たり残す子孫の数

という式になる。これは「複利金利の計算」と同じだ。

 500万人の人が80億人に増えるには1人当たり何人の子孫を残せばよいか、という計算は、上の式を変形して「x(人)」を求めればよい。これは学校で習う単純な指数関数の式で、

y = x^n

という式と同じだから、このときのxを求めればよく、

x = y^{(\dfrac{1}{n})}

というふうになる。、500万人の人が1万2千年かけて80億人に増えるには、

8,000,000,000 = 5,000,000 \times x ^{400}

という元の式を変形し、

 x ^ {400} = \dfrac{8,000,000,000}{5,000,000}

となり、次に「x(人)」が求められるように、

 x= (\dfrac{8,000,000,000}{5,000,000}) ^{\dfrac{1}{400}}

……というふうにすることで、遠く1万2千年前の、中石器時代、先縄文時代の人々から現代まで、一人当たり何人の子孫を残し続ければ現代の人数になるかが求められる。

 Windowsの電卓アプリでもエクセルでも、なんでも構わない。ポチポチッと計算してみよう。80億という数字は、電卓ではゼロが9個、現代風に言えば「8ギガ」である。

 さて、そうやって計算すると、私の電卓でx(人)は、

 x= (\dfrac{8,000,000,000}{5,000,000}) ^{\dfrac{1}{400}} = 1.0186155457903515433078598127172(人)

になった。

 これは、

「500万人の親が1人当たり平均して約1.019人の子孫を400代にわたって残し続ければ、80億人に増える」

と言っているのと同じことである。

 人間の人数は整数だから、同じことを更に言い方を変えて言うと、

「500万人の親が100人当たり平均して約102人、つまり、100人がかりで1代2人だけ子孫を増やすことを400代にわたって続ければ、80億人に増える」

となる。

 100人の男女は50組の夫婦になるから、50組中48組、つまりほとんどの夫婦は子供を2人だけ、夫婦と同じ人数の子供を残し、ごくわずかな1組か2組の夫婦だけが3人の子供を残せば、400代で500万人の人がなんと80億人に増える。

 このことは、「ザクッと丸めて言うと」、ある代表的な一族を3代か4代、部分的に取り出すと、

「1代の人数はずーっと同じ人数。2人の兄弟には2人の親。4人の兄弟及び従兄弟(いとこ)には、4人の祖父母」

ということになるのだ。

 50組ある父母のうち、50分の1か2の、例外的な夫婦の子供たちだけが、「3人の兄弟に2人の親」だということだ。

 ここで、最初の説明を振り返ってみよう。

「1人の人に必ず2人の父母、4人の祖父母がいる」

「多くの人の親の数をざっくり平均して1人当たり何人の親がいるかを計算すると、だいたい1人強の親がいる。数代遡る程度なら、1人の人の先祖はやっぱり1人」

 どちらも、「嘘は言っていない」ということが、今は判ると思う。また、最初の説明、「1人の人に必ず2人の父母、4人の祖父母がいる」という説明には、「同様にして2人の兄弟には2人の親がいる(異母異父兄弟その他の例外を除く)」などといった条件の付け足しがないこともわかる。

 数少ない3人兄弟の場合、親はやっぱり2人で、そうなるとこの3人兄弟の1人当たりの親の数は\dfrac{2}{3} \fallingdotseq 0.67(人)ということになり、むしろ先祖の数は代を遡るほど減ってしまう理屈になる。

 つまり、「兄弟とか従兄弟(いとこ)(また)従兄弟(いとこ)の存在」を無視しているので、鎌倉時代に10億7千万とか、1万2千年前に無量大数を超える人口になる、とかいう突拍子もない計算が出てくるのである。

 如何(いかが)だろうか?

 従って、最初の神奈いです氏 の「やべえ、ご先祖様一人辺り1円もしない」という感想は、「だいたい合っている」ということになる。

 「だいたい合っている」というのは、逆に言うと「ちょっと外れている」でもある。というのは、以上の私の説明だと、400代の先祖の人数は1人当たり400人よりちょっと少ないからで、600万円÷400人だと御先祖御一人様1万5千円になってしまうからだ。

 しかし、合っている部分は「今生きている1600人もの人と400代前まで共通の先祖がいる」ということになるので、1600人で600万円をシェアし、それが400代なので、ご先祖御一人約9.4円となり、かなりお安くなるということだ。……残念ながら「1円以下」にはなならないが。

アダムとイブが80億人に増えるには

 もうちょっと遊んでみよう。

 キリスト教徒の世界観に基づいたとき、人は一世代につきどれくらいの子孫を残さなければならない計算になるか。

 旧約聖書のアダムとイブの時代は、旧約聖書と新約聖書に記述されている年数を積算すると、およそ6000年前とされているそうな。

 で、アダムとイブはたった2人だった。1世代30歳として、\dfrac{6000}{30}=200で、現在まで200代で80億人に増えなくてはならない。1世代1人当たり何人子作りをしなければならないか、計算してみよう。

8,000,000,000 = 2 \times x^{200}

なので、

(\dfrac{8,000,000,000}{2})^{\dfrac{1}{200}}=1.1168897362116105347244004944291(人)

 おや。意外にキリスト教徒はハゲまなくても今の人口に達するようだ。100人で11人増やせばいいので、夫婦10組に1~2組が3人兄弟を育て、残りの8~9組は2人兄弟を育てればよろしい。よっぽど「産めよ殖やせよ地に満ちよ」とばかり、セックス三昧(ざんまい)なのかと思ったのだが、計算上はそうでもないようだ。

 というか、アダムとイブの子は二人ともおっさんで、しかも弟のアベルは兄のカインに殺されている。これでは子供を増やしようがない。というか、……人殺しのカインは、母のイブとするしかないんでは……。

これでは文字通り、

マザ・ファッカー Mother fucker

である。

 キリスト教徒は「人間には『原罪』がある」などと陰々滅々たる信仰論をぶつわけだが、ひょっとすると、その原罪ってのは、ご先祖カインのマザ・ファックのことを言っているのかも知れぬ。

 うーむ。昨日、三浦綾子のキリスト教徒小説(『銃口』)を読んだんだが、こんなことを書くとキリスト教徒に怒られそうだなあ。

 ……ヘビメタやらパンクのロックンロール野郎は獅子(しし)(まい)みたいな頭を振り回しながら「♪マザファッカーーーーッ!」ってがなり立てるけれども、なるほど、あれはそういうキリスト教的不信心韜晦(とうかい)だったのか。

 いや、原罪がマザーファックだなんていうのはキリスト教を馬鹿にし過ぎだってことは、勿論私もわかってますよ。善悪智弁の知慧の果実を食っちまったところが原罪の元になってるってことは、私もちゃんと知ってます。

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