浮動首都

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 浮動首都、というようなことを妄想した。自分が書いた砲兵のことと、石原莞爾の「最終戦争論」を読んでのことだ。

 石原莞爾によれば、戦術は点から線、線から面、面から体へと発展し、航空技術の究極に達したところで最終戦争となるという。

 その論の多くは外れてしまい、最終戦争は起こらず、米国の言う核抑止ドクトリンを経てアメリカ一強によるイスラムいじめの様相を呈していることは、歴史の事実である。

 だが、石原莞爾の論説は、東京・大阪の大空襲、広島・長崎の惨劇を経る前に書かれたものだ。それをわきまえたうえで読めばなかなかに興味深い。

 石原莞爾は「近未来には、戦闘員・非戦闘員の区別はなくなる。3次元化した戦闘は都市の無差別爆撃の形をとり、女子供までもが殺される役割として、戦闘に参加することとなる」と喝破している。石原莞爾が言い当ててからたった数年後にそれは東京・大阪、また広島・長崎の形で精密に現実化した。

 アメリカの戦略ドクトリンは変遷したとはいえ、各国のミリタリーはまだ太平洋戦争の呪縛から脱しえない。米国軍隊は縦横に飛び回り、かつ世界のどこへも決定的リーサル・ウェポンを叩き込む自由を得たが、それを生身に浴びる弱い者たちは、2~3百年前からほとんど変わらず、町や村に固定されて生きている。

 リーサル・ウェポンから逃れるためには、首都が浮遊せねばならぬ。情報技術等によって、殺害の主対象である何億もの弱者が、さながら雲のように形を変えてあちこちを浮動し、物理的決定点を持たぬようになることだ。一発の致死兵器が決定点に炸裂しても、そこに人口が蝟集していなければ、その兵器は恫喝の意味を持たなくなる。

ドブネズミ

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 青雲の志に燃える若い人の純真に水を差したいわけではないが、だが言わずにはおれない。

 戦争や軍事や軍隊や軍服や銃や戦闘機や軍艦が、美しくかっこいいものだなんて思うのは、馬鹿のすることだ。

 どれもこれも、しんどく、悲しく、重く、深刻で、複雑で、汚れ、厳しく、ややこしく、嫌になるようなものばかりである。

 最近、防衛問題に関心を持つ若い人が増えているのは結構なことだが、どうも、単純に考えすぎているのではないだろうか。

 テレビに映る美しさ、新聞に書かれるかっこよさなんてものは、大げさに言えば全部嘘である。人間とは悲しいもので、嘘は美しくかっこいいから、金を払って買ってしまうのだ。だがそれを間違っているとは言うまい。逆に考えると、真実の残酷さ、リアルな汚さ、そんなものに金を払うのは酔狂には違いない。スカトロ狂が普通人の目にどのように映るかを考えれば、人々が嘘に金を払うのはやむを得ないことだと解る。

 そんなわけで、メディアには真実は載らない。

 そういったことをわきまえたうえで、「ドブネズミのように美しくなりたい」のなら、止めはしない、己の信ずるところに従うがいい。しかし、実相を知ってから「騙された」だの「やりかたが間違っている」だのとゴタクをほざくのは、馬鹿より更に愚者のすることであると知るべきである。

理はイランにあり

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 ブッシュが如き、当然討論の場になど出ることはできまい。討論したところで、反論などなし得まい。正邪と言うなら、正はイランの側にこそあり、邪は合衆国大統領とこれを「完全なる民主的方法」と自称するやり方で選んだアメリカの国民全てである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070917-00000112-yom-int

イラン大統領が国連総会出席へ、米大統領との公開討論提案
9月17日19時29分配信 読売新聞

 【テヘラン=工藤武人】イランのアフマディネジャド大統領は16日夜、国営放送のペルシャ語版衛星テレビで、25日からニューヨークの国連本部で始まる国連総会一般討論に出席する意向を表明、核問題などをめぐり激しく対立する米国のブッシュ大統領との公開討論の実施を提案した。

 アフマディネジャド大統領の国連総会出席は、3年連続3回目となる。大統領は、昨年もブッシュ大統領に公開討論の実施を提案したが、即刻拒否されており、今回も実現する可能性は低い。 

最終更新:9月17日19時29分