私の上司──と言っても、私は向こうを知っているが、向こうは私ごとき低位の者を永久に知る筈もない、というほどの大上司──は、一昨日をもって職を去った。辞するにあたって「韓非子」を引いた。いわく、
……と。
上司はこれを、昨年来の苦心惨憺の議論当時の、自らの心構えを
このこと、まことに味わい深い。
上司の辞を解説・
しかし、今回ばかりは、それが残念でならない。まことに味わい深い引用だったからだ。
それで、自分自身の私的リソースであるこのブログを使って、この上司の辞について解いておきたい。
巧詐不如拙誠
巧詐は拙誠にしかず。これは韓非子の「
楽羊為魏将而攻中山。其子在中山、中山之君、烹其子而遺之羹。楽羊坐於幕下而啜之、尽一杯。文侯謂堵師賛曰、「楽羊以我故、而食其子之肉。」答曰、「其子而食之、且誰不食。」楽羊罷中山。文侯賞其功而疑其心。
孟孫猟得麑。使秦西巴載之持帰。其母随之而啼。秦西巴弗忍而与之。孟孫帰至而求麑。答曰、「余弗忍而与其母。」孟孫大怒逐之。居三月、復召以為其子傅。其御曰、「曩将罪之、今召以為子傅、何也。」孟孫曰、「夫不忍麑、又且忍吾子乎。」
故曰、「巧詐不如拙誠。」楽羊以有功見疑、秦西巴以有罪益信。
訓 み下し
これは
楽羊 、魏将 たりて中山 を攻 む。その子中山 に在 り、中山の君 、その子を烹 てこれを羹 にし遺 る。楽羊、幕下 に於いて坐 してこれを啜 り、一杯を尽くす。文侯 、堵師賛 に謂 いて曰 く、「楽羊、我を以 ての故 に、その子の肉を食 えり。」答えて曰く、「その子を食らう、且 た誰をか食らわざらん。」楽羊、中山を罷 る。文侯その功 を賞するもその心を疑う。
孟孫 、猟 して麑 を得 。秦西巴 、使いしてこれを載 せ持ち帰る。その母、これに随 きて啼 く。秦西巴、忍びずしてこれを与 う。孟孫、帰りて麑を求む。答えて曰く、「余、忍びずしてその母にこれを与う。」孟孫、大いに怒りこれを逐 う。居 ること三月、復 た召して以ってその子の傅 と為 す。その御 曰く、「曩 に将 にこれを罪 し、今召 して以って子の傅と為す、何也 。」孟孫曰く、「夫 れ麑を忍ばざる、且つまた吾が子を忍ばん乎 。」
故 に曰く、「巧詐は拙誠に如かず。」と。楽羊は功有るを以って疑われ、秦西巴は罪有るを以て益 信ぜらる。
現代語訳
現代語にすれば次の通りとなる。(佐藤俊夫訳)
別の話。ある時、
だから、「
簡単なたとえ話のようで、実は理屈が込み入っている
上司の、漢籍への深い素養が感じられた。
さて、私が味わい深いな、と思うのは、この話の流れ、特に二つの例話から導き出される結論として「巧詐は拙誠に如かず」にはならないのじゃないか、流れに無理があるのではないか、どうしてそうなるのか……等と、少しわかりづらいことと、それをあえて引いた上司の心についてである。
この出典のどこがわかりづらいかというと、読む人には自明の通り、「自分の息子を食うというような、血を吐くような行動でもって君主に仕えた楽羊こそ、むしろ拙誠と言えないか」というところである。自分の息子を喰らってまで、敵国の調伏につとめたのだ。むしろ軍人の鑑であるとも言い得る。しかし、おそらくそう思う方は、中国の途方もなく分厚い、古い古い文明史を解っていない。
自分の息子の肉をすら食って見せるという赤誠であっても、それは王の立場から見れば、「自己PRのキッツい軍人馬鹿のパフォーマンス」に過ぎないという一点にこそ、楽羊の例話が「巧詐」として位置づけられる理由がある。
思えば、かつての「カミカゼ」が、こうした「軍人パフォーマンス」の一つですらあったといえば、私は英霊から袋叩きにされるかもしれないが、しかし、あえてそう言ってみれば、「仔鹿と母鹿のことを思いやる」、つまり「
時下、中国との関係は誠に遺憾である。しかもなお、我が国の防衛は明確に解き得ざる混沌複雑のただ中にあり、ややもすれば人々がミリタリーのパフォーマンスに惑わされかねぬ状況にあるのは、むしろ事実と言える。
しかし、私の上司はそれを踏まえた上で、楽羊我が子を喰らうの一話、そしてこれが「巧詐」であると喝破する、難解な韓非子・説林の一説を引いた。
これぞ熟読玩味、銘肝すべし、というところであろうか。
また、そこまでひねくり回さず、この上司の説をまっすぐにとらえるとすれば、テクニカルでいかにもインテリに受けるレトリックよりも、誠心誠意よりする腹の底からの行動で示すことこそ衆人をして従わしめるであろう、という素直な理解も勿論ある。
その二つをもって、韓非子を引いた上司への、私なりの理解並びに讃嘆としたい。
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