昨日、更科蕎麦の事を書いていて、「しなやか」という言葉を使った。
自ずと流れ出てきた言葉で、それが最もよく対象を形容している、と思ったから使ったのだが、ふと考えた。
「しなやか」には、たしか、「靭か」という字当てもあったはずだ。「強靭」「靭性」という言葉もあるとおり、強く、粘りがあり、例えば鋼の板ばね、割竹などの良く撓い、元に戻るような、そういう強さがこの「靭」だ。
だから、この字を使った「靭か」では、更科蕎麦の細くスマートですんなりとした感じの形容にはならない。
一方、同じ「しなやか」でも、「繊か」とする字当てもある。これは、「繊細」の「繊」だから、更科蕎麦の形容にはぴったりだ。
そうすると、「しなやか」という言葉には、互いにかなり離れた二つの意味があることになる。
昔、山口百恵の歌だったか、「しなやかに歌って」というのがあった。恋人来たらず、寂しい時や悲しい時もある、そんな時はこの歌を「しなやかに」歌おう、というあらすじの歌詞だった。この場合は、これは実にいい言葉選びだと思う。「靭か」「繊か」、どちらの意味を含ませても女性らしく、歌によく合う。
「しなやかに生きる」と書くと、なにやら恰好いい。しかし、具体的にどういう行動を積み重ねて生きると「しなやか」に生きたことになるのか、こうなってくるとどうも曖昧である。「靭か」だと、どんな圧力にも屈せず、すぐに立ち直る、七転び八起き、根性人生というような感じだが、「繊か」なら、オシャレで軽々と生きる、美しいような感じがする。
何れにせよ、はっきりとした意味を問われる公文書や論説などには使いにくい言葉で、様々な意味を言外に込める詩や小説、随筆などに向く単語であるということは言えると思う。