キリスト教では人はどこまでも人であって、神にぬかづきかしずく弱い存在でしかないが、仏教の菩薩とは、仏たらんとして努力精進中の「人」のことであって、人が仏たらんとすることは仏教ではなんら不自然なことではなく、かつ可能なことである。
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) November 28, 2010
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オッサンは生きている。
キリスト教では人はどこまでも人であって、神にぬかづきかしずく弱い存在でしかないが、仏教の菩薩とは、仏たらんとして努力精進中の「人」のことであって、人が仏たらんとすることは仏教ではなんら不自然なことではなく、かつ可能なことである。
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) November 28, 2010