さえずり季題【410】は「茸飯(たけめし・きのこめし)」です。松茸飯の香り高さは思いやるだけでお腹が減ります。先週から続いて「ご飯」がらみですが、ご健吟の程をお願いします。
取敢へず松茸飯を焚くとせん 高浜虚子#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha #saezuriha_odai
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) October 12, 2018
タグ: 季語
新米
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
新米
さえずり季題は【新米】です。
米の収穫に合わせて古来より様々な祭りが行われてきました。新米には新米にしかない日本人の琴線に触れる独特の喜びがあるのではないでしょうか。
「新米といふよろこびのかすかなり」 飯田龍太#saezuriha #saezuriha_odai pic.twitter.com/opx2ar2WdH— Blueberry7015 (@NHotozuka) October 6, 2018
敗荷
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
敗荷
さえずり季題【408】は「敗荷(やれはす)」です。破蓮でも。秋も深まれば蓮田や蓮池を覆っていた蓮の葉も色褪せ破れてきます。破れた蓮の葉が風に揺らぐ様に秋の侘しさが増してきますね。「ふれ合はずして敗荷の音を立て(深見けん二)」#saezuriha #saezuriha_odai
— yamanobe (@donsige) September 28, 2018
無月
このところ涼しく、まことに秋らしくなった。ご近所の柿がうっすらと色づいている。ようやく秋も半ばというところか。昨日はお彼岸、秋分であった。
今夜はお月様だが、私の住む埼玉県越谷市の天気予報はあいにくと曇りで、今夜はどうやら
妻に「今夜はお月さんだよ」と言うと、「15日頃なんじゃないの」と言う。ああ、旧暦のな……、と答えると、ふうん、と興味もなさそうである。
天文学上の満月は明日の昼頃だが、暦法上は今日が旧暦八月十五日、夜は十五夜で、いわゆる「仲秋の名月」である。しかし、七夕同様、季節の変わり目で天候不順、また二百十日も過ぎたばかりで嵐が来ることもよくあり、月が隠れていることも多い。
そこで、「
富安風生に
いくたびか無月の庭に
……という名句がある。単に「月」と言えば秋の季語だが、「無月」も秋の季語で、しかも月の傍題ではなく、れっきとした「見出し季語」である。
無月のたびに、その昔理論物理学の
目をつぶろうと人類が死に絶えようと、原子の集まりである月はそこにあることは科学が証明している、とするアインシュタインに対し、タゴールは、人間がそれを月であると認めなくなれば月はなくなる、人間の意識の中にしか月はない、と述べて譲らなかったという。
私は科学者でも哲人でもないからどちらが正しいのかはわからない。それより、この対談をどちらが正しいとかどうとかいう評論の的にするのもあたるまい。しかし、名月の価値は人間が決めたものであろうし、反面、雲の裏に見えない月がある、というのも真実ではあろう。
してみると、無月と言う言葉は、詩人タゴールの側にあるようにも、アインシュタインの側にあるようにも思える。ないものを認める、というのは、死者の霊魂をどう扱うか、ということにも似ている。
- 中秋の名月(2018年9月)(国立天文台)
瓢
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
瓢
さえずり季題【407】は「瓢(ふくべ)」です。瓢箪の実。ひさご、青瓢、種瓢。時代劇では酒の容器として登場しますが、現在ではランプや置物などインテリアとして用いられますね。愛嬌のある姿です。瓢箪の尻に集まる雨雫/棚山波朗 #saezuriha #saezuriha_odai
— 茜 (@Akane_an) September 21, 2018
露
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
露
さえずり季題【406】は「露」です。早朝野道を歩くとジーンズの裾がしっとり湿って、ああ秋と実感します。例句は悩みますね。茅舎も捨て難いが今回は 白露や死んでゆく日も帯締めて/三橋鷹女 #saezuriha #saezuriha_odai
— 砂女 (@sunajopon) September 14, 2018