時事愁挙

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訃報

 橋田壽賀子氏、亡くなったという。

 昭和を代表する脚本家と言えた。95歳。

 また昭和の残照が消えた。哀惜。祈冥福(めいふくをいのる)

ホームドアの運用が始まった

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 私の住まいの最寄り駅、東武スカイツリーライン「新越谷」駅でも、ホームドアの運用が始まった。

 安全で、良いことである。

一切変わることはないが、相手は

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 コロナ禍において、米国や欧州の民衆は民族の壮大な再生劇を経験しつつある。しかし、わが日本はそうではない。「そうではない」と仮に書いてみたが、もはや「そうではなかった」と過去形で記してもよいところにまで来ている。

 米国は既に50万人という途方もない死者を出した。これは、いわば核戦争の勃発にも匹敵する数である。米国は人権国であるから、第1次大戦や第2次大戦で死んだのは軍人ばかりであり、南北戦争にまでさかのぼらなければ、無辜の老若男女がこれほど死ぬということを経験していない。これでは、ワクチン開発成功後も国家の頽勢(たいせい)(おお)うべくもない。

 思うに、これは米国にとって建国以来245年、欧州も含めれば、欧米史的に言ってざっと500年来の歴史的致命傷となるのではなかろうか。

 核戦争に匹敵するような死者を出しつつある悪疫(あくえき)(しょう)(けつ)()(なか)に、如何(いか)に憲法上、また合衆国の慣習上守らねばならぬ期限とはいえ、人の定めたルールにすぎぬ規定に(のっと)り、人殺しまでしながら大統領選挙を敢行するという正気とも思えない馬鹿騒ぎをやってのけ、しかもその主題は悪疫ではなく人種差別とか分断、弾劾であるとは、()(はや)()いた口も(ふさ)がらぬ。とても我々と同じ赤い血の流れる人間がしでかしている騒ぎとは思えないが、だがしかし、当の米国人たちはそれをリアルタイムで喜々として実行中だ。

 それに比べれば、災害()れ、自殺熟れ、ひいては大東亜戦争敗戦以来鬱然、屈折して陰々滅々と米国に隷従してきたわが日本にとっては、亡くなった方々にはまことに無礼千万な表現をあらかじめお詫びしなければならないが、コロナウイルス顕在以来(このかた)今日まで、累計(わず)か7500人と言う死者の数であってみれば、これしき、どうということのない日常に過ぎない。

 かくまでに私たちは平穏にして整斉粛々、抑制の効いた生活を送ることにより、逆にむしろ、生まれ変わるチャンスを逸した。世の中はリモートワークだ改革だと言っているが、実際のところ、米国や欧州の、毒を以って毒を制するが如き民族的・歴史的な逆療法と言ってもよいショック、またそれによって惹き起こされる過激でもあろう復興から見てみると、日本は岩石とか鋼鉄のように、まるで何も変わっていない。

 欧米白人たちは、日本人からは想像も及ばぬ、宇宙人のような、いや、無機物のような、正体不明の、人外の異生物に変貌するだろう。そんな彼ら化け物どもとどのように対峙していくかが、新型コロナ後の課題なのではないか。

時事漠視

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結局は地獄の沙汰も金次第

 ああ、醜い、醜いねえ。昔から、「薬九層倍、百姓百層倍、坊主丸儲け」などと言ったもので、薬もこうなってみると九層倍どころの話ではない。……ま、「丸儲け」まではいってないからマシと言えばマシだけれどもさ。無論、今回だけの話をしてるんじゃない、今回を取ってみれば九層倍(9倍)なんてのは言い過ぎで、まずまず良心的ではあろうけれども、抗癌剤での暴利ぶりを見て見ろよコイツら。九層倍どころの騒ぎじゃないだろ。

根性試し相場(笑)

 いよいよヒリヒリヒリヒリ、導火線がチリチリと火花を上げてはじけ縮んでいく爆弾を最後まで持っているのは果たして誰か、テストされるような根性相場になった。おっそろしい。

 私は、今回は「全力売り」の方なんで、まあ、ガタンと力尽きてほしいと思ってますが、それはそれとして、皆様の幸福を祈っていることは確かです、ええ、ええ(謎)。どうかお幸せに(増々謎)。

イギリス人の(かい)(ぎゃく)はさすが年季が入っている

 イギリスの猫官僚。笑ってしまった。

 お堅い我が国政府にも、この程度の諧謔を楽しむ余裕があれば気分もほぐれて楽しいだろうなと思うが、まあ、我々日本人は糞真面目な上に()真面目と来ているから、もしこんなことがあったとしても「税金で猫なんか飼いやがって!」くらいしか言わないんだろうなあ。

時事漫策

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世間、というか新聞やテレビの方がおかしい

 東京五輪・パラリンピック組織委員会長、森喜朗元首相が失言したとされ、発言から今日でもう1週間以上も経つにもかかわらず、いまだに紛糾している。

 私には世間が「オリンピックをこういうふうにしましょう」という話をせず、「森ッ!ハラ立つから辞めろこの糞爺ぃ!」みたいなことばかり言っているように見える。つまり、オリンピックなどどうでもよく、そしてまた、森氏がオリパラ組織委員会長であろうと、他の何かの役職であろうと、それもどうでもよく、とにかく森をやっつけろ、というふうに何者かが誘導しているように感じられる。

 確かに森氏の発言は、慎重に言葉を選んで丁寧にスピーチしたとは言いがたく、失言と言えば言える。だが、私に言わせればそんなことどうだっていいし、さらに言えば、女性蔑視とされる意図が森氏発言にあろうがなかろうが、それすらどうだっていいと思う。

 というのは、本来なら、この世界的悪疫(あくえき)(しょう)(けつ)のさなか、オリンピックをやるのかやらぬのか、やるとすれば如何にするのか、やらぬとすればどう幕を引くのか、そこを真剣に詰めなければならないはずだからだ。今は、オリンピックそのものや選手たちの血の(にじ)む努力をどうするのかが話の焦点になければならないのである。オリンピックの周辺部を徘徊しているだけの老人の失言なんか針小棒大に取り上げて騒ぐことしかしていない世間、……いや、世間ではない、世間を(あお)って問題を()じ曲げようとしている新聞やテレビは、誰がどう見たっておかしい。

 思うに、東京誘致後の話題も、スタジアムの設計がどうとか、ロゴマークが盗作だとか、そんな周辺のどうでもいいようなことしか新聞やテレビは取り上げてこなかった。選手や、オリンピックそのもののことなど、うっちゃらかしたままだ。

この人、学者先生のクセに、ものを知らん人だなあ
記事から引用

Wordで文書を作って「印刷」を選ぶと「Microsoft Print to PDF」という選択肢がある。しかし作成されるのは画像PDFだから、文書の中のテキストが読み取れない。これでは、視覚に障害のある人は情報を取得できない。

 何言ってンだこれ。謎だ。この人、本当にこのメニューからPDF作ったことがあるとは思えない。学者センセイのクセして、本当に無知だなあ。

 参考に、このセンセイが言う手順を忠実・正確に()んで作成したPDFをここに置いておきますね。

 このPDFが、センセイの言う手順を忠実・正確に守って作成されたかどうかは次の手順で確認できる。(すなわ)ち、AcrobatでこのPDFを開き、コマンドメニューから「ファイル ▶ プロパティ」と操作し、作成ソフト名がタイトルに埋め込まれ「Microsoft Word」と表示されていること、更に「その他のメタデータ」ボタンをクリックし、「詳細」を選択して「PDFのプロパティ」というツリーを開くと「pdf:Producer: Microsoft Print To PDF」と表示されていることから、それが(わか)るだろう。

 その上で、文書中の「あいうえお」という文字が選択できないかどうか、また「コピー」ができないかどうか、「メモ帳」(Notepad.exe)を起動してそこに「あいうえお」という文字がペーストできないかどうか、試してみるがいい。

 ……しかし、何にせよこのセンセイ、こういうところで無知をさらけ出すと、この記事で訴えたいのであろう内容、つまり、「PDFはアクセシビリティがいいとは必ずしも言えない。他に多少の問題点もなきにしもあらずであるから、なんでもかんでもPDFにしてそれでよしとしたり、いわんやPDFに完全依存したりするのはやめたほうがよい」というような内容が(いっ)()だにされなくなってしまう、ということを知るべきだ。

野良PCR

 「野良PCR」というのが話題になっているようだ。

 あちこちにポコポコ出来ている検査店や、ネット販売検査キットになんとはない()(さん)臭さを覚えてはいたのだが、なるほど、こういう始末か。

 いまや、タピオカ屋がPCR屋に鞍替えしているというのなど、むしろ逆に商魂の(たくま)しさに尊敬すら覚える。

 金持ち連中が先を争って打っているという「中国ワクチン」も、どうも、こういう貧乏(くじ)であるような気がする。

 それにしても、感じるところ、新聞やテレビは「政治家の会食三昧を絶対許すな!」みたいなことを言い立て書き立てているが、表に出ない三流経営者連中だってこんなようなだらしないことであって、実に唾棄すべき状況である。

こいつマスク

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 Twitterで「こいつマスク」というのがトレンド入りしていて、なんだなんだと内容を見てみて、不覚にも笑ってしまった。

 上がその「こいつマスク」の記事らしいのだが、エエ歳こいた60歳近いおっさん二人(なぜか二人とも「アルバイト」とかいうのもなんだかアレだし)が殴り合いの喧嘩をして双方とも怪我を負い、二人とも逮捕されるという、なんですか小学生かお前らは、というような。

 しかしまあ、ある意味、尼崎らしい、という感じもする。

変なマナー作ろうとするな馬鹿

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 何か、「公的な場では布マスクではなく、不織布マスクを着けるのがマナー」みたいな、変な空気が醸成されようとしている。

 まったく馬鹿々々しい。

 左の動画で報告されている、理化学研究所で行われた研究がこの変な風潮の元になっているようだ。

 確かにこの動画では不織布の性能がよい、と指摘されているが、中身をよく見なければならない。動画内では顔にフィットしない不織布マスクの隙間から多くの飛沫が飛散していることも同時に指摘しているのだ。フィルター性能が高ければ高いほど、呼気の通行も妨げられるということもこの研究は指摘しており、それはすなわち、性能が高いとされるマスクでは、かえって呼気が逃げ場を求めてマスクの周囲から通行してしまう、ということをも示唆している。

 だから、この研究の上っ面だけをとらえて「不織布マスクが今後の正しいマナーだ」などと短絡するのは間違いなのだ。坪倉博士は上の動画内でも「経済性や置かれている状況その他を総合的に判断して選択するものであり、一般の人がどのような場合でも必ず不織布マスクを選択すべきだなどと言うことは一概には言えない」という意味のことを付言してもいる。

 したがって、新聞・テレビが「使い捨ての不織布マスクが新たなマナー」みたいなことを言い出すなど、支離滅裂である。さなきだに、昨年来、あれだけマスク不足だなんだと新聞・テレビが煽ったから社会が混乱したのではなかったか。今、ようやく一般人が布マスクなどで自衛することが定着したところなのだ。

 私などは、この悪性コロナウイルス騒ぎの前から自作の布製マスクを使用している。市販の不織布マスクが自分の顔の形に合わず、頬骨や目への無用の圧迫がある上、呼気のほとんどがマスク周囲の隙間から出入りしており、これでは意味がないと感じたからだ。目の間隔や鼻の高さ、顎の幅など、自分の顔の寸法を定規やノギスで測り、立体的に縫製し、顔にピッタリと合わせてあるので、周囲からの空気の漏れはほとんどなく、呼気は布を通る。なおかつ、着けていて変なところが痛むということもない。そのため、昨年のマスク不足騒ぎの時には全く痛痒なく、何の影響も受けなかった。

 これをしも「マナーに違背するから不織布マスクを着けてこい」などとされるのは、不愉快千万である。

ああ、生命保険が出ない、なんてことになったら

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 新型コロナウイルス感染症の拡大は、のっぴきならないところにまで来ている。

 もうこうなってくると、運を天に(まか)せ、覚悟を決め、腹を(くく)り、もはや感染して死ぬのも悪くはない……などと、ふと脳裏をかすめるものもあったりする。直後、否、否否、死んでたまるものかと頭を打ち振ってそんな妄念を払い落とす。

 だが、私がそんな無責任な落想を(もてあそ)んでいられるのは、運よく今の働き口で長いこと俸給を貰い、その俸給の一部を割いて、万が一の場合に備え、団体保険、生命保険、個人年金、火災保険、自動車保険は勿論、公的年金や健康保険などにも十分にお金をかけてきているからだ。とりわけ生命保険については、癌保険や入院給付などの医療保険、その他諸々、これまで自分が不安に感じてきた要素に沢山(たくさん)お金を払い込んできた。

 そういうわけであるから、もし私が今日の今日、しかもたった今急死したとしても、妻と2人の娘には、なんとか口を(のり)するだけのものは残る計算である。

 これまではそれでよかった。だが、今般の新型コロナウイルス感染症拡大の状況は、そんな小市民的な安寧(あんねい)(くつがえ)しかねない。

 一般に、保険と言うものは最も困っているときに何の役にも立たないものなのだ。すなわち、「戦争や天変地異など、保険会社が負い切れない急変があった場合は、保険金は支払いいたしかねる」と言う意味の条項が、薄~い紙で「無視していいですよ」とのアピール全開で作られているらしい約款の、しかも最も後ろの方のわかりづらいところに、誰も読まないであろう6ポイント以下の活字で、「読むな」とでも言わぬばかりに刷り込まれているものなのである。

 今般、新型コロナウイルス感染症の拡大により、二度目の緊急事態宣言が出された。

 緊急事態宣言というのは、いうならば、戒厳令みたいなものである。つまり戦争と同じだ。戒厳令と緊急事態宣言の違いは、大雑把に言うと、国家の主権を軍事力が代行するか、通常の政治のままにするか、その違いにすぎない。日本は憲法上、軍事力が国家の主権を代行するということは不可能になっているから、緊急事態宣言はもはやこれ以上の状況はありえないということを意味している。

 そうすると、極端な話、私が今新型コロナウイルス感染症で死ぬとする。で、妻子が私の死亡保険金を請求すると、「今回は未曽有の天変地異ですので、保険金はお支払いできません」という無情な返答が保険会社から返ってくる恐れがあるのだ。

 こんな心配を保険会社にまともに問い合わせたって、納得のいく返答は多分、ない。保険屋の窓口の営業担当なんてものは、保険料を取れば取るだけ、保険金を払わなければ払わないだけ、優秀な社員として()められるものと相場が決まっているからだ。

 つまり、「安心してコロナ自殺する」というわけにもいかないのである。

時事漫考

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いや、これは既に2千年もの昔に

 ああ、これ、ねえ。別に「最近」ってことはないんじゃないかな。「『産んでやった』『育ててやった』とか、恩を売るようなことを言うなら、なんで生んだんだ!お前らが勝手にしたことだろ!?」なんてことは、親に反抗する子の常套句で、取り立てて言うほどのことではない。

 それはさておき、出生の否定は人生の否定、ひいては世界の否定でもある。私はキリスト教の回し者ではないし、キリスト教なんか嫌いだが、このことに関する解決の無視すべからざる有力な一方策は、既に2千年の昔、ナザレの大工の息子、ガラリヤの説教師、イエスによって提示されている。

 そのいわく、「世界は悲痛や苦悩でできてはいない。喜びによって満たされている」すなわちこれである。ただ、その根拠について、キリスト教は強引なる(ちから)(わざ)()()せて有無(うむ)を言わせない。つまり「なんとなれば苦悩の根源たる人類のあらゆる罪はイエスが磔刑(たっけい)によって全部負ったから、あとは神の恵みによる歓喜のみが世界に満ち(あふ)れている」()って知るべし、知らば()(こん)より(のち)神の(おん)(ちょう)と光栄に包まれて(しろ)無垢(むく)の幸福そのものとなって()るべし、という破天荒かつ思考停止の論で片付けてしまっているのだ。

 実は仏教も似たり寄ったりのことを別の経路で発見・定義・教示しており、各宗派によってそれは様々なのであるが、悲しいことに我々日本人には中途半端なキリスト教気触(かぶ)れが多いから、当て(こす)ろうと思ってこういうふうに書いてみた。

 ところが、哲学者が(ヨダレ)()らして(くら)い付くこの問題の検討については、欧州では結局キリスト教が上のような一解決を提示して、それが大衆ウケしたものだから停止してしまい、プラトンだのアリストテレスだのの時代からプッツリ断絶、概ね1500年間がところ、ただの一歩も進歩しなかった。

 悪いことに、新教(プロテスタント)(かえ)って古いキリスト教の原理を再興してしまったから、ますますややこしいことになるのであるが、それはまた別の話である。

 結局、欧州で数百世紀にも及んだ図らざる集団的宗教実験はあまり成功していない、などとと吐き捨てるのは急ぎ過ぎだろうが、では他に納得のいく解決の選択肢が欧州の人々に与えられているかと言うとどうも怪しい。まして欧州以外においてをや。「選択肢が与えられているかというと」と書いたが、「与えられる」? 誰から? ……みたいな堂々巡りにもなるだろう。

 いずれにせよ、苦悩の解決に自ら到達する前に、圧倒的大多数の人間は長かろうと短かろうと命が尽きて死ぬわけだ。

 私ですか?

 私なんぞ、誰かに責任をおっかぶせて何かから逃れようなんてことは、とうに、してませんわ。いや、正確に言うなら、そんなことができる状況に、昔ッから、ない。だから幸福も歓喜もヘッタクレも、また苦悩も悲痛もクソも、そんなモン、アナタ(微苦笑)。そもそも誰かに責任をとらせよう、さて誰に責任を取らせよう、なんて選択肢の置かれた岐路自体が、私にはハナっから、ない。

 出生なんて所詮は親の恣意(しい)でどうにでもなる。ということは、この苦悩の始まりの出生や悲痛の連続の人生の責任者は誰だ! というふうに転嫁したい、責任者糾弾をしたい、例えばそれを親に向けたい。つまり人生の否定、出生の拒否なんてものは「ボクの、アタシの苦悩は親がスタートさせたんだ」と言うしょうもない屁理屈と同じこと。自分の悩みの責任を、パパ、ママ、あるいは坊主、和尚、神父、牧師、アッラー、エホバ、仏陀、阿弥陀、大日、観世音、ガースー内閣、アベ政治、麻原彰晃に幸福の科学、(イワシ)の頭、学校、教師、干しニンニクでも投げ上げ菖蒲(しょうぶ)でも心療内科クリニックでも精神病院でも市役所でも警察署でも、ドイツでもコイツでも何でもエエけど、とにかく手っ取り早く誰かにとってもらいたい、結局、ボクの、アタシの責任じゃないんだ! ……せいぜいその程度の、小学校の高学年あたりが顔を真っ赤にして言い立てそうなことだよ。

 餓鬼みたいなこと言ってンじゃねえよ。……あ、文字通りガキか。

 まあ、あくまで私にとっては、ではありますけどね。だからこんな暴論めいた自分流の解決を、自分の妻や子供も含め、誰かに押し付ける気もないですわ。「反出生主義」なるほど、ええ、ええ、結構なことじゃないですかね、おお、ヨシヨシ、オジサンが聴いてあげるよネンネちゃん、ってなモンですわ。

 あんまりにも無残で(すさ)んだ文章の成り行きになってきたから、皆さんがだ~い好きな、イエス・キリストの言と伝わる一句を書きつけて締めておきましょう。

マタイ傳福音書第6章第25節・第26節より引用。ルビは佐藤俊夫による。

 この(ゆえ)(われ)なんぢらに告ぐ、何を(くら)ひ、何を飮まんと生命(いのち)のことを(おも)(わずら)ひ、何を()んと(からだ)のことを思ひ煩ふな。生命は(かて)にまさり、體は(ころも)(まさ)るならずや。

 空の鳥を見よ、()かず、刈らず、(くら)(おさ)めず、(しか)るに(なんじ)らの天の父は、これを(やしな)ひたまふ。汝らは(これ)よりも(はるか)(すぐ)るる者ならずや。

新年御祝儀相場でこんなに下げなら……キッシッシ

 大発会でこれなら、明日以降なかなか期待が持てるな。

「『期待』だと?」

……ええ、そうです。ほぼ全力売り中ですゴメンナサイ。

こんだけデジタルがいろいろあっても

 まあ、そりゃ、そうなんだろうねえ……。

 理由もヘッタクレも、下世話で恐縮だが、若い人には性欲ってモンも、そりゃ、あるからねえ。会わなきゃそれこそ「始まらない……」わけではある。単純(シンプル)そのものの話ですわ。天下の大新聞がンなこと書けやしないだろうけれども。

時事漫撰

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おうおう、いよいよ差し迫ってきたなァこりゃ

 去る夏以前の日本は、諸外国、特にアメリカと比べて新型コロナウイルス感染症による死者の増加率が少なかったが、そう悠長な見方もできなくなってきた。

 死者は7日移動平均の前日差で49人、率では49(本日人)/3341(累計人)=1.5%増加している。米国ではこれが1805(本日人)/347542(累計人)=0.5%だ。無論、そもそも分母が違うから率での比較には意味があるとは言えず、そこからしても依然日本は「コロナ対策の優良国」であることに違いはないが、死者が激増しつつあることは確かだ。感染者数はもはや飽和状態と思われる検査可能数にも影響を受けるからそれで一喜一憂するのは愚にもつかないが、死者は医療のキャパシティに関わらず出るわけだから、死者数の推移は最も見るべき指標と言える。それがこの状況なのであるから、憂慮すべきだ。

水回り

 ああ、ウチのポストにも、よく「水道屋のマグネット広告」入ってるわ……。

 冷蔵庫なんかに貼っとけるマグネットシートの広告はなぜか水道屋のものばっかりだ。アレ、昔だったらフロッピーディスクとかMOを壊すから、嫌われたろうねえ。今は磁石で壊れるような露出した磁気媒体はほとんど見かけなくなったから、水道屋の広告で壊れるものもなかろうけれども。

 それにしてもしかし、やっぱり、詐欺紛いの悪徳業者には違いないというわけだ。そうだろうねえ。だいたい、人の弱みに付け込む商売って、儲かるんだよな。水道や下水に不具合があると、ほんっと、困るもんな。

 ……。あ、医者もか。病気になると困るからなあ。勤務医だって、いい給料貰ってるもンな。……ケッ。とは言うものの、まあ、今は時疫のために苦労していることは分かる。それをも()き下ろすつもりはない。

例のアイツも流れ弾にでも

 レバノンと言うとどうしても逃亡中のあ奴、カルロス・ゴーンのことが思い浮かぶ。わざわざこんな不安な国なんぞへ脱出するなんて、いろいろ満ち足りている分、()(ツム)の方にどこか足りてない部位でもあるのだろう。せいぜい祝砲の流れ弾にでも当たるがよい。大当たりの幸運を共に祝ってやるぜ、ふははは。

 うーむ、あれくらいの大金持ちとなると、呪っても良心の(とが)めを何も感じないな。自分と無関係の人物だしな。

いい加減「欧米白人主義」のことを民主主義と呼ぶのをやめろ

 民主主義と言う言葉の定義がまるっきり()(タラ)()だから(うべな)えない。

 だから試しに、記事の表題をこう読み替えてごらんなさい。「欧米白人主義の危機とはなにか?」って。ね?スッキリするでしょ、確かにのっぴきならない焦燥と危機を連中が感じているんだ、ってことが腑に落ちてさ。

 欧米白人キリスト教徒どもは、正直に「俺たちは政府から命令されてマスクなんか着けさせられているのが我慢ならないんだ、これは民主主義の危機だ!」とか、「黒ん坊やイスラム教、ジャップなんぞがよってたかって乗っ取って幅を利かせてる Twitter だの Facebook だの Instagram だのの投稿に右往左往させられるのは金輪際(こんりんざい)(イヤ)なんだよ俺らは。これは『民主主義』の危機だろ!?」って、しょうもない気分の問題をさも人類文明の終焉みたいに言い立てればいいわけだよ、馬鹿ッたらしい。

 日本?日本は違うよ、国から命令されてマスク着けてるわけじゃないもの。SNSだって、お前ら欧米白人が()ッち上げたものをこれ幸いと使ってるだけだもの。元々好きで着けてただけだし、あったから使ってるだけだ。何が悪いの。自由だろ? 悪いのはキサマらだ。

 ただ、上掲の文中には、

今回取り上げたほとんどの資料が民主主義の定義について言及していなかった。正確に言うと、EUの民主主義行動計画のみ具体的な記述があるだけだ。これは非常に奇妙で論理的に破綻している。なぜなら問題の認識と対策には「あるべき状態」あるいは「目標」が不可欠のはずで、それがなければ具体的になにがどう問題なのかわからないし、当然対策も立てられない。

……と冷静に述べられてもいて、それよ、定義によっては共産主義や社会主義だって理想的民主主義の一形態でしょうが、まずそこを定義しなくちゃ、とまあ、私なぞは思うのである。私ですか?私は私個人の利益がラクして最大になれば、ナニ主義でもカニ主義でも構いません、ええ、ええ。

訃報
これは知らなんだ

 亡くなったのは既に夏の頃、8月だという。

 「おたく」という言葉の出はじめに随分活躍した人物だった。祈冥福(めいふくをいのる)