時事漫覧

投稿日:
そりゃまあ、今時(いまどき)煙草(たばこ)()みなんざ、感度の低い証拠だよ

 ま、私なんざ、1日100本のヘヴィ・スモーカーだったのを、20年ほど前、即日キッパリと()めたがね。

 エラそうに上から目線で言わせてもらえば、ま、止めた方がいいよ、煙草なんざ。

 しかし、煙草(たばこ)()みに「煙草なんか止めた方がいいよ」なんぞと(すす)めるのは、下策である。そんなことを勧めても、意地になって余計に吸うだけだ。今の時勢に煙草を吸っているような奴は一種の病気にかかっているからこそ吸い続けているのであり、周囲の言葉如きではどんなことがあっても絶対に止めることはない。だから、愛のない無関心、憫笑(びんしょう)を含んだ放置プレイ、(あわれ)みによる寛容をもって、全くの知らんふりをしておいてやるのが良い。

 もっといいのは、

「もっと吸え、どんどん吸え、俺は気にはならん、吸いたいだけ腹いっぱい吸え、肛門(ケツメド)から煙が出るまで吸え。副流煙?さあ、知らんな。お前の女房子供もいいって言ってンだろ?お前の家族の体のことまで俺は知らんよ」

……と言ってやることだ。煙草服みにこんなことを言うとさすがに怒り出すだろうが、やがてしんどくなってきて自分で()めるか、さにあらずんば家族や周囲に迷惑をかけて死ぬかだ。

 当節流行「電子煙草」これに同じ。

 ただ、他人だからこう言うだけだ。自分の家族だと、また違った対応だろう。煙草服みの亭主を持った身重の妻は煙草を止めなければ離婚だと言いもするだろうし、煙草服みで身重の妻を持った亭主はやはり煙草を止めろと妻に懇願するだろう。それはケース・バイ・ケースである。

 完全に煙草をやめ、自由になったヘヴィ・スモーカーは、煙草服みを上記のように見ているんだということを知るとよい。

言ってるそばから、いたんだ、こんな奴(笑)

 あ~あ~、「今年のエイプリル・フールは、洒落(シャレ)になんないジョークはやめておこうね」って、世界中で言ってんのに、感度の低いニィチャンだなあ。

酒か消毒か

 ははァ、これはなかなか理に(かな)っている。

 水や果汁、ソーダで割って飲んでもよいし、消毒に使ってもよいわけである。消毒用のアルコールは時として毒性のあるメタノールが混じっていたり、あるいは消毒性能を高めるための添加剤が入っていたりするから飲用は不可であるが、逆に飲用のアルコールは消毒にも使えるわけである。

コリンファーズ

 このオッサン、ホンマにオモロい。

戦時て、こりゃ、強烈じゃな
英国、皇太子だけでなく総理大臣もか
ついにここまで来た

 現政権には何かと批判があるが、私は男・安倍晋三、不退転の決意で頑張れ!!……と励ましたい。

 ゴチャゴチャ文句だけ言う奴ァ、できるもんならお前が内閣総理大臣を安倍晋三の代わりにやってみろ、と言いたい。どうせ、できはせん。

 政府の動きが遅いなどと言う向きもあるようだが、それなら、なぜ先日までの国会・衆参両予算委員会で、「森友」だの「桜を見る会」だの、あんな噴飯物の議題を蒸し返したんかね。その時、野党は新コロや国民の健康に関する質問を徹底的にすべきじゃなかったんかね。あんな馬鹿な審議で時間を潰していたからこんなことになったのと違うんかい。

この時勢に、アホだの~……

 まあ、研修医と言うから、20代の若い人たちなんだろうけれども、なんというか、想像するに「俺らは大丈夫」「私たちは関係ない」みたいな、根拠のない確信みたいなのがあったんだろうねえ。

米国人など子供同然

 ハハ、笑った。

 米国人も、嘘つきというよりは、嘘つきに近い軽率者、粗忽(そこつ)者が多いんだろうなあ。よく言えば大ざっぱで人が好いが、悪く言えば国民が成熟しておらず、幼稚である。

 日本人が40歳の大人だとすれば、米国人など8歳くらいの男子程度だろう。

 ……やった、言ってやった。ザマを見ろい。

緊急事態宣言

 まあ、そりゃそうだろ。以てよしとすべし。

新コロ以外放置プレイ

投稿日:

 それにしてもしかし、新型コロナウイルス蔓延のこの時勢、むしろ、車にはねられて大怪我したり、盲腸にかかって病院に担ぎ込まれたり、そういう新コロと無関係なことの方がよほど恐ろしいな。病院じゃあらゆる先生方が新コロでテンテコ舞いしてるんだろうし。下手すりゃ、新コロ以外の患者なんか、放置プレイだぜ。

正義の人を(いな)

投稿日:

 一昨日だったか一昨々日だったか。

 通勤のために東武線北千住駅で日比谷線に乗り換えた。いつものことだ。北千住は半蔵門線や日比谷線など、地下鉄の始発駅なのだが、日比谷線のホームは最上階にある。線路は錯綜(さくそう)して下の東武線と入れ替わり、地下へ(もぐ)っていく。

 混雑のため乗り込むドアを物色しなければならない。少しでも空いているところに乗り込まないと、不本意ながら他人を押しのけることになる。

 そんなわけでホームを暫時(ざんじ)逡巡(しゅんじゅん)しているうち、変な人がいるのを見た。(すなわ)ち、標記「正義の人」である。

 その「正義の人」は、聞こえよがしに「チイィィィィッ!!」と舌打ちしつつ、外側から電車の窓を15センチばかり開けた。ガタピシャと、舌打ち同様の大きな音を立てて、である。

 恥ずかしながら、私は電車の窓が外側から開けられることを知らなかった。「新型コロナウイルス感染防止の観点から、換気のため電車の窓を開けさせて頂いておりますことを御了承下さい」と駅構内や車内でアナウンスが流れる折柄だ。その人にとって、換気は正義なのであろう。

 その正義の人は、これみよがしにやかましく外側から電車の窓を開けたが、しかし、料峭(りょうしょう)かつ余寒の折、その開けた窓からは二つほど進行方向に離れたドアから乗車した。

 まことに笑うべき正義と言えよう。

 ホームにいた人々皆に聞こえるほどの舌打ちをして、力任せに電車の窓を開けるアピールに、何ほどの意味があるか。それが人に何の感化を与えるだろう。ただの不愉快、嫌悪しか与えない。

 「正義は戦争の眷属」、と吐き捨てたのは、はて、どの左翼作家であったか。私は共産主義者など大嫌いだが、正義は戦争だけでなく、差別と圧制と窮屈と不愉快と、その他もろもろ、害毒以外のなにものも(もたら)さない。

 私も「電車窓開け不愉快正義男」を他山の石とし、軽々しく正義を標榜(ひょうぼう)することはすまい。

時事

投稿日:
C.W.ニコル卿死去

 C.W.ニコル卿(Sir Clive William Nicol)と言うと、私などには青年漫画誌「ヤングジャンプ」での連載「C.W.ニコルの青春記」が懐かしい。

 また昭和の残照がひとつ消えた。祈冥福(めいふくをいのる)

時事瞥見(べっけん)

投稿日:

 ニュースは「新コロ一色」となった。

志村けん氏死去

 なんと、事態はついにここまで来た。

 もはや現実離れし、急にはニュース内容を呑み込めない気もする。テレビでは追悼番組と称してあけすけに昔の「8時だヨ」や「バカ殿」を放映しており、さながら釣瓶(つるべ)打ちのはしたなさである。

 懐かしいお笑いスター。昭和の残照がまたひとつ消えた。寂寥(せきりょう)祈冥福(めいふくをいのる)

ほほ~、変節したね

 米国人と言うのは、ほんと、コロコロと。……コロナだけに、と言って洒落(シャレ)にもならぬ。

 この前まで「マスクなんて意味がねェ!」みたいなこと言ってなかったっけ。まあ、日本人からはなかなかわかりづらい衛生意識ですな。もっとはっきり言えば不潔だ。

 こんなニュースもある。

 ところで、「ウイルスの大きさとマスクの目の細かさ」を問題にする向きがある。私は専門家ではなく、また私見であるが、科学的・物理的な事実から言って、そんなことを問題にするのはナンセンスである。

 と言うのは、次のような事実があるからだ。

 新型コロナウイルスを完全に濾過(ろか)するためには、このウイルスの大きさが0.1ミクロン(100ナノメートル=1万分の1ミリメートル)であることから、マスクの目も0.1ミクロン未満である必要がある。

 そして、完全に濾過材を通過した空気しか体内に入らないようにするには、例えば顔全体をゴムのようなもので覆い、鼻や口の部分が完全に濾過材部分のみと通行するようにしなければならない。要するに、軍用の「防毒マスク」のような構造にしなければ意味がない。

 実際に生物兵器に対応した軍用の防毒マスクを着用して見ると(わか)るが、これを()けて呼吸するには、胸郭(きょうかく)や腹筋に相当な力を入れて横隔膜(おうかくまく)を動かす必要がある。力を入れて呼吸しないと、空気が入ってこない。こういう性能の濾過材だと、ウイルスどころか空気の通行すら制限されてしまうのだ。着けたまま1キロほども疾走すると、体力のない人などは呼吸困難による酸欠で昏倒する場合もある。

 完全にウイルスを濾過できるような目の細かさを持った濾過材だと、そういうことになってしまうのである。

 黄熱病の研究に挺身した英世野口清作の伝記を読んで見て貰いたい。その昔、研究者たちは黄熱病の原因を突き止めるため、病原が含まれているとおぼしい液体を片っ(ぱし)から濾過(ろか)器に通し、何度も検討・検証した。しかし、黄熱病の病原は分離できなかった。何故(なぜ)なら黄熱病の病原は細菌ではなくウイルスだったからである。細菌を濾過し分離・特定するのには、「素焼き」の濾過器を使う。植木鉢などを思い浮かべて貰えばよい。細菌の大きさは1ミクロンほどだ。つまりウイルスの10倍である。素焼きの濾過器の目は1ミクロン未満であるが、0.1ミクロン未満まではいかない。つまり、当時の素焼きの濾過器ではウイルスを分離・検出することはできなかった。こうしたこともあって、あわれ野口英世は、黄熱病の病原を発見するどころか、黄熱病ウイルスに(むしば)まれて没してしまったことは歴史上の事実として記憶されている。

 素焼きの盃や鉢にぴったり口をつけて空気を吸い込むことができるかどうか、イメージすればいろいろと納得できるだろう。ウイルスの10倍の直径を持つ細菌を()すことのできるものから空気を吸おうとしても、それが至難であることは知れ切った理屈である。ましてウイルスをや。

 逆に言うと、不織布でせいぜい鼻や口の周りを覆うだけのマスクに0.1ミクロンの細かさを要求すると、吸気のための抵抗が大きすぎ、マスクの目からはほとんど空気など通行できない。ではどこから空気が入ってくるのかと言うと、鼻や目やあごの下に空いた隙間から入ってくるのである。実際、そうした「性能の高さ」を売り物にするマスクを入手し、普通にこれを着け、両手の親指と人差し指で輪を作り、マスクの上から鼻や口の周りをその指の輪でしっかりと押さえつけ、マスクを通った空気のみを吸って見るがよい。(なさけ)()(かな)、多分、息苦しくて5分ももたないだろう。

 だから、ウイルスの濾過云々(うんぬん)だけを取り上げてマスクの効能を論じること自体、まるで意味がない。

 (しわぶき)や咳のための(たん)(つば)鼻水(はなみず)鼻糞(はなくそ)等体液や汚物の飛沫(ひまつ)を直接まき散らさない、あるいは直接浴びない、また吸気の乾燥を防ぎ保湿することにより炎症をやわらげる、そういった効果こそがマスクの効能であって、それは上のように少し考え、実体験を積んでおればわかることだ。そして、われわれマスク好きの日本人には従来からわかりきったことであった。

虚業の虚言に腹を立てる私

投稿日:

 新型コロナウイルスの猖獗(しょうけつ)は増々その度合いを強め、世界的大災禍の様相を呈しています。

 「在宅で仕事をせよ」ということが社会的()となり、最早(もはや)国是(こくぜ)とも言いうる状況となりました。

 人々の声はまるで、「在宅で仕事ができないような職場で働かざるを得ないのは、それは努力と知能が足りないのだ、それで病気になって死ぬのは、昔からの努力が足りない報いだ」とでも言いたげです。誰一人としてそんなことは言っていないのかも知れませんが、私にはそのように感じられ、耳に響く気すらするのです。

 ごみの収集を在宅でできるというのならやって見せてください。
 犯罪人の逮捕を在宅でできるというのならやって見せてください。
 火災の消火を在宅でできるというのならやって見せてください。
 救急車で病人を運ぶことが在宅でできるというのならやって見せてください。
 水道局での水質検査と機器の運転を在宅でできるというのならやって見せてください。
 電車の運転を在宅でできるというのならやって見せてください。
 発電所の機器の運転を在宅でできるというのならやって見せてください。
 バスの運転を在宅でできるというのならやって見せてください。
 旅客機の操縦を在宅でできるというのならやって見せてください。
 Amazonの商品を玄関先に届けることが在宅でできるのならやって見せてください。
 亡くなった方を火葬し遺骨を丁重に集め骨壺に納める仕事が在宅でできるのならやって見せてください。
 どうか、高層ビルやタワーマンションを在宅で建てて見せてください。
 あなたの戸建ての自宅を、「在宅で建ててください」と、工務店で言ってみてください。
 (きた)る夏必ず来るであろう水害や雨害を防ぐための水防工事、下水工事が在宅でできるのならやって見せてください。

 皆さんが熱を出し、嘔吐し、呼吸困難を覚えて苦しんでいるとき、「在宅テレワーク医師」「電話看護師」などという怪しげなもので手厚い看護が受けられ、それで十分だというなら、なるほど、是非そうしてください。

 政府は布製マスクを配ると言いました。何が布製マスクだと噛みついているわけのわからない人々もいます。そういう方々は、布製マスクの受け取りを拒絶すべきだと思います。そのマスクは、必要としている人々が貰い受けるでしょう。文句を言うなら、断固拒絶してください。

 皆さんはトルストイの「イワンの馬鹿」という作品を読んだことがおありになりますでしょうか。人々をそそのかす悪魔は、「頭を使って働かぬような者はクズだ」というようなことを言い立て、しかし、象徴的な高塔の天辺(てっぺん)から、頭を下にして真っ逆さまに落ちていき、階段で頭をゴツンゴツンとぶつけ、自分の手足を使って真面目に働いている農民からは「頭を使って働くってそういうことなんだ」と(さげす)まれて笑いものになり、散々な目にあいました。

 皆さんが尊ぶ「テレワークで十分な仕事」など、トルストイの悪魔の虚業に過ぎません。そんなことをまるで立派なことのように威張られると不愉快です。

躑躅(つつじ)春雪(しゅんせつ)

投稿日:

 三春九十日と言う。立春以来(このかた)はや45日以上を過ぎ、仲春らしい仲春だ。

 沈丁花(じんちょうげ)(しお)れ、桜が咲いた。靖国神社の基準桜樹は観測史上最も早く花をつけたという。そればかりか、先週末は気温が緩み、3月27日(金)の仕事帰りには、通勤経路上のホテルの植栽の躑躅(つつじ)が咲いているのを見かけた。

 ところが今日は冷え込み、太平洋側に低気圧が現れて、思いもよらぬ春の雪となった。昼にますます気温が下がり、手先が冷える。それと共に雪の(ひら)はどんどん大きくなる。まさしく牡丹雪である。

 躑躅に春の雪、とはなかなか(おもむき)豊かである。しかし、コロナウイルス蔓延のための禁足、()()めて家にいるより仕方(しかた)がない。

清濁、金胎、理と慈悲

投稿日:

 土木技術者であり医学者であり、また自らも体と心を(さいな)む修行者であった弘法大師空海は、既に一千年の(いにしえ)、「理」と「情」を分かち並び立たせて論じていた。

 これ(すなわ)ち、「金胎両界曼荼羅」である。

 (しか)るにこの一千年、人になんの進歩があったか。新型コロナウイルス「COVID-19」の蔓延(まんえん)猖獗(しょうけつ)にあって、この(てい)たらくはなんとしたことであるか。

 学術的かつ医学的な対処と、人々の訴えに応えて優しく差し伸べる手の、両様のバランスこそごくあたりまえの「両界」とは言えないか。

 疫病に狼狽(うろた)え恐れ遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)、見苦しく商品を買い(あさ)り、他への誹謗(ひぼう)侮辱讒謗(ざんぼう)など、見るだに無様(ぶざま)で、残念というほかはない。

 おそらく、微生物禍は克服できる計算が成り立つだろう。しかし人の心はそれを(がえ)んじ(がた)く、依怙地(いこじ)で頑固なものだ。

 (みにく)く依怙地で頑固で自分勝手で他者を差別して小馬鹿にする、そんな、人間というものを丸ごと認めてこそ、落ち着いて日々を経過できるものである。

PCRナンチャラと「サンプル調査」「部分抽出による全体の推定」手法の暴論的否定と

投稿日:

 「大学の入試は、各科目について学力の部分部分を検するもので、体系的・全体的な学力・能力の検出が行われているとは言えない。したがって、東大だろうと京大だろうと、合格した者のあらゆる入学は無効である。」

 「民意を測定するための世論調査は、時間とともに民意が移ろいゆくものであることから、長くても30分以内の至短時間に、約1億3千万国民の全員を対象にアンケートを行わなければまったく意味がなく、長時間をかけてせいぜい1000人ほどの抽出しかしていない朝日の世論調査や毎日の世論調査は、民意を測定しているとは到底言えず、すべて無効である。」

 「新型コロナウイルスのPCR検査は抽出数が少なく……(中略)アベ(中略)オリンピック(中略)森友(以下略)」

 起こってみなければわからないことについて最尤(さいゆう)な推定をしたり、あるいはすべての数を調査することが不可能な場合に一部から全体を推定するために、「確率」や「統計」という技法・手法があります。不確かなものは定量的に不確かに、確実なものは定量的にその確実さを表すことができるよう、「信頼区間」というような指標もあります。

 一部分の抽出の手段にも、浅学にしてよくは知りませんが、層化抽出技法など、いくつかの手段があると聞きます。

 しかし、こと新型コロナウイルスの検査に関する限り、皆さん、立派な学校を出ている割には、そういう抽出や推定に関するセンスが全然ないんですね。

 私は中卒ですが、それくらいのことは知っていますよ。

 ……ええ、皮肉です。

今週のSOBA満月

投稿日:

 依然(いぜん)、新型コロナウイルス「COVID-19」は猖獗(しょうけつ)を極めており、世相は増々(ますます)紛糾・沈滞・遅疑(ちぎ)・不信・我執(がしゅう)(おもむき)を加えつつある。企業は休業、役人・司直は徹夜、株価は急落、日本はそれでもまだましな方で、欧州でのこの微生物()は、もはや歴史的水準(レヴェル)を超えようとしている。

 そんな折にあっても、春は深まり、梅も桃も桜も咲く。

 微生物禍などどこのことだとでも言いたげな快晴、暖かな風の吹く青い空の下、読みかけの本を持ってお気に入りの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。

 街の八百屋さんやスーパーの店先には春野菜が出ているから、今日のSOBA満月では、天婦羅を頼めば何かおいしい春野菜が揚がっているかな、と思ってメニューを見ると、季節メニューで「蛍烏賊(ほたるいか)の酢味噌()え」が出ている。これは是非注文しなければ。天婦羅は来週のお楽しみにしよう。

 新潟の銘酒「鶴齢(かくれい)」の純米吟醸がメニューにある。無論酒はこれにする。二合。

 旨い。蛍烏賊の香り、歯ごたえ、軽い味。「鶴齢」を含みつつ、交々(こもごも)箸をのばす。鶴齢の甘からず辛からず淡麗な飲み口に、この肴はぴったりである。

 酢味噌の味噌は濃い味付けに調えられている。

 なにより、付け合わせの「菜の花」の程よい茹で加減、歯ごたえ、香り、申し分なしである。

 飲みかつ喰い、持ってきた本を10ページばかり読む。

 仕上げに生粉(きこ)()ち・十割の「もり」。

 香り、歯ごたえ、味、のど越し、何をとってもこのお店の生粉打ちは旨い。

 帰り、自宅を通り過ぎて、小一時間ばかり歩く。自宅の東の方にある「谷古田(やこた)用水河畔(かはん)緑道(りょくどう)」の桜を見ようと思ったからだ。

スライドショーには JavaScript が必要です。

 桜は六分咲き、今が一番見頃であろうか。

 青天白日、桜を見上げながらゆっくりと歩き、SOBA満月で飲んだ鶴齢の微醺(びくん)を楽しむ。

 世間の騒ぎをよそに、私の家の周囲は、かくも静謐・平和である。