シリア・モナムール

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 見たかった映画「シリア・モナムール」を見に行った。以前、ツイッターのタイムラインで誰かが噂していたのを見てから気になっていたのだ。東京では渋谷の「シアター イメージフォーラム」という所でかけている。このシアターは渋谷の駅から歩いて5分か10分ぐらい、青山通りの宮益坂の上のほうにある。

 今日は徹夜明けでしんどかったが、見に行った。見れるときに見ないと、特にこういうミニ・シアターでかかるような映画はすぐに見られなくなってしまう。

 胃のあたり、心臓の下のへんに異物感を覚えだすような、痛みの感じ。目を背けることは映像の中にいる当事者たちのことを思えばとてもできず、顔をあげて見続けるしかない。

 いろいろな角度から見ることのできる問題作だな、と思った。

  •  シリアの惨状を知り問題提起等を行うため社会意識や政治意識の角度から見る。
  •  イスラムを理解する一助に見ようとする方向。
  •  とにかく痛みに共感する見方。
  •  愛の物語として感動を見出すような方向。
  •  優れた映像感覚を鑑賞する方向。
  •  反戦意識の高揚のために見る方向。

 こうしたいずれの方向からの見方も可能だし、それら一つ一つについてひとくさり論ずることもできるだろう。

 だが、私としては、これらの感じも部分部分では持ったものの、全体としてはこれらのどれでもない、と思った。

 ネットの評判やパンフレットの解説では、「突き詰めるとこれは二人の愛の物語である」ということにされているようだが、私にはそれはメインテーマではないように感じられた。ネットから聞こえてくる、登場人物シマヴのささやきのような語り掛け、彼女から送られてくる動画の、鮮血飛び散る、土まぶれの肉体の凝視などから見えてくるのは、愛ではなく、シマヴという一個の人格だ。強く、かつ、弱い。冷徹なようでいて深い悲しみと痛みの感覚、静謐な信仰。そうして、それらを共有している、この映画の監督であるオサーマ・モハンメド氏にとっての、シマヴという人への共感、同情、心配、そして同時に畏怖と尊敬がテーマである、というふうに見えた。

 シリアに舞台を借りた、人間と人間の向き合い、だろうか。モハンメド氏ははからずも、惨劇のシリアから遠く離れ、自ら恥じ入りつつもパリという安全な俯瞰の位置にいる。だからかえってシマヴの人格がくっきりと浮かび上がって描き出されていくのだ。

 実際、見終わってからパンフレットで知ったが、この映画の原題は「シマヴ」なのだそうだ。”SILVERED WATER, SYRIA SELF PORTRAIT” というのが原題だ。「Simav シマヴ」というのは「Silvered water 銀の泉」という意味なのだ。

 そうするとやはり、この映画は、モハンメド氏の取り上げ方による、シリアにいるシマヴという名の一個の人格を描き出したものであると思える。

 「それを『愛』と呼ぶんだよ」と言われると、そんな気もする。だが、恋愛ではない。映画の中には恋情は描き出されてはいなかった。

 ただし、上映に人を呼ぶためには「シリア・モナムール」という題名付けのほうがいいということは、むしろ残念なことながら、言えると思う。「愛の讃歌」の引用から、ヒロシマ・モナムールへのオマージュが感じられるというのも、事実ではあろうから。

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