ブレズ・パスカルの「パンセ」。平凡社の世界教養全集第2巻に収載されている。
随分かかって読んでいる。いよいよ、第346節から始まる有名なくだりに来た。
346思考が人間の偉大をなす。
347人間は自然のうちで最も弱い一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひと滴も、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間は、人間を殺すものよりも一そう高貴であるであろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。
それゆえ、われわれのあらゆる尊厳は、思考のうちに存する。われわれが立ち上がらなければならないのはそこからであって、われわれの満たすことのできない空間や時間からではない。それゆえ、われわれはよく考えるようにつとめよう。そこに道徳の根源がある。
348考える葦。――私が私の尊厳を求めるべきは、空間に関してでなく、私の思考の規定に関してである。いかに多くの土地を領有したとしても、私は私以上に大きくはなれないであろう。空間によって、宇宙は私を包み、一つの点として私を呑む。思考によって、私は宇宙を包む。
実に味わい深い一節だ。パスカルが狂信的なキリスト教徒でさえなければよかったのだが。
……と、更に読み進めていって、中途半端に記憶にある、どうも読み覚えている一節にさしかかる。
418人間にその偉大さを示さないで、彼がいかに
禽獣 にひとしいかということばかり知らせるのは、危険である。人間にその下劣さを示さないで、その偉大さばかり知らせるのも、危険である。人間にそのいずれをも知らせずにおくのは、なおさら危険である。しかし、人間にその両方を示してやるのは、きわめて有益である。人間は自己を禽獣にひとしいと思ってはならないし、天使にひとしいと思ってもならない。そのいずれを知らずにいてもいけない。両方をともに知るべきである。
ハテ。どうも、つい最近、読んだ気がする。ウィリアム・デュラントが引用していたのだっけ、モンテーニュの言葉を引用したのだっけ。本当につい、先月頃読み飛ばした気がする言葉なのだが。
どうしてもわからず、自分のブログを検索してみたらわかった。先月どころか。平成28年、今から3年弱ほど前に、読んでいたことがわかった。
なんだか、もう、ね。脳味噌が溶けかかってますナ。