水引(みずひき)とコンビニの思い出

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 もうかれこれ20年ほどは前になろうか。

 私の身内に(くや)み事があり、職場の人から丁重に香華燈明(こうげとうみょう)の施しを頂いた。

 そのお返し供養の品物を選びあぐねているうち、今日お礼をしないと、その人と私の業務予定の関係でお礼が更に遅くなってしまう、ということになってしまった。

 やむなく、近所のコンビニの贈答品を選ぶことにした。通勤の途上、朝早くそのコンビニに立ち寄った。朝5時半、店番のお兄ちゃんしかいなかった。

 先方が好みそうな菓子の詰め合わせの箱を選んだ。

「すみません、不祝儀(ふしゅうぎ)でして、水引(みずひき)をお願いできますか。」

と頼んだ。ところが、お兄ちゃん、

「……えっ……。ふしゅ……う?み、みずひ……?」

などと言って絶句している。ああ、店で働いていても、そりゃあ、若い人だから、わからぬ言葉もあるだろう、若い人をバカにするような大人ではいけない、と、手ぶりを交えて慌てて言い直した。

「ああ、ごめんなさい。えーっと……お葬式に使うので、水引の紙をかけてほしいんです」

「……みず、……?」

 怪訝(けげん)な表情を浮かべていて、なかなか伝わらない。しかし、やがてお兄さんは大きく(うなず)き、

「ああ、(わか)りました、ノシのことですねっ!」

合点(がてん)して見せた。

 えええっ、葬式に熨斗(のし)!?……と反応に窮する私を尻目に、お兄さんはレジの下の収納から紅白水引の熨斗付きを出した。

 私は慌てた。困った。話が通じていない。香典返しや供養に、紅白のめでたい熨斗付きの菓子など出せるものではない。そういう地方・地域もあるのかもしれないが、大多数ではないと思う。

「あっ、ちょっと、ちょっと、待ってください。お悔みごとなんで、紅白じゃ駄目です。えーっと、ほら、似たようなデザインで、白黒の紙が、どこか近くにしまってあると思いますが……」

お兄さん、少し考える風である。

「えーっと、白黒、……。あ、ワカッタ、白黒の、アレですねッ!」

お兄さんは紅白金水引(きんみずひき)熨斗紙(のしがみ)を持ってレジ場を出、素早くコピー機のところへ行った。慣れた手つきでピッピッとコピー機を操作して、熨斗紙を白黒でコピーすると、それをレジのところに持ち帰ってきて、菓子の箱にかけようとした。

 さすがに、紅白水引、右上に熨斗付きの、更にそれを白黒コピーしたというわけのわからない紙を不祝儀にかぶせて持って行ったら、如何に素朗(そろう)かつ明朗の職場といえど、私は永久に笑いものになってしまうだろう。

「ちょ、ちょっと待ってください、待ってください。……もう、結構です、結構です、もういいです。……かけ紙はもういいです、最初の包装紙のままで構いませんので」

 私は通勤途上でもあり、お兄さんにゴチャゴチャと世間のことを教えている時間はなかった。だから、もう、無理を頼まず、普通の包装紙のまま菓子箱を持っていくことにしたのである。

 お兄さんは、(なんだよこの客。注文通り紙かけてやろうとしてるのに、わけのわかんねぇゴタクを並べやがって)とでも言いたそうな不快・不満の色を満面に浮かべ、無口になってレジを打った。

 お兄さんのせいでも、私のせいでもない。お兄さんはそんなことを誰からも教わらなかったのだろうし、私は若い人がそんなことを知らない、ということに想像も思いも至らなかったのだ。悪い人は誰も登場していない。お互いに善人なのである。

 その日の昼、職場の人へ、「これはお供養です、こんなもので不躾(ぶしつけ)ですが、どうぞお納めください」とその菓子箱を渡し、それはそれで済んだ。相手も闊達(かったつ)な人で、水引もなにも、気にはしていないようだったので、ほっとした。

 夕刻。仕事を終えての帰宅途中、私はもう一度そのコンビニに立ち寄ることにした。夕方の時間なら、店に話のわかる大人や店員がいて、その人に今朝の一件を話せば、アルバイトの店員さんに熨斗や水引や祝儀や不祝儀や、そういうことを教えておいてくれるだろうと思ったのだ。

 ものの分かりそうな、店長らしい40歳代に見える人がレジをやっていたので、私はチューインガムやペットボトルの茶を買い、そのついでをよそおって、今朝の一件を話した。

「かくかくしかじか……そういうようなわけで、不祝儀の水引がわかってもらえなかったんですよ」

 ところが、その、ものの分かっていそうな店長らしき人物は、私にこう言い放った。

「……お客さん、『白黒の熨斗(ノシ)』のことですよね。……何がいかんのですか。コピーで十分でしょう」

 もう、無駄だと悟った。この人たちには、不祝儀の水引は、「白黒の熨斗」にしか見えていないのだ。上下や、右上の「マークみたいな変なやつ」がついていようがいまいが、まるでどうでもいいのだ。

 私も愚かだったと思う。職場の人へ渡す故人の供養を、通勤途上のコンビニで買って持っていこうなどという、面倒臭がりの不見識がこんなことになったのだ。コンビニの店員や店長の世間のなさを責める資格は、私にはない。

 しかし、それから2年ほどで、そのコンビニは潰れた。こういうことは、店の経営の他の部分にもさまざまに表れていたのだろうと思う。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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