引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。
第17巻の三つめ、「蘭学事始」(杉田玄白著・緒方富雄訳)を帰りの通勤電車の中、東武スカイツリーラインの西新井と草加の間の辺りで読み終わった。
菊池寛の小説「蘭学事始」は読んだことがある。また、本書は同じものをデジタル書店の「グーテンベルク21」がKindleで割合に安く出している。そのサンプルは見たことがあるのだが、購入まではしなかった。それをこの全集で読んでみたわけである。
著者の杉田玄白は言わずと知れた「
本書は杉田玄白自身が老境にあって蘭学の草創期から普及に至るまでを回想したものだ。玄白が壮年の頃、日本では、まだ蘭学は無論、洋学、ことにヨーロッパの国語を解するということ、とりわけ書かれた文章を読んだり、いわんや翻訳などということは、まったく行われていなかった。杉田玄白は知己の前野良沢と協力し合って初めてオランダ語の書物「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組んで完成させ、それがきっかけとなって日本に蘭学が普及したことは誰しもこれを知る。
本作は現代語訳で、読みやすく、かつては中学生などにも読み物として大変親しまれたものであるという。
気になった箇所
他の<blockquote>タグ同じ。p.336より
一七明和八年三月四日――骨 が原 のふわけこれから、みなうち連れて、
骨 が原 のふわけを見る予定の場所へ着いた。この日のお仕 置 の死体は、五十才ばかりの女で、大罪を犯したものだそうである。京都の生まれで、あだ名を青茶婆 と呼ばれたという。さてふわけの仕事は虎松 というのが巧みだというので、かねて約束しておいて、この日もこの男にさせることに決めてあったところ、急に病気で、その祖父だという老人で、年は九十才だという男が代わりに出た。丈夫な老人であった。かれは若いときからふわけはたびたび手がけていて、数人はしたことがあると語った。それまでのふわけというのは、こういう人たちまかせで、その連中がこれは肺臓 ですと教え、これは肝臓 、これは腎臓 ですと、切り開いて見せるのであって、それを見に行った人々は、ただ見ただけで帰り、われわれは直接に内臓を見きわめたといっていたまでのことであったようである。もとより内臓にその名が書きしるしてあるわけでないから、彼らがさし示すものを見て「ああそうか」とがてんするというのが、そのころまでのならわしであったそうである。この日も、この老人がいろいろあれこれとさし示して、心臓・肝臓・
胆嚢 ・胃 、そのほかに、名のついていないものをさして、これの名は知りませんが、自分が若いときから手がけた数人のどの腹の中を見ても、ここにこんなものがあります。あそこにこんなものがありますといって見せた。図と照らし合わせて考えると、あとではっきりわかったのであったが、動脈と静脈との二本の幹や、副腎などであった。老人はまた、今までふわけのたびごとに医者の方にいろいろ見せたけれども、だれ一人それは何、これは何と疑われたお方もありませんといった。これをいちいち、良沢とわたしが二人とも持って行ったオランダの図と照らし合わせてみたところ、ひとつとしてその図とちがっていない。古い医学の本に説いている、肺の
六葉 両 耳 、肝の左 三葉 右 四 葉 などというような区別もなく、腸や胃の位置も形も、むかしの説とは大いにちがう。官医の
岡 田 養仙 、藤本立泉 のお二人などは、そのころまで七―八度もふわけされたそうであるが、みなむかしの説とちがっているので、そのたびごとに疑問が解けず、異常と思われたものを写しておかれた。そして、シナ人と外国人とでちがいがあるのであろうか、などと書かれたものを見たこともあった。さてその日のふわけも終わり、とてものことに骨の形も見ようと、刑場に野ざらしになっている骨などを拾って、たくさん見たが、今までの古い説とはちがっていて、すべてオランダの図とは少しもちがっていない。これにはみなおどろいてしまった。
次
次は同じく17巻から、「おらんだ正月――日本の科学者たち――」(森銑三著)を読む。