今日は成人の日、祝日で仕事は休みだったが、月曜だから、次女の通常のピアノのレッスン日である。発表会が近いので、無論私が連れて行く。
レッスンの後半、連弾を先生に見ていただき、まずまずあまりたくさんのご指導はいただかなかった。今日の段階では可はなし、而して不可はなし、というぐらいの感じである。
ただ、私はどうも、次女を置いていっている感じがある。もう少し次女とあわせたい。
この曲のテンポは、楽譜に書いてある「♩=112」だと、私にはたいへん速く感じられる。このテンポのことを先生に伺ったところ、
- 数字にはそんなにこだわらなくて良い。
- それよりも、「Allegretto」という標語の意味をよく考えること。
- 「行進曲」という題を考え合わせる。速いものといえばベートーベンの頃には最速でも馬車程度であったはずだから、かつての行進曲はそんなに速くはなかったはず。
- 2/4拍子で、右足に拍をおきつつ、歩いて歌うのもよい。実際に歩いてみながら、階名で歌ってみるとよくわかる。
・・・等と、実に該博な知見でご指導くださった。
「昔の行進曲は、こんなふうに(手のひらで足の運びを擬しながら)右足を出しては一旦両足を揃え、左足を出してまた両足を揃え・・・と、いう具合だったそうですよ。」
とおっしゃる。そういえば、トルコ軍楽「メフテル」の映像の中で、メフテルハーネたちがそんな歩き方をしていた記憶があって、そう申し上げると先生も頷いておられた。
- トルコ軍楽「メフテル」の名曲「ジェッディン・デデン」
モーツァルトもベートーベンも、その活動時期には既にオスマントルコのウィーン攻めは伝説の時代劇であったはずである。だがしかし、曲の抑揚のつけ方、時々出てくる短音階の怖い感じ、やや滑稽味のある珍しいところ、装飾音・前打音の「小ぶし」感などに、ウィーンの人たちの民族の記憶としてどれほど強くトルコ軍がその軍楽とともに刻み込まれていたかが感じられる。
当時のウィーンの人たちは皆殺しをもってなるトルコ軍をどんなにか恐れていたことだろう。異文化、異人種、そして近づいてくる今までに聞いたこともない変な音階のラッパ、複雑な巨太鼓のリズム。
それまで、行進曲や軍楽というものはヨーロッパにはなく、音楽の都を自ら称するウィーンといえども、トルコ軍のメフテルは、かつて見たことも聞いたこともないものだったのだ。か弱い市民たちがその耳を聾する響きにどれほど腰を抜かしたか想像に難くない。まして今の軍隊とは違う、女は蹂躙され、子供は連れ去られるか老人とともに虐殺、財貨も食料もひと舐めだ!!
だが怖いもの見たさ、物珍しさで地下のワイン倉にでも隠れて戦々恐々、小窓から半分眼を覗かせて、やかましいメフテルが恐怖とともに近づいてくるのを待ったに違いない。市民がトルコのイェニチェリの、精強にして、だが、珍妙でもある装束を、怖さ半分面白さ半分、息を殺してしみじみ覗き見る姿が眼に浮かぶ。
ウィーン攻めをあきらめて遠く去っていくトルコ軍楽の響きを、運良く生き残った市民たちは、胸をなでおろして聞き入ったことであろう。
滅亡を免れたハプスブルグ朝は、オスマントルコの旗印の「日月」の形のパンを焼いてそれを喰らい祝うよう市民たちに命じたという。「トルコごとき、何ほどのことやある」と、事が済んでからの空威張りも、なにやらほほえましく感じられる。
この時の「日月」の形のパンは、ハプスブルグ家とフランス・ブルボン家との結婚外交によって自然フランスに入り、しゃれたデニッシュの一種類「クロワッサン」となって今に残る。
・・・そんな感じが、この子供用の簡単な編曲にも横溢していると私は思う。