ピアノの練習を始めて1年が経った

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 下の娘のために買ったYAMAHAのキーボード「PSR-E303」でピアノの練習を始めてから、1年が経った。

 キーボードを買ったのは去年の9月10日である。

 かがわりょうこ先生の「★弾いてみよう!はじめてキーボード!」を見て、そろりそろりと「きらきら星」なんぞを弾き始めたのが去年の9月17日だ。なにか進む方向はないか、そうだ、ピアノというものは確か、「バイエル」という教則本から始めるものだと聞いた事があるぞ、ネット上にあるんじゃないか・・・などと、バイエルの15番くらいまでをネット上のタダの楽譜で弾いてみたのが同じく9月30日から10月1日あたりからである。

 「必ずバイエル教則本を1冊弾き切ってやる、そしていつかはベテランピアニストに」などと思って練習し始めたわけではない。練習し始めてしばらくしてからはそう考えて来なかったわけではなく、今は無論、バイエルの教則本を1冊、なんとか弾いてやろうとは思っている。ショパンのノクターン2番や、パッヘルベルのカノンが弾けたら楽しいだろうなあ、是非弾いてみたいなァ、とも思っている。

 が、固い決意とか、目標とかに動かされているわけではない。今も、私には目標などなく、キーボードを弾くと綺麗な音が出て楽しいというだけに過ぎぬ。いつでもやめてしまって良いのだ。

 いつでもやめてしまってよい、という気楽さが、これほどいい音で弾きたいという気持ちをかなえてくれ、かつ、何をやっても飽きっぽく、長続きしない私を動かしてくれるものとは思わなかった。

 だいたい、私という人間は、生まれてこのかた、1年間何か一つのことを熱心に続けた、などということなど一つもないのだ。仕事は別だ。仕事は、これはのがれることのできない呪いとか罠の類であって、休むとか続ける続けないの問題ではない。責任と義務の話である。だから、今年の4月で永年勤続満25年を迎えている。

 さておき、飽きっぽくて頭の悪い私が、何の目標も持たず、いわんや義務もないのに、1年間毎日休まず──いや、もちろん、仕事で泊まりの時とか、旅行したときには無理だから練習などしていない、それを除けての話──ピアノの練習をしたというのは、驚くべきことだ。

 案外とうまくいくことというのは、無目標に歩んでいてふと目を上げてみたら、相当高い山に登ってきてしまったことに気づくようなものなのではあるまいか。理想と目標を高く掲げて走り出し、即破綻、なんていうのは、実際良くある話である。

 理想と目標を高く掲げることが良くないことだなどと言うのではない。ただ、理想と目標の高さに往々にしてそっぽを向いてしまう、それが人間の気持ちというものなのだろう。

 実は、幼稚園ごろだったか、ピアノを習ったことがある。「ピアノ弾きたいだろ?」と、弾きたいと答えよといわぬばかりの親の問いかけに、肯定で答える義務があると考えた屈折した私は、作り笑いを浮かべながら「うん、弾きたい」と答えたものだ。

 ほんの2~3度ほどもレッスンに通っただろうか、それだけでチック症にかかり、顔面といわず体といわず、また声すらも、ひくひくぐるぐるヒックヒックと妄動させずにおれなくなってしまったのだ。両親はピアノの練習をやめさせ、チック症の治療のために精神病院に私を連れて行った。

 幼稚園の小児である。精神病院への通院は、珍しく楽しい体験だった。「心理テスト」というものを受けるのだ。正面1メートル、奥行き60センチほどの砂箱があって、ジオラマ用であろうか、小さな家や木や人の、子供用のおもちゃとは異なった本格的なミニチュアがたくさんあり、「これで遊びなさい」というのである。突然そんなすばらしいものを見せられても息を呑むばかりで、また、どうしたらいいものやらわからず、手をつけずに何もしないでしばらくいると、白衣を来た人のよさそうな顔の医師は鋭い目つきで何か手元の書類に書き入れ、うってかわってさっと笑顔になって「好きなように並べてみるといいよ」と言って、一緒に遊んでくれた。

 私が夢中になりだすと、いつか知らぬ間に後ろに引き下がり、ふと見ると鋭い目つきで私を見ては書類に何か書き入れているのだった。

 何度かそんなテストを受け、また何度かは脳波の測定もされた。なぜか、二人の兄弟、姉と兄もが脳波の測定を受けていた記憶がある。

 チック症はまったく良くなっていないのに、いつの間にか精神病院には通わなくなった。経済的なこともあったのだろう。

 爾来、私のチック症は治ることはなく、今も顔をゆがめたりおかしな具合に息をついたりすることが収まらない。

 度量の狭い父は、そんな私が疎ましくてならなかったのだろう、今思えばとるに足らぬ些細な理由で私を殴りつけ、湯飲みをぶつけ、ヒモで私をひっぱたいてケガをさせた。母は私を家の外に放り出し、殴って水を浴びせ、物置に放置した。今なら、警察に通報されるだろう。

 逃れられない狂人小屋のような家が耐えられず、親戚が来ている時に両親、兄弟から無惨に責められた私は、外に走り出て大きな声で叫び、喉が枯れてもなお叫びつづけた。近所から人が出てきて指をさしたものだ。その親戚も、さぞかし私の家族と私を病的だと思ったことだろう。

 そんな父と母は、結局子育てには失敗した。姉は精神質に育った。しかし、ごく普通に嫁に行き、平穏に暮らしている。良かったと思う。

 一方、兄は中途半端なヤンキーもどきになり、頭も悪く、地元で最も学力が低い高校にすら合格できなかった。仕方なく屑屋で働いたのを皮切りに、10以上もの職を転々とした。シンナーを吸い、働き口でのくだらない揉め事で小指を詰め、再度三度にわたって警察の厄介になった挙句、19歳のときに馬鹿仲間と改造車で海中に突っ込んで溺死した。ひと月ほども行方不明のまま、腐乱死体になって発見された。

 私も失敗作だ。親というものは孝行しなければならないものだ、それが人として当然だ、という、自分の心の底からではない、教科書にでも書かれていそうな観念で自分を支えて長いあいだ親に奉仕してきたのだったが、あることで──このブログの主題でもある、自宅の建築で──昔からの憎悪に耐えられなくなり、親を捨てた。

 狂人に拝跪すれば自分の妻と子を殺すことになる。狂った親には、もう私は十分奉仕した。私は自分の妻と子を守り、自分の人生を作るのだ。狂親は私の人生の邪魔であり、憎むべき障害物である。

 そのように考えるようになった折も折、鍵盤楽器が再び私の前に現れたのだった。

 何をやっても長続きせず飽きっぽい私が、どうしてこれまで到底できなかった1年という期間、バイエルの練習を持続できたのか、この一文は説明しえているであろうか。

寄り道 「よぞらのパーティー」

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 平日に仕事が休みだったので、家内の代わりに下の娘をヤマハの音楽教室に連れて行った。送り迎えで終わりではなく、レッスン中ずっと一緒についていてやることになっている。ソルフェージュをやったり歌をうたったりエレクトーンを弾いたりと色々盛りだくさんで、教育方法も工夫されているように見受けられた。

 娘がエレクトーンで演奏した曲の中に、「よぞらのパーティー」というのがある。「ぷらいまりー2」というヤマハのテキストに歌詞が載っているのだが、楽譜はなく、先生の演奏を耳で聞いて弾き方を教わって覚えるようになっている。メキシコの曲だそうだ。なかなかいい曲で気に入った。覚えて帰り、自分で弾いてみた。

応用曲「ロング ロング アゴー」

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 全音「最新バイエル」、次の曲は応用曲「ロング ロング アゴー」である。どこで聞いたのだったかは忘れたが、どこかで耳になじんだ曲だ。ドソミソの左手伴奏も快調に弾き出せるが、一箇所ヒジョーに難しいところが。Img_0672

 8小節目から下の段に移って9小節目、10、11小節め、14、15、16小節と、左手がバスッ、バスッと飛ぶんである。できるか、こんなもん(笑)

 しかし、人間、一生懸命練習してみるものだ。この月曜から今日(水曜)まで、仕事で疲れた平日の夜の練習だけでも、3日間でなんとか弾くことができるようになった。

バイエル#54

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 バイエル54番が弾けた。仕事を終えて帰ってメシを食ってフロに入った後の週末の夜である。短い曲なのでカンタンだった。

 ただ、カンタンだった、などと言いながらも、休符を意識するとすごく難しい。拘泥していてもしょうがないやァ、発想「Comodo(気楽に)」ってなってんだし、いいじゃん、気楽で、などという適当ぞんざいな考えで、8分休符をちゃんと鍵盤を離さずに弾いた。

 

老人は諌めてもらえなくなる

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柳沢厚労相 女性を「出産する機械」とも例える発言http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070128-00000005-maip-pol

 柳沢伯夫厚生労働相は27日、松江市で開かれた自民党県議の集会で講演した。講演は年金・福祉・医療問題に関するもので、出席者によると、柳沢厚労相は少子化対策に言及する中で「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」などと述べたという。少子化対策にかかわる閣僚による、女性を「出産する機械」とも例える発言だけに、今後批判を強く受けそうだ。(毎日新聞)

 まぁ、言いたいことはよくわかるし、間違ってもいないと思うが・・・・だが・・・

  •  「言い方」を考えろ。馬鹿者ッ。
  •  自分独自のスバラシイ論理だとでも思っているのだろうが、こんな程度のこと、誰でも心の中では考えている。エラそうに口に出さなくてもよろしい、愚か者。

 老人になると、諌めてもらえなくなる。多分、今でも自分がやったことがなぜ批判されているのか、分かってないんだろうなあ。

 なんにせよ、よくもまぁ、こんな馬鹿馬鹿しい言葉ッ尻でいつまでもモメていられるもんだ。あげつらうほうもあげつらうほうで馬鹿揃い。

 仕事しろよ!!(笑)

電氣菩薩と映像夜間中学/根本敬  その2

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 さて、今回の映像夜間中学は、俺には2回目である。

 前回と同じく整理券ナンバー1番をばゲットせんものと、18時30分には早々と渋谷を訪れた俺であったが、夜間中学上級生らしいどこかのキレイなおねぃさんが先に並んでいて、俺は2番であった。

 ドリンクにグラスワインを選んだのだけれど、店のおにいさんがワインオープナーの調子が悪くて栓を開けるのに手間取り、遅くなった埋め合わせのためか、カップになみなみといっぱいワインが注がれておって、トクをした。

 前回は、新入聴講生の立場をわきまえて遠慮をし、2列目に座った俺であったが、今日は1列目の中央にヌケヌケと陣取り、教科書であるところの「電氣菩薩」初版本をば傍らに置き、万全の態勢である。

 開講前のひとときは、今日の授業に関係があるとのことで、ファンクの巨匠2者、「SLY STONE」と「JB」のライブビデオが上映された。

 根本先生はおよそ1時間遅れでご登場。前回とはうって変わってご健勝そうなご様子。喋りもしっかりし、「前回体調が悪かったのを取り返すために今回は盛りだくさんですよ」と、期待のもてるスタート。

 なんでも、先月はあのフラフラの状態で遠藤賢司氏がらみの仕事もこなしておられたそうで、相当苦労されたということであった。

 今回の講義はまったく盛りだくさんで、前回フラフラになって帰宅したあとの顛末から、明治維新における暦制のペテン、戦争、中国の世襲の戦争被害者、歳若い傷痍軍人、ニールヤングのDNAにひそむロックと諦念、原節子などにまでハナシは及び、待ってましたのエビスネタ、坂上弘が大きく取り上げられた先月の朝日新聞、「川西」のおさらい、平やんのタネマキ、意味と理由と自分探しの哲学、「無意識」の鍛錬について、など、実に濃いものであった。書画投影で大写しにされた川西写真がユラユラと大きくなったり小さくなったりしてるのを見ながら、留守番電話テープに吹き込まれた川西音声をエンエン聞かされると、思わずツボに入ってしまい、吹き出してしまうのを抑えきれない俺であった。

 最後に結論として、「『自分』というのは、探すものではなく作るもの」ということを、SLY STONEとビートルズとジミヘンの引用で説明され、愛と平和と嘘八百を強調されて、2時間に及ぶ今年最後の夜間中学は終わった。

 終了後、「電氣菩薩」にサインを頂いたところ、根本先生は前回体調が悪く、思ったようにできなかったことを本当に気にしておられ、それを取り返すべく今日は盛りだくさんにしたとおっしゃった。そうした物腰、話し振りにも根本先生の誠実なお人柄がにじみ出ていた。頂いたサインはキュートな村田と泳ぐ精子、まったく本当に、今日は俺にとってゴキゲンハッピーな年の暮れであった。

バイエル17番・18番

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 仕事が休みだったので、下の娘がいないのをいいことに一日中キーボードを占拠してバイエル練成訓練(笑)に精を出した。

 バイエルの17番と18番が弾けるようになった。

 ○ 最新バイエル60番(原書17番) 佐藤演奏

 ○ 最新バイエル61番(原書18番) 佐藤演奏

 使っているテキスト(全音の「最新」バイエル)では、この17・18番がヘ長調に移調(原曲はハ長調)してあるので、黒鍵を使って弾く。

 しかし、ためしに、ハ長調でも弾いてみたが、ヘ長調で弾ければ、ハ長調でも問題なく弾けるようになることがわかった。

更に根本

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 更に根本。

 いやー、韓流ブームなんぞが始まる前に、コイツを読んでおきたかった・・・。

 もともと古くからの根本ファンであるワタシは、これらの本が出ていた頃、ちょうど仕事が忙しく、本を読んでいるヒマがなかったのである。それで、「生きる」~「亀の頭のスープ」以降の根本がヌケている。この本のタイトルも知っていたが、読むひまがなくて買えなかったのだ。かえすがえすも惜しいことをした。もっと前に読んでおきたかった。


バイエル#16

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 バイエルの16番が弾けないのは、どうも使っている楽譜が良くないように思えてきた。インターネットでタダで入手したもので練習というのもナニヤラあさましい感じもするし。

 やはり書籍で印刷されたものがほしくなる。

 全音からいくつか出ている。

標準バイエルピアノ教則本  全音ピアノライブラリー 標準バイエルピアノ教則本 全音ピアノライブラリー
価格:¥ 840(税込)
発売日:1998-12-10

 仕事の帰りに買おうと思い、近所の楽器店や書店を回ったが、置いていない。