畏しや天皇陛下のお言葉

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 本日は天皇誕生日である。

 無論、我が家の軒先には日章旗が翩翻(へんぽん)と掲げられている。

 本日にあたって、天皇陛下におかせられては、次のようなお言葉があったと漏れ伝え聞く。

 実にお心知見、幅広く内外に及び、仁慈あまねしとはこのことであろう。

 新聞記者どもの無礼な内容の質問には、実に慎重なお言葉を選ばれ、畏れ多いことである。

 軽挙な言動で内外に厄介ごとばかり惹き起こしている阿呆な政治家連中に、万分の一でも見習わせたいものだ。

なんだッ、こんな野郎!!

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 不敬だ!謝れッ!!。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091023-00000607-san-pol

天皇陛下のお言葉に岡田外相が意見
産経新聞
2009/10/23 12:41更新

 岡田克也外相は23日午前の閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と述べ、宮内庁にお言葉の見直しの検討を求めた。首相官邸で記者団に明らかにした。

 岡田氏は「大きな災害があった直後を除き、同じあいさつをいただいている。国会に来ていただいているのだから、よく考えてもらいたい」と語った。天皇陛下のお言葉をめぐり閣僚が意見をするのは異例。

 平野博文官房長官は同日午前の記者会見で、岡田氏の発言について「(内容について)具体的な説明を避けるが、ご意見は承りました」と述べた。

岡田外相が「お言葉」発言で反論「こう言うべきと言ったわけでは」
10月23日19時44分配信 産経新聞

 国会開会式での天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入った言葉に」と述べたことについて、岡田克也外相は23日夕の記者会見でも「内閣の助言と承認のもとで本来工夫されるべきではないか。ある意味で官僚的対応になってしまっている。もう少し自由度があっていい」と強調した。

 発言について、民主党の西岡武夫参院議院運営委員長は同日、「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」と批判したが、これに対しても岡田氏は記者会見で「天皇陛下の国会開会式にあたってのごあいさつというのは、国事行為ではないが、それに準ずる行為。一定の制約があるのは事実だが、制約があるということと、同じ言葉を繰り返すことは違う」と反論。その上で「具体的にこういうことを言うべきだと言ったわけではない。陛下のご意思として従来と同じように続けるというのなら、それは陛下の判断だ」と説明した。

 なんでこんな連中が政治なんてやってるんだ。選んだ連中はバカだ。

昭和館~靖国神社/遊就館

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 土曜日の楽しみに、上の娘(小6)を連れて、九段下にある「昭和館」を訪れた。国営の施設で、戦前~戦後にかけての銃後の苦難の暮らしを中心にまとめた展示館だ。共産/社会主義等の特定反国家勢力色がなく、中立・中庸な立場で淡々とまとめられており、大変勉強になる展示館である。

 せっかく九段まで来たのであるから、無論靖国神社にも寄る。靖国神社内にある博物館「遊就館」には私は何度も行っているが、娘は小2ぐらいの頃に一度連れてきて以来のことなので、ほとんど忘れているらしい。勉強になるからもう一度遊就館も観覧した。中で上映している「私たちは忘れない」という映画は、遊就館内でしか見れず、DVDなどは売っていないから、遊就館に来ると私はかならず改めてこれを見る。

 遊就館は戦地、昭和館は銃後、どちらもバランスよく考えを深めることが出来る。娘には戦前から戦後、どれほどの困難があったのかに思いをいたす良い休日であった筈である。学校では絶対に教えまい。

アメリカなんか頼るな!!

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 アメリカは、日本人を「昆虫 Insect」と言い捨ててほしいままに虐殺した国である。中国・朝鮮が主張する日本の残虐行為の比ではない。

 どうしてそのようなアメリカに、北鮮によって連れ去られた哀れな人々の保護を求めようとするのか、理解に苦しむ。

 アメリカが日本人など保護するはずはない。彼らは彼らを保護する。

 日本人がアメリカ人の盾になる限りにおいて、──日本人10万人がアメリカ人1人の盾になる限りにおいて──やっとたった一人の日本人を彼らは救うだろう。数は単なる例えだが、この例えのとおりなら、日本人100万人が死んで、やっと彼らは日本人を10人助けてくれるのだ。

 なぜって?そういうことをすでにした国がアメリカなのだ。

終戦記念日である

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 終戦記念日である。

 去年は小泉首相が靖国神社を参拝するのかしないのかが話題になった。私は参拝を推進するべきだと思っているので、──「容認」という言葉を使う人も多いようだが、「容認」とは何事か。容認、というのは、「受け入れ、許す」という言葉だ。靖国神社へ参るような犯罪人でも、広い心で許してやる、などとする思い上がった許しがたい前提がこの言葉には含まれている。断じて「容認」ではない。「推進」である──義兄と一緒に靖国神社へ出かけたものだ。

 超満員に人々が詰め掛けた靖国神社の境内で、小泉首相が既に参拝を済ませたことを知り、それでこそ日本の首相、よくやってくれたと思うと同時に、見よ、この靖国のきざはしを立錐の余地もなく埋め尽くす、物言わぬ日本人たちを!こんなに多くの人々が靖国に詣でているのだ、朝鮮人も中国人も、この日本人の意気を知るべし、と思ったことだった。

 今年も行きたかったが、つい、雑事にとりまぎれ、今日は行かなかった。少々残念である。

 半旗を掲げるべきだっただろうか?

昭和記念公園

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 30日は振替休日である。去年のゴールデンウィークにも行った「昭和記念公園」へ、また行った。何度でも行きたくなる場所だ。この季節は花がいっぱいで美しい。

国旗等売り場にて

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 週末のひとときを家族と楽しむべく、近所の「馬車道」というファミレスへ行った。

 お子様メニューを頼めば、大抵、ご飯だのハンバーグだのにつまようじの国旗が立ててある。これはたしか、日本オリジナルのアイデアで、戦前からあるらしい。それはまぁ、子供も喜ぶし、けっこうなことではある。

 問題は、この馬車道であろうとあるまいと、否、どこの街のいかなるメシ屋でどのようなお子様ランチを頼もうと、どんなことがあろうと絶対に、

日章旗は無い、

一にかかって、このことであろうか。今日もハンバーグに突き刺さっていた国旗は、イギリス国旗であった。

 無論、戦前は、否、私が生まれ育った昭和後半だって、お子様ランチに立ててある旗は100%間違いなく日の丸であった。だが見よ、なんとしたること。何をもってのゆえに、この日本のど真ん中で、由緒正しい日本人の4人家族が、イギリス国旗の刺さったお子様ランチをその末っ子が喜々として喰らうのを見て、卑屈なる植民地有色人のようなゆがんだ笑みを片頬に浮かべねばならぬのか。日本はサンフランシスコ講和条約によって、独立国たるの威厳を何十年も前に取り戻しているのだ。

 お子様ランチのハンバーグの小山の頂点に無造作に突き立てられたイギリス国旗は、さながらその小山が英米勢力によって征服され圧伏され抑圧され植民地化されたものであるがごとくあくまであたりを睥睨して傲岸不遜である。反面、皿の周りのキャベツやらニンジンやらは、隷従屈従させられアヘンを無理矢理売りつけられて廃人にされ苦力としてこき使われ未来永劫浮かぶ瀬もなく滅びるほかはない劣等民族の悲哀を湛えてナサケなくヤルセなくうらぶれている。

 そのことになんとはない不満というか、胸糞の悪さを感じつつ、三郷市にあるイトーヨーカドーの大きな買い物スポット内の、ビバホームというホームセンターに行った。

 品揃えが豊富で、いろいろなモノが手に入り、実に楽しいところである。その1階の一隅では、飲食店などの店先を華やかにする幟などが売られており、会議のテーブルに置くなどするための小さな国旗も一緒に置いてある。D1000003

 問題は、ごらんのとおりである。

 ・・・え?ナニが問題なのかワカラネェ?

 問題ですよ。ここにあるのは、全部外国の国旗だ。日本の国旗など、ちっともまったく少しも全然、ただの一本たりとも販売されていないのだ。この写真に写っているのも、韓国にアルゼンチンにフィンランドにスウェーデンの国旗である。

 このようなことは、やはり、愚かで劣っていて陰鬱で知性がなく、いわんや国際感覚なるものなどカケラもない幼児的な光景で、ヘドが出そうなくらい嫌なものである。

 ・・・ここの社員に雇われているのは、ひょっとしたら、オトナリの半万年の歴史を誇る世界的民主国家やら、その向こうの偉大なる将軍様の率いる地上の楽園やら、更にその向こうの世界の中心国などの、この世のものとも思えぬほどスンバラしく人道的で完全なる人々だけなのかも知れぬ。

 へいへい、立派なことでゴザンスて。いくらでも勝手にやってチョーダイ、ハッハッハ(←乾いた笑い)。馬鹿企業めが。つぶれてしまえ!!。

昭和5年生まれの私の父と明治生まれの私の祖母との天皇陛下に関するやりとり@山形のド田舎

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 昭和一ケタ生まれの父は、ある日、通っていた山形県の小学校で、その時代らしく現人神だ万世一系だと、天皇陛下についての当時としては普通のことを教わって、家に帰ってきた。

 当時の父にとって、神とか仏というのは「死んだもの」、すなわち「仏壇の中にいるもの」だった。だが、小学校の先生は、生きている天皇陛下が神だというではないか!それは、違和感を覚えるよりもまず、興奮を覚えずにはいられないような、驚天動地の新知識であったという。

 興奮した父は、帰るなりすぐに、その母(私の祖母)に、

「かーちゃんかーちゃん、テンノーヘーカってものはよう、神様らしいぞ!!死んでないのに、神様だってよう!偉いもんだのう、すごいのう!!」

と、興奮気味に教わったことを話した。そこには素直にモノを信じる子供の興奮があり、それがおかしいとか、そういう気持ちは無かった。

 ところが、それを聞いた祖母の反応がイカしている。

「・・・ったく、また学校はそんなクダラネェことを子供に吹き込んでッ。んなバカなことがあるもんかいッ。ナニを馬鹿なことを教えてまったく・・・何してる、さっさと飯でも食えッ!!」

 書き遅れたが、私の祖父(祖母の夫)は中学校の校長先生で、父は当時としては教育熱心な家に生まれた。当時のことだから、教員である祖父がご真影に拝礼するのは当然だし、生徒たちに万世一系のかしこきあたりについて教えるのもまた当然である。祖母は、そんな祖父を、当時のごく普通の女のならいとして、支えなければならない立場にあった。当然にして無論、祖母は女らしい、古風な良妻賢母で、内助の功の見本のように祖父を支えて生涯を終えた。いうまでもなく、左翼主義者ではなく、天皇を敬愛し、ごく普通の愛国者でもあった。

 だが、その祖母にして、この発言である。時局も日増しに緊張の度を加える昭和10年代、このようなことがもし官憲の耳にでも入れば、祖母が平穏ではすまないばかりか、祖父の職業すら危うくなる。更に書くなら、かてて加えて、曽祖父、つまり祖母の舅は警察署長であった。昔の国家警察がいかなるものかいうまでもない。天皇陛下を神でないなどと、息子の嫁が孫を叱っただと!?なんてことを仕出かしたのだ、とんでもない!!

 ・・・昭和一桁の父は、折に触れてはこの祖母の言動を語ることがあった。

 私は、この話の中に、明治生まれの田舎の女であった祖母の、堅固な「個」の確立、「気骨」のようなもの、を見る。また、その祖母を育てた、素朴な大人たちの、美しく平凡な世界観と常識をも見る。天皇陛下をこよなく愛し、敬いはしていても、それが神だとか、あるいはまたそれを子供に吹き込むなどとなれば、「クダラネェ」「馬鹿なこと」と、瞬時に判定する。

 当時も、おそらく、堅固な常識というものは、人によっては生きていたのだと思う。ただ、時代の流れが、そういうものを塗りつぶしたかに見えるだけなのではなかろうか。

靖国神社へ行く

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 終戦記念日を靖国神社で過ごした。

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 大変な人出であった。参拝している人々の人相風体は、どう見ても右翼でもなんでもなく、子連れの奥さんあり、職人風の男、サラリーマン、休日のお父さん、ヤンキーにいちゃん、中学生高校生、ごく一部に右翼、生徒を引き連れて大東亜戦史を語って聞かせている高校教師など、ごく一般の普通の人たちばかりであった。これが、普通の、一般の日本人の心なのだ。

 新聞記事を読んで受ける印象と現実とはかくも違う。現実の靖国へ、いったことのない人は是非行ってみてほしい。現地で感得するものと、伝え聞くものとは違うのだ。

○ もらってきたパンフレット一式(PDF文書・3MB)