日常の寸暇を惜しんで練習に精を出している。
朝5時から出勤前の稽古はもちろんのこと、今日は20時ごろ帰宅したが、こういう日は夕食後、21時前ごろまで稽古する。
今日はパッと弾いたら、幾分ミスタッチはしたものの、あまりつっかえずに弾けたので、録音を残した。
オッサンは生きている。
日常の寸暇を惜しんで練習に精を出している。
朝5時から出勤前の稽古はもちろんのこと、今日は20時ごろ帰宅したが、こういう日は夕食後、21時前ごろまで稽古する。
今日はパッと弾いたら、幾分ミスタッチはしたものの、あまりつっかえずに弾けたので、録音を残した。
暇を見つけては少しづつ練習している標記「アザリア ポルカ」である。
今日は朝からだいぶ気合いを入れて何度も練習し、だいぶつかめてきた。あともう一息だ。
引き続き「アザリア ポルカ」、練習中である。
だいぶ弾けるようになってきた。このまま続ければいいだろう。
まだまだ、つっかえてばかりいるので、とにかくスピードを落として間違えなくなるまで練習し、それからスピードと表現をつける。つまり、いつもの稽古を根気よく続けるのだ。
「アザリア ポルカ」ばっかり練習しているように見えるが、練習はたいてい「おさらい方式」で、たくさんの練習曲をおさらいしている。
去年なんとかものにした「エリーゼのために」も、しょっちゅう「おさらい稽古」をしている。
久しぶりに、録音して見たらどんなもんだろうと思って、録音してみた。
…幾分ミスタッチしてしまうのは、もう、これ、どうしようにも直らないなあ(笑)。
「アザリア ポルカ」、引き続き練習中である。
今の練習強度で続けるなら、仕上げるまでに、ざっと3ヶ月はかかるだろうか。秋頃までこの曲にかかることになる。秋頃までに終えられず、もし来年も次女の発表会に連弾で付き合うなら、秋から冬にかけては今の曲は中断して連弾の稽古をせねばならない。そうなると、それこそ、本当に1年がかりだ。
積土成山、というのは、こういうときに使っていい言葉かどうか、浅学にして知らないが、とにかく、このまま練習して行けば遠からず弾ける様にはなるだろうという気はしてきた。
つっかえつっかえ、ゆっくりゆっくり、稽古を続ける。
いやもう、小学生だってもうちょっと早く上手になるだろうが、練習あるのみである。
楽譜を睨み睨み、なんとか両手で音符を拾うことは最後までやった。あとは繰り返し稽古をしてスピードをつける。
ふぅー、それにしても、なんと我が歩みの遅いこと。去年の11月からこの曲にかかっている。
その間、次女の発表会の連弾相手をするためビゼーの「王様の行進」を練習していたが、それを割り引くとしても、気長な話だ。
だが、これでいい。いいのだ。常人なみの音楽の才能はないのだから、これぐらいかかるのがあたりまえなのだ。
ピアノの稽古、日々コレ、精進している。
励みにすべく、ツイッターで呟きつつの稽古だが、新たな進歩と言うものがなかなか難しくなってくると同時に、とっくに弾けていた曲に困難を覚えたりする。とりわけ、バイエルでも初歩のほうの、37番とか16番が、どうにもこうにも難しく感じる。
「アザリアポルカ」、なかなか弾けるようにならないが、なーに、これまで同様、地道に稽古するのみである。才能のない者は、一意専心、努力するしかない。
さて、次女のピアノ発表会から一夜明け、気を取り直してもとの曲に戻った私である。
「アザリア ポルカ」。
次女との連弾に注力するあまり、約4ヶ月、まったく放りっぱなしである。ゼロからはじめるようなものだ……と、思いきや、去年の11月(この記事)に弾いたところまでは、なんとなく覚えていて、右手だけはたどたどしく弾けるのであった。
「ヘ(ファ)」のところにシャープがついているから、その1個上は「ト(ソ)」で、「ト長調」の曲だ。
8ヶ月にわたり延々と練習してきた「エリーゼのために」を、昨日でひと区切りにした。
さて、私が使っている教本、全音楽譜出版社の「最新バイエルピアノ教則本」には、巻末に3曲の応用曲が載っている。
いよいよ最後の応用曲、この「アザリア ポルカ Azalia Polka」にとりかかる。
10時ごろから楽譜を読んでいる。私には音感などないから、ピアノに向かって鍵盤を拾う。まずは右手のみ、最初の主題である。
はてさて、いったい、弾けるようになるのか?