クリスマス(聖誕節)に聖書繰らなかったな

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 私はキリスト教が嫌いだが、クリスマス(聖誕節)に聖書を読むということを毎年やる。

 恰好(カッコ)を付けているわけではない。嫌いなものでも、それをよく理解するということが必要だと思うからだ。生理が遠ざけよう遠ざけようとするものをムリヤリ読もうというのだから、自分なりに工夫がいる。

 こういう読書には、読む気になるような、読書の楽しみが得られるような、ちょっと持って回った工夫が必要だ。世間も私も心の浮つくクリスマスにそれをやる、というのも私の工夫の一つだ。

 また、次のような、ベースとなる工夫もある。私が若い頃から持っている聖書は日本聖書協会の「新旧約聖書 引照附」(ISBN-13: 978-4820210078)、この一点のみである。

 読んで面白いと思える聖書はこれだけだ。その特徴は「文語訳であること」、一点これあるのみである。キリスト教の、不自由でキッツい感じ、神との契約に責め立てられるキビしいマゾ感、高圧的で頭ごなしに怒鳴りつけてくるようなムリヤリ感、チョッピリ嘘をついただけで「お前は死刑」と言われるデジタル感、幅のなさ、狭量な感じ、これは、文語体で読まなければ官能あるいは肉の痛みとして脳裏に味わうことができないと思うのである。

 で、例年はクリスマスの夜更けに興味の湧いた個所を繰り返し読むということをするのだが、どうしたわけか、忙しかったことも有之(これあり)、今年はこれをしなかった。

 回教徒に心を寄せると同時に、キリスト教徒にもやはり心を寄せ、これを理解するようつとめなければならぬ。私はキリスト教が嫌いだが、嫌いなものも嫌わないようにしないといけない。受け付けぬものも飲み込まなければ立派な人にはなれぬ。子供が無理やりピーマンやニンジンやセロリを食うようなものであろうか。キリスト教に栄養価があるとは思えないが、それでも、それを飲み干さねばならぬ。

 精神衛生には悪いが、内容をよく把握し、研究することである。しかるをもって、毎年毎年、この苦行、とはいえ、表裏一体としての読書の楽しみを続けている。

なんだかわかんないけど、全額返金された

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 この前、アラブ~イスラムの気持ちに少しでも寄ろう、というような気持もあって、岩波の千一夜物語13巻を買い直したのだが、どういうわけか、7,880円、全額返金されてきた。

 「みやうちSHOP」というAmazonマーケット・プレイスの出品者から買ったのだが、返金される理由が良く分からない。しかしまあ、なんだかトクした気持ではある。

 思い当たることとしては、商品ページのサムネイル画像が13巻の函入りだったのだが、商品はそうではなかった。まあ、本の内容が変わるわけでなし、まあいいや、と適当に放っておいたのだが、その後Amazonの「出品者評価アンケート」が来たので、「☆3つ」をつけ、「函入りじゃなかった」と書いたのである。

 そうするうち、その出品者から連絡メールが来て、

「希望通りの商品でなくて済みませんでした。お金は全額返しますから、Amazonの評価を削除してもらえないでしょうか」

……という意味のことが書いてある。

 さすがに7千円以上するものを全額返金するというのなら、評価を削除するくらいどうということでもない。向うの希望通り消してやった。

 Amazonの評価と言うのは、ネットで商売をするのには非常に気になるものなのだな、ということが改めて感じられた。

 メールに「このこと、忘れずに覚えておきます」と書き添えて返信してやった。気の毒なので、次に何かあったらこのショップで買ってやろう。

 なんせ、古本とは言え、比較的程度のいいものが無料で手に入ったわけだから。

さあ、もう、3ページ目からいきなり乱交パーティです。

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 これだからもう、この本もやめられないんだよなあ。

(ささ)やかな無駄遣い届く

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 Amazonでポチっておいた、年末の(ささ)やかな無駄遣い、計13巻届く。

IMG_3680
完訳 千一夜物語 全13巻

 若い頃に持っていたのだが、長女が生まれた頃に捨ててしまったのだ。もう一度買い直した。

 この岩波のものは「マルドリュス版」というらしく、フランス語からの重訳である。今はどうも廃版らしく、岩波では新しいものは出ていない。他に、ちくま文庫には「バートン版」「マルドリュス版」の2種類が出ているようだ。

 あのピチガイ大川周明翻訳のコーランを読むのも悪くないが、いかんせん、重い。少し楽しみを加えて、物語世界から回教の空気にどっぷり浸ることにする。

Amazonで散財

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 Amazon(密林)で8000円弱ほど散財。若い頃捨ててしまった本の再購入。いや、なんというか、人々が嫌いだしている回教へ、心を寄せたい、寄り添いたいんですよね。

オスマン帝国の版図

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 それで、トルコややこしくなってるよなあ、こりゃもう、アラブ~イスラム圏とかだってさー、そもそもサイクス・ピコ協定がさー、……などと知った風なことなどホザきつつ、そういや、オスマン帝国の一番デカかった時代って、どれくらいあったんだっけ、とか思って、当時のオスマン帝国の版図の画像をGoogle Earthにマッピングしてみたら、いやもう、……

赤いところがオスマン帝国の領土
オスマン帝国の領土

 ごめんなさいメフメトⅡ世様っ、てくらいデカいですね。ちょっとカスピ海のへんとかフランスの形とかがピッタリ合ってないですけど、投影図法が違うもんで、ピッタンコにゃ合わないんですよ。でも、地中海周囲の雰囲気はだいたい出てますわ。

 はあ~……。西はリビアとかエジプトのあたり、東ははるか湾岸のへんまで、北はグルジアやらウクライナのあたりからバルカン半島、クロアチアとかセルビアとか、あの辺まで、ぜ~んぶオスマン帝国だったんだなあ。

 これ、第1次大戦で、アラビアのロレンスとかが工作して、アラブの鎮め石みたいになってたオスマン帝国を倒してしまったもんで、もう、そっからアレなことになってしまったんだったよなあ……。

ほんっと、ややこしいのう

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 トルコとロシア。

・ 今々のここらへんのニュース

 ここであらためて、シリアのややこしさをすごく雑に書くと、

  •  アメリカはシリアの現アサド政権を倒したいから、反政府勢力を支援した。
  •  その中に、マズいことに「イスラム国」連中がいて、そいつらまで強くしてしまった。これは、昔アフガンの連中を支援して、タリバンを強くしちまって9.11につながったのと同じ図式。
  •  アメリカにとって、イスラム国はビミョーに敵なような味方なような、ややこしい事態。反政府勢力を支援しつつ、同じ反政府勢力のイスラム国を選択的にやっつけるなんざァ、どだい難しい話。
  •  ロシアは「アメリカが反シリア政権なら、じゃ、俺らは親シリア政権ね」って、真逆。つまり、シンプル~に「イスラム国」は敵。
  •  で、フランスはこの前のことで激怒して空母出したでしょ。
  •  そこへ、シリアの隣国トルコ。トルコはどっちかっつーと反アサド。そこへ今回のややこしい領空侵犯事態。

 こんなグチョグチョなことになって、それで、シリアもう何年も前からこんな惨状でしょう?

 で、さ。な~んにもしてないし、政府や国や外国なんてものにどうしてほしいわけでもない、普通の弱いオッサン・オバハン・子供たち、ぼろ雑巾みたいに扱われて踏みにじられてバタバタ死んでンだよなあ。

 思うに、日本の、意識の高ぁ~い、時事に詳しい人だって、そういう弱い一般人の痛み苦しみをどうしたいとか、あんまり言ってねえんだよな。これは左右どっちもそうなのよ。

 だからさ、そういうトコ、アメリカ人も反省しろ、って思うワケなのよ。だいたい、もともと話をややこしくしてる張本人って、アメリカなんだぜ?

祝いまつれ畏みまつれ13日の金曜日

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PHM04_0714 キリスト教が嫌いである。

 であるにもかかわらず、クリスマスにはクリスマスツリーを飾って子供にプレゼントをやるという、思えば私も変ちくりんな仏教徒である。

 さておき、昨日は13日の金曜日であった。ゴルゴダの丘に磔刑(たっけい)のあった日ということで、この日をキリスト教徒は忌み嫌うという。その嫌い方は、日本人が病院の病室番号や車のナンバーに「四」(死)や「九」(苦・柩)を嫌うのと同じくらいに縁起を担ぎ、いろいろな番号に「13」が入るのを避けるのだという。

 しかし、変じゃないか?

 キリストは磔刑にかけられて、確かに母や友の眼前で苦しみ死にしたが、それは人間・ナザレのイエスその人の災難であって、救世主(メシヤ・キリスト)の立場でなら、それは聖なる事象であるはずだ。磔刑あってこそ敬虔なる復活の聖蹟があったわけだし、石抱き十露盤(そろばん)とか獄門台などと同列の拷問道具である「十字架」は、今や陰惨な責め具の位置をはるかに遠く離れ、キリスト教の聖なるシンボルになってさえいるではないか。

 してみれば、キリスト教徒は13日の金曜日を花火を上げて祝ってもいいくらいで、むしろ祝祭日ではいか。なぜ聖人の聖人たるべき所以の日、神の神たるべき聖なる日を忌み嫌うのか。まったく、キリスト教徒ってやつは、意味がわからん。

 まあ、そのまた逆に、こうしてキリスト教が起こったからこそ、いまだにキリスト教徒はイスラム教徒と戦争で殺し合いを続けなければならず、もともとそんなことに無関係であった日本でさえもがそのお先棒を担ぎかかっている昨今の世相を考えれば、確かに、人類にとって不吉な日かもしれないが……。

 ちなみに、Wikipediaにはこれは俗説であると書かれている。

宰相と長門

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 このところ軍事に関して議論百出し、国会も紛糾しているようだ。議論に取り紛れてもう忘れられてしまっているが、先々週だったか、共産党の委員長がポツダム宣言に関して質問し、総理大臣の答えぶりが少々まずかったというので話題になった。

 「ポツダム宣言」は、日本の歴史に大きく関わる外交資料だ。古今未曾有のものと言ってよい。宰相たる者、自ら宰領せんとする国の重要史料の内容をわきまえていないとはどういうことだ、と、その無知をあげつらう人も多いようだ。

 しかし、戦争前後の出来事に関する知識の多寡(たか)が問題だと言うなら、まあ、戦後生まれの我々世代ごとき、片頬(かたほお)だに政治家を(わら)うことはできないだろう。

 戦後70年になんなんとし、もはや戦争の記憶は風化どころか消滅寸前である。それにつけ込んだ外患勢力が事実歪曲の歴史を創作して流布しようとし、これをまた無批判にうべなおうとしている人が大多数であるように見受けられる。この点、政治家も人々も、あるいは活動家も右翼も左翼も、はた、知識人であろうとバカだろうと、どいつもこいつも似たりよったりなのである。

 無論、かくいう私もまた、そうした衆愚の一人たるをまぬがれぬ。

 屈辱とは、こういうことを言うのだろう。

 カイロ、ポツダム、原爆、戦艦ミズーリ、……などと、最近のニュースをきっかけに考え出すと、とめどもなく思いが乱れ、胸をかきむしられるような物語が連鎖していく。

 共産党の書記長の発言にあったポツダム宣言をきっかけに、私がついそれからそれへと連想した戦艦ミズーリは、今も米国の記念史跡として永久保存が決定され、アメリカ合衆国の栄光と誇りのモニュメントとなってハワイで見学可能である。舷側にはいまだに日本の特攻機が突入した傷を残しているという。

 東京湾に停泊した戦艦ミズーリで、目眩のするようないいかげんな降伏調印──興奮したアメリカ人どもは、世紀の重大調印であるにもかかわらず、署名箇所を間違えていい加減な調印文書を作ってしまい、重光葵以下日本外交団の「このような瑕疵のある文書では、枢密院の審査が通らない」という懇願で渋々文書を作り直したという──が終わり、その後のミズーリ艦上では将兵に対し「誇りというものはこういうものだ。勝利というものはこういうものだ。それをもたらした諸兵らの尽力こそ、合衆国の宝といえるだろう」との訓示が行われたという。

 あまり強くはない将兵を国家挙げての戦略で勝利させ、しかしなお「この勝利は君たちの努力奮闘、勇気によって勝ち得られたものだ、ありがとう!」と褒めてみせる米国。それに対し、劣悪なエリート将校どもが精強純真な兵をこれでもかとぶん殴り、「キサマら徴兵など、一銭五厘のハガキ一枚でいくらでも集められるのだ」と侮辱し、拙劣極まる指揮の下の玉砕、正気とは思えぬ特攻を繰り返し、結局は戦略で敗れた日本。

 こんな対比は、想像するだけで、米国への嫉妬で気が狂いそうになる。

 その後ミズーリは、依然米国による世界戦略の重要欠くべからざる要素として居座り続け、驚くべし、湾岸戦争にいたるまで現役艦として威容を誇示し、ペルシャ湾岸にあってその巨砲弾をおもうさまイスラムの人々に撃ち込んだ。

 嫉妬と情けなさ、悲しさで気が狂いそうになるのはもちろんこうしたミズーリの腹の立つ正義っぷりもそうだが、対する日本の戦艦群がどうであったか、また後世、当の日本人たちが自らの過去をどう言っているかを思う時に耐えられぬところに達する。

 菊水特攻作戦の大和、フィリピン戦の武蔵もそうだが、これらはあまりに有名だから、多くをここでは触れまい。試みに「長門」のことを書いてみよう。

 戦艦長門は大和の前の聯合艦隊旗艦である。

 実は大和のほうは、戦後になって有名になったもので、戦前・戦中は条約違反のことなどもあってその建造や保有が秘密になっており、戦後までその艦名などはあまり知られておらず、単に「聯合艦隊旗艦」などという呼称が一般に流布していたので、この長門が太平洋戦争時の聯合艦隊旗艦であると思い込んでいた国民も多いという。

 およそ3万9千トンを超える排水量、41センチの巨砲を備え、全長は200メートルを超えていた。大正時代の初期に建造された戦艦である。無論、世界的な水準であったことは言うまでもない。当時の日本の技術力を懐疑する向きは多いが、冷静に考えると、航空や造船についていえば、現代よりも戦前のほうが日本の技術力は世界的なレベルにあった。

 この長門は、有力艦として極力温存されたため、終戦時まで稼働状態で残存した。

 私がミズーリと比べて悲しくなるのは、この後である。

 長門は、日本人の矜持粉砕のための見せしめ効果を狙ってか、昭和21年にも至ってから、原爆実験の標的艦となったのである。

 核実験場のビキニ環礁に引き出された長門であったが、日本人精神の、滅びゆく最後の鬼哭慟哭がこもったためだろうか。一発目の原爆「エイブル」をくらって艦体は大きく吹き飛ばされたものの、驚くべし、長門は沈まなかった。

 Wikipediaなどで長門の項目を見れば、巨大なきのこ雲の根本で耐え忍ぶ長門の写真が見られると思う。

 約20日後、二発目の原爆「ベイカー」の炸裂を浴びたが、なお長門は沈まなかった。

 しかし、損傷は大きく、その日、まる1日をかけて、ゆっくりゆっくりとビキニ環礁近くの海底に沈んでいったという。放射性物質まみれとなり、米国人の冷笑を満身に浴びつつ、さながら、一寸刻みに日本人の精神を絞め殺していくような具合に。

 その後、あまり知られていなかった大和のほうは、松本零士が日本人的懐古趣味、屈折した自己犠牲の美しさや詩情を「宇宙戦艦ヤマト」で表現することに成功したが、古い長門は日本人の矜持とともに、どこかへ忘れさせられたままである。