サイボクハム

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 埼玉県日高市にある「サイボクハム」というところへ家族で行った。高速を使えば、私の家からは遵法運転で1時間半ほどだ。私は民主党なんか嫌いだが、高速道路の安いのにはすっかりお世話になって恥ずかしくもない俗人だから、ありがたく高速で行く。

 「サイボク」とは埼玉と牧場の略であるらしい。看板やパンフには「埼玉種畜牧場」とある。豚肉を中心とした食肉加工業である。

 ハムやベーコンの直販と、米・野菜などの農産物の販売をやっている。激安と言うほどではないが、なかなか品質が良い。今はもう牧場は他所に移転したらしく、やっていないようだが、子供公園で3頭ばかり、豚が飼われていて愛嬌を撒いており、少し頭をなでてやるくらいのことはできる。大きな食堂ではかなりボリュームのある豚焼肉が食べられる。私のように、夫婦と小学生2人の4人家族なら、3人前でちょうど良い。また、広い敷地内にはパークゴルフ場や陶芸教室があり、多くの人が楽しんでいる。

 なにより、移転した牧場の跡に清潔な温泉場がある。昼飯を食べたりフロに入ったり買い物をしたりで、まず半日は楽しく過ごすことが出来る。

 サイボクハムから車で12~3分のところ、入間市内にアウトレットモールがある。つくりが以前に行ったことのある佐野市のに似ているから、同じ企業が運営しているのだろうか?そこに立ち寄り、ブランド品をひやかして帰った。

酒が旨いのも如何なものか

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 よく飲む。

 酒量を誇ってうれしい歳でもない。むしろ酒量を控えたり、「カミサンに酒を隠されちゃいましてね」などと言ってみたりするほうがチト滑稽なシブいめの自慢になるだろう。

 だが旨いものは仕方がない。

 こう虫の声が響くと、夜が長くなってくると、どうしようもないのだ。

 昔持っていた開高健の「シブい」というハードカバーの初版本には、「まれにウィスキーを冷蔵庫に冷やしておくと言う仁を見かけるが、あれは大変聡明なやりかただ」というようなことが書いてあったように記憶する。

 私も若かったから、当時それをそのままマネしたものだ。だが、あまり旨いと思わなかった。青二才だったから、水で薄くなったウィスキーじゃないとダメだったのだ。氷にぬるいウィスキーを注げば、氷が解けて中途半端な水割りみたいな味になる。そのほうが旨いと思っていたのだ。

 ひとりの頃は、分不相応に高い酒をマズい飲み方で飲むようなアホなことばかりしていた。味も分からぬクセに、恥ずかしい自分だったと思う。ワイルドターキーだのメーカーズマークだの、中曽根内閣からあと、税制が変わる前、1本1万円もするようなものを、怪しいスナックで不味い氷に注いでもらって、今思えば爆笑もののツラで呷っていた。

 今ドラえもんかSFか魔法か、なにか天変地異でもあって、当時の酒場に突如降り立つことが今の私に許されたなら、そして都合よく私の手にコルトかスミスアンドウェッソンでも握らせておいてもらえたなら、躊躇なく全装弾数を若い自分に撃ち込むだろう。

 自宅の冷蔵庫で冷えているのは、無論そんなエエカッコシイの酒ではない。近所の薬局兼スーパーで買いこんできたものだ。小遣いで買ったに決まってますよ、ええ。サントリーに決まってるでしょ、問うまでもなく。いや、普通角瓶か「富士」でしょ。・・・角瓶買うくらいの見栄はまだワタシにもありますよ。

 それにしても、なんでこんなに角瓶は旨いのだ。

ピアノの練習を始めて3年が経過した。

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 ピアノの練習を始めて3年が経過した。

 この時ちょうど40歳である。

 1年後にはバイエルを概ね8割ほど弾き終わっている。だが、ここからが長かったなあ・・・。

 2年後に最終曲、バイエル106番に取り掛かっている。その後、1ヶ月ほどかかってこの曲を弾き終わった。

 それにしても、その後1年間、新しく弾けた曲のなんと少ないこと。ちゃんと弾けたのは「トルコ行進曲(連弾用)」「半音階のポルカ」の2曲のみ、今弾きかけている「エリーゼのために」を入れても3曲だ。

 以前にもましてますます練習は強化しているのだが・・・。上達度がさながら対数関数状に頭打ちになっていく。

 だがそれでメゲる私ではない。

 時間が私に味方をする。私は時間を味方に付けることができるようになった。困難だったり出来なかったりしたら、時間をかけて何度でもやればよい。

 子供の頃や若い頃は、時間は私の敵だった。永遠の長さに思えるような時間が行く手に横たわっており、それはさながら、地平線の果てに吸い込まれて消える、北海道東部地方の道のように感じられた。歩き始める前に見ただけでため息が出てしまう。嫌なことや出来そうもないことを延々と我慢し続けることは、苦痛以外の何ものでもなかった。

 そんな時はとりあえず目標を無視して歩き始め、そして歩みをやめずに続ければいい。小さい頃から誰でもがウサギとカメのイソップ寓話を聞いて育っているはずだ。ところがどうしたものか、私の周りの大人たちは、やっと歩き始める決意がつきかけた私の前髪をぐいと引っ張り上げ、ムリヤリ目標を見せ付け、そして、「目標のない者などクズだ!」と叫んで、やっとこさつくかつかないかの私の決意の芽を粉砕してしまうのだった。

 今の私は、目標のない者がクズなら、歩き始めていない者はクズ未満、カスかウンコであることを理解している。時間を味方に付けたいなら、前を見ず、足元を良く見て、まず歩き始めてみることだと思っている。遠すぎる目標に嫌気が差すなら、目標なんか持たないことだ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.58

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 休暇が始まったばかりである。

 朝から「エリーゼ」の練習に励んだが、なかなか気に入った演奏はできない。今週は仕事で4日ほど家に帰らなかった。練習できなかったのは、そのたった4日ほどに過ぎないのだが、あっという間に練度が低下してしまう。

 朝からバイエルのおさらいをしつつ23回「エリーゼ」を弾いた。その20回目くらいのがコレ。

 ・・・う~ん・・・3回ほど前のエントリの演奏のほうが、ちょっとマシかなあ?・・・。

リアルな実体験

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 今年は盆休みがなく、巷間に謂う所の、去る「シルバーウィーク」──昔はこのシルバーウィークというのは、11月の連休のことだったように記憶するのだが──も、職場に泊り込みの仕事で、休めなかった。

 そのため、今日からしばらく休暇である。やっと休める。嬉しい。

 平日に玄関先をうろついて、近所の人に仕事をクビになったなどと思われないようにしなければならない。子供の学校があるので、どこかに遊びに行くと言うこともできず、長い休暇も無駄に過ごしてしまいそうだ。

 目下(めした)の独り者に、上のような、『子供の学校があるから、休みの間もなかなか行楽に出かけるというわけにもいかない』というような話のつながりで、子供のことや学校、世間の付き合いのことを何の気なしに喋ったら、すごく不愉快そうに「俺のほうがアンタなんかよりよっぽど広い世界と交流してますよ。趣味があるし、それこそ日本中に知り合いがいるんですよ。町内会程度の狭い付き合いで偉そうにされるなんて不愉快ですね」みたいなことを言われた。

 別にその男の世間が狭いなどとは言った覚えはないのだが、私の話し方に、なにか(うらや)めとでも言いたげな不愉快な調子が含まれていたのだろう。気をつけたいものだ。が、遠慮のない目下(めした)の者と喋るのに、こちらはそんな気遣いと遠慮を()いられるとは、まったく腹立たしい。

 しかし、ネット上の文字列や画像映像、メールアドレスの集合やなんやかやが、「日本中に友達がいる」ことになるなどと思っている者が本当にいるとは、思いもよらなんだ。しかも若者と言うわけではない、分別盛りの大人だ。

 分別盛りの大人のほうが、思い込みが激しいだけに、こういう間違いにはまり込むと逆に抜け出すことは難しいだろう。

 常々、リアルな実体験を積むことが不足している人が増えているように思えて気になっている。こういう人は、想像力が足りないように思う。想像力が足りない人は、よく事故に遭ったり、逆に事故を起こしたりして、人を死亡させたり、騒ぎを起こしたりすることが多いように感じられる。

 つまり、例えば、オートバイに乗るときにヘルメットをかぶらずに乗って、80キロものスピードを出す。こんなスピードで疾走して、仮にハンドル操作を数センチ間違えて転んだ場合、自分の頭蓋骨や肉体がどのようになるかを想像することは、私には難しくない。だが、現実世界でこういうことをする人は、どうもそういう想像力が欠落しているように思う。実はこの例は、私のオリジナルな考えではなく、いつかどこかで読んだものだ。

 私が上の例と推測を半歩進めて考えたのが、上述の「実体験量の不足」だ。

 これもどこかで読んだことだが、ある母親が健康そうな嬰児を小児科に連れてきて、医師にこう言ったそうだ。

「うちの赤ちゃんのおしっこは青くありません。どこか病気なのではないでしょうか」

 よく聞いて見ると、どうも紙おむつのコマーシャルの見過ぎらしい。紙おむつのテレビCMでは、最新テクノロジーを遺憾なく投入したその吸水力を誇示するにあたって、生々しくなるのを防ぐためにコップに入った青い水を製品に注ぎ、手で触ってさらりと乾いているのをアピールするというシーンがよくある。あのCMには、昔小学校のまわりでバイをしていた「かわき砂」を売る香具師の手際を思わせるものがあって、あれはあれでチト胡散臭いものだが、それはさておき。

 泣きじゃくり、ウンコを漏らして異臭を放ち、我儘放題に騒ぎまくるのがリアルな幼児なのだが、多分、そういうリアルな子供時代の実体験の量が少ないと、こういうことを言うようになるのではないだろうか。

 私にとっては、ネットやブログやコンピュータなど、自分の支えというか、リアルな実活動を支えるワキ役みたいなものに過ぎない。

 ・・・いや、どうも自分の言いたいことと文字列がずれてきた。

「難しいコンピュータやネットなど、私はなんの苦労もせず自分のために役立てているんですよ、ですから、こんなものは『ツール』です、『ツール』。わかる?佐藤さんみたいにコンピュータに奉仕しているような、コンピュータが実世界だと思っているような人物とはランクが違うんですよ、へっへっへ」

などと自慢するような人が私の周り、特に目上の者によくおり、そういう下らん人物に私はよくオタク扱いされる。

 私はこういう人種が嫌いだ。だから、本当は「コンピュータやネットなど、私にとってはツールに過ぎん」などということを私自身が言って、自分が嫌うものと同類になるのはいやなのだ。

 私がよくオタク扱いされるのは、多分、相手のコンプレックスを不快に刺激するような空気を私が身にまとっているからだろう。そりゃあ、大学出た人間が、私のような中卒のオッサンにニュートン法の数値解法をしたり顔で教えられれば、腹が立ってオタク扱いのひとつもしたくもなるかもしれない。

 筆に従えばなぜか話がずれる。元に戻すが、mixiなどが自分そのもの、その中の付き合いは本当の友情、などと思い込んでいる人種が、若者だけでなく、大人にまでじわりじわりと広がってきたのは嘆かわしく情けないことだ。こういうものは、リアルな実体験を確実に不足させる。

いいぞ、もっと言え!

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http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009092400018&rel=y&g=int

壇上で国連憲章放り投げ=常任理事国の拒否権批判-カダフィ大佐

 【ニューヨーク時事】リビアの最高指導者カダフィ大佐は23日、国連総会で初の一般討論演説に臨み、懐から取り出したポケット版の国連憲章を放り投げ、米英仏ロ中の安保理常任理事国に与えられている拒否権を痛烈に批判するパフォーマンスを見せた。

 カダフィ大佐は手にした憲章を読み上げ、加盟国は平等だと明記されているのに、常任理事国と「われわれは対等ではない」と指摘。「拒否権は憲章に反している。われわれは受け入れない」と述べ、「安保理は『テロ理事会』と呼ばれるべきだ」とこき下ろした。(2009/09/24-01:24)

 いいぞ、カダフィ!!往年のキレっぷり復活ッ!。もっと言え!!こいつは非道なヤツだが、根性がある。

 ついでに、私はアメリカ人、いや、白人が大嫌いだ!!

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.57

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 なんとか最低限、ミスタッチのない演奏までたどり着きたいと思い、日々練習するものの、なかなか難しい。今日は昨日ほどは気合いを入れず、弾いては休み、また弾いては読書、再び弾いては娘と外出、などと一日ダラダラ練習した。一番マシな演奏が、昼過ぎ頃に弾いたコレ。

 にじり進むような微細な進歩である。

 どうしても2~3箇所のミスタッチをなくすことができない。ミスタッチの多いところを楽譜につけて集中練習してみようとは思うものの、ミスするところは毎回バラバラで決まっておらず、いきおい全体を何度も弾くしかない。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.56

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 疲れていたから10時ごろまで寝坊して、ノソノソ起き出して、さあ、とばかり、25回、フルコースで「エリーゼのために」を弾いたが、録音を残すような成果はついに得られず。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.55

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 帰宅後、平日夜の練習の、4演奏目あたり。

 ミスタッチがあるが、平日の夜の練習の割にはマアマアだと思うので、残した。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.54

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 今日も今日とて、帰るなりせっせと練習に励んだが、録音するような成果は得られず。

 最近は、超スロースピードで一度通して弾き、普通のスピードでまた通して弾き、再び超スロースピードで弾く、というようなことを繰り返して練習してみている。

 超スロースピードで弾いたあとの普通のスピードでの演奏は、どうも間違いが少なくなるようだ。