読書

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻の最後、5書めの「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)を読み終わった。珍しく「THライナー」という日比谷線の座席指定券を買い、のんびりと座って帰宅する間に本文を読み終わり、帰宅してから解説を読み終わった。

 この書は猪・鹿・狸それぞれを狩猟する話や、これら三つの獣に関する逸話を集めたものである。実に多くの話が集められているが、ところが、その話の収集元は著者が生まれ育った愛知県長篠の「横山」というところの周囲数kmの中に限られる。狭い村落にこれほどの分量の獣にまつわる逸話があるというのは驚くべきことである。

 物理的な狩猟譚の他に、特に狸については狩って食べる話だけでなく、「化ける」「ばかす」話が多く収められており、明治時代でもそうした薄暗い地方伝承の中に多くの日本人は生きていたのだな、ということを再確認した。

 この書の著者早川孝太郎も柳田國男につながる人だそうで、本書は出版されるや芥川龍之介や島崎藤村、中国の文人・周作人などに激賞され、大正時代の末期の大ヒット作であったらしい。

言葉
山彙

 そのまま「(さん)()」と読んでよい。「()()」という言葉があるが、これは言葉の集合とでも言うような意味で、「彙」という言葉に「あつめる」「あつまる」という意味があることはここからもわかる。

  •  (漢字ペディア)

 したがって、「山彙」は「山の集まり」と解してよい。ただ、「山脈」「山系」とはやや異なり、個々の山々が一むれになっているようなものとしてのニュアンスがこの「山彙」という言葉にはある。

平凡社世界教養全集第21巻「猪・鹿・狸」より引用。
下線太字は佐藤俊夫による。p.484「解説」(鈴木棠三)より

いったい、この地方は、伝記で名高い鳳来(ほうらい)()の入り口にあたり、山としてはいわゆる()(やま)というに近い。しかし、この奥山つづきは神秘な伝承にみちた山彙であった。獣たちも、伝奇の光輪を身につけて、人里近く出没したのである。

 次は、同じく世界教養全集から、第22巻に進む。第22巻は「山行」(槇有恒著)「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)「山と渓谷」(田部重治著)「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(エドワード・ウィンパー Edward Whymper 著)の4書である。これは前21巻とは違い、題名を見ただけでどんな本かはわかる。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻のうち3書め、「北の人」(金田一京助著)、早朝の通勤往路の、秋葉原の駅構内で、歩きながら読み終わる。

 金田一京助と言うと、私などが子供の時分、国語辞典の編者に必ず名前が載っていたものだが、実は私は、この人がどんな業績を残した人かはよく知らなかった。

 本書は金田一京助が若い頃から没頭した「アイヌの研究」に関する思い出などを記した随筆である。

 この書のテーマなど知らないままに読みはじめたのだが、この書によって金田一京助の業績の大きなもののうちの一つがこの「アイヌ研究」であることを、本書によって知った次第である。

 本書は、さすがは国語辞典の編者の筆頭に挙がる言語学者がものしただけあって、精緻であるにも関わらず平明で読みやすい。

 私などには、この書から、金田一京助その人の、アイヌ民族への限りない愛と尊敬、(むし)ろ平服心酔すらしているらしいことが感じられるのだが、最近の器の小さい人々がこの書を読むと、何分、昔の書なので、差別用語であったり、素朴を笑うような部分があったりするので、そういう部分に嫌悪を覚え、差別的であると断ずるかもしれない。

 読書と昔の人の評価は、時代の影響を割り引いてしなければならない。端的に言えば、江戸時代に切腹や打ち首があったから江戸時代が残酷で野蛮であったということにはならぬし、戦後すぐあたりまで日本の野菜が「下肥(しもごえ)」で育てられていたからと言って日本が未開で()(わい)な野蛮国であったということにはならないのと同様である。

言葉
題簽

 「簽」という字は「便箋」の「箋」と同じ意味であり、読みも同じ「(せん)」である。「題簽(だいせん)」というのは本の表題などを記して貼り付けるものだ。

平凡社世界教養全集第21巻「北の人」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.215より

 たまたま題簽のお願いに柳田國男先生へ伺うと、それよりも「北の人」がよいではないかと、さっそく書いてくだすったのがすなわち本書の名となったのである。

囹圄

 「(れい)()」と読む。「囹」も「圄」も「(ろう)」の意味であり、囹圄は牢屋のことである。大和言葉では「ひとや」と言う。

p.269より

今のように日本語のよくできる者のなかった時代に、アイヌ部落を一身に背負って立ち、土地の官権を向こうに廻して、六年にわたる悪戦苦闘、ついに東京まで来て、大隈伯や西郷従道侯を動かして、首尾よく旭川土人の命、今の近文の給与地を安んじた偉功、そのためには最愛の妻の死にも帰らず、あまつさえ冤罪(えんざい)に問われて、囹圄(れいご)(うち)に囚われの悲壮な物語であった。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「東奥異聞」(佐々木()(ぜん)著)である。この書については、前3書と違い、この巻も4書目ともなってテーマに想像がつくし、何より、2書目の「山の人生」(柳田國男著)の中で何度か触れられているので薄々分かるのだ。

読書

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻のうち2書め、「山の人生」(柳田國男著)、早朝の往きの通勤電車の中、北千住と南千住の間のあたりで読み終わった。著者は前読書「海南小記」と同じ、日本民俗学の泰斗、柳田國男その人である。

 この書も一体何がテーマなのかわからないままに読みはじめたのだが、読んでみてなるほど、これは柳田國男一流の民俗学小論であることがわかった。すなわち、日本の各地に、誰某(だれそれ)が山に入って行って帰ってこなくなったとか、それが時折人前に姿を現すことがある、などの言い伝え、また或いは山男、山姥、(うぶ)()、巨人などの半ば神霊めいたものや神隠しなど、深山に対する畏敬が根底にあるとみられる伝承がある。これらは全国に様々な口碑などになって残っているが、うっすらとした輪郭に、なんとは言えない共通項の存在が感じられる。

 この書はそれらを概観しつつ、考察を加えるものだ。

 柳田國男は伝承や口碑を丹念に集積しつつ、ただ、しかし、結論めいたことはこの書ではあまりはっきりとは述べていず、後学の更なる継承を期待しているようである。

 この書で「サンカ」というものについて触れられている。サンカとは山中を住処とし、定住しない賎民のことである。この書以外の他の資料によると、柳田國男がこれについて取り上げたことによって山中に暮らす賎民の存在が認知され、昭和40年代頃には文学作品の題材などになり、一時はよく知られたものであったらしい。

 本書は、前書同様、文章に味わいがあって美しく、読みやすい。

言葉
香蕈

 「蕈」という字は音読みでは「シン」とか「タン」と読み、その意味は「きのこ」である。で、「香蕈」と書くと、「コウシン」か「コウタン」と読むのかな、と思いのほか、これは「重箱読み」の言葉で、「香蕈(こうたけ)」と読む。意味は「椎茸」のことであり、訓読みでそのまま「香蕈(しいたけ)」とも訓ませる。

  •  (モジナビ)
  •  香蕈(コトバンク)
平凡社世界教養全集第21巻「山の人生」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.198より

 四 文政中、高岡郡大野見郷島の川の山中にて、官より香蕈を作らせたもう時、雪の中に大なる足跡を見る、その跡左のみにて、一、二間を隔て、また右足跡ばかりの跡あり、これは一つ足と称し、常にあるものなり。

丘壟

 「(きゅう)(ろう)」と読み、丘の高いところというほどの意味である。「丘隴」という字遣いもあり、読みも意味も同じである。「壟」「隴」とも小高いところという意味の漢字だ。

p.198より

丘壟の上に腰かけて大海のハマグリを採って食ったと言い、足跡の長さ四十余歩、広さは二十余歩とある。

踰ゆる

 これで「()ゆる」と訓む。「踰」という漢字には「またぎこす」という意味がある。

  •  (モジナビ)
p.198より

播磨風土記の多可郡の条にも巨人が南海から北海に歩んだと伝えて、その踰ゆる迹処、かずかず沼を成すと記してある。

迹処

 「迹」は「あしあと」という意味の漢字であるが、読みは「セキ」とも「シャク」とも読む。

  •  (モジナビ)

 で、「迹処」であるが、この組み合わせの単語に調べ当たらない。「迹処(あしあと)」と訓んでも「迹処(せきしょ)」と読んでも、どちらでも可ではあるまいか、と思う。

p.198より。但し、前の「踰ゆる」の引用部分と同じである。

播磨風土記の多可郡の条にも巨人が南海から北海に歩んだと伝えて、その踰ゆる迹処、かずかず沼を成すと記してある。

天地剖柝

 「(てん)()剖柝(ぼうせき)」と読む。

 「剖」は「解剖(かいぼう)」という言葉があることからもわかる通り「わかつ」こと、「柝」は「析」の別書で、「分析」という言葉にある通り、これも「わかつ」意味である。したがって「天地を分かち、()し上げる」というのが「天地剖柝」の意味である。

 しかし、「剖柝」でネットのQAサイトの回答などは見当たるが、信頼に足る辞書サイトはもとより、私の手許の辞書や漢和辞典などでもこの単語には調べ当たらない。

p.199~200より

つまりは古くからの大話の一形式であるが、注意すべきことはことごとく水土の工事に関連し、所によっては山を蹴開き湖水を流し、耕地を作ってくれたなどと伝え、すこぶる天地剖柝の神話の面影を忍ばしむるものがある。

匡す

 これで「(ただ)す」と訓む。「(ただし)」という名前の人がいるが、その「(ただ)し」である。意味は「(ただ)す」と同じ意味だと思ってよい。わざわざこの「匡」の字を用いるのは、「正」に比べると「矯正」というような、無理にまっすぐにするような意味合いがあろうか。

  •  (モジナビ)
p.206より

導く人のやはりわが仲間であったことは、あるいは時代に相応せぬ鄙ぶりを匡しえない結果になったかしらぬが、その代りには懐かしいわれわれの大昔が、たいして小賢しい者の干渉を受けずに、ほぼうぶな形を以って今日までも続いてきた。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「北の人」で、著者は柳田國男と学系を同じくする金田一京助だ。これも、どういう内容か全く想像がつかない。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻、「海南小記」(柳田國男著)「山の人生」(柳田國男著)「北の人」(金田一京助著)「東奥異聞」(佐々木喜善著)「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)に取り掛かった。

 まずは「海南小記」(柳田國男)。職場で昼休みに読み終わった。

 この巻は一体何がテーマなのかわからないままに読みはじめたのだが、この「海南小記」のしみじみとした読み応えによって納得がいった。

 この書は日本民俗学の泰斗、柳田國男その人が、大正時代に九州から沖縄、先島諸島までを旅したときの記録である。ところが、紀行文としてまとまった紀年体になってはおらず、訪れた土地や島々での深い印象を、さながら印象記のようでありながら、ところが明晰かつ丹念な聞き取りの記録としてこれを(とど)めているものだ。

 日本人は大陸から来た、否、南洋から海伝いに来た、と、昔から議論は尽きない。今は遺伝子分析により相当な学術的探究がなされているが、この書が著わされた頃には、口碑や遺跡により推定するしかなかった。柳田國男は本書で、日本人大陸渡来説に真っ向から異を唱えることを控えつつ、様々な伝承や風俗の痕跡から、もしかすると日本人は南から海を渡ってきたのではあるまいかという提言を立てることに成功している。

 戦争で完全に破壊された沖縄には、この書にある古い古い日本は、もはやひとかけらも残っていない。その点で稀有にして貴重の書だと思う。

 本書は書かれた時期から言って全文旧仮名で書かれていたであろうことは疑いないが、この全集では仮名遣いを新かなづかいに直してあり、また文語体ではないので、昨日書かれたもののように読みやすいばかりではなく、文章に味わいがあって美しい。

言葉
盤崛

 音読みは「盤崛(ばんくつ)」には違いないと思うが、この漢字で辞書を引いても調べ当たらない。近い言葉に「盤屈」「蟠屈」があり、どちらも「ばんくつ」だが、意味は「曲がりくねること」である。ところが、この言葉が出てくる文脈は、

平凡社世界教養全集第21巻「海南小記」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.21より

 昔工藤犬房丸(いぬぼうまる)の子孫が遠く下って、この辺に盤崛しなかったら、すなわち酒谷(さかたに)盆地の歴史はないのである。

……というものであり、どうも「曲がりくねる」では意味が通らない。あるいは編集による誤植であろうか、ひょっとして、名文家柳田國男にして「蟠据(ばんきょ)」を誤ったか、いずれかであるような気がする。

劈く

 「(つんざ)く」と()む。私たちが知っている意味、「耳をつんざく」という例での「つんざく」である。

p.39より

護国の神今は何かあらんと、おおいに憤ってその神石を劈き、分かって四塊となしたという、石の長さ五尺ばかり、青色堅実なり、十文字に割れていると、遺老説伝などにはあるが、今見るところは二尺以内の灰色の石で、竪に二つに割れている。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「山の人生」で、著者は同じ柳田國男だ。これも、どういう内容か想像がつかない。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読む。第19巻の四つ目、最後は「悪魔の弁護人 The Devil’s Advocate」(J・G・フレーザー著、永橋卓介訳)である。休暇中の夕刻、自宅で読み終わった。

 著者フレーザー卿は江戸時代末期に生まれ、明治時代から戦前にかけて英国で活躍した学者である。英国社会人類学界の総帥と仰がれた大学者だ。特に民俗学に計り知れない影響を持った。

 本書は現代の社会制度の発展に及ぼした太古の迷信の影響を取り扱ったものだ。私には、表題を見ても初めは何の本だか分らなかった。世界教養全集のこの巻は、ほかの3書が考古学に関するものなのでこれも考古学なのかな、と思ったら違っていた。ただ、現在の未開の民族の風習から太古を推定し、そこから現代の社会制度の成り立ちについて考察するというものであるから、必ずしも考古学と無関係ではない。

 アフリカやアジア、太平洋・大西洋の島嶼、米大陸、オーストラリアなど、世界のあらゆる地域の未開民族にみられる迷信の類を、特に「政治」「所有権」「結婚」ないし「性的道徳」「人命尊重」の4つの観点から観察し、逆に現代人の社会を支えるこれら4つの要素の萌芽が、太古の迷信から生み出されたものに相違ないと喝破する。その例証として、世界各地の未開民族の奇怪にも感じられる様々な迷信が、これでもかというほどの徹底ぶりでいくつもいくつも並べられる。

 表題の「悪魔」とは、著者の側から見た「迷信」のことであり、「弁護人」というのは、太古の迷信が現代社会を形作るための基礎となっていることからこれを弁護するという意味である。(ちな)みに、著者は大学者であるが、若い頃に弁護士の資格を取っており、しかし開業せずに学問の道へ進んだ。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第19巻「悪魔の弁護人」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.446より

時代の進歩とともに、道徳はその立場を迷信の砂地から理性の岩盤に、想像から現実に、超自然から自然にと変えてゆくのである。国家は今日でも、死霊の信仰が崩壊したからといって、その平和的な人民の生命保護をやめはしない。国家は「生命の樹」をねらい寄る者を正義の炎の剣をもって防衛するために、老婆の昔話よりもいっそう適切な理由を発見したのである。

p.447より

迷信は民衆に、正しい行為に対する動機を――たしかに誤った動機ではあったが、それを提供した。誤った動機をもって正しい行為をなすことのほうが、最上の意図をもって誤った行為をなすことよりも、はるかに世界のためによいのはいうまでもない。社会の関心事は行為であって意見ではない。行為が正義にかない善でさえあれば、意見が誤っているくらいなことは、社会にとってはべつになにほどのこともないのである。

 上の2か所は本書のだいぶ後の方、既に世界各地の未開民族の奇習をこれでもかと大観詳察したあとに置かれた、結論に近い部分だ。世界の未開民族は、例えば「人命保護」のためには、「人を殺すと、その死霊に呪い殺される」「それを防ぐために、魔法の薬やまじないの祭りをする」などという迷信により、人を殺すことを防いでいる。それが、鬼神や悪霊が、時代に従って、次第次第に法律や刑罰に入れ替わっていったのだ、と著者は指摘する。現代でも、例えば我々日本人なら、小さい子が汚いものを口に入れようとしたり、他人に暴力をふるったりしたとき、「メッ。そんなことしたら、神様のバチがあたるよ」などと脅かすことがあるが、結局のところ、太古は小さい子ばかりではなく、大人までが「バチ」という迷信を信じていたのであり、それが悪事のブレーキになっていた。

言葉
鰥夫

 「鰥」という字はこれで「やもお」と訓み、これはつまり「(やもめ)」が女のそれを指すのに対する、男のそれである。それは2年前、本全集の第4巻、「生活の発見」(林語堂著)を読んだときに出て来ていた言葉である。

 しかし、その時、「やもお」という訓読みは調べてあったが、「寡婦(かふ)と鰥夫」という風に書いた時の音読みは調べていなかった。

 「鰥夫」で「やもお」と()んでも間違いではないが、音読みではこれは「(かん)()」である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.439より

 ブリティッシュ・コロンビアのリルウエト・インディアンで、寡婦と鰥夫のために規定せられているものもだいたい同様である。しかしそこでは、鰥夫は食事の時に奇妙なことをする。右足の膝を挙げ、右手をその右膝の下から通して、それでもって食べる。

 次も引き続き世界教養全集を読む。次は第20巻で、1書のみの収録だ。「魔法――その歴史と正体―― The History of Magic」(K・セリグマン Kurt Seligmann 著・平田寛訳)である。

 この全集は私が子供の頃生家の本棚に並べられていたものなので、他のいくつかについては子供の頃に読んでいる。もちろん、この巻の「魔法」という字(づら)はいかにも子供が飛びつきそうなもので、小学生であった私も時々この巻を開いた。読むと魔法の秘密を知ることができ、超能力が使えるようになるのではないか、などと思ったのだ。ところが、「燈火の歴史」や「技術のあけぼの」「微生物を追う人々」といった子供が読んで楽しいものとは違って、難解にして(かい)(じゅう)、とても小学生が1冊読み通せるものではなかったことを覚えている。

 さて、あれから五十数星霜、スイもアマイも嚙み分けた今の私がこの巻を開くわけだ。あらためてどんなことが書かれているのかを理解できるはずで、楽しみである。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の最後、「長安の春」(石田幹之助著)を朝の通勤電車の中で読み終わった。

 著者石田幹之助は歴史学者・東洋学者であるが、特に中国の唐代について詳しかったらしい。本書は唐代の文化について徹底的に語りつくすもので、美しく端正な文章で書かれている。作品集なのであるが、表題作の「長安の春」という随筆は、まるで見てきたかのように美しい長安の都を脳裏に展開させる。


言葉
侈る

 「(おご)る」と()む。「(しゃ)()」という言葉があり、「奢」のほうも「る」を送って「(おご)る」と訓むが、「侈」のほうも同じ意味であり、「(おご)る」と訓むわけである。いずれも「贅沢をする」意味である。

平凡社世界教養全集第18巻「長安の春」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.391より

文宗の頃も「暮春内殿牡丹の花を賞し」、皇帝が侍臣に「今京邑の人牡丹の花を伝う、誰か首出となす」と問われたことなどが伝わっている。豪の家々もまた侈りを尽くしてこの花を愛玩した。

 そのまま「()」の音読でよい。口先が黒く、体色が黄色い馬のことである。

  •  (漢字辞典オンライン)
p.407より

 南北朝以来、好んで詠まれた楽府「白鼻の」などにも、唐代に至っては句中に胡姫の登場を見ることが珍しくない。

洵に

 「(まこと)に」と訓む。「誠に」と同じと思ってよい。

ルビは佐藤俊夫による。p.426より

新たなる客が倍の資を(きょ)し、また、燭を継げばその価を倍にするという点に興味を覚えますが、肝心のなりなり、貨幣の単位の値打ちが私にはよくわかりませんので、洵に隔靴掻痒の感に堪えません。

 次は第19巻を読む。第19巻は欧米の考古学に関係する著作4編、「過去を掘る」(C・L・ウーリー著、平田寛訳)、「発掘物語」(D・マスターズ著、平田寛・大成莞爾訳)、「先史時代への情熱」(H・シュリーマン著、立川洋三訳)、「悪魔の弁護人」(J・G・フレーザー著、永橋卓介訳)からなる。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の三つ目、「敦煌物語」(松岡譲著)を朝の通勤往路、JR秋葉原駅の中央線ホームへ上るエスカレーターの上で読み終わった。

 はじめ、題名などから往古の史跡敦煌に関する論説かなにかなのかな、と思ったのだがさにあらず。読んでみると、敦煌遺物の、いわゆる「敦煌経」(『敦煌文献』とも)の流出をめぐる珍妙な物語である。Wikipediaなどで「敦煌文献」を探すと、当時の関係者がほとんどタダ同然の対価で貴重な敦煌文献を売買し、欧州や日本に拡散してしまったことが簡単に書かれているが、その事情に焦点を当てた小説なのである。道士(おう)(えん)(ろく)と、イギリスの学者オーレル・スタイン、フランスの学者ポール・ペリオ、日本の門徒立花らとの珍妙無類の駆け引きが迫真の筆致で描かれている。敦煌文献の流失散逸は歴史的事実であり、登場人物の王円籙やスタイン、ペリオは実在の人物、本書中では「立花」と名前を変えてはあるが、これは実在の日本の僧(たちばな)(ずい)(ちょう)をモデルにしている。だがしかし、本書の面白おかしい場面場面は作者の創作である。つまりこれは、事実を下敷きにした面白い創作小説である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「敦煌物語」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.358より

 「吉川さん、先年猊下のお供をしてインドを歩き、その時と今度とでシナ・トルキスタン一帯を歩いてみて、今から千何百年も前に、この世界の乾燥地帯を()(ほう)のために命がけで西に向かって渡られた法顕だの玄奘だのというもろもろの三蔵たちのご苦労がわかったが、それにも増して、西域の高僧たち、わけても()(じゅう)だの(じく)(ほう)()だの(どん)()(ざん)だのという方々が、伝道のため訳経のため、東に向かって尽くされた努力にも頭が下がりましたよ。じつに至るところに遺跡があるのですからね。ところがどうです、それが一朝にして回教徒のため根こそぎやられてしまって、やがて千年近くになろうとしている。今、中央アジアのどこを歩いてみたって満足の寺一つはおろか、おそらく完全な仏像一体でさえ、昔日のまま祀られていないんです。自然、念仏の一声だって聞かれやしません。それに引きかえ、回教はどうです。ほとんど全中央アジアを「コーランか剣か」によって征服し、至るところアラーの神がはびこっている。そうしてその宗教戦争で殉死した聖者たちの霊廟(マザール)が各地に散在して、今に香華絶ゆるひまもなく繁昌している。まったく仏教徒の意気地なさを思い悲憤やるかたないわけだが、ここで一つ僕たち考えておかなければならないのは、何故回教がこれら土民の信仰尊信をかち得ているかということだと思いますね。カシュガルでイギリス・ロシア両国が(しのぎ)を削って事ごとに勢力争いをして、一方は福音堂、一方は天主堂というわけで、それぞれ宗教の仮面のもとにそこを侵略基地として帝国主義の魔手を伸ばそうとしているし、ウルムチあたりへ来ては、まさにロシアの勢力が駸々(しんしん)()としてはいってきているのがハッキリ見えた。しかしそれにもかかわらず、新教でも旧教でも大国の背景をもちながらこの(ろう)()たる回教の勢力を如何ともすることができないじゃありませんか。今度の探検旅行の一つの使命は、猊下からこの回教勢力の実際を調査することを命じられたんですが、たしかに東亜将来の根本問題の一つはこの回教問題ですよ。猊下の先見の明にはただただ恐れ入るほかありませんが、吉川さん、これがカシュガルで猊下から頂戴したコーラン経です」

言葉
護照

 難しい漢字ではなく、読んで字の如く「()(しょう)」であるが、意味を知る人は少ないだろう。これは「パスポート」「旅券」のことである。この言葉は現在は中国でだけ使われ、特に「中国のパスポート」を指して言うこともあるようだ。

下線太字は佐藤俊夫による。p.268より

スタインは秘書の蒋孝琬に一足先に一(むち)当てさせて、中国製の紅色の名刺と護照とをもたせて衙門に急がせた。

熱時熱殺

 これも読んで字の如く「(ねつ)()(ねっ)(さつ)」であるが、意味はわかりにくい。これは禅語だそうで、

(かん)()(しゃ)()寒殺(かんさつ)し、(ねつ)()(しゃ)()熱殺(ねっさつ)す(碧巌録)

という一節からの引用らしい。要するに、暑いときに熱い茶を啜ればかえって涼しくなる、暑さを熱で制し、寒さを冷で制する、というような意味である。

p.374より

ところが、その胡姫の代りに、こういう禅月の羅漢めいた老人のサーヴィスじゃお気の毒のいたりですな。しかし理屈をつければ、こんな砂漠地帯の長話も熱時熱殺で、何らかの趣なきにしもあらずというところかもしれんが、ともかく一日中聞いていただいたのに、到来ものの白ブドウ一杯で追っ払っちゃ、こちらの冥利がつきる。

中村()(せつ)

 本書は美術収集家で自らも美術家である老人が、若い来客を相手に、敦煌経散逸流失の一部始終を語って聞かせるという形になっているが、解説によればその老人と言うのは、中村不折という明治~戦前の昭和にかけて活躍した書家をモデルにしたものらしい。

p.378、秋山光和による解説より

さらにこうした種々な主人公を活躍させる共通の舞台として、著者が作り出した語り手(ナレーター)中村不折氏と思われる老画家の扱いは見事である。

 引き続き第18巻を読む。今度は「長安の春」(石田幹之助著)である。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻の二つ目、「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を帰りの通勤電車の中、草加と新越谷の間の辺りで読み終わった。

 この書は司馬遷とその著書「史記」について徹底的に語るものである。が、しかし、その著述態度たるや、何が著者をしてかく著さしめたのかと推し量るに、それは司馬遷と「史記」への徹底的な愛、それも偏愛ともいうべき熱の如きものであると見てよいのではないか。私など、読んでいて史記や司馬遷の解説に納得するのではなく、(むし)ろ著者自身のことを心配してしまった。昔の本であり、著者は45年前に既に亡くなっているのだが、本書執筆時若かったであろう著者に、「そんなに熱中していると体を壊してしまうよ」と心配してやりたくなったのだ。そういう本である。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「史記の世界 ――司馬遷」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.183より

私は史記的世界の、「世家」並立状態について、瞑想にふける時、星体の運行する宇宙を想い浮かべることが多い。それはE・A・ポウの「ユリイカ」を連想するからであろう。「拡散」「放出」「活動様式」(modusoperandi)みな「ユリイカ」で使用されている言葉である。

p.191より

 陳渉については、誰でも知っている言葉がある。「燕雀、いずくんぞ、鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。」 若くして小作人となり、畠を耕しながら、仲間の百姓に向かって彼が言った一句である。

言葉
突兀

 「突兀(とっこつ)」と読む。「(こつ)」と言う字は「い」を送って「(たか)い」と()ませ、故に「突兀」とは高く(そび)え、抜きん出ていることを言う。

  •  突兀(コトバンク)
  •  (モジナビ)
下線太字は佐藤俊夫による。p.175より

「史記」全篇を通じて見ても、女が主体をなした章は、ほとんどない。しかるに、ここに突兀として「呂后本紀」がある。

 画数が多くて見(づら)いが、拡大すれば「讎」である。「(あだ)」と訓む。「仇」とだいたい同じと思ってよい。「復讐」の「讐」と言う字と構成物が大体同じであるところから、この意味が通じる。したがって送り仮名をつけて「(むく)いる」などとも訓む。

  •  (モジナビ)
ルビは佐藤俊夫による。p.182より

()()(しょ)(こう)()の臣となって楚地深く侵入し「平王の(かばね)(むちう)ち、以て父のを報いた」のは前述の通りである。

 引き続き第18巻を読む。今度は「敦煌物語」(松岡譲著)である。

読書

投稿日:

 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。第18巻、「黄河の水 中国小史」(鳥山喜一著)「史記の世界」(武田泰淳著)「敦煌物語」(松岡譲著)「長安の春」(石田幹之助著)を読みはじめた。

 一つ目の「黄河の水 中国小史」(鳥山喜一著)を()きの通勤電車の中、ちょうど通勤先の駅に着いたところで本編を読み終わり、職場についてから始業までのひと時で解説を読み終わった。

 前巻の「おらんだ正月――日本の科学者たち――」も少年向けに書かれたものであったが、この「黄河の水」も元々は少年向けに書かれたものだそうで、なるほど、読みやすく、面白い。大正末に出版され、戦前すでに50版を超し、戦後しばらくの間まで十数版もの改版を重ねたものだそうで、広く読まれたという。

 この書は中国の歴史を、夏王朝よりも前の時代、「三皇五帝」と言われる数千年前のところから語りはじめ、一気に共産党中国まで語りつくすというものだ。テンポよく一気に数千年を経る。興味深いエピソードや教養として知っておくべき有名な話も漏らさず押さえてあり、実に面白い読書であった。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第18巻「黄河の水 中国小史」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.29より

 始皇帝の次にはその末子の()(がい)というのが立って、二世皇帝となりました。この二世皇帝は、父に似もやらぬ愚かな性質で、天下を治める腕もなく、ただ自分の快楽ばかり考える人でした。皇帝は賢くなく、政をまかされた大臣等は、勝手なことをして、政をみだすということになったから、始皇帝のときには、その権力に恐れて、反抗したくも反抗のできなかった不平の民は、これを機会に方々でむほんをはじめました。その最初に事を起こしたのが(ちん)(しょう)という()(やとい)(にん)()。まあニコヨンですね。かれは人夫から兵卒となり一隊の長に出世しましたが、軍規にそむいて死刑になりそうになったので、どうせ殺されるなら一つ大きなことをして見ようと、(なか)()()(こう)と相談して、(しん)政府打倒の兵を挙げたのです。それで物の最初をはじめることを「陳呉となる」という熟語もできました。陳勝につづいた中でも最も有名なのが、(こう)()(りゅう)(ほう)です。

p.30より

 秦についてなお一言しておきたいことは、その名が中国をいう名称として、いまに至るまで世界中に広まっているという事実なのです。皆さんは西洋で、例えばイギリスでは中国のことを、チャイナ(China)ということをご存知でしょう。これは(しん)の名から起こったのです。というわけは、中国語で秦をチン(Chin)と発音します。これがインドに伝わって、チナ(Cina, China)となり、それに国の意味のインド語がつくとチニスターン(Chinistan)となりました。それがローマに入るとシネー(Sinae)となり、これからヨーロッパ諸国の中国をいう語になるので、チャイナなどもその一つ。大体これと同じ音のものです。またインドに巡礼に来た中国の僧侶はインドのこの語を聞いて、それを本国に逆輸入すると、その音を支那・脂那または震旦などの漢字であらわしました。秦は帝国としてたった十五年で亡びましたが、その名はこういうわけでいまもなお不滅に生きているのは、おもしろいではありませんか。

 それからついでに申しておきますと、前にいったように中華民国の名も、中華人民共和国というのも、もとは古い中華・中国の考えから来たものですが、その国名を西洋(ふう)にあらわすときには、決して中華の音をローマであらわさないで、ザ・チャイニーズ・リパブリック(The Chinese Republic)とか、ザ・リパブリック・オブ・ザ・チャイニーズ・ピープル(The Republic of the Chinese People)というように、このシナの名称を使っているのです。

 なお、解説を読んでみると、上の一節には著者・編集者の苦渋が見て取れる。戦前の本書の題は、「支那小史 黄河の水」だったのである。ところが、この平凡社世界教養全集に収められるにあたり、「支那」「シナ」という用語を努めて「中国」その他の用語に改めたのだという。この平凡社世界教養全集は昭和40年代の刊行であるが、その頃すでに中国を支那と呼ばないというような取り決めが、出版界では行われていたのである。

 しかしそれにしても、欧米ではそんなことを全く意に介せず「支那」を語源とする China を用い、また当の中国もまったくそれに異など唱えず、ところが日本で「支那」と書いた途端怒り出すというのは、改めて言うことでもなかろうけれども、変なことである。

p.71より

 学者には程顥(ていこう)(てい)()の兄弟が、儒学に新しい説を立てましたが、それを大成したのが、(しゅ)()(すなわち(しゅ)())であります。朱子は多くの著書を残しましたが、その学説は次の元・明・清に影響したばかりでなく、わが国にも朝鮮にもおよびました。徳川時代などは、漢学といえばすぐこの朱子の学問の別名と思う位でした。文章の名家も多くありましたが、詩文ともにすぐれたのは(おう)(よう)(しゅう)や蘇東坡(名は軾〔しょく〕)です。東坡の「赤壁(せきへき)()」はよく知られています(この人は衛生のことにも注意し、料理法にも通じていました。その発明したというものに、おいしい東坡肉〔とうばにく〕というのがあります。中華料理でご承知の方もありましょう)。

言葉
汴京

 地名であるが、この「汴」という字の読み方が難しい。これで「(べん)(けい)」と読む。宋の都である。「べんきょう」とも読むが、「べんけい」の方が一般的であるようだ。場所はここである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.69より

しかしこの戦争の間に、宋の弱いことを見ぬいた金は、その野心(たくま)逞しくして、宋をも併呑(へいどん)しようと、大兵を下して国都汴京を攻めおとし、徽宗とそれについだ欽宗や、皇后をはじめ、大臣以下の官吏や人民を捕虜とし、また宮中や国都の、目ぼしい財宝を(りゃく)(だつ)して、北に帰りました。

 引き続き第18巻から「史記の世界 ――司馬遷」(武田泰淳著)を読む。

読書

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第17巻の二つめ、「黒船前後」(服部()(そう)著)を往きの通勤電車の中、中央線秋葉原とお茶の水の間の辺りで読み終わった。

 著者の服部之総はだいぶ年季の入った共産主義者(アカ)学者だが、そんじょそこらのチャラチャラした主義者ではない。記録を見ると2回逮捕されて物相飯(モッソウめし)を喰らい、学界での地位を失っているが、それでもへこたれずに研究し、著作をものして学界に復帰している。しかしまあ、共産主義者のくせに大資本中の大資本、「花王」の重役や取締役をつとめたのは、冗談のようでもあってむしろ微笑ましくもある。

 本書は随筆で、その題の通り黒船の前後の時代について語る表題作の他、明治維新に関連するその他の作品10作の集成だ。その視野の広さと切り口や角度の独自性に、はなから圧倒されてしまう。表題作は黒船前後と題されてはいるが、黒船のそのもののことはほとんど語らない。私たちは日本国内から見た黒船の歴史は明治維新と関連付けてよく知るが、一方、ヨーロッパやアメリカから見て、なぜあの時期に黒船が来寇したのかという背景事情には無頓着である。本書は、そうした読者の虚を突くように、当時の欧州経済、大西洋を取り巻く事情などを、「造船技術の急速な進歩」を皮切りとして語りはじめる。

 文章は闊達でこなれた、読みやすい名文だと感じられ、藤井松一による解説にも文章家としての著者について特筆されている。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第17巻「黒船前後」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.238より
五 「和親」条約

 旧市場の拡張と新市場の獲得とが問題のいっさいだった産業資本主義発展期の当年にあって、かりそめにも、「和親」はするが貿易はお断りだといった種類の条約が、足かけ五年も続いたというのはどうしたことか! 結婚はあきらめましょう。兄妹としていつまでも愛してちょうだいなどという類のたわごとが、三十代の壮年資本主義国に適用するはずがない。

 ペルリとハリスことにハリスを、幕府がかたくなな処女のように貿易だけはというのを、脅したりすかしたりで結局ものにしたその道の名外交官扱いにするのはかってであるが、しかし「和親条約」はそれだけで立派な存在理由をもっていた。

「亜墨利加船、薪水、食糧、石炭、欠乏の品を、日本人にて調候丈は給候為、渡来の儀差許候」

――サンフランシスコと上海をつなぐうえに不可欠な Port of Call ――ことに石炭のための寄港地として、ヨコハマ浜が是が非でも当年のアメリカに必要だったのである。

言葉
Moods cashey

 短めの一編の表題がこの「Moods cashey」である。はじめ、この言葉が文中に現れたときには、何のことかすぐにはわからなかった。

 この作品の冒頭の一文は次のとおりだ。

p.254より

 How much dollar? を「ハ・マ・チ・ド・リ」と、居留地の人力車夫仲間で決めてしまう。こうしてできた実用英語がピジン・イングリッシュである。

同じく

 これにたいしてピジン・ジャパニーズとでもいうようなものが居留地の外人の間で生まれることも当然である。英語なまりで理解された日本語であり、実用国際語のヨコハマ版であり、欧米人の間で Yokohamaese またはヨコハマ・ジャパニーズと呼ばれたものである。進駐軍の兵士が Oh heigh yoh! と発音するたぐいである。

 「Moods cashey」はこの一編の最後に洒落た感じで書かれる。

下線太字は佐藤俊夫による。p.257より

 それにしてもこの文献が慶応三年以前のものでないことは、さきに述べたところから明らかである。してみると、横浜開港以来八年の歳月を経ており、ヨコハマ・ジャパニーズも、独自の風格をととのえたものとしなければならぬ。事実それは、ととのえている――

 Physician = Doctorsan
 Dentist = Hahdykesan
 Banker = Dora donnyson

 銀行家が「ドル旦那さん」はよいとして、海上保険検査員のことを、

 Serampan funney high kin donnyson にいたってはいう言葉がない。

 大使= Yakamash’sto
 兵士= Ah kye kimono sto

 大使は租界の絶対権者だから、やかましい人にちがいない。横浜のイギリス駐屯軍は赤い制服を着て「赤兵」と呼ばれていた。

 それにしても水兵の Dam your eye sto はどう解するべきであろうか? ずいぶん私は頭をひねってみるのだが、その解答は、単語欄に見出された左の言葉におちつくほかはないのである――

 Difficult = Moods cashey

矗々として

 「矗々(ちくちく)として」と読む。長くて真っ直ぐ、という意味である。

p.262より

雲浜の時代はまだ「討幕」を現前の綱領として出さなかったのに、彼が組織したこの圧力はすぐさまそれをあえてするまで、矗々として成長した。

壅蔽

 「壅蔽(ようへい)」と読む。覆い隠すことである。

p.270より

 非常時京都の警視総監として何よりも検索しなければならぬ「浪士」のなかに、松平容保は他のあらゆるものを――たとえば身分制度に対する、言語壅蔽に対する、外夷跳梁に対する、物価暴騰世路困難に対する彼らの不満を。またたとえば彼らの背後にあるときには「長州」を、後には「薩州」を――認識することができたが、ただ一つ、これらすべてを「歴史」の爆薬に転ずる一筋の黄色な導線にだけは最後まで気がつくことができなかった。

輦轂

 「輦轂(れんこく)」と読む。天皇の乗り物のことである。「輦」も「轂」もどちらも人が()く車のことであるが、「輦轂」と書くと貴人の乗り物全般の意が強くなり、輦台(れんだい)のような、人が担ぐものをも指す。

  •  輦轂(Weblio辞書)
  •  (漢字ペディア)
  •  (同じく)
p.271より

 「攘夷御一決のこの節、御改革仰出され候付ては、旧弊一新、人心協和候様これなく候ては相成らざる儀に候ところ、近来輦轂の下、私に殺害等の儀これあり、……

囂然

 「囂然(ごうぜん)」と読む。やかましいことである。「囂」は訓読みで「かま」と読むようで、コトバンクには「形容詞『かまし』の語幹か」と書かれている。

  •  囂然(goo辞書)
  •  (コトバンク)
p.272より

若御下向遊ばされ候ては天下囂然の節、虚に乗じ万一為謀計者も計り難く候。

 次は同じく17巻から、「蘭学事始」(杉田玄白著・緒方富雄訳)を読む。菊池寛の小説「蘭学事始」や、関連する吉村昭の小説「冬の鷹」は読んだことがあるが、はたしてこちらはどうだろう。

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