読書

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 躑躅(つつじ)がすべて散り、(はな)皐月(さつき)が盛りである。時疫(じえき)最中(さなか)ではあるが、時間は静謐(せいひつ)に過ぎていく。

 引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」を先ほど読み終わった。

 この巻収載の最後の作品は「菊と刀――日本文化の型」(R.ベネディクト(Ruth Benedict)著)であった。

 戦時中に研究が始められ、終戦近くから戦後すぐにかけての時期に出版された本である。著者のベネディクト博士は対日戦のために日本研究を米国政府から委嘱され、見事な手腕で研究を完成させ、戦争に寄与加担した。

 この書は終始一貫して冷ややかな目線で論理が進められていく。日本人に対する素朴な尊敬などはそこに感じられず、あまり愉快な読書とは言えなかった。また、分析されている日本人像は、日本人からすれば既に今は存在しない日本人の姿であって現在からは到底想像もつかず、かつまた、記憶に残る古き良き日本人でもなく、あるいは記憶に残っていてもよほど極端な例ではないかと思われたり、色々と違和感があった。

 例えば日本人特有の「恩」「義理」「恥」について「それは欧米にない思考原理や感情である」と論じているところなど、確かに戦前戦後一貫した歴史をそのまま歩み続けている欧米諸国にとってはハナっから恩や義理や恥なんてものは存在していないのかもしれないが、今や恩知らずの不義理人ばかりが幅を利かせ、廉恥(れんち)の心など一掬(いっきく)だに持ち合わせなくなり、欧米人の悪質な劣化コピー人種に過ぎなくなってしまった現在の日本人にはまったく当てはまらず、逆に、この「菊と刀」を元に往時の日本人をリアルに想像することは難しい。

 また、部分によってあまりにも赤裸々に事実を指摘するのであるが、その指摘の仕方が冷笑的であり、不愉快でもあった。更に不愉快なことは、戦後すぐに書かれた巻末近く、まるで予言のように現在の日本の姿を言い当てていることだ。それがズバリと当たっているだけに、ウンザリとしてしまう。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、「菊と刀」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.402より

また軍隊では家がらではなくて、本人の実力次第で誰でも一兵卒から士官の階級まで出世することができた。これほど徹底して実力主義が実現された分野はほかにはなかった。軍隊はこの点で日本人の間で非常な評判をえたが、明らかにそれだけのことはあったのである。それはたしかに、新しくできた軍隊のための一般民衆の支持をうる最良の手段であった。軍隊は多くの点において民主的地ならしの役目を果たした。また多くの点において真の国民軍であった。他の大多数の国々においては、軍隊というものは現状を守るための強い力として頼りにされるのであるが、日本では軍隊は小農階級に同情を寄せ、この同情が再三再四、軍隊をして大金融資本家や産業資本家たちに対する抗議に立たしめたのである。

 上のあたりは、五・一五事件や二・二六事件などを抽象的に指している。

p.407より

 中国語にも日本語にも、英語の`obligation'(義務)を意味するさまざまな言葉がある。これらの言葉は完全な同意語ではなく、それぞれの語がもっている特殊の意味はとうてい文字通り英語に翻訳できない。なぜなら、それらの語の表現している観念はわれわれには未知のものであるからである。大から小にいたるまで、ある人の負っている債務のすべてをいい表わす`Obligation’にあたる言葉は「オン」(恩)である。日本の習慣ではこの言葉は`Obligation’`loyalty'(忠誠)から`kindness'(親切)や`love'(愛)にいたる、種々さまざまの言葉に英訳されるが、これらの言葉はいずれも、もとの言葉の意味をゆがめている。もし「恩」がほんとうに愛、あるいは義務を意味するものであるとするならば、日本人は「子どもに対する恩」ということもできるはずであるが、そういう語法は不可能である。またそれは忠誠を意味するものでもない。日本語では忠誠はいくつかの別な言葉で表現されるし、それらの忠誠を意味する言葉はけっして「恩」と同意語ではない。「恩」にはいろいろな用法があるが、それらの用法の全部に通じる意味は、人ができるだけの力を出して背負う負担、債務、重荷である。人は目上の者から恩を受ける。そして目上、あるいはすくなくとも自分と同等であることの明らかな人以外の人から恩を受ける行為は、不愉快な劣等感を与える。日本人が「私は某に恩をきる」というのは、「私は某に対する義務の負担を負っている」という意味である。そして彼らはこの債権者、この恩恵供与者を、彼らの「恩人」と呼ぶ。

 上の部分は、むしろ逆に、「欧米には『恩』という概念がないんだ」と私に教えてくれた。道理で、欧米化が進むほどに恩知らずが増えるわけである。また、上のベネディクト博士の指摘は正しいようにも感じられるが、「恩」というものが義務とか債務とか言った嫌なものとしてとらえられており、「恩」にはそういう嫌な側面もありつつ、「恩」というものが持つ、もっとあたたかい、しみじみとした安らぎや信頼が言い当てられていないところが片手落ちであり、欠点であると思われた。

p.515より

 日本が平和国家としてたちなおるにあたって利用することのできる日本の真の強みは、ある行動方針について、「あれは失敗に終わった」といい、それから後は、別な方向にその努力を傾けることのできる能力の中に存している。日本の倫理は、あれか、しからずんばこれの倫理である。彼らは戦争によって「ふさわしい位置」をかちえようとした。そうして敗れた。いまや彼らはその方針を捨て去ることができる。それはこれまでに受けてきたいっさいの訓練が、彼らを可能な方向転換に応じうる人間につくりあげているからである。もっと絶対主義な倫理をもつ国民ならば、われわれは主義のために戦っているのだ、という信念がなければならない。勝者に降伏したときには、彼らは、「われわれの敗北とともに正義は失われた」という。そして彼らの自尊心は、彼らがつぎの機会にこの「正義」に勝利をえさしめるように努力することを要求する。でなければ、胸を打って自分の罪を懺悔する。日本人はこのどちらをもする必要を感じない。対日戦勝日の五日後、まだアメリカ軍が一兵も日本に上陸していなかった当時に、東京の有力新聞である「毎日新聞」は、敗戦と、敗戦がもたらす政治的変化を論じつつ、「しかしながら、それはすべて、日本の窮極の救いのために役だった」ということができた。この論説は、日本が完全に敗れたということを、片時も忘れてはならない、と強調した。日本をまったく武力だけにもとづいてきずきあげようとした努力が、完全な失敗に帰したのであるからして、今後日本人は平和国家としての道を歩まねばならない、というのである。いま一つの有力な東京新聞である「朝日」もまた、同じ週間に、日本の近年の「軍事力の過信」を、日本の国内政策ならびに国際政策における「重大な誤謬」とし、「うるところあまりに少なく、失うところあまりにも大であった旧来の態度を捨て、国際協調と平和愛好とに根ざした新たな態度を採用せねばならない」と論じた。

p.519より

 ヨーロッパ、もしくはアジアのいかなる国でも、今後十年間軍備を整えない国は、軍備を整える国々を凌駕する可能性がある。というのはそういう国は国富を、健全な、かつ富み栄える経済をきずきあげるために用いることができるからである。日本は、もしも軍国化ということをその予算の中に含めないとすれば、そして、もしその気があるならば、遠からずみずからの繁栄のための準備をすることができるようになる。そして東洋の通商において、必要欠くべからざる国となることができるであろう。その経済を平和の利益のうえに立脚せしめ、国民の生活水準を高めることができるであろう。そのような平和な国となった日本は、世界の国々の間において、名誉ある地位を獲得することができるであろう。そしてアメリカは、今後もひきつづきその勢力を利用して、そのような計画を支持するならば、大きな助けを与えることができるであろう。

 最初に書いた「現在の日本をズバリと言い当てている箇所」というのが上の部分と、それに引き続く、ここには引用しなかった一連の部分である。引用しなかった部分には、東西冷戦とそれへの日本のかかわり方への危惧が予言されている。ウンザリとしながらも、同時に、東西冷戦など始まる前に出された論文なのに多くは正しく将来の日本を言い当てており、その超能力者めいた的中っぷりにゾクッとする。

 否、むしろ、ベネディクト博士の提言に合わせてアメリカが対日政策を形作ったから、当然そうなったのだろうか。

言葉
夙夜

 これで「夙夜(しゅくや)」と()む。「朝から晩まで」、ひいては「常々(つねづね)」というような文脈で使う言葉である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.378より

大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ実ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕カ夙夜眷々措カサル所ナリ

警め

 「(いまし)め」と訓む。「戒め」と通用には書かれるようであるが、厳密には「戒」の用字だと「処罰する」意味合いが強く、「前もって注意しておく」意味に薄い。他方、「警め」は「警告」というような単語もあるところからも分かる通り、前もって注意しておく意味合いが強い。

p.460より、ルビは佐藤俊夫による。

「例(すくな)からぬものを深く(いまし)めでやはあるべき」

 次の読書は、引き続き同じ平凡社世界教養全集から、第8巻「論語物語/聖書物語」である。

読書

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 晩春となった。躑躅(つつじ)の盛りが過ぎ、そこここで花水木(はなみずき)が咲いている。間もなく立夏で、今は丁度(ちょうど)夏隣(なつどなり)だ。世界的な悪疫が流行中ではあるが、そのようなことなど知らぬげに季節はどんどん過ぎてゆく。

 引き続き約60年前の古書、平凡社世界教養全集を読み進めている。

 第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、四つ目の「ニッポン」(B.タウト著)を今朝の通勤電車の車内で読み終わった。

 通勤電車は疫禍(えきか)のため通勤客が少なく、さすがに()いていて、ゆっくり読書できる。

 「この折柄にゆっくり読書とは何事か」と叱られそうな気がするが、電車内で他にすることもないので仕方がない。「大きな損の後には小さな得がある」というのはたしかアメリカの俚諺(りげん)だっかどうだったか。ゆっくり読書できるというのも、小さな得と言えなくもない。

 さて、著者のタウトは知る人ぞ知る建築家である。戦前に来日し、桂離宮を見て感銘を受け、伊勢神宮をはじめとする日本の建築に芸術を見出し、これのみならず日本人をも激賞した。残念ながら日本での建築作品はないが、親日家として知られる。

 後の「桂離宮ブーム」は、タウトによって起こされたのだという説も根強い。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、「ニッポン」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.282より

 日本文化が全世界の諸国民に送ったところのものに、いささかでも理解をもつ人は、親しく伊勢に詣でねばならぬ。彼はそこに日本文化のもついっさいのすぐれた特性が、混然と融合して一つのみごとな結晶をなしているのを、――したがって単なる国民的聖地以上のものを見出すであろう。

 約言すれば、外宮をもつ伊勢は、およそ建築の聖祠である。

p.329より

 世界歴史のうちでも、日本の近世史はとりわけ異色がある。一八五七年の明治維新は、天皇を政治的にも国家の至高に戴き、それまで独裁的権力者であった将軍の支配権をくつがえした革新である。しかもこの転覆の真因が、日本の国土をヨーロッパの工業や戦争技術を摂取するために開放するところにあったことは、もっとも特異な点である。つまり日本は、ヨーロッパおよびアメリカの技術的進歩に対抗して、東洋の植民地化を避けようとしたのである。またこの大業は、日本の洗練せられた文化とこの島国に古来当然のこととして厳存する帰一思想との総体であるところの天皇の旗のもとに成就せられたがゆえに、特異なのである。これに反して、それまで政治的権力を掌握していた将軍は、この国が政治的独立を維持していくためには、必然的に没落せねばならなかった。つまり単なる独裁的権力の視野は、広義の政治的意味においてすらなお狭きにすぎ、結局、天皇派のいっそう広い視野に席を譲らざるをえなかったのである。天皇派は日本を愛するがゆえに、この国を世界全体の一部と見なすことができた。ところが、これは単なる権力者にとっては、まったく不可能なことであった。

 このようにして日本人はひかえめ、勤勉及び形の精緻などに関するきわめてすぐれた伝統をもって、ヨーロッパの技術の研究と移植とに努め、生来の高い技術的才能によって、短日月の間にヨーロッパの技術を摂取し、独立の発明家ないし研究家として世界の諸列強に伍するにいたった。今日の日本にひかえめ及び勤勉等の特性が卓越しているのも、また多数の近代的諸施設や大学あるいは研究所などが模範的活動を営んでいるのも、さらにまた鉄道や汽船および一般に交通機関の操作のごとき技術が先進諸国に比して多大の優越を示しているのも、所詮は伝統的にすぐれた日本精神の具現にほかならない。

 上の部分の褒めちぎりっぷり。現代に書かれたものではない、戦前に書かれたものだ。戦前の日本の交通機関も、今と同じように世界的水準に、すでにあったのだということがここから推察できる。

言葉
嗤笑

 「嗤う」も「笑う」も訓みはどちらも「わらう」であるが、「嗤」のほうの音読みは「シ」で、「嗤笑」と書いて「ししょう」と()む。「笑」に比べて、「嗤」という漢字には相手をバカにしてせせら笑っているニュアンスがある。つまり、「嗤笑(ししょう)をかう」というと笑われている方はだいぶ恥ずかしい笑われ方をされている、と言える。

下線太字は佐藤俊夫による。p.335より

一八ニ〇年ごろ、十二月党員が蜂起したときに、プーシキンの一団をめぐる若い貴族たちは、国民とくに農民への愛を表示するために、実用的でしかもよく似合うロシア農民の上衣をきて貴族階級を驚倒させ、同族のみならず家族の嗤笑をすらも買ったのである。

広袤

 広袤(こうぼう)と訓む。「広」は読んで字のごとく広さ、「(ぼう)」は長さのことで、「広さや長さ」のことを広袤という。さらに言うと、中国の用字では「広」とは東西の長さ、「袤」とは南北の長さなのだそうである。

p.343より

日本はその文化的発展全体からみて、広大な広袤を有する国ではなく、繊巧でこまやかな人間性をたたえた国土であるから、この種の建築物は、日本にとってとくに困難な課題にならざるをえない。

論攷

 「論攷(ろんこう)」と訓む。意味は「論考」と同じであるが、「攷」という字には「打つ、叩く」という意味がある。(おん)が「コウ」であるところから「考」にも通じて、非常にしっかりと考えを突き固め、極めるという意味があるのだ。

p.348、篠田英雄氏による「解説」より

 タウトには、来日以前にも、名著とうたわれた『現代建築』のほかに、十指に余る著作がある。しかし『日本建築の基礎』『日本の芸術』、彼の日記『日本』、また訳者が彼の代表的な論文と小品および日記の一部とを編集した『日本美術の再発見』や、さらにまた「日本をへた」彼の体系的建築論ともいうべき『建築論攷』および『建築芸術論』などの、日本に関する一連の著作をあわせると、量においても彼の旧来の著書全体に優に匹敵するであろう。

 次はR.ベネディクト(Ruth Benedict)の「菊と刀――日本文化の型」である。

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 引き続き約60年前の古書、平凡社世界教養全集を読み進めている。

 第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、三つ目の「日本その日その日」(E.S.モース著)を読み終わった。

 著者のモースは、私なども学校で「大森貝塚」とともに発見者としてその名前を習ったもので、大の新日家として知られる。

 素直な驚きと愛ある(まな)()しで維新間もない頃の日本を見ていて、本人自筆のスケッチを交えつつ克明にこれを記録しており、面白い。

 本巻最初の「秋の日本」(P.ロチ)のような、どこか(さげす)んだところのある筆致ではない。逆にまた、「東の国から」(L.ハーン)ほどの美しい(あきら)めと悲しみも込められてはいない。学者らしい冷静な所感集成だと思ったが、一方で日本への入れ込みっぷり、熱い「日本ファン」、もっと言えば「日本マニア」「日本オタク」のような(おもむき)の感じられるところもあり、そういう点では多少冷静を欠いていると言えなくもない。それは、下の「気に入った箇所」で挙げるところなどにも述べられている。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、「日本その日その日」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.265、藤川玄人氏の「解説」より

あるときのこと、本書の訳者の父にあたる石川千代松が、モースに向かって、日本にだって泥坊もいれば、行儀の悪い人もおりますのに……というようなことをいったところ、モースは、そうだろうとも、だが、それはみんな外国人が教えたことだ……といった、という逸話が残っているが、この話などは、モースを伝えて躍如たるものがあるといえよう。

言葉

 これで「(たるき)」と()む。意味は「垂木(たるき)」と同じである。屋根組みなどに使う角材と思えばよい。

p.197より。下線太字は佐藤俊夫による。

一端を臼石の中心の真上の(たるき)に結びつけた棒が上からきていて、その下端は臼の端についている。

 これで「(のき)」と訓む。また「(ひさし)」とも訓み、音読みでは「エン・タン」である。意味は勿論、「(のき)」「(ひさし)」と同じである。

p.200より

(のき)から出ているのはハナショウブの小枝三本ずつで、五月五日の男子の祭礼日にさしこんだもの。

(魚へんに荒)

 おそらくはUnicode IVS依存で、多くの環境でこの部分はうまく表示されないだろう。「魚へんに荒」という字を表示させている。これで「(あら)」と訓む。そのままの訓みだ。

p.209より。ルビは佐藤俊夫による。

江ノ島は漁村であるが、漁夫たちは掃除をするときに注意ぶかく(あら)を全部運び去り、そしてこれを毎日行う。

 ここでは、「アラ」という鍋物などによい魚の一種のことではなく、魚の(さば)(くず)のアラのことを言っている。

堅果の虫癭(ちゅうえい)

 「虫癭(ちゅうえい)」というのは「虫こぶ」のことである。……と言っても、なにがなんだかわからないと思う。

 街路樹などでも、木の幹がところどころ(こぶ)を結んででこぼこになっているのを見かけることがある。樹木の種類にもよるが、これは樹木に虫食いが生じたとき、その樹木は防衛のため、自らの樹液のタンニンを集めてその部分へ送り込み、じわじわと虫を殺すのだ。虫は死んで溶け去ってしまい、その瘤の部分からは黒くなった樹液が取れる。

 この黒液は非常に染色作用が強く、欧米ではこれをインクに用い、そのインクのことを「虫こぶインク」とも言うのである。

p.248より

その一つは粉状で灰に似ている堅果の虫癭(ちゅうえい)を入れた箱で、他には鉄の溶液を含む液体が入っている。

 ここでは、日本の既婚婦人が「鉄漿(おはぐろ)」を使う様子をモースが物珍しく見物し描写している。

 次はB.タウト(Bruno Taut)の「ニッポン」である。

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 約60年前の古書、平凡社世界教養全集を読み進めつつある。第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」を読み始め、最初の「秋の日本」を読み終わった。

 著者のピエール・ロチは、明治時代に何度か日本を訪れたことのあるフランスの海軍大佐で、小説家としても高名であり、数多くの作品がある。職業柄世界各地を歴訪しており、日本に題材をとったものもいくつかある。

言葉

 「(ひかがみ)」と()む。これは、膝の裏側の(くぼ)んだ所のことである。

  •  (コトバンク)
平凡社世界教養全集第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、「秋の日本」から引用。
下線太字は佐藤俊夫による。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.39より

彼らはマカックザルのような手つきで、どんなにその筋肉が堅いかを私たちに嘆賞させようと(ひかがみ)をピタピタたたいている。

泰西

 「泰西」とはヨーロッパのことであるが、これは「極東」に対して「泰西」と言うものだ。「『東』に対する『西』」は解るが、「『極』に対する『泰』」とは一体何か。

 北極星のことを「極北」と言い、ものごとがいきつくところまで行きついた状況を表す時に使う。他方、中国の名山「泰山」や、名星「北斗七星」のことを「泰斗」と言う。これは極北の逆の、ものごとの正反対の到達点を表す時にも使い、一組で「極北、泰斗」等と言うのである。

 ここから、「極」「泰」と言う言葉の組が現れ、「極東」「泰西」という表現が生まれても来るわけである。

p.83より

人工的な方法で大きく仕立てられた秋の花の咲き乱れているあたりの、ひっそりした空中には、我が泰西音楽の最も特異な夢がただよっている。

二重回し

 「インバネスコート」のことで、シャーロック・ホームズが着ているようなアレだ。

 日本では戦前、あるいは古い向きは今でも、和服の上に羽織るコートとして用いられている。

p.98より

そこには電車や、電鈴や、シルクハットや、二重回しなどまでが見られる。

 引き続き第7巻を読む。次はラフカディオ・ハーン小泉八雲の「東の国から」である。

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  60年前の古書、平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳禮讃/無常といふ事/茶の本」のうち、谷崎潤一郎の「陰翳禮讃(いんえいらいさん)」を朝の通勤電車内で読み終わる。

 ひとつ前の収録作品「大和古寺風物誌」も非常によく私の体質に合い、読んで楽しかったが、こちらも非常に楽しかった。大和古寺風物誌は純粋な古寺古佛への信仰と美への讃仰(さんぎょう)、そして抒情に溢れた真面目な随筆であったが、この「陰翳禮讃(いんえいらいさん)」には少し砕けた、ふざけたところやユーモアが感じられ、さすがは小説家谷崎潤一郎、と思った次第である。評論家は正しい文章を書くが、小説家は楽しい文章を書くのだ。正しさは二の次であるに違いない。

 収録は標記の「陰翳禮讃」の他、「現代口語文の缺點(けってん)について」「半袖ものがたり」「厠のいろ〳〵」「旅のいろ〳〵」「顔のいろ〳〵」「所謂痴呆の藝術について」「雪」の計8作品が収められている。

 非常に多くのボリュームを割いて、昔の日本式便所への懐古と愛着を再度にわたって述べているところなど、それこそ読んでいて昔の旧家の厠のほのかな臭いまで漂ってきそうで、おもわずクスリと笑ってしまった。

気に入った箇所

 本作品には「われわれ」「いろいろ」といった言葉に、かつてよくあった「くの字点」の使用が多い。「くの字点」とは、縦組み活字に見られる次のような「繰り返し記号」のことである。

旅のいろ〳〵

あるいは、

顔のいろ〳〵

 縦組みだと上のようにそれほど違和感はないのだが、横組みにすると「旅のいろ〳〵」「顔のいろ〳〵」となり、どうにも収まりが悪い。しかし、原文にできるだけ忠実に写すため、やむを得ず以下の如くとなった。

平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」のうち、「陰翳禮讃」から引用。
一部のルビを佐藤俊夫が補った。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.313より

水洗式の場合は、自分で自分の落したものを厭でもハツキリ見ることになる。殊に西洋式の腰掛でなく、跨ぐやうにした日本式のでは、水を流すまでは直ぐ臀の下にとぐろを卷いてゐるのである。これは不消化物を食べた時など容易に發見することが出來て、保健の目的には叶ふけれども、考へて見れば不作法な話で、少くとも雲鬢花顔(うんびんかがん)の東洋式美人などには、かう云ふ便所へ這入つて貰ひたくない。やんごとない上臈などゝ云ふものは、自分のおゐどから出るものがどんな形をしてゐるか知らない方がよく、譃でも知らない振りをしてゐて貰ひたい。

p.314より

料理屋やお茶屋などで、臭氣止めに丁子を焚いてゐる家があるが、矢張厠は在來の樟腦かナフタリンを使つて厠らしい上品な匂をさせる程度に止め、あまり好い薰りのする香料を用ひない方がよい。でないと、白檀が花柳病の藥に用ひられてから一向有難味がなくなつたやうになるからである。丁子と云へば昔はなまめかしい連想を伴ふ香料であつたのに、そいつに厠の連想が結び着いてはおしまひである。丁子風呂などゝ云つたつて、誰も漬かる奴がなくなつてしまふ。私は丁子の香を愛するが故に、特に忠告する次第である。

 長谷川如是閑の文章の引用が出てきた。この巻の最初の収録作品は長谷川如是閑の「日本的性格」であった。

p.331より

「西洋人の顔にはどこか人間以外の(けだもの)臭い感じがある、眞に人間の顔らしい顔をしてゐるのは中國人である」――もとの言葉はわすれましたけれども、嘗てさう云ふ意味のことを長谷川如是閑さんが仰つしやつたことがございました。随分古いことで、ずうつと昔朝日新聞記者時代にお出しになつた「倫敦」と申す著書の中にあつたのではないかと存じますが、あれはまことに名言だと存じましたので、今以て時々思ひ出すことがございますので、何かの機會にもう何囘となく引用させていたゞいたことがございました。
昔は黄色人種の方が世界文明の中心であつた時代もあるやうに承つてをりますが、そのせゐかどうか中國人は勿論のことゝいたしまして、縁に繋がるわれ〳〵日本人たちも、少くとも容貌姿態の點に於て白人に劣つてゐるとは思へませんな。

p.346より

この間或る亞米利加の進駐軍の將校が、何の芝居であつたか歌舞伎の切腹の場面を見て、腹を切つてからあんなに長い間ものを云つてゐるのは可笑しい、と云つたと云ふ話を聞いたが、われ〳〵も幼年の頃、父母につれられて初めて舊劇を見た時分には等しく此のことを異様に感じたものであつた。たゞわれ〳〵はその後たび〳〵さう云ふ場面を、明治以來數々の名優の名演技に依つて繰返し見せられてゐるうちに、次第に歌舞伎とはさう云ふものだと思ひ込ませられ、それを訝しむ神經が麻痺してしまつたので、今日六代目の勘平などを見れば、訝しむどころか大いに感激するのであるが、たま〳〵外國人がさう云ふ感想を洩らすのを聞けば尤も至極に思ふばかりでなく、あの不自然さに氣がつかないで感心して見てゐるわれ〳〵日本人を、外人たちはどう思ふであらうかと、耻しくさへなるのである。

p.355より(地唄『雪』の引用)

花も雪もはらへば淸き袂かな、ほんにむかしのことよ、わが待つ人もわれを待ちけん、鴛鴦(をし)雄鳥(をとり)にもの思ひ()の、凍る(ふすま)に鳴く音はさぞな、さなきだに、心も遠き夜半の金、きくもさびしきひとり寢の、枕にひゞくあられのおとも、もしやといつそせきかねて、おつる涙のつらゝより、つらき命は惜しからねども、戀しき人は罪ふかく、思はぬ、ことの悲しさに、捨てた憂き、捨てた浮世の山かづら

p.356より

「この曲の合の手は一般の三味線に於いて雪とか冬とかを現はす場合必ず用ひられることになつてゐて、義太夫、江戸唄、江戸浄瑠璃の各流までこの手が取り入れられ、芝居や寄席曲藝手品の囃子に至るまで雪の手を使つて雪や冬の氣分を生かしてゐる」

p.356より

近代の人はとかく頭が論理的になつてゐるので、かういふ風な章句と章句とのあひだに幾分の間隔やズレのあるやうな詞章は作りにくく、どうしても理詰めなものになり易いのでそれだけ味のうすいものが出來てしまふ。

p.369より(地唄『殘月』の引用)

前びき磯邊の松に葉がくれて、沖の方へと入る月の、光や夢の世を早う、さめて眞如の明けき月の都にすむやらん手事五段今は()てだにおぼろ夜の、月日ばかりはめぐり來て

p.363より

私が特に聞きたいと思ふやうな曲は大概發賣されてゐない。

p.363より

私の妻はショパンの夜想曲の盤を懸けてはひとり涙を流してゐたが、私は「雪」を聞きながら又と歸らぬ日のことを思ひ、嵯峨や東山あたりの風物を空想しては時間を消した。

言葉
啻に

 これは、第4巻のうち、阿部次郎の「三太郎の日記 第一」を読んだときにも出てきた字で、これで「(ただ)に」と()む。

下線太字は佐藤俊夫による。
p.268より

私は前に、蒔繪と云ふものは暗い所で見て貰ふやうに作られてゐることを云つたが、かうしてみると、啻に蒔繪ばかりではない、織物などでも昔のものに金銀の糸がふんだんに使つてあるのは、同じ理由に基づくことが知れる。

罩める

 これで「()める」と訓む。「込める」と同じであるが、「込」には入り込む、集まる、というような意味があるのに対し、「罩」には鳥籠の「籠」と似たような、「かご」だとか、「入れ包む」というような意味がある。

p.269より

そして彼の手を見ながら、しば〳〵膝の上に置いた自分の手を省みた。そして彼の手がそんなにも美しく見えるのは、手頸から指先に至る微妙な(てのひら)の動かし方、獨特の技巧を罩めた指のさばきにも因るのであらうが、それにしても、その皮膚の色の、内部からぽうつと明りが射してゐるやうな光澤は、何處から來るのかと訝しみに打たれた。

孰方

 「孰方(どちら)」と訓む。古い書き方である。

p.278より

お月見の場合なんかはまあ孰方でもいゝけれども、待合、料理屋、旅館、ホテルなどが、一體に電燈を浪費し過ぎる。

翠巒

 「翠巒(すいらん)」である。「緑の山々」のことだ。「巒」という字は長くつながる山の峰々のことを言う。

p.278より

彼處は北向きの高臺に據つてゐて、比叡山や如意ケ嶽や黑谷の塔や森や東山一帶の翠巒を一眸のうちに集め、見るからすが〳〵しい氣持のする眺めであるが、それだけになほ惜しい。

邊陬

 また見たことも聞いたこともない言葉である。これは「邊陬(へんすう)」である。辺鄙(へんぴ)な片田舎のことだ。

p.284より

今でもよく、たとえば琉球とか、青森とか、邊陬の地から都會へ出て來る人たちは、教育のある者であればある程、「であります口調」や新聞雑誌の文體に近い口語體で、切り口上で物を云ふのはしば〳〵見受けるところである。

 見たこともない漢字で、IMEでは出すこともできなかった。これは音読みは「キョウ」だが、訓読みは「つえ」と訓む。

p.290より

……なほ西の國の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葦がちる難波を經て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行く行く讃岐の眞尾坂の林と云ふにしばらくを停む。……

ジニアス

 「genius」は「天才」だが、文脈では「雰囲気や特性、風潮、精神」というような意味で使用している。

p.295より

もと〳〵西洋と日本では言葉のジニアスが違ふのであるから、模倣したところで程度は知れたものである。

漁史

 「漁史(ぎょし)」は敬称で、雅号や文名につけるものだそうである。

 ところが、この「陰翳禮讃」でも「鷗外漁史」と、森鴎外を指してこの語を使っているが、各辞書類の例文なども、ほとんどが「鷗外漁史」を例として挙げており、どうも、森鷗外の他に使うところはないような感じである。

 「漁」には「あさる」の意、「史」には「ふびと」すなわち文筆家の意味がある。文筆に徹底する人、とでもいう意味となろうか。

p.295より

もしわれわれが西洋物を譯するのに直譯體に依らないで純然たる日本風の表現法を取るとしたら、むしろ原文より短((ママ))いくらゐになることは、鷗外漁史の「即興詩人」などを見ても分る。

吝む

 「(おし)む」である。「吝嗇(りんしょく)」と書いて「吝嗇(ケチ)」という訓み方もあるところからわかる通り、ケチることだ。

p.299より

久保田氏の方はそれと反對に、出來るだけ言葉を愼しみ、云はないで濟むことは成るたけ云はないやうにして、守錢奴が錢を吝むやうに一語一語を惜しみつゝ暗示的に使つてゐる。

垂んとする

 「タれんとする」ではない。これで「(なんな)んとする」と訓む。「なんなんとする」というのは音便で変化した言葉で、「なるなんとする」と同じ意味、つまり「まさしくそうなろうとする」というほどの意味になろうか。これに「垂」の字をあてるのは、「垂」には大地の果ての意があるというから、果てしないところにまさしく届こうとする、というような意味から転じてきたものであろうか。

p.315より

爾來二十有餘年に(なんな)んとするけれども、まだ此の英語は實地に應用する機會がない。

寔に

 「()に」である。「実に」と書いても、「じつに」「げに」の両方で訓めるが、「げに」と訓ませたいときは「じつに」との混同を避けるため、この「寔に」を書くべきではあろう。

 この字も、このブログでは、以前読んだ阿部次郎の「三太郎の日記 第一」の読書記録に出てきている。

p.316より

これは寔に矛盾した話で、たまたま泊りあはせた宿が大そう居心地がよかつたり……

慥に

 「(たしか)に」である。「慥」という字にはあわただしいとか急ごしらえとかいう意味があるが、日本に限って、「確実な」という意味があるのだという。

p.324より

成る程、大阪人は此の點に於いて東京人よりも慥にだらしがない。

苟くも

 「(いやし)くも」である。「(いやしく)も」と、「く」を送ったり送らなかったりするが、これは文脈によるだろう。

 「卑しくも」とはまるで意味が異なることは言わずもがなで、「苟」の字には「かりそめ」との訓みがあり、そこから「かりにも」「かりそめにも」といった意味合い、「いやしくも教師たるもの」というような、身分や地位にふさわしい規範が求められるような表現に使うものだ。

p.330より

苟も接客業者たるものはそのくらゐな用意があつて然るべきではないであらうか。

合邦

 読んで字のごとく、国が合併することであるが、ここでは義太夫節の「摂州(せっしゅう)合邦(がっぽうが)(つじ)」のことであるようだ。略して「合邦」というのだそうである。

 Youtubeあたりで演奏が見られないかと探してみたが、どうも見当たらないようだ。

 摂州合邦辻は歌舞伎の演目にもあり、中国のサイトで昭和31年に中村時蔵・芝雀によって演じられたもののモノクロ動画があることはある。歌舞伎の音曲(おんぎょく)方には、「竹本連中」などと称して出演する義太夫節の人たちは勿論のこと、長唄、常磐津、清元の人たちも錚々(そうそう)たる顔ぶれで出演する。とまれ、歌舞伎の動画を見ると、それでだいたい義太夫節「合邦」の雰囲気はわかる。

p.342より

全體的に見て合邦と云ふ義太夫がいかに馬鹿々々しいものであるかは、多分此れを聞いたことのある人は誰でも氣が付いてゐる筈であるが、しかし所謂痴呆の藝術のうちでも此れなぞは最も典型的なものであるから、今試みにその馬鹿々々しさの二三を指摘して見よう。

 それにしても、なんと散々な評し方であること。

読書

投稿日:

 60年前の古書、平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳禮讃/無常といふ事/茶の本」のうち、二つ目の収録作、亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」を帰りの通勤電車内で読み終わる。

 この全集のほんの入り口、第6巻途中まで読み進んだうちでは、私の心に一番ぴったり来る評論であったように思う。

 解説が、私などが子供の頃、「奈良の面白いお坊さん」として有名であった高田好胤氏であるというのも面白く、またなお、その解説に落涙切々たるものがあるのも面白い。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」のうち、「大和古寺風物誌」から引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.149より

 空襲が激化し、朝に夕にわが都市が崩壊していった頃、奈良も所詮はこの運命を免れまいと僕は観念していた。夢殿や法隆寺や多くの古寺が、爆撃のもとにたちまち灰燼と帰す日は間近いと思われた。戦いの終わった後、その廃墟に立ち、わずかに残った礎の上にいかなる涙を注ぐであろうか。そういう日に、何に拠って悲しみに堪えようか。自分の悲歌の調べを予想し、心の中であれこれと思いめぐらしてさえいたのであった。国宝級の仏像の疎開は久しい以前から識者の間に要望されていた。東大寺や薬師寺の本尊のごとき大仏は動かしえぬにしても、救世観音や百済観音等は疎開可能であろう。しかし僕は仏像の疎開には反対を表明した。災難がふりかかってくるからといって疎開するような仏さまが古来あったろうか。災厄に殉じるのが仏ではないか。歴史はそれを証明している。仏像を単なる美術品と思いこむから疎開などという迷い言が出るのであろう。そう思ったので僕は反対したのである。

p.150より

観光地としてではなく、聖地としての再生――これこそ僕らの念願ではなかろうか。観光地として繁栄する平和の日などは軽蔑しよう。日本を世界に冠絶する美の国、信仰の国たらしめたい。そのためにはどんな峻厳な精神の訓練にも堪えねばならぬと僕は思っている。一切を失った今、これだけが僕らの希望であり、生きる道となった。そういう厳しい心と、それに伴う生々した表情を古都にみなぎらすことが大事だ。かかる再生が日本人に可能かどうか、大なる希望と深い危惧の念をもって僕はいまの祖国を眺める。

p.155より

 知性は博物館の案内者としてはじつに適任であろう。だが信仰の導者としては「無智」が必要だ。「無智にぞありたき。」と述懐した鎌倉時代の念仏宗のお坊さんの苦しみがわかるような気がする。人は聰明に、幾多の道を分別して進むことが出来る。しかし愚に、ただ一筋の道に殉じることは出来難い。冷徹な批判家たりえても、愚直な殉教者たりえぬ。そういう不幸を僕らも現代人として担っているのではなかろうか。宗教や芸術や教育について、さまざまに饒舌する自分の姿に嫌悪を感ぜざるをえない。「愚」でないことが苦痛だ。それともこんなことをいっている僕が、愚に見えるだろうか。

p.165より

私においては、日本への回帰――転身のプログラムの一つに「教養」の蓄積ということが加えられていた。己れの再生は、未知の、そして今まで顧みることのなかった古典の地で行なわれねばならなかった。古美術に関する教養は自分を救ってくれるであろうと。

 だが、はじめてみたもろもろの古仏は、「教養」を欲する乞食に見向きもしなかったということ――これは私のつねに感謝して想起するところである。美術品を鑑賞すべく出かけた私にとって、仏像は一挙にして唯仏(、、)であった。半眼にひらいた眼差しと深い微笑と、悲心の挙措は、一切を放下せよという一事のみを語っていたにすぎなかったのである。教養の蓄積というさもしい性根を、一挙にして打ち砕くような勁さをもって佇立していた。

p.186より

現代人は、思想でなく思想の罐詰を食って生きているようにみうけられる。国産の配給品もあれば、外国製のもある。急いで缶詰を食いちらしている状景は、戦前も戦後も変わらない。自分で畑を耕し、種子をまき、あらゆる風雨に堪えて、やっと収穫したというような思想に出会うことは稀だ。たとい貧しく拙劣でも、自ら額に汗してえた思想を私はほしい。そういう勤労の観念がいまどこにあるだろうか。勤労者の味方をもって自認する政党の思想が、もっとも罐詰臭いのは不思議なことである。私はそういう贅沢を好まない。

 亀井勝一郎のような筋金入りの共産主義者がこう言ってのけるのは、晩年の円熟だったのだろうか。

p.217より

 しかし信仰を、ただ外部よりの影響とのみ断じるのは不当である。まことの信仰はかならず内奥の苦悩より発する。天平仏教が単に唐文化の模倣であり、東大寺建立が国富の大浪費であるとなすのは正しい見解ではない。あの豪壮荘厳の背景ふかく、ひそかに宿るであろう天皇の信仰をまず考えないわけにゆかない。天皇の生涯を偲ぶとき、私はいっそうその感を深くする。小野老朝臣(おぬのおゆあそん)が「あをによし寧楽(なら)の都は咲く花の(にほ)ふがごとく今盛りなり」と詠じたように、天平時代はたしかに稀有の黄金時代であったろう。飛鳥白鳳を通じて交流しきたった文化の、更なる昂揚があったであろう。だがそういう開花の根底には、かならずしも天国のごとき平和が漂っていたわけではない。

読書

投稿日:

 60年前の古書、平凡社の「世界教養全集」第6巻を読んでいる。

 先月22日に第5巻を読み終わり、この第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」に来た。先週2月4日火曜日の帰り電車の中で「日本的性格」(長谷川如是閑(にょぜかん))を読み終わり、次の「大和古寺風物誌」を読み始めた。

日本的性格(長谷川如是閑(にょぜかん) 著)
気に入った箇所
平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」のうち、「日本的性格」から引用。
他のblockquoteタグ同じ。
p.42より

 和歌が全国民の文学であったのは、上代の社会のことで、それが貴族社会の形式化によって、国民の手からとりあげられたのは、すでに平安朝時代からのことであった。しかし武門時代においても、歌はあらゆる階級の音律的言葉となっていて、その言葉を語り得ないものは武士としても不名誉とされた。

 けれども事実上、歌は近代の町人文化の形態たるにはあまりに貴族的形式に規定されてしまっていた。そこからまず連歌が生まれ、より自由な言語による歌の応酬が回復されたが、それがいわゆる連歌師のギルド的約束によって、複雑にして困難な形式となった時に、それを極端に簡単化した発句となった。連歌の初めの一句を独立させたのであった。そうしてそれはもっとも普及的の町人文学となったのだが、これもむろん、日本文明が全国民のそれでなければならないという伝統の回復であった。

 上の部分は俳句がどういう性格の文芸であるかということを、日本全体の性格と関連させてよく言い当てていると思う。

p.51より

 日本文化の外国的起原を高調する人々に対して、「純日本」を高調する人々がある。ことに民族宗教的の信仰や国民道徳の特殊性を指摘するものが多い。それらの人人((原文ママ))は、往々保守的傾向となり、外国文化の排斥に傾き、進歩主義者と対立することとなる。けれども、彼らの主張にも真理はある。というのは、日本人は、古代においても、近代においても、外国文化に対して非常に敏感で、ただちにそれを採用する進歩主義者であったと同時に、その反面に、自国の伝統的なるものを頑強に固執する一面をもっていたのである。国民的に、同じ時代において、その両面をもっているのみならず、個人的にも、右の両面を一人で備えているものも珍しくないのである。

 保守的なのに、新しいことをしたがる、という人は、自らそれと知らず多いように思うが、上引用のようなことなのかな、と感じる。

p.63より

かなり正しく、しかしやや詩的の表現で、日本人の性格や道徳を外国人に紹介した岡倉覚三は ‘The samurai, like his weapon, was cold, but never forgot the fire in which he was forged.'(“The Awaking of japan”)といったが、我が国中世の武力闘争の支配した時代のサムライでさえ、冷静がその勇気であり、道徳であった。岡倉はその理由として ‘In the feudal days Zen had taught him selfrestraint and made courteousness the mark of bravery.’といったが、しかし我が国のサムライの冷静な一面は、大陸伝来の禅の教養によるというよりは、むしろ日本人固有の心理によるものというべきである。

 英文は有名な天心岡倉覚三の著書からの引用である。「The Awaking of japan」は「日本の目覚め」として岩波から出ている。

「The samurai, like his weapon, was cold, but never forgot the fire in which he was forged.」というところは、「武士は彼の刀のように冷たく落ち着いていたが、それが火焔によって鍛えられたものであることを決して忘れなかった。」とでも訳せばよいのだろうか。また、「In the feudal days Zen had taught him selfrestraint and made courteousness the mark of bravery.」というところは、「封建時代、禅は彼に自己抑制を教え、礼儀正しさを勇気の証明にした。」とでもなろうか。

p.64より

すなわち、日本人は、国民としては歴史のもっとも重大な時期において、自制と自己反省の心理を失わなかったのである。

 武家専制の時代が始まっても武家そのものにそうした抑制の心理があった。北条氏は事実上政治上の独裁権を獲得したが、なお将軍家を奉じて、自ら陪臣の資格に止((表記ママ))まった。

p.85より

 御所の建築の単純、質素なのは、外国のように帝王の住居を城郭とする必要のない、わが国の皇室だったからであるが、それにしても皇室の威厳を象徴するためにも、今少し外観の壮麗を発揮する筈だが、上代にシナとの対抗上、やや大規模の宮殿の経営を行った例が二、三あるだけで、それも人民の課役が困難なため中止した場合が多い。

 引用の通り、皇室は、ことに京都御所など、質素なものである。

p.85より

 古来日本の文学には、シナや西洋のそれに見るように、自然を現実に鑑賞する態度に欠けている。今日の文学においても、自然描写において卓越しているものは、はなはだ多くない。国民文学としての歌においても、『万葉』以来、自然描写がもっとも短所であった。自然に対しても、日本人は抒情的に感覚する。

 この部分は「エッ、果たしてそうかなあ」と少し反対が胸に湧くが、続いて

同じくp.85より

上代の大和朝廷の貴族が憧憬した吉野山の風景の如き、抒情詩の背景としても、何ら現実的の鑑賞は現われていない。『万葉』にある吉野山の歌は、ことごとく概念的の記述に始終している。

 富士山に対する山部赤人の有名な歌でも、自然描写でも何でもなく、ただ概念的に、古来語られている富士を語って、「語り継ぎ、云ひ継ぎ行かむ」といっているに過ぎない。「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける」という反歌には、いかにも日本人の自然に対する態度の素樸さが見えていて、写実的のその態度も面白いが、しかしこれも実際見た現実ではなく、いわゆる「歌人はいながらにして名所を知る」というような格言を生ずることが、日本人の自然に対する感覚の不充分をいい現わしているのである。

 と言われてしまうと、そうかも知れないな、と思う。

「山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく」(柿本人麻呂)

「み吉野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける」(紀友則)

……というような歌も、自然を読んでいるようでいて、よく読むと自然を写し取ってはいない。読み込まれているのは自然に対する主観であり、読み手の観念である。

言葉

連袂(れんべい)

 「れんけつ」だと思ったら、「(たもと)」の音読みは「べい」だそうである。

下線太字は佐藤俊夫による。
p.4(著者略歴)より

三十九年三宅雪嶺らと連袂退社し、「日本及び日本人」に拠る。

 文字(づら)は「袂を(つら)ねる」とあるわけだから、意味は分かるが、読みは知らなかった。

膠柱(こうちゅう)的」

p.8より

 国民の場合も個人の場合も、時代の必要に応じて、種種なる性質が要求されるもので、したがって性格の涵養は、決して膠柱的ではあり得ない。

 これは、故事成語である。

 「膠柱」、つまり「膠」と「柱」であるが、それだけではサッパリわからない。この「柱」とは、「琴柱(ことじ)」、つまり琴の音程を調節する、白くて三角形の、琴の弦の下に並んでいるアレのことである。

 琴の音程は、この琴柱をその都度自在にずらして調えるが、これを立てたままでは弦が伸びて傷んでしまう。だから演奏しないときは外す。演奏するときは改めて琴柱を立て、試し弾きしながら音程を調える。これにはけっこう手間がかかるというので、琴柱を「膠」、つまり接着剤で琴に固定してしまった人がいた。

 ところがこれでは、微妙な琴の調整ができず、別の曲を弾くことができないばかりか、琴は温度や湿度、経年変化で音程もその日その日で違ってくるから、まるで使えない楽器になってしまう。

 この故事を「琴柱(ことじ)(にかわ)す」と言い、史記・(りん)相如(しょうじょ)伝が出典というが、手元に書籍がなく、確かめてはいない。

 史記・藺相如伝というと、一般によく知られている成語の出典には、「完璧」の故事、「刎頸の交わり」の故事などがあろうか。

 ともかく、「膠柱的」というのは、自在に調整もできず、融通がきかない、固着的なことを言う。

「那堪空閣妾。未慰相思情」

p.22より

その時代の漢詩文を集めた『文華秀麗集』には、大伴氏の女性の作があり、『経国集』にも嵯峨天皇の王女有智子内親王の詩が載っている。それには「那堪空閣妾。未慰相思情」というような句もある。女性教養の自由であったのは、臣下の女性のみではなかったらしい。

 この句について、手元に調べる便(よすが)がなく、訓み下しがわからないのだが、多分、

(なん)()れ空閣に()へん (いま)相思(そうし)の情を(なぐさ)まず」

……ではないかと思うのだが、違うかもしれない。

()ち得る」

 「贏」の音読みは「エイ」「ヨウ」、訓読みは「あまり」等であるが、「贏ち得る」と書いて「かちえる」だそうである。

p.22より

女性が日本文学の創始者たる栄冠を贏ち得たのは当然であろう。

 訓み方は分かったが、なんで「勝ち得る」と書かず「贏ち得る」と書くのか、理由はちょっとよくわからない。

(かがみ)を将来に(のこ)す」

 また実に難しい。「鑒」は音読みにカン・ケン、訓読みで「かんがみる」「かがみ」だそうな。「貽」の音読みは「イ」「タイ」、訓読みは「のこす」「おくる」だそうである。

p.33より

シナ流の歴史観によって「鑒を将来に貽す」(『続日本後紀(しょくにほんこうき)』)とか「善悪を甄ち、以て懲勧に備ふ」(『三代実録』)とかいうことを序文にいっていたりするが、内容はかならずしも事実を道徳で歪めているわけではない。

「善悪を(わか)ち、(もっ)懲勧(ちょうかん)(そな)ふ」

 「甄」の音読みは「ケン・シン・セン・ケイ・カイ」、訓読みは「すえる」「つくる」「みわける」とある。

 ところが、「甄ち」というのがわからない。「(みわけ)る」という()みがあるところから、多分「(わか)ち」ではないかと思う。

(すく)ない」

 これで「すくない」と読む。この文字からは、普通は「(あざ)やか」という訓読みが真っ先に思い浮かぶ。そうすると、あざやかなもの、ということで、そこから「新鮮」のように「若い」という意味が出てくる。そこから更に、「若い」は「すくない」に通じ、「鮮」の一字で「若死に」の意味までも持つのだそうである。

p.39より

おそらく西洋の近代国家でも、その文明がわが徳川時代のそれのように、下から盛り上がって出来たもので、しかもピラミッド型に下の方が広がったものであるという例は鮮ないと思う。

 思うに、「朝鮮」という国号は、「朝」には国とか王権とかいう意味があり、それに「鮮」ということは、「若々しい国」、あるいはそこから、特有の謙譲をもって「中国に比べるとまだおさない国」というようなことなのかも知れない。

粗笨(そほん)

 荒っぽい、雑、というような意味である。

 「粗」は「あらい」であることは論を待たないが、「(ほん)」は、竹が太く、荒いことで、そこから広がって、「おろか」「うすのろ」などのネガティブな意味を持たせられている。

  •  (ウィクショナリー日本版)

「スペキュレーション」

 投機、思惑などのことであるが、文脈では「思い切った推測」のような意味で使われている。

p.94より

 かくの如く古代中世の歴史には珍しい信仰状態がどうしてわが国に成立したかについては、いささかスペキュレーションに傾くが、おそらくわが国固有の民俗信仰そのものが、わが国民形態成立の人類学的研究に現われている諸民族の混和という事実に伴うところの信仰の混和から成立したものであったからではないかと考えられる。

(うった)える」 

 なんと、これで「うったえる」である。

p.108より

ただ文学はその表現が議論ではなく具体的であるから、われわれに間接に愬えるので、読む者が何とかそれを再現して見なければならぬ。

大和古寺風物誌(亀井勝一郎 著)

 亀井勝一郎は筋金入りの共産主義者だったと思うのだが、こんなにも上代の日本と皇室に対する讃頌(さんしょう)の念、日本書紀への通底が深かったのだとは知らなかった。

 まだ読んでいる途中だが、そんじょそこらの薄っぺらな左翼とはわけが違う、と思った。

言葉

上宮(じょうぐう)太子(たいし)

 聖徳太子のことである。

 最近、学校では聖徳太子の幼名である「(うまや)(どの)皇子(みこ)」として歴史を教えているらしいが、どうも気にくわない。

 昔から聖徳太子は「聖徳太子」として呼びならわされてきているが、これは、聖徳太子の生前の名前ではなく、諡号(おくりな)、すなわち、故人の生前の徳を称えて死後に送られた名だからである。諡号は尊重されるべきものであるから、よって、故人を敬い、死後は諡号で呼ばねばならぬ。

 もしそれがかなわぬ時は、死ぬ直前の名で呼ぶことである。「厩戸皇子」の名は幼名で、推古天皇の摂政として政務をお取りあそばされていた頃の聖徳太子は「上宮太子」と呼ばれていたのである。

 この作品中では聖徳太子のことは一貫して「上宮太子」と記されている。

歔欷(きょき)

 すすり泣き、むせび泣くことである。

平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」のうち、「大和古寺風物誌」から引用。
下線太字は佐藤俊夫による。
p.146より

高貴なる血統に宿った凄惨な悲劇を、御一族は身をもって担い、倒れたのであるが、この重圧からの呻吟と歔欷の声は、わが国史に末長く余韻して尽きない。

前巻「現代人のための結婚論」にあった愛の相互性とオタクについて

 ふと、前に読んだ世界教養全集第5巻収録の「現代人のための結婚論」(H.A.ボウマン)の中の、「愛の相互性」というところで思い当たったことがある。

平凡社世界教養全集第5巻「現代人のための結婚論」から引用。

p.438から

 そこに相互性のない愛情を私たちは愛情と呼ばないことにしよう。たとえば、私はイヌを愛する、なぜならイヌも私を愛しているから、という場合はよい。けれども、私は着物を愛するという場合には相互性がない。だが、これだけでは愛情の規定としては充分でない。親子間、夫婦間、恋人間の愛情は相互性をもってはいるが、この相互性ということだけで、「私は愛情のために結婚した」という場合の、愛情の性質を説明することはできない。愛情は人間がちがえばちがった事がらを意味する、というのは、その人々の生活の背景や経験や年齢によって愛情の意味がちがってくるからだ。

 
 ここで思い当たったのが、所謂(いわゆる)オタクのマニアックと相互性についてである。

 つまり、こうだ。

 1対1の愛については相互性があるといえよう。「私は彼女を好きになった」という場合、彼女は私を好きであったり嫌いであったり、そのどちらでもなかったり、あるいはそれらの中間であったりする。

 しかし、「私は湯飲みを愛する」などと言っても、湯飲みから何ほどのものが返って来るでもなく、これは「相互性のない愛」であるとは言える。

 だが、工業製品の消費者としての感想は、巡り巡って作り手に届き、ひょっとすると新製品のデザインに反映されるかもしれない。だが、それは相互性と言ってよいほどのレスポンシビリティではないだろう。

 同様に、アイドルのファンの熱狂はアイドルを擁するテレビ局やプロダクションの経営に反映され、アイドルの立ち居振る舞いに影響を及ぼすかもしれない。しかし、その影響はごくわずかであって、これも相互性と呼べるようなものではなく、一方的な熱狂に過ぎない。

 「漫画の売れ行き」や「アニメの人気ぶり」なども、似たり寄ったりだろう。つまり、1対1ではなく、漫画の出版社と一読者の熱狂とは、10万対1くらいの反映のされにくさの相互性しか持っていない。

 だから、オタクの愛は愛ではない、と言えないだろうか。そしてまた逆に、相互性のない、愛とは言えない自称の愛を「オタクの愛」と言い、また相互性のない愛を愛として認めている者を「オタク」と定義づけることはできまいか。

読書

投稿日:

 平凡社の世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」を読み終わる。

 どの評論も結局のところ海外のものの翻訳であったり抄録であったりするので、どうも論理に飛躍があるなどしてわかりにくいところも多く、「まあ、こういう論もかつて世にあったのだな」という感じで、面白い読書ではなかった。

 但し、最後の評論、「現代人のための結婚論」は、平明でわかりやすい箇所も多く、この巻では最も共感の大きいものであった。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」のうち、「現代人のための結婚論」から引用。
他のblockquoteタグ同じ。

p.512から

この本の冒頭にながながと述べたように、人とうまくやっていける技術と精神を身につけた人だけが離婚の十字架を負わなくてもすむかもしれない。そしてそう思えばこそ、「ゲット・アロング・ウイズ」ということを、私たちは何よりも強調したのだ。ゲット・アロング・ウイズは教育の事がらである。

p.513から

How do I love thee ? Let me count the ways.
I love thee to the depth and breadth and height.
My soul can reach, when feeling out of sight
For the end of being and ideal grace.
I love thee to the level of every day’s
Most quiet need, by sun and candle light.
I love thee freely, as men strive for right.
I love thee purely, as they turn from praise.
I love thee with the passion put to use
In my old griefs, and with my childfood’s faith.
I love thee with a love I seemed to lose
With my lost saints. I love thee with the breath.
Smiles, tears, of all my life ; and, if God choose,
I shall but love thee better after death.

下は、上の詩を佐藤俊夫が試訳したものである。誤訳等については寛容願いたい。
如何(いか)(なれ)を愛すや そが手段(すべ)を数へ述べん
深きに広きに高きに汝を愛す
眼に(みゑ)ざれば魂にて(ふれ)
かの至善至高(おふ)るとも
汝を日夜愛す ()(ともしび)の欠くべからざるが如く
汝を自由に愛す 人正しきを求むるが如く
汝を純粋に愛す 人称賛より離るゝが如く
汝に情熱を注ぎて愛す 
(いにしへ)悲しみに(そむ)けるが如く (ゐとけな)き日々の信仰の如く
(きゆ)るとも更に()た汝を愛す
聖魂(うしなは)るゝとも 汝を愛す 息吹(いぶき)
(ゑみ)に 涙に わが生命(いのち)の全てにより
神死を(たまひ)てのち(なほ)()た汝を愛さん
佐藤俊夫注記 原詩10行目後半「Childfood」は本書記載の通りとしたが、「Childhood」の誤字と思われる。

 なおこの詩は、世界的に有名な詩であるようだ。イギリスのエリザベス・ブラウニングという詩人の作品である。私は知らなかった。翻訳もあまりないようだ。

p.515「解説」(堀秀彦)より

天才的な妻とは、たいへんやっかいな妻のことだ。非常に個性的な夫とは扱いにくい夫のことだ。結婚生活をしている限り、男も女もよい意味で平凡な人間でなければいけないようだ――だから、常識的でわかりきった結婚論がいちばんよい結婚論だとも言える。

p.516、同じく解説より

この本は人と人とがどうしたらうまくやっていけるか、という問題を出発点とし、一貫したすじとして書かれている。

 上記は私の読後感と全く一致する。

言葉
ゲット・アロング・ウイズ

 「Get along with」。簡略に言って「仲良く」であろうか。

引用元前記と同じ。下線太字は佐藤俊夫による。
p.512から(前出)

この本の冒頭にながながと述べたように、人とうまくやっていける技術と精神を身につけた人だけが離婚の十字架を負わなくてもすむかもしれない。そしてそう思えばこそ、「ゲット・アロング・ウイズ」ということを、私たちは何よりも強調したのだ。ゲット・アロング・ウイズは教育の事がらである。

 単純な真理である。人と仲良くできないような者同士が結婚などできるはずもあるまい。

 次は、同じく平凡社世界教養全集第6巻「日本的性格/大和古寺風物誌/陰翳礼讃/無常という事/茶の本」である。前巻と打って変わって全部日本人の著作である。但し、最後の「茶の本」は岡倉天心が英語で表したものであるから、翻訳である。

薬喰(くすりぐい)~SOBA満月~読書

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 薬喰(くすりぐい)」で一句詠んだりなぞしていると、何やら今晩、肉でも食ってみようかという気にもなる。

 薬喰と言えば無論、冬の牡丹(ぼたん)鍋に紅葉(もみじ)鍋、桜鍋あたりの肉料理のことである。その昔、肉は表向き禁忌で、喰うなら隠れて喰うべきものだったそうだが、山鯨(やまくじら)だの(かしわ)だのと言う隠語も公然として、もはや人目を(はばか)るということ自体が形式でしかなかったようである。

 だが維新後、明治大帝におかせられては「ひとつ(ちん)が文明開化の手本を」とて肉をお召し上がりになり、これを契機に肉食が大いに普及した。日本はそんな時代から、まだ百数十年かそこらしか経っていない。

 ともかく、薬喰は冬の季語とて、今日も寒い。高校3年生は今日センター試験であるという。このところ毎年のことだが、センター試験と言えば東京周辺は雪と決まったもので、今日も雪交じりの冷たい(みぞれ)が降った。

 読みかけの古書、平凡社の世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」を携えて、行き付けの蕎麦店・南越谷駅傍「SOBA満月」へ足を運ぶ。

 今日の蕎麦前は、新メニューの「白子ぽん酢」に新潟の銘酒「吉乃川」をぬる燗で2合。「白子ぽん酢」は昨日から始めたばかりの肴メニューなのだという。この店で魚介の生ものは珍しい。新鮮でみずみずしくクリーミーで、紅葉おろしと(あさつき)の、なんと合うこと。付け合わせに和布(わかめ)と胡瓜の飾り切りが入り、さっぱりする。

 読書しつつ酒を飲み、飲み終わったら蕎麦にする。今日は寒いから、「卵とじ蕎麦」にする。

 熱々のかけ蕎麦に、フワフワのとじ卵がたっぷりかかり、三つ葉と葱のアクセントがおいしい。ふうふう吹きながら手繰り込み、半分ほど食べて、やおら七味唐辛子を効かせると、寒さなどどこへやら、芯からホカホカと温まってくる。

 飲み喰いしつつ、本を読む。

 「現代人のための結婚論」は、結婚ということそのものについては勿論のこと、結婚後の夫婦の日常生活についても多く言及している。それが、夫婦間だけではない、職場の人間関係などにも大いに参考になる、強く共感を覚える示唆を沢山(たくさん)含んでいて、意外に納得感の強い読書となっている。私にとってこの評論は、同じ巻の他の評論に比べて、最も共感が強く、理解もしやすい。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」から引用。
他のblockquoteタグ同じ。

p.438から

 そこに相互性のない愛情を私たちは愛情と呼ばないことにしよう。たとえば、私はイヌを愛する、なぜならイヌも私を愛しているから、という場合はよい。けれども、私は着物を愛するという場合には相互性がない。だが、これだけでは愛情の規定としては充分でない。親子間、夫婦間、恋人間の愛情は相互性をもってはいるが、この相互性ということだけで、「私は愛情のために結婚した」という場合の、愛情の性質を説明することはできない。愛情は人間がちがえばちがった事がらを意味する、というのは、その人々の生活の背景や経験や年齢によって愛情の意味がちがってくるからだ。

p.457から

成熟した人間は服従をとおして真の自由を見つけ出す。ところが未成熟な人間は不服従によって自由をかち取ろうとする。

p.461から

成熟した人間はその行動をコントロールする。

 これはわかりきったことだ。だが、たいへん重要なことだ。自分をコントロールするとは、手っ取り早く言えば、将来のために現在の苦痛や不満を我慢するということだ。自分の現在の欲望や衝動だけを行動の原理とする人間は成人になっていないわけだ。子どもというものは現在の欲望をコントロールすることができないからだ。多くの学生結婚はこうした未成熟の結果であることが稀ではない。彼らは待つことができなかったのだ。自分をコントロールするとは、「待つ」ことができるということだ。

 つまり、自分をコントロールする人間の行動は、苦痛とか快楽とかいったものではなく、むしろいろんな原則に基づいて決定されるわけだ。若い人はしばしば、成人になれば何でもかってにできるのだと考えたがる。言いかえれば、自分の行動を制限するものがいっさいなくなること、それが成人になることだと考える。けれどもそんなふうに考えることは、彼がまだ成人になっていない、未熟であることの証明でしかない。成人とは成人の行動原則を自分に課する人間のことだ。たとえば、子供は他人の思想や行動のプライヴァシイ(私的な性質)をいっさい認めようとしない。だが成熟した成人は他人のこのプライヴァシイを充分認める。

p.474から

とにかく、なぜある人間が現在あるような人間であるのか、このことをもし私たちが理解するならば、たといそのような彼を変えることができなくても、私たちと彼との関係をいくらかでも気持よいものにさせることになるだろう。つまり私たちは彼の行動を変えさせることはできない。しかし私たちは彼の行動について私たちの解釈を改めることはできる。そしてこの事自体、意義のあることなのだ。

 上の部分、実に、職場での人間関係においても適用可能な示唆に富む。

p.477から

 忠告(アドバイス)もむずかしいものだ。相手が忠告を求めていないときに忠告するのは、無用であるどころか、有害かもしれない。それに忠告は命令ではない。だがしばしば、私たちは忠告と命令とをとっちがえる。命令だったら、相手がそれを守ってくれるか否かを見守る必要がある。だが忠告は、相手がこれを受け入れようが受け入れまいが、本当はこっちの知ったことではないのだ。世の中には何かをさせようとこちらから働きかければかけるほど、しりごみする人がいる。劣等感がそうさせるのだろう。こういう人に対しては、こちらが相手にしてやる、あるいは相手を助けてやるよりも、相手をしてこちらの手伝いをさせるように仕むけることだ。相手がこっちのために何かを自発的にするように仕むければ、やがて劣等感という心のシコリはほぐれるだろう。

 この部分も夫婦間ではなく、職場における上下関係などにおいても適用可能な示唆に富む。

p.477から

夫婦は大いに話し合い議論し合った方がいいという意見がある。だが、本当はそういうことはむずかしい。なぜなら、議論というものは表面上は理性と論理の上に立っているように見えるが、じつは感情(エモーション)の上に立っている場合が多いからだ。

P.478から

議論のきっかけが相手の行動や考え方に対する反駁であるとすれば、へたな議論をしないためには、この反駁や反論を中途でやめるというか、「反論はできるのだが、今はしたくないのだよ」という態度を示すことがいい。反対論をしばらく括弧の中にくるみこんでしまう態度、それが「寛容」といわれるものだ。

 上の箇所も前の箇所と同じく。

p.479から

 相手につまらぬことで干渉しないことだ。

 さらにまた、もし諸君が小さなつまらない事がらで相手と意見が一致している、そして一致していることをお互いに気持よく認め合うことができれば、大きな事がらで意見が一致しなくても、諸君は平静にまた効果的に相手を動かすことができる。反対に、諸君が日常の小さなつまらないことでいつも妻と意見を異にしているとすれば、重大な問題で、意見を一致させることはたいへんむずかしくなる。

 上の箇所も前の箇所と同じく。

言葉
暁天(ぎょうてん)の星

 勿論、読んで字の如く、明け方の星のことであるから、「数が少ないこと」を言う。

引用元前記と同じ。下線太字は佐藤俊夫による。

外から与えられるものを素直に受け取って、そのままそれを実行するような従順な、あるいは個性のない人間なんて、いまどき、暁天の星ほどにもおるまい。

脳にテレビ

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 妻と娘は、何か「晩御飯会」に出かけて行った。

 彼女らがつけっぱなしにしていったテレビの音がうるさく、不愉快なのでスイッチを切る。

 なんでテレビの音を不愉快に感じるのだろう、と思って「テレビからは不愉快な雑音しか流れてこない。」でググッてみたら、「人の話が音として聞こえるけど、言葉として聞こえない現象に思い当たる人多数→「聴覚情報処理障害」かも…?」というtogetterまとめが出てきた。

 ……う~ん。雑音、っていうわけじゃなくて、断片的に「韓国」「反日」「あおり運転」とかいう不愉快な単語が聞こえてくるから、不愉快なんだよな……。

 と言って、意味がわかるからそれで不愉快というわけでもなく、実は、人と対面して話していて、全部雑音に聞こえてしまい、「ちょっと、お前!聞いてるのか!?」と怒鳴られたことも若い頃にはある。今でもそうで、実は子供の頃からそうである。人の言っていることが雑音にしか聞こえず、目の前に喋る顔だけが感情をこめて自分の前に映画の看板のようにある。相手が怒っていて、怖い、それぐらいしか伝わってこない。言葉は聞こえない。音が聞こえる。

 そんな私だからテレビがうるさいのかな、とも思うが、テレビの音声は断片的に意味を持って脳に入ってきていて、それが不愉快なのだから、完全に雑音にしか感じない、というわけでもない。

 それが不愉快なのである。俺の脳に入ってくるな、と思う。

 これは多分、遺伝なのではなかろうか。私の父は「目が見えないのは()えがたいが、耳が聞こえないのは幸せだと思う」と漏らしたことがある。耳が聞こえないのは実に不便だと思うが、それをしも幸せだという父は、言葉に()み飽きていたのだと思う。