一切変わることはないが、相手は

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 コロナ禍において、米国や欧州の民衆は民族の壮大な再生劇を経験しつつある。しかし、わが日本はそうではない。「そうではない」と仮に書いてみたが、もはや「そうではなかった」と過去形で記してもよいところにまで来ている。

 米国は既に50万人という途方もない死者を出した。これは、いわば核戦争の勃発にも匹敵する数である。米国は人権国であるから、第1次大戦や第2次大戦で死んだのは軍人ばかりであり、南北戦争にまでさかのぼらなければ、無辜の老若男女がこれほど死ぬということを経験していない。これでは、ワクチン開発成功後も国家の頽勢(たいせい)(おお)うべくもない。

 思うに、これは米国にとって建国以来245年、欧州も含めれば、欧米史的に言ってざっと500年来の歴史的致命傷となるのではなかろうか。

 核戦争に匹敵するような死者を出しつつある悪疫(あくえき)(しょう)(けつ)()(なか)に、如何(いか)に憲法上、また合衆国の慣習上守らねばならぬ期限とはいえ、人の定めたルールにすぎぬ規定に(のっと)り、人殺しまでしながら大統領選挙を敢行するという正気とも思えない馬鹿騒ぎをやってのけ、しかもその主題は悪疫ではなく人種差別とか分断、弾劾であるとは、()(はや)()いた口も(ふさ)がらぬ。とても我々と同じ赤い血の流れる人間がしでかしている騒ぎとは思えないが、だがしかし、当の米国人たちはそれをリアルタイムで喜々として実行中だ。

 それに比べれば、災害()れ、自殺熟れ、ひいては大東亜戦争敗戦以来鬱然、屈折して陰々滅々と米国に隷従してきたわが日本にとっては、亡くなった方々にはまことに無礼千万な表現をあらかじめお詫びしなければならないが、コロナウイルス顕在以来(このかた)今日まで、累計(わず)か7500人と言う死者の数であってみれば、これしき、どうということのない日常に過ぎない。

 かくまでに私たちは平穏にして整斉粛々、抑制の効いた生活を送ることにより、逆にむしろ、生まれ変わるチャンスを逸した。世の中はリモートワークだ改革だと言っているが、実際のところ、米国や欧州の、毒を以って毒を制するが如き民族的・歴史的な逆療法と言ってもよいショック、またそれによって惹き起こされる過激でもあろう復興から見てみると、日本は岩石とか鋼鉄のように、まるで何も変わっていない。

 欧米白人たちは、日本人からは想像も及ばぬ、宇宙人のような、いや、無機物のような、正体不明の、人外の異生物に変貌するだろう。そんな彼ら化け物どもとどのように対峙していくかが、新型コロナ後の課題なのではないか。

(じん)(ちょう)()馬酔木(あせび)

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 赤花の沈丁花が咲き始めた

白花沈丁花赤花馬酔木

 一方、同じく庭に植えた白花の(じん)(ちょう)()と赤花の馬酔木(あせび)は、今日はこんな様子だ。

 春と言うのは、本当に嬉しいものだ。

(ふき)(とう)・蕗の芽

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(ふき)の芽の(うぶ)()(いと)しや()びて()む   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

()からざらん()

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 天皇誕生日によせた祝日エントリで、筆のすさびならぬ、キーボードの進むままに「()(たっと)()からざらん()」などと書き結び、書いてからふとこの一文が気になった。

 「べからざらんや」というのが、人様にわかってもらえるかどうか、気になったのだ。

 Googleで「べからざらんや」を検索すると、なるほど、「Yahoo!知恵袋」などがヒットしてくる。学生らしい質問者が国語の勉強の上でだろう、「どういう意味でしょうか」と問うているわけである。

 教科書的な回答が数多くあるが、しかし、私としては次のように説明を試みてみたい。

 「祝う」という語が「祝うべからざらんや」となるまで、反語で強められていく変化の過程を例に示すことで説明に代えたい。

口語体 文語体
祝う 祝ふ
祝うべきだ 祝ふべし
祝うべきではない、祝ってはならない 祝ふべからず
祝ってはならない(もの) 祝ふべからざる(もの)
祝ってはならないだろう 祝ふべからざらん
祝ってはならないだろうということがあるだろうか?(いや、そんなことはない) 祝ふべからざらん

 このように変化させて考えていくと、文語的表現はピシリと引き締まり、文字も少なくてすむことがよくわかる。

 私は俳句を詠むのが趣味だが、五・七・五の限られた文字数でできる限りの表現をしようとすると、文語体の方が色々詰め込むことができる、ということは上のようなことからも多少否めないと思う。

天皇誕生日

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天皇陛下万歳

 祝日「天皇誕生日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 (かしこ)し、天皇陛下におかせられては(おん)(よわい)61におなり遊ばされる。

 「ナショナル・デイ National day」である。諸外国からも最も尊重される日が今日であることを、あらためて噛んで含むのがよい。

 普通、多くの国々は独立記念日や建国記念日をナショナル・デイとしている。しかし、わが日本国は世界にも類例(まれ)な古い国柄で、建国の日も神話にまでさかのぼってしまい、実際のところはっきりとはしないことも否めないため、建国記念日と天皇誕生日の両方をナショナル・デイとしているものと私は理解している。

 この日を寿(ことほ)ぐことは、(かしこ)くも日本のシンボル(象徴)たる天皇陛下を寿ぐこととイコールであり、シンボルを寿ぐことはそのまま日本の善良な老若男女、国土や歴史全体、先祖、かけがえのない子孫たち、諸外国との関係をも寿ぎ、尊重することに通じているのである。

 ()(たつと)()からざらん()