ポンチ軒・ぽん多・ぼんち

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 中学校の同級生から聞いた話を、書き留めておきたい。

 大阪にかつてあったとんかつ屋の「ぼんち」は、通常のとんかつとは違う、実に老舗の風格と味を持った名店であったのだそうだ。惜しいかな、近年店じまいしてしまって、その味はもう楽しめないのだという。

 「ぼんち」の店主は、東京・上野御徒町(おかちまち)の「ぽん()」でとんかつの修行をした、と同級生は言っていた。

 一方、私は本で、「明治維新後、西洋流のポークカツレツを和風にアレンジし『とんかつ』として完成させた店は、東京の『煉瓦亭』と『ポンチ軒』を嚆矢(こうし)とする」ということを読んで知っていた。「明治洋食事始め――とんかつの誕生」という本がそれだ。

 同級生に聞いた話から、どうも、「ぽん多」という店名と「ポンチ軒」という店名が似ているようだと思って、ネットに両者を入れて検索してみた。

 すると、「ぽん多」の創業者は、島田信二郎と言う人であることがわかった。島田信二郎氏と言えば、日本の「とんかつ元祖」の泰斗、「ポンチ軒」の料理人としてとんかつを完成させた人である。ポンチ軒をひいてから、「ぽん多」を創業したものらしい。

 島田氏は、もとは宮内庁の「大膳部(だいぜんぶ)」(『かしこきあたり』の膳部(ぜんぶ)をとりしきる部署)に勤め、その後、「ポンチ軒」に入って、ユニークな「洋食」、とんかつを完成させたのだと言う。

 そうして話をつなげてみると、「ポンチ軒」・「ぽん多」・「ぼんち」、どの店の名前も、少しづつ似ている。

 一日、明治の味を今に伝えると言うその「ぽん多」へ出かけてみた。店は、仲御徒町のごく目立たぬ通りに品よくおさまっている。店内は静かで、キレイである。創業は明治38年というから、平成24年の今日現在で創業107年、東京の店としては老舗中の老舗と言える。

 メニューは決して多くはないものの、いろいろなものがある。が、迷わず代表メニューの「カツレツ」を選び、味噌汁と飯、漬物も注文する。

 値段は安くはないが、気持ちよく払える値段の範囲と言っていいだろう。概ね3000円からの値段で飲み食いできる。

 とんかつ専門店として近頃売り出している多くの店は、わりあいに「豪快な食べ応え」を目指していて、衣のパン粉などもザックリとし、肉も歯ごたえのあるものを選ぶ傾向にあるようだが、「ぽん多」のものは、その反対である。

 パン粉はあくまできめ細かで、油は軽く、だがしかし、しっかりと肉になじみ、上品である。軽く揚げてあって色もほんわりとしているが、中まで火が通り、肉は柔らかく、軽い食べ応えである。付け合せに芋フライと、糸のように細く刻んだキャベツがつく。

 無論、旨い。味噌汁と飯ととんかつ、あっというまに腹に収まってしまう。

 入り口のそばに佐藤春夫の色紙がかかっている。「これはいくさに負けなかった國の味である 佐藤春夫」としたためてある。実際には変体仮名で書かれているから、若い人には多少読みにくいだろう。

 とんかつは、明治期の肉食解禁から60年ほどかかって日本の食に溶け込んでいき、ついに「和食」として完成されたものだ。もともと西洋料理の「コートレット」「カツレツ」は、炒め物よりかは少し多いめの油で、煎り付けるようにして調理するものであった。これが、江戸時代に伝来して既に普及していた「てんぷら」の調理法、すなわち、素材が全部没するくらいの深い量の油で「ディープ・フライ」にする方法と組み合わされた。箸・飯・味噌汁とセットになり、もともとの西洋料理にも見られない、ほとんどオリジナルと言ってもよいほどの和食に変身したのである。

 近年、日本の工業製品などは、「ガラパゴス化」と言われて、独自発展しすぎる嫌いを揶揄される。しかし日本が、1億人、世界で9番目と言う人口を擁する、比較的大きな国であることは、これも事実だ。さまざまな独自文化を持っている日本国内で、ものごとがそうした発展の仕方をすることは、仕方がないと言うより、むしろ当然で、好ましいことであるように思う。

 ぽん多のとんかつに、そうした、「好ましいガラパゴス」を見た。

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