読書

投稿日:

 開高健「最後の晩餐」、ゆっくり読む。

言葉
(たけ)(その)(ふ(う))

 まず、「(かしこ)(あた)り」と言ったところであろうか。皇室、皇居、そのあたり、というようなことを「竹の園生ではそのようなことは聞こえはすまい」などというふうに使う。

「最後の晩餐」(開高健、光文社文庫)p.70から引用

 ルイ16世はニコニコ笑って大喜びし、もう一度やってくれとたのむ。おかみさん連中はいよいよはずみ、大声で身ぶり手ぶりを入れつつ合唱したとのことである。こういうエピソードを読んでいると、つい、どうしても千代田区丸の内・一の一の一にある竹の園生と思いくらべずにはいられなくなるが、

饕餮(とうてつ)

 「食いしん坊」のことを表す古語としてこの「饕餮(とうてつ)」という難しい言葉が出てくる。器の模様に彫られる怪物のことだそうである。

「最後の晩餐」(開高健、光文社文庫)p.98から引用

 では、饕餮から。

 これは古代の中国人が創造した食いしん坊、大食家、美食家の文字であり、イメージであるが、ただの美食家、大食家ではすまないで、貪婪の怪物だというイメージである。殷代の青銅の(かなえ)の胴によく文字とも文様ともつかぬ古怪、玄妖の獣がうずくまってこちらをギロギロ(にら)んでいるが、あれだ。ほとんど抽象化されかかっているけれど、怪獣である。一つの体に頭が二つあって、足は六本。顔は竜、虎、人間、さまざまである。左右、正確な対称になっている。『饕餮文』と呼ばれているが、青銅器だけではなく、ときどき皿に描かれていることもある。食というものの底知れなさ、物凄さという本質を古人はすでに早く見抜いてそれに対する畏怖からこういう怪物を創りあげたのだとすると、それら無名人たちの想像力と抽象力は非凡なものだといわねばなるまい。大食いをするとこんな怪物になっちまうぞという警告であるのならば、それもまたみごと。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

「読書」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください