先週、読書中にも書いたが、私の感覚にはピッタリと合い、納得できる内容だった。やはり同じ東洋人だからだろうか。
著者の姿勢は、きっぱり西洋哲学と対立するものである。込み入った西洋哲学を一刀両断、「西洋流の厳粛な哲学は、人生が何であるかということについては、理解の理までもいっていない。」と昂然と言い放つところなど、痛快そのものだと感じた。
気に入った個所
以下、他の<blockquote>タグも同じ。
私はサルがサルを食うということは聞いたことがないが、人間相
食 むということは知っている。人類学はあらゆる証拠をかざして、食人の風習が相当ひろく行なわれて いたことを明らかに教えている。彼らはわれわれ肉食類の祖先であった。それだから、人間が今なお、いろいろの意味であい食んでいるということになんのふしぎがあろうか。――個人的に、社会的に、国際的に。食人種について特筆すべきことは、人を殺すということの善悪をよくわきまえていることである。すなわち、人を殺すということは望ましいことではないが、避けがたい悪であることを認めながらも、成仏した敵のうまい腰肉 、あばら肉、肝臓などを食って、その殺戮 からなんらかの成果をえようとする。食人種と文明人との違いは、食人種が敵を殺して食うのに対し、文明人は敵を殺して葬り、その遺骸の上に十字架を安置し、その霊魂のために祈禱を捧げるところにあるらしい。かくして人間の自惚と短気のうえに、もひとつばか ということが加わる。
罪のない聖人には興味が持てぬ、私はそういったようなヒューマニストである。
人間の心というものに魅力のあるのは、そこに不合理性があり、済度しがたい偏見があり、むら気があり、予測しがたいところがあるからである。もしこの真理を学ばないなら、一世紀にわたる人類心理学の研究も
畢竟 空だ。
われわれはみな、精神の本当の機能は思考するにあるという思い違いのもとに苦労している。
私は今、旧式な民主的個人主義について語っているにすぎない。それはもちろん承知している。だがまたマルキストにも、カール・マルクス自身が、一世紀以前のヘーゲル論理学と、ヴィクトリア中期のイギリス正統経済学派の産物であることを想起していただくとしよう。今日ヘーゲル論理学や、ヴィクトリア中期の経済思想の正統学派ほど旧式なものはない。――中国人の人間主義的見地から見て、これほど合点のゆかぬ、うそっぱちな、非常識きわまるしろものはない。
この意味では、哲学というものは、自然と人生全般に関する、平凡でお粗末で、ざらにある考え方にすぎない、この程度のものなら、何人も多少は持っている。現実の全景を、その表面的価値において眺めることを拒み、あるいは新聞紙に現れる言葉を信ずることを拒むものなら、何人も多少の哲学者といえよう。つまり彼は、だまされない人間である。
私自身の目で人生を観察すると、人間的妄執のかような仏教徒的分類は完全だとはいえない。人生の大妄執は二種でなく三種である。すなわち名声、富貴、および権力。この三つのものを一つの大きな妄執に包括する恰好の言葉がアメリカにある。いわく、「成功」。しかし、多くの賢明な人々にはわかっていることであるが、成功、すなわち名声、富貴に対する欲望というのは、失敗、貧困、無名に対する恐怖を婉曲にいい表した名称であって、かような恐怖がわれわれの生活を支配しているのである。
八世紀の人、柳宗元は、近所の山を「愚丘」と呼び、側を流れる川を「愚渓」と称した。十八世紀の人、鄭板橋には有名なつぎの言葉がある。「愚も難く賢も難い。しかし賢を
卒 えて愚に入るの道は、なおさら難い。」中国文学に愚の賛美の尽きたことがない。こういう態度を持する叡知は、かつてアメリカ人でも、つぎのような方言を通じて理解されたことがある。いわく、「利口もほどらい。」だから最高の賢者は、ときに「大まぬけづら」している人のなかにあるものである。
「大隠は
市 に隠る。」
われわれはこの世に生きてゆかねばならぬ。だから、哲学を天上から地上へ引きおろさなければならない。
人生には目的や意義がかならずなければならぬなどと、私は臆断しない。「こうして生きている、それだけで十分だ。」とウォールト・ホイットマンもいっている。
中国人の哲学を簡明に定義すると、真理を知るということより、人生を知るということに夢中になっている哲学といえる。およそ形而上な思弁などというものは、人間が生きるということについては邪魔ものであって、人間の知性のなかに生まれた青白い反省にすぎないものであるから、さようなものはことごとく掃き捨ててしまって、人生そのものにしがみつき、つねに最初にして終局の自問をする――「いかに生きるべきか?」
しかしながら、結局アメリカ人が中国人のように悠々として暮らすことのできないのは、彼らの仕事欲と、
行動 することを生きている ということよりたいせつに考えるところに、直接由来しているのである。
学問がしたければ、最良の学校はいたるところにある。昔、曾国藩は家族に宛てた手紙のなかで、弟が首都に出てもっとよい学校にゆきたいといっているのに答えていった。「勉強がしたければ田舎の学校ででもできる。砂漠ででも、人のゆき交う街頭ででもできるし、樵夫や牧人になってもできる。勉強する意思がなければ、田舎の学校がだめなばかりでなく、静かな田舎の家庭も、神仙の島も、勉学には適しない。」
つまりこうだ、アダムとイヴが蜜月にリンゴを食った、神はたいへん怒って二人を罰した、この二人の男女のちょっとした罪のために、その後裔たる人類は世々末代罪を背負うて苦しまねばならぬことになった、ところが神が罰したその後裔が神の独り子たるキリストを殺したとき、神はおおいに喜んで彼らを許したというのだ。人はなんと論議解釈するかしらないが、こんなふざけた話を私は黙認することはできない。
言葉
匡救
- 匡救とは(コトバンク)
寇讎
「寇讐」と同じ。仇、敵のこと。「讎」は「讐」の異体字。
- 寇讐(コトバンク)
犬儒 哲学
人生を自由で自足的なものとみなし、かつ、皮肉に見る哲学。創始者が野良犬のような暮らしを実践したことから。
- ディオゲネス (犬儒学派)(Wikipedia)
ほどらい
「程合い」と同じ。程度、ほどほど。
- ほどらい〔ほどらひ〕【程らひ】の意味(goo辞書)
婚礼轎
「轎」というのは椅子の乗った駕籠のことで、花嫁を乗せるもののようだ。
- 婚礼の椅子駕籠(轎)(中国)/(Bridal sedan chair.)(日文研データベース)
鰥
見たこともない字、聞いたこともない訓みである。文中には孟子の説く「世の中で最も無力な四種の人々」として「寡、鰥、孤、独」というふうに使われている。
ちなみに、「寡」(カ・やもめ)は独身女、「孤」は孤児、「独」は独居老人のことである。
「鰥」で「やもお」と
- 鰥夫/寡男(コトバンク)
饕餮
いつだったか読んだ開高健の「最後の晩餐」の中に出てきた。「最後の晩餐」では「とうてつ」としてあったが、この「生活の発見」では「
庭牆
「牆」は「かきね」と
カリカチュア
しょっちゅう見聞きする言葉なので、敢えて調べておくような言葉ではないような気もするが、「風刺画」のことである。
槎枒
「
- 槎(漢字辞典オンライン)
2文字目の「
- 枒(漢字辞典オンライン)
「槎」と「枒」で、「槎枒」だが、これは木の枝が非常に絡み合い、入り組んでいる様子のことを言うそうな。
ふつうのカンランにはマツのような
槎枒 たる気品はなく、ヤナギは優雅ではあるが、「荘重」とか「霊感的」とかいえないことは争えない。
- 槎枒・槎牙(コトバンク)
エピグラム
自然は人生全般の中に入り込むのである。自然はことごとく音である、色である、形である、気分である、雰囲気である。
慧敏 な生活芸術家たる人間は、まず自然の適当な気分を選びだし、それを自分の気分に調和させることから始める。これは中国のすべての詩人文人の態度である。がそのもっともすぐれた表現は、張潮(十七世紀中葉の人)の著書『幽夢影』のなかのエピグラムに見出されると思う。
短文、警句、寸鉄詩、碑文など、いろいろな短い文章のことを言うようだが、ここでは「短文」と言っておいてよいであろう。
- エピグラム(goo辞書)
罅隙
「
- 罅隙(コトバンク)
青年にして書を読むは罅隙を通して月を眺めるごとく、中年にして書を読むは自家の庭より月を眺めるごとく、老境にいたって書を読むは
蒼穹 のもと露台に立って月を眺めるがごとし。読みの深さが体験の深さに応じて変わるからである。
創造と娯楽
「創造と娯楽」と書かれてもピンと来ないが、
芸術は
創造 であるとともに娯楽 である。
……というふうに、ルビを振って書かれると、二つの言葉が急に意味を持って迫ってくる。recreation は creationに「re」をくっつけた言葉だ。「娯楽」というとどうもピンと来ないが、「回復のための行動」というと、なるほど、創造と言うのは苦しみである、というふうに納得がいく。
ドグマ
独断的で強い教義、とでも言えばよかろう。
- ドグマ(英語表記)dogma(コトバンク)
中国文学と中国哲学の世界を通観して何が発見できるであろうか。中国には科学がないということ、極端な理論、ドグマがないということ、実際あい異なる哲学の大学派がないということである。
次の読書
さて、次の読書は、この本収録の3著作め、R・L・スティーヴンスン著、橋本福夫訳の「若き人々のために」である。原題は「Virginibus Puerisque」だが、この邦題の訳ではまるで意味が違っていることは言うまでもない。この原題はラテン語で、意味は『処女・童貞』である。
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