引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。
第15巻、「空想から科学へ(F.エンゲルス著、宮川実訳)/共産党宣言(K.マルクス・F.エンゲルス著、宮川実訳)/職業としての政治(M.ヴェーバー著、清水幾太郎・清水礼子訳)/矛盾論(毛沢東著、竹内好訳)/第二貧乏物語(川上肇著)」のうち、二つ目の「共産党宣言 Historisch-kritische Gesamtausgabe. Im Auftrage des Marx-Engels-Lenin-Instituts Moskau herausgegeben von V. Adoratskij. Erste abteilung Band 6. Marx-Engels-Verlag, Berlin, 1932.」(K.マルクス Karl Marx ・F.エンゲルス Friedrich Engels 著、宮川実訳)を帰りの通勤電車の中で読み終わった。
言うことのない程の世界的名文である。共産主義者には不滅の経典でもあろう。
前回の読書エントリの末尾に少し、訳者の宮川実について触れた。ふと興味を覚えて検索してみると、「秋丸機関」という言葉が出てきた。陸軍の情報分析機関である。秋丸機関は戦前に世界各国の経済的継戦能力を調査し、すぐれた報告を出しているそうだが、秋丸機関の一員にこの宮川実も入っていたのだという。共産主義者に近いマル経学者、しかも治安維持法違反でムショに放り込まれるような人物を調査機関の一員として迎えるとは、意外に陸軍も懐が広かったのだな、と思える。むしろ、2.26事件の将校たちが、自分ではそれと知らずに「天皇制共産主義」のようなものを構想していたのだと仮定してみると、逆に貧農出身が多数を占める陸軍軍人には、共産主義者に同感を覚える者が意外に多かったのかもしれない。
気になった箇所
他の<blockquote>タグ同じ。p.90より
一八八三年ドイツ語版への序文この版の序文には、悲しいことに、私一人が署名しなければならない。マルクス――ヨーロッパとアメリカの全労働者階級が他の誰に負うよりも多くを負うている人、マルクスはハイゲートの墓地に眠っており、彼の墓の上にはすでに新しい草が生えている。彼が死んでから後には、宣言を改訂したり、補足したりすることは、いうまでもなく、もはや問題となりえない。
一つの妖怪がヨーロッパを歩き回っている――共産主義という妖怪が。旧ヨーロッパのすべての権力は、この妖怪を駆りたてるという神聖な仕事のために、同盟をむすんでいる。法王とツァーリとが、メッテルニヒとギゾーとが、フランスの急進派とドイツの官憲とが。
c ドイツ社会主義すなわち「真正」社会主義支配的なブルジョアジーの圧迫のもとで生まれ、この支配に対する闘争の文献的表現であった、フランスの社会主義的および共産主義的文献は、ブルジョアジーがちょうど封建的絶対主義に対する闘争を始めたときに、ドイツに輸入された。
ドイツの哲学者や半哲学者や文芸家は、むさぼるようにこれらの文献を自分のものにしたが、これらの著作がフランスからはいってきたときに同時にフランスの生活諸関係ははいってこなかったことを、忘れていた。ドイツの諸関係に対しては、フランスの文献はすべての直接的な実践的意味を失い、純粋に文献的な相貌をおびた〔それは、人間の本質の実現に関するひま人の思弁として現われざるをえなかった〕
万国のプロレタリア団結せよ!
これは、本書の一番末尾の段落で、共産党宣言を読んだことのない人でもこのくだりは知っている。右翼を称して
言葉
ルンペン・プロレタリアート
「ルンペン」という言葉は、もはやほぼ日本語と言ってよいように私には感じられていたが、昭和の初期頃に共産主義の思想などとともに移入されたドイツ語だという。日本語としてとらえられるのと同じく、直接には「
マルクスはプロレタリアートの一般層よりもまだなお下層底辺の貧民を「ルンペン・プロレタリアート」と定義し、軽蔑していたという。
- ルンペンプロレタリアート(Wikipedia)
ルンペン・プロレタリアート、旧社会の最下層のこの無気力な腐朽分子は、プロレタリア革命によって、ときには運動に引き入れられることもある。だが、かれらの生活状態全体からみると、彼らはむしろ、反動的陰謀のために買収されることをいとわぬであろう。
次
次は引き続き第15巻から「職業としての政治 Politik als beruf, 1919」(M.ヴェーバー Max Weber 著、清水幾太郎・清水礼子訳)を読む。第1次大戦敗戦後のミュンヘンで、学生に対して行われた講演の講演録だという。