回教とダイエット

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 「ダイエットなんつう贅沢なことで悩むような人は、いっそ相互理解のため回教徒の断食のマネでもしたらどうか」などと暴言というか、雑想を書きつけてから、追っとり刀で回教徒の断食のことをWikipediaで読んでみた。

 回教の断食月とは彼ら独特の陰暦の9月のことを言い、この月に1ヶ月間行われる断食のことを「サウム」という。

 まさかに、1ヶ月も断食を継続するわけではない。日の出ている間飲食をしないという戒律であって、逆に日中の戒律を守るためには、日没後は大いに飲み食いすることが推奨されるのだという。このため、断食の時にはかえって食料品の消費が上がり、肥満する者が増えるのだそうである。

 肥満する者が増える、と言うのは、それはそうだろうなあ、という気がする。つまり、相撲取りが稽古のあとでチャンコを食って昼寝をし、それによって成長ホルモンの分泌を促してあの巨体を手に入れるのと似た理屈だ。喰い溜め・寝溜めは成長期には身長を伸ばすが、成長期以外は「横幅を伸ばす」のである。

 そうすると、回教徒のマネをしてダイエットしようなどというのは、まったくの逆効果であるばかりか、幾分、回教徒に対して失礼というか、不謹慎な気もしてきた。

 まあ、異教に対して失礼だということを言うなら、その昔のキリストの誕生に思いを致す気なんかさらにないくせに、クリスマスツリーなど飾ってプレゼント交換するくらいならまだしも、若者はクリスマスと言うと彼女とホテルに籠って性交三昧に励むことだとでも勘違いしている、なんてことのほうが、よっぽどキリスト教徒に対して失礼なのではあるが……。日本を取り巻くキリスト教圏白人国家は、よくこんなキリスト教をバカにしているとしか思えない日本人を許しておくものだと思う。

 回教の見解では、「回教徒が断食によって受けられるご利益は、異教徒が仮に断食しても、ない」のだそうで、するだけ無駄とのことである。

 この断食の起こりは、次のようなものであるそうな。

 その昔、回教が呱々の声を上げたばかりで、マホメットも教団の隆昌のために粉骨砕身努力していた頃、武勇を尊ぶ彼らは強盗をやって暮らしていた。おいおい(笑)という感じもするが、誤解のないように言っておけば、強盗をしていたからといって、時代とその地域、またかの地の文化ということを幅広く考え合わせれば、必ずしも責められることではないのである。

 で、メッカから富裕な隊商がやって来るという情報に接した彼らは、教団全勢力を挙げてこれに襲いかかったのであるが、食うや食わず、腹が減っていることもあって、また、思いもかけず敵の予備兵にしてやられ、全滅寸前のところでアラー神の加護あらたか、回教の消滅を免れたものだそうな。こうした苦難の教団揺籃期を忘れぬため、いまでも断食をして、その頃に思いを致すことになっているのだ。

 他に、面白いことが書かれていた。回教圏では今も陰暦を使うが、かつてのアジア圏のように「閏月」を置かないので、どんどん暦がずれていき、1月2月といった月の名前は、季節を表してはいないそうだ。このずれは約33年間で一巡し、もとの季節に戻るそうである。断食月の9月が浮動するわけで、だから、断食は夏であったり冬であったり、季節は一定しないのだそうである。


 このエントリは、Facebookのウォールに書いたものの転載です。

サティ「ジムノペディ1番」 その1.00

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 引き続き稽古中の「ジムノペディ1番」である。

 今日も練習に励み、だいたいつっかえずに弾けた。

 これを「その1.0」としたい。


YouTube: Gymnopédies No.1

サティ「ジムノペディ1番」 その0.99

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 毎日休まず、地味にピアノの稽古は続けており、去年の秋ごろからの「ジムノペディ1番」の稽古も少しずつ少しずつ進歩させている。

 今日はひとつ録音を残してやろうと朝から頑張った。

 だいたい気に入った演奏ができた。少しつっかえているところもあるが、そこはアーティキュレーションということで(笑)、この演奏を「0.99」ということにしたい。

次女のピアノ発表会

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 半日、次女のピアノ発表会に行って過ごす。

 次女がお世話になっているピアノの先生は伊藤先生という独立の方だ。ヤマハや島村楽器と言った大きな組織とは関係なく教えておられる。しかし、発表会を開くときには、場所を借りるにも楽器を借りるにも、スケールメリットというものがある。そこで、同じように独立して教えている近在の先生方が数人で「アンプレセ」というグループを作り、年に1回の発表会はこのグループで開くのだ。そのため、保護者も結構な人数が集まる。

 私が住む新越谷に「サンシティ」という市民ホールがある。今年のピアノ発表会も、ここ数年の例と同じくそこの小ホールで行われた。

 素人の、しかも子供のピアノ発表会である。ところどころリズムが怪しかったり間違えて弾き直したりもする。だがそれでも、どの子も見事な演奏ぶりだ。見覚えのある子達の、その1年それぞれの進歩が見て取れ、一人づつ頭を撫でてほめてやりたいくらいである。

 次女と同じ先生に習っている双子の姉妹が連弾するブラームスのハンガリー舞曲5番など、見事なものであった。この姉妹はもう大人に近く、花も恥じらう乙女である。次女が小さい頃から同じ先生にピアノを習っているので、私もこの可愛い双子姉妹がまだほんの小学生の子供の頃から知っているが、昔から上手な弾き手であった。

 例年男の子が少なく、ほとんどが女の子だが、一人、これは、という小学校1年生の男の子がいて、バッハのコラール「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」を美しく弾いた。選曲の趣味のよさもあって、期待が持てるな、と思った。

 次女はというと、今朝という今朝の、それもぎりぎりまで稽古して、それでまだつっかえずに弾くことができず、しまいには鍵盤をピシャンと叩いて癇癪を起こしかけていたのに、またどういうものであろうか、「本番タイプ」の子なのである。ステージに上がるとシレッと落ち着き、弾き出しは多少怪しく、また幾分のミスタッチもあったものの、無難に今年の演目、ジュゼッペ・コンコーネの「魔女のダンス」を弾いてのけ、シャアシャアと落ち着いている。


YouTube: 「魔女のダンス」佐藤智香演奏

 今年音楽大学に進学するというすばらしく上手なお嬢さんの協賛出演があったほか、最後に先生方の見事な模範演奏が行われ、目が覚めるような思いがした。

 この指導者グループ「アンプレセ」の主宰は中村肇先生という方だ。私は何度かこの発表会に次女の連弾相手として出たほか、一度はソロでも弾いたことがある。そのため、年に一度お会いするだけなのに中村先生は私を良く覚えてくださっていて、「智香ちゃんのお父様、もう、いけませんなア、来ておられるんだったら弾いてくれたらいいですのに(笑)」と冷やかし半分におっしゃるのだった。去年・今年と私も多少忙しく、ために出演できなかったのだが、そのことをとても惜しんでくださって、私が「いやあ、それでも、毎朝のピアノの稽古だけは欠かさず続けているんですよ、でも今年は出演できるところまで仕上がりませんでして」と言い訳に頭をかくと、「それならばなおのこと、来年はぜひ出演をお願いしますよー!」と励ましてくださるのだった。

 こうして半日、心地よくピアノを聴いて過ごしたことであった。

サティ「ジムノペディ1番」その0.50

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 秋ごろからずっと「ジムノペディ1番」を稽古している。

 そう難しい曲ではないのだが、なかなか覚えられず呻吟している。特に、二つ目の主題のところの、左手がなかなか覚えられない。なんでだろう、と思う。

 気合の入り方、かなあ。

 しかし、いつまでも引っかかっているのもどうかと思い、ちょっと今日は気合いを入れて稽古し、録音を残した。だが、二つ目の主題は公開できるほどのものができなかったので、カットした。

ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」 その1.01

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 先週の木曜日、いつものとおり朝のピアノ稽古をしていたら、前回のよりかはいくらかよくなった演奏が出来たので、録音を残した。

ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」 その1.00

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 毎朝、ピアノの稽古をしている。

 今日もショパンの「雨だれ」を弾いた。とてもスムーズに弾くと言うわけにも行かず、間違いだらけである。

 だが、どうしたわけか、間違い、つっかえているにもかかわらず、「今日は、弾けた」と、思った。

 弾けたと思ったので、これを「その1.00」としたい。

 「その1.00」にしたからと言って、練習をやめてしまうわけではない。数少ないほかのレパートリー、「エリーゼ」や「ノクターン」同様、これからも楽しく練習を続けて、磨きをかけて行きたいと思う。

 1年半以上の長丁場の稽古だった。次の新しい曲に移ろうと思う。

ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」 その0.99

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 変わらず「ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」」、毎朝稽古している。

 なかなか完璧には弾けず、何箇所も間違えてしまうが、練習の現状の記録にと思い、録音した。

 前回だいぶ甘く採点し、不遜にも「0.98」としてしまったので、今回は採点はせず、その次という意味合いで「0.99」とした。

ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」 まだまだ稽古

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 毎朝のようにピアノの稽古を続けている。

 自分では「間違っていたことを正しくした」つもりでも、「正しかったことを間違った風に変えてしまった」という、とても分かりやすい反省体験をした。

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 写真は、ショパン作曲、プレリュードOp.28-No.5変ニ長調及び嬰ハ短調、通称「雨だれ」のプレリュードの楽譜の一部である。そう、私がもう、この2年と言うもの、阿呆のように毎日毎日稽古している曲だ。

 ある日、長楕円で記したところの弾き方が、どうもしっくり来ないような気がした。この部分は大分前に暗譜してしまっていたから、楽譜を見ることはほとんどなかったのだが、あらためて目を近づけてよく楽譜を見た。

 ピアノの楽譜であるから、どの指で打鍵するかを示す「1」「5」などの数字や、どちらの手で弾くかを示す「[」のようなくくり記号が入っているのがおわかりいただけると思う。

 この曲は平明な曲で、初心者向けなのだが、最初に述べたとおり「変ニ長調及び嬰ハ短調」、すなわち♭記号5つに♯記号4つという、初心者には指がつりそうになる曲でもある。

 で、写真の部分の、左手(下の段)をよく見た。「1」と数字の入っているのが親指で「ド」だ。うんと手を広げて、小指で「下のレ」だ。写真には入ってないが、調性は「変ニ長調」であるから、「ソラシレミ」が半音づつ下がる。なので、左手小指の「レ」は、ひとつ向こうの黒い鍵を弾く。

 しかし、実は、これは間違っている。写真の「誤」と朱筆した弾きかただ。

 写真の「正」のほうの鍵盤図が正しい弾きかただ。すなわち、左手親指の「ド」は、実は半音下げて、ドには黒鍵がないから、下の「シ」を弾くのが正しい。それは、その二つ前のところで、写真に小さな矢印をつけた「臨時のフラット」がついているからだ。臨時についた調性は、その小節内ではそのまま保つ決まりだ。

 私は、はじめはこのことを正しく理解していたらしく、正しく楽譜を読み、正しく弾いていたようだ。

 だが、なんとなく変な感じがして、もう一度楽譜を見た。「なんだ、親指「ド」じゃないか、ははは」と、その二つ前の臨時記号を見落としてしまった。最初にこの部分を読んだのはおよそ1年半前であり、すぐに覚えてしまったから、その後まともに楽譜を見ていなかったのである。

 せっかく正しく弾けていたものを、間違った方に直すことになった。が、これは、演奏の流れ上、「左手の人差し指で黒鍵のレ♭に触れつつ、1オクターブ下の黒鍵のレ♭と無印のドを親指で弾く」という、だいぶムチャな手の形になる。無理矢理そういうムチャな弾き方に直したが、耳で聴くと、どうも和音がおかしい。

 3日ほどもこのムチャな手の形で練習し続けたあげく、「やっぱりおかしい」と、先程もういちど楽譜をよく見直した。

 わかってみるとまことに単純極まる、初心者らしい間違いだ。

 しかし、私は、仕事でもこういうことをしょっちゅうしでかしているのではないか、と、暗然たる思いになった。

 これからは、「当たり前」だとか、「それは2年前にちゃんとたしかめたから」とか、あるいはちょっとだけ見てわかったようなつもりになり、おかしいことを押し通す、というようなことがないようにしたい。

 珍しく殊勝にも、朝から反省することしきりである。