いやもう、笑ったの笑わないの。
- 日本の政策変更促す 「平壌行き切符入手できなくなる」=北朝鮮(聯合ニュース、平成30年(2018)03月18日(日)14時02分)
いらねッて、そんなゴミみたいな切符。貰って何が面白いんだ(笑)。平壌なんか行っていいことがあるか?日朝国交正常化?!何言ってんだ、ありえねェだろ、そんなもの。
断交でいいよ、断交で。
オッサンは生きている。
いやもう、笑ったの笑わないの。
いらねッて、そんなゴミみたいな切符。貰って何が面白いんだ(笑)。平壌なんか行っていいことがあるか?日朝国交正常化?!何言ってんだ、ありえねェだろ、そんなもの。
断交でいいよ、断交で。
……。
なにしろ、攻撃型原潜だからねえ。そのうちに、「ポチッとな(笑)」とかいうフザけたノリで核戦争をおっぱじめるキチガイも出てきかねない。
いやまあ、そういう世相なんだろうけど、ナイわー……。こんなの、負け惜しみなんじゃねえの?
アメリカにせよ、ロシアにせよ。……ハラ立つなあ。
日本では戦争で倒れた世代は、世界各地を侵略し、アジア全域の女をレイプしまくったカスの集団ということになってしまっている。あまりにも悔しい。敗軍敗国は、ここまで愚弄されなければならない、ということかもしれないが、いや、まて、愚弄しているのは自分たち自身ではないか?
個人の記憶についてもう1つ言えるのは、ある個人が自分の戦争体験をよく覚えていても、それについて話さないということだ。例えば兵士であれば勝者側と敗者側の双方、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者や終戦時のベルリンでソ連軍に強姦された女性たちなど、戦争を体験したたくさんの人々は当時の暴力や恐怖について語ることをしなかった。
年がたってから口を開く人もいるが、一生語ることのないまま亡くなる人もいる。後になって話し始める人たちは、自分の物語が社会に受け入れられるようになった、という共通の記憶の変化に反応して口を開くことが多い。個人とは社会的文脈の中で思い出すわけだ。
戦争を体験したことのない世代の個人の記憶も同じように構築されるが、戦争そのものというより戦争について話される物語を覚えているというように、より非直接的な記憶になる。しかし、これらいわゆる「ポスト・メモリー」も、戦争体験と同じくらい力を持ち得るだろう。
これで集団の記憶は正しくなるよ、みたいなことを言われても……。日本の場合、もう当時の大人としての記憶を形式知にできる人は、90歳を超えちゃって、絶滅しつつあるもんなあ……。
これって、なんか、口喧嘩の応酬みたいなことなんだろうけど、核兵器がそういう、言葉のやり取りのアヤでちょっと間違って発射しちゃって人の2~3人が死んでどうにかなる、とかいうような、シャレで済むようなものじゃない、ってことを、やっぱり実感としてわかってないのよ、コイツら。所詮死ぬのは国民だ、みたいな。
人それぞれの勝手だとは思うし、事情もあるんだろうけど、どうも、この、旅先にまで犬なんか連れて行こうという、そのあたりがわからんなあ……。いや、盲導犬とか、そういうどうしても必要な場合はあるだろうし、大きな転勤、移住ってのもあると思うんだが、そうでないような、遊び半分の旅行なら、人に預けていくとか、やりようがあると思うんだが。
アハハハ、根拠と覚悟って、文春をはじめ、週刊誌だけじゃなくって、テレビだって新聞だって、それどころかマスコミ全部、そんな、「覚悟」なんてもの、あるわけないじゃん。ゼロだよ。
愛すべきところの多々あった人だったんだなあ、と改めて認識。祈冥福。
「まあ、そうだろうねえ」という感じと、「そんなの、Android自体、それそのもの全体がマルウェアみたいなもんだろ、電話番号から写真から何もかもアメリカの支配下にあるクラウドに送ってんだからさ、何を今更」という見方もあって、笑ってしまう。
ほほ~……。
……というか、ドナルド・トランプじゃなくて、
あー、ゼニカネ、ですかやっぱり。なんでもかんでも安くすれば正義、入札でさえあればオッケー、という愚かなやりかたのせいで、残すべきものが滅んでいくわけですわ。
ホーキング博士と言えば、思うに私などが子供の頃から活躍していた。何分学究の間の事は私などにはよくわからないから、その宇宙論がどれほどのものであったのかなど理解できない。
しかし、体の不自由をものともせず多大の研究成果を残したのだ、ということは、理解できる。
祈冥福。
ざまぁ見やがれ。こいつら如きの死刑執行は、遅れれば遅れるほどいい。拷問のように苦しみは倍加だ。思うに、50年くらいはいつ執行されるのかもわからない無明の闇の中に放置したほうがいい。
その際、変なジャーナリストなどが獄中からの声などを中継しないようにしたほうがよい。忘れ去られ、誰からも尊重されず、誰にも自分の言葉を届けることができないまま、死刑を待つのだ。
だって、アメリカだってリビアにCIA送り込んでカダフィ暗殺してるぜ?同じだろ。
今年はずいぶん早いようだ。
今日は外出していたが、もう梅は最後、桃は散り始め、という印象もあった。
ところが少し肌寒く、なのに青空が広がり、気持ちの良い一日だった。
Facebookのタイムラインに、時々「更科堀井」の広告が出る。更科堀井は私が好きな蕎麦
独特の白い更科蕎麦は
更科堀井の広告には、季節ごとに、おいしそうな
蕎麦屋は季節の蕎麦をいろいろと用意できる。一見バリエーションがなさそうな
冬だから牡蠣蕎麦を手繰りに行こうか、春だから桜の変わり打ちを手繰りに行こうか、と、季節ごとに味覚を思い出し、食べに行きたくなる。その季節にしか食べられないから、なんとしても行こうという気になる。
そんなわけだから、更科堀井のFacebook広告は、折々、季節感一杯に表示され、食欲が刺激される。
多分、更科堀井は、これからもずーっと人気店のままだろう。よほどのことがない限りは
他方、ふと、これが新規開店のラーメン屋だったらどうだろう、と思う。
ラーメン屋は新規開店後、4年から7年でほとんどが潰れてしまい、軌道に乗って生き残るのは8%ぐらいしかない、と何かで聞いたことがある。生き残る店は1割以下だということだ。
念のために書き添えれば、これは何もラーメン屋に限ったことではなく、更科堀井のような大老舗は別として、蕎麦屋だって同じことだ。潰れるのは飲食店だけのことではなくて、起業した会社は平均すると日本の場合7年で潰れ、世界的には4年で潰れるのだそうである。日本には明治時代から100年も残る会社があるが、こんなのは稀有な例だ。そんな中には例の「東芝」もあるが、アメリカの毒饅頭入り会社など買い取ったせいで軒先が傾いたのは、実に惜しいことだった。
さておき、ラーメン店が広告を出すにしても、蕎麦屋のように季節ごとに何か、というわけにはいかない。ラーメン店で季節感が出せるものなんて、せいぜい冷やし中華くらいで、あとは年がら年中同じ味、同じメニューである。だから店ごと独自に何かのイベントでも打つか、近隣のイベントに合わせて何かするしかない。あるいは商品開発をしてメニューにどんどん新しいものを加え、それを機会に広告を出し続けるかだ。
私の住む街に開店するラーメン店は、確かに、まったく長持ちせず、続々と潰れている。特に個人の店は無残に潰れていく。個人で商品開発を行うなんて、経営しながらでは無理というものだろう。いきおい同じメニューばかり出すしかなく、客は開店時に物珍しさで1回行けば、それでもう飽きてしまい、二度と行かない。
ふと、中小企業診断士の先生がラーメン屋を開店したとしたらどうだろう、うまくいくのかな、いや、ダメなのかな、などと思い浮かぶ。
結論は多分見えていて、うまくいかないだろう。ラーメンの技術は診断士の先生にはないし、現実のラーメン店経営は経営理論どおりでもないだろう。
引き続きゆっくりゆっくり、岩波の「北槎聞略」を読み進めている。通勤電車内の楽しみだ。
もうこの本も終わりのほうに近づいてきたが、次のような面白い部分があった。引用し、現代語訳を付してみる。
帝号を称する国をイムペラルトルスコイといひ、王爵の国をコロレプスツワといふ。
彼邦 にて他邦の者どもおち合、互 に其許 の国は何国 にて何爵ぞと問 とき、コロレプスツワなりといへばとり合 者もなし。イムペラルトルスコイなりといへば席中 形を端 し上座を譲 ると也。世界の間 四大部洲 にして其容 る所の諸国千百に下らず、其内帝号を称する国僅 に七国にて、皇朝其一に居る。されば光太夫等何方 に行 ても少しも疎略にせられざりしなり。
現代語訳(訳:佐藤俊夫)
「なになに帝国」という国のことをロシア語では「
империя 」と言い、「なになに王国」という国のことを「королевство 」と言います。ロシアで外国人同士が寄り集まって、「あなたの国はどこですか、王様の位は何ですか」と尋ねあうような場合、「なになに王国です」と答えると、誰も相手にしてくれません。
ところが、「なになに帝国です」と答えると、集まった外国人達は姿勢を正し、上座を譲ります。
世界、つまりヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカなどの中には、数え切れぬほど多くの国々がありますが、そのうち「帝国」を称する国はたった7か国しかありません。わが日本はその7か国のうちの一つに入っています。
そのため、大黒屋光太夫らは、ロシア国内のどこへ行っても、少しもぞんざいな扱いを受けることはなかったのだそうです。
キリロおよび今度来れる
蕃使 等が説に、日本国国体 、風教 、礼儀、衣服、制度に至るまで殊 に全美 にして議すべき所あらず。そのうへ軍事、武備整 り、武芸の精練なるに至りては諸国のおよぶべきにあらず。刀剣弓矢 の制作器械の良好なる、実に万国に冠 たり。然 るに外洋 の諸国を畏怖し 、我魯西亜 をも懼 れ憚 らるゝと聞 およべり。大に謂 れなき事といふべし。これしかしながら和蘭 国人等久しく貴国に通商し、その貨物 を諸国に市易す。もし諸国より貴国に通信互市 の事あらば其利 を失はむ事をいめる根なし言 より起 りしなるべし。これ其本 外洋 人たゞ支那と和蘭のみ通商を許されて其他諸国の舶 を入 られず、また外邦 へ舶をも出されず、外国の形勢、事理、情実を詳 にせられざるよりしてさのごとく畏怖せらるゝなるべし。貴国人物制度の全備 もとより外国の軽侮 をうくべからざる事は上 にいふ所のごとし。足下国に帰るの後よく此事理 をもて貴国の人々に告知 しむべしといひしとぞ。
現代語訳(訳:佐藤俊夫)
今回、大黒屋光太夫たちを送り届けてきたキリロ・ラクスマンらロシア帝国の使者たちは、我が国を評して次のように言っています。
「貴日本国は、国のありよう、教え、礼儀、服装や制度など、あらゆるところがよく整っており、文句をつけるような部分がまったくありません。刀剣や弓矢などの武器を作る技術や道具も優れており、これは世界のほかの国々と比べてもトップクラスです。にもかかわらず、外国を恐れ、わがロシア帝国をも恐ろしがり、避けていると聞きました。これはまったく根拠のないことです。
そのように思い込んでいるのは、おそらく、オランダ人達のせいでしょう。オランダは長年日本と貿易をし、日本からの輸出品を世界中に売って利益を上げています。もし他の諸国が日本に連絡をはかり、相互に貿易を始めると、オランダは日本との独占貿易の利権を失うのです。オランダ人達はそのことを嫌い、根拠のない説を日本に吹き込んでいるのだと思われます。
このようなことになってしまうのは、日本のほうにも原因があります。日本は中国とオランダだけに通商を許可し、他の国々の船の入港を拒絶し、また日本からも諸外国へ一切船を出しません。そのため外国の形勢や情報、詳しい事情などがよくわからず、むやみに外国のことを恐れる結果となってしまっているのだと思われます。
貴日本国は、国民も制度もきちんと整っており、もとより外国から侮られるような要素が全くないことは、先に述べたとおりです。
あなた(訳者注:大黒屋光太夫のこと)が国へ帰ったら、このことを論理的に、よく日本の人たちへ説明してください。」
使者のロシア人たちは、上のように伝えたそうです。
先日より岩波の「
「北槎聞略」は、江戸時代、伊勢・白子浦の千石船の船頭大黒屋
このロシア帝国での見聞録の中に、驚くべき内容が含まれていることを知った。著作権はとうに消滅しているので、以下に現代語訳とともに摘記してみる。
〇 赤ちゃんセンター
ロシア帝国には「赤ちゃんセンター」というものがあり、これは親から手放された赤ちゃんを育てるところです。ペテルブルグに1か所、モスクワに1か所あります。
四方を取り囲むように3階建ての長い建物があり、部屋ごとに「第1」「第2」などの番号がついていて、看板が掛けられています。
敷地の中央には学校や各種の技術を教える専門学校が置かれています。
赤ちゃんを預けるところは高い窓になっており、その窓に大きな箱状の引き出しがついています。
様々な事情で赤ちゃんを育てられず、手放したいという人がいる場合、その人は夜中の目立たない時間に窓のところへ行きます。赤ちゃんの誕生日を札に書いて首にかけてやります。それから壁をトントンと叩くと、内側から引き出しが押し出されて開きます。その引き出しに赤ちゃんを入れ、もう一度壁を叩くと、引き出しが向こう側に引き込まれます。
赤ちゃんセンター側では引き出しの中から赤ちゃんを引き取り、今度はその引き出しに5万円のお金を入れて外へ押し出します。赤ちゃんの親はそのお金を貰って帰ります。これは、血のつながった赤ちゃんすら育てられない程の貧困を憐れみ、救済のため政府から支給されるお金です。
あくる日の朝早く、赤ちゃんセンターの門に札がかかります。その札には「昨夜何時ごろ、確かに赤ちゃんを預かりました。その子の誕生日は何月何日で、こういう色の服を着ていて、お守りに何々を持っており、そのほか、これこれこういう特徴があります。その子は第何番の部屋で育てることになりました」と、それとわかるように大きな字で書かれ、また同じものがその部屋の入り口にも掛けられます。赤ちゃんを手放した親は、こっそりとそれを見に来て、わが子が無事引き取られ、育てて貰えるようになったことを確かめ、安心して帰ります。
赤ちゃんセンターの門には番兵がいますが、通り抜けは禁止されていません。それは、赤ちゃんを手放した親が時々ひそかにやって来て、わが子が無事かどうか、それとなく様子を見ることができるようにしているのです。
センターにはベテランの女性や保育士が多く勤務しており、彼女らによって赤ちゃんが育てられます。赤ちゃんが成長して子供になると、学校や専門学校に入れ、その子の希望や適性によりそれに応じた勉強をさせます。
もし赤ちゃんの実親の事情が変わり、もう一度赤ちゃんを取り戻して育てたいと希望する場合、赤ちゃんを預けた年月日や誕生日、第何番の部屋の子ということを書類に書いて、赤ちゃんを預けた引き出しに入れれば、すぐに赤ちゃんがその引き出しに入れられて親の元へ帰されます。
こうして育てられた子供が大人になれば、軍曹に取り立てられて官職に任じられ、社会に出たり、あるいは親元に帰ることができます。
以下は上記現代語訳の原文である。
〇 幼院
幼院は
是 棄児 を養育する処なり。ペートルボルグに一処、ムスクワに一処あり。四方に三層 の連房 を建 めぐらし、房 毎に第一、第二の字号 を書たる牌 をかけおくなり。かまへの正中 に学校及び百芸の院を設く。児 を送り入る所は高き窓にて、内に大きなる箱を活套 のごとくに仕かけおく。児を送り入る者、夜陰 に及び小児 の誕辰 を牌 に記 して頸 にかけさせ、彼窓 の下につれ行 墻 をほとほとと敲 けば、内より活套 の箱を押し出す。やがてその内に小児を置 、また墻をうてば活套を内に引いれ、小児を取出し、其箱に銭五百文入て又押出す。児の親その銭をうけて帰るなり。是は肉親の児 を養育する事さへ能 はざる程の困窮を憐れみ、救ひの為に官 より給はるなり。夫 より翌朝未明に彼 院の門に牌 をかけ、昨夜何時 に送り入 たる児何月幾 日の誕生、衣服は何色、守 は何、その外徴 に成 べき程の事を詳 に書しるし、其児 は第幾号 の房 に養ひおくと大字にて書て掛 、その房にも左之ごとくに記 したる牌 を掛 おくなり。其親人しれず来りて彼牌を見合せ、其居所 を認 て帰るなり。幼院の門には番卒 あれども通りぬけを禁ぜず。棄 たる親のおりおりに来りてその児の安否をよそながら見る為にしたるなり。院中は老嫗 乳母 を多くおきて児を養育せしむ。漸々 に成長すれば学校作院 に入れその児の好む処を学ばしむ。其親また取戻し養 んと欲 れば、送り入 たる年月日日時及び誕辰 第幾号 の房 の児 といふ事を詳 に書記 して件 の箱に入るれば、即時に其児を箱に入て押出 すなり。其内にも業 の成 たる児をばセリザントに封 じて帰さるゝとなり。
世界史的にはこの頃はフランス革命前後の時代だ。しかし、これほど帝政ロシアという国が爛熟・成熟した文化を持っていたとは、驚くほかはない。多分、イギリスや、文明の先頭を突っ走っていたフランスだって、こんな制度は持っていなかったのではないだろうか。
いやもう、こんな話、もうどうでもいいよ。仕事しろよって。
ブン屋もさー、他の記事書けよ。いつまでこんなところほじくってンだよ、ほんと。それしか能がないんかいっちゅーねん。
……いや、それ、アメリカ人の心の中の問題で、そこに「危惧」とか言ったってしょうがねえだろ。
だいたい、アメリカなんて国はさ、乱射事件が起こると、「それ、規制が始まる前に買っちゃえ!!」って、駆け込み需要で銃が飛ぶように売れ、コルトだのスミスアンドウェッソンだのの株価が急騰するんだぜ?そんな国の人々の頭の中に文句つけたってしょうがねぇよ。
アメリカへ旅行に行き、ウォルマートなどの大型モールへ行くと、ホームセンター的な売り場の、農機具なんかの横には「フツ~に」銃売り場があって、ボール箱に入った銃が雑然とガラスケースの中に積み上げられていて、これが日本の玩具ショップのモデルガンコーナーみたいに見え、「本物感」が全然ないのだ。
しかしまぎれもなくそれらは実銃で、その周りには「セール!38口径スペシャル100発が今なら驚きの何ドル!」とか、安売りの弾丸のポップがベタベタ貼り付けられてたりするもんな。そりゃ乱射事件だって起こるわい。
北日本の気象は大荒れとのことである。
職務に殉じて亡くなった方には、心から哀悼の意を表したい。まだ若いのに気の毒である。
翻って、欧州でもあまりの寒さの為に死人が続出しているそうな。
昨夕仕事の帰り、秋葉原のヨドバシに寄った。鞄の肩掛けバンドが壊れたので、替えのバンドを買いに行ったのだ。習慣で、ついでに1階をぐるっと見て回った。
驚いた。
いつもの「Apple」常設フロアのわきに、結構な広さで「
HUAWEIの携帯電話が格安SIMの対象マシンとなって売れに売れているらしいことは知ってはいたが、ヨドバシに常設フロアができるほどになっているとは思っておらず、虚を突かれた。
おお、これまたなんだか、ちょっと偉くなったような気分になるなあ。
「ITストラテジストの偏差値は『71』」と来た。……何を基に計算したのか、まるで謎ではあるが。
「STREET JUSTICE レイシストをしばき隊5周年」会場(渋谷ギャラクシー銀河系)にて。1枚目の撮影は野間易通さん(笑)。 pic.twitter.com/ITplT59OdK
— 有田芳生 (@aritayoshifu) February 22, 2018
これは有田
こんな風にバットをかざして「『レイシストをしばき』たい」なぞと文字をちりばめれば、「このバットで殴るぞ」と言わぬばかりである。
こんな写真を撮ってふざけているのは、頭がおかしいからである。こんな頭のおかしい者を国会議員として選挙で選んでしまったのだと思うと、何やらこちらまで恥ずかしくなってしまう。いや、私はこんな者に投票はしていないが、しかし一国民として責任の一端はなくもない。
ともかく、こんな者は国民の代表としての資質に欠けている。昔は選良と言ったものだったが、とても「良」などとは言えない。どちらかというと「悪」の臭いまでする。
議員先生が何をどうしようと知ったことではないが、平和主義や反差別主義を標榜する人が暴力をちらつかせるなど、批判したくなるのを通り越して、もはや