紫陽花(あじさい)

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菓子なればあぢさゐに香のあるべけん
あぢさゐの伽藍(がらん)大日薬師釈迦
停年日ただ〳〵雨の紫陽花(あじさい)

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

今週のさえずり季題

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読書

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 通勤路の(はな)皐月(さつき)が盛りだ。キュッと締まった(つぼみ)も赤々と(ほころ)びた花も美しい。歩くと初夏らしく汗ばむ。紫陽花(あじさい)はまだ盛りではないが、少し雨模様の日が増えつつあって、そろそろ梅雨かな、という感じもしてきた今日この頃である。

 蒸し暑く感じることが多くなり、冷たいものや酸っぱいものがしみじみと旨い。読書しつつ、冷酒を胡瓜(きゅうり)和布(わかめ)の酢の物でやっつけるのなど、大人の男の至福と言わずして他にどう言えようか。

 引き続き読み進めつつある約60年前の古書、平凡社の「世界教養全集」第8巻、2作収載のうち1作目の「論語物語」(下村湖人(こじん)著)を往路の通勤電車内で読み終わる。

 論語を題材にした二次創作、フィクションと言えば言えるが、基底にある論語は著者によってありのままに理解され、わかりやすく組み立て直されていながら、論語の魂は損なわれることなく見事な輝きを放っている。

 著者下村湖人は名作「次郎物語」の著者でもある。下村湖人の代表作はどれかと(ひと)()わば、「次郎物語」か、この「論語物語」かと論を二分するそうで、読者の幅広さで言えば「次郎物語」に、読者の深さに着眼すればこの「論語物語」に、それぞれ軍配が挙がるように感じられる。

 次は「聖書物語」(H.ヴァン・ルーン著)である。私は聖書については子供の頃から何度も読み、味わってきている。その聖書を、さながら前読「論語物語」のように噛み砕き、組み立て直したものと思えば多分間違いではあるまい。

 著者ヴァン・ルーン本人による「まえがき」をたった今読んだところであるが、ハナっから、なにかもう、ゾクッとするものを覚える。

一杯

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 今年の台風は随分早い。

 だが、その早い台風、3号「セーパット」はそれほど大した威もふるわず、昨日の朝、太平洋岸の当たり障りのないコースを慎みやかに過ぎていった。今日はもう温帯低気圧に変わってしまっているが、それが北からの冷気を巻き込むのか、小雨(こさめ)模様で鬱陶(うっとう)しくはあるものの、涼しい土曜となった。

 植栽に心を込めている近所の家々の紫陽花(あじさい)額紫陽花(がくあじさい)が雨に濡れて美しい。

 ところどころ、蔓性の、(だいだい)色の鮮やかな、喇叭(ラッパ)形の大らかな花の咲く庭も見かける。この花は何というのだろうと検索してみると、これは「凌霄花(のうぜんかずら)」というのだそうである。

 最寄駅新越谷の南東、イオン(旧ダイエー)の北側に駐輪場があり、その車道沿いに赤い実の()る街路樹が植えられている。

 毎年変わらず実をつけているのだろうけれども、今まで気にしたことがなかった。居住20年になんなんとする今になって、ああ、赤い実が生るのだな、しかも大量に、今の時期に実をつけるのだ、と気づいたのだ。「この木は私の気にしない間、何十年とここで毎年赤い実をつけてきたんだな」と思った。

 少し調べると、山桃の木であることがわかった。食せば美味らしい。山桃は「山桜桃(ゆすら)」とも称するが、「山桜桃梅(ゆすらうめ)」とは別物のようである。

 さておき、今日は自家用車の6箇月点検で、午後遅く運転しなければならなかったので、このところの休日ごとの楽しみ「蕎麦屋のパトロール」はなし。

 自動車は特に悪いところもなく、エンジン油を換えた程度。

今日の酒肴・竹輪と茗荷と紫蘇の酒肴 運転の用事が済んでから、肴をこしらえて一杯。

 竹輪(ちくわ)茗荷(みょうが)紫蘇(しそ)を細く切り、塩を一(つま)み、檸檬(レモン)汁を適量、いつもの冷や酒を三合()む。

 今日はなんだか気分が乗らないので、動画はなし。