ぐっわー、こういうキチガイ本って、書いて出版してもいいんですね。いやぁ、勉強になりました。
タグ: 馬鹿
今週
五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。
それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、
「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」
……とアナウンスが流れるではないの。
当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。
もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。
なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。
で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……
・ 山崎富治氏が死去
……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。
へぇ~、知らなかったなあ。
・ http://togetter.com/li/904991
あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。
特に、
(引用)
わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。
それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。
なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。
(引用終わり)
……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。
新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。
というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。
【新発明】祝日の楽しみ方【長女考案】
ワシ 「ぬぅ、そうだのう」
長女 「で、宿題とか勉強とか、イヤなことしてると、いつまでたっても時間がたたないじゃない?」
ワシ 「今さらだが、長女よ、すんごく普通のことを言っているぞお前」
長女 「ちがうわよ、最後まで聞いてよ。今日みたいな連休だと、できるだけ休日が長く続いた方が、お得感があるでしょう?」
ワシ 「うむ」
長女 「そうするとさ、できるだけイヤなことをして過ごした方が、休日が長く楽しめるのよ、受験勉強とか宿題とかお父さんに説教されるとか」
ワシ 「おおおっ!!よ、よくぞそれを発見したな長女よ!お前はエラいッ!!」
次女 「……。何このふたり。嫌なことが一日中続くってだけじゃない。アタマおかしいんじゃないの」
劣々優々
一頃の私は、クズのような人物の部下にされたり、職務知識が皆無の上司の下に何年もつけられたりと言ったことが20年近くも続き、「どうして俺は、こういうカスの下にばかりつけられるんだろう」と真剣に悩んだことがある。単に考えが合わないとかメンタルとかストレスとか、そういう弱っちい話ではない。免職レベルの犯罪とか、そういうハードな尺度感の話だ。シャレにならなかった。
「彼は、アイツは、ああいう優れた上司に仕えているのに、なんで俺だけ?」などとも思った。イヤならそんな職場は七里けっぱい、退職すればいいようなものだが、それをすれば私がカスに負けたことになる。自滅した者もいるが、工作をして上司の首をすげかえてやったことも、白状してしまえば、ある。こんな馬鹿に負けるものかと思ったから、戦ったのだ。しかし私が払った代償も極めて大きかった。
今もそういう状況には大して違いはないのだが、ちっとはマシになってはいる。だが、仮にマシになっていなくても、もう、若い頃のように正義の衝動に突き動かされて事態の解決を図ろうという気はない。なぜかというと、もはや組織も上司も愛していないからである。どうなろうが知ったことではない。
上司の指示にハイというのは、上司、ひいては組織を愛していないからである。バカ上司がどんな目にあおうと知ったことではなく、どうでもいいから、ハイとにこやかに気持ちの良い返事をするのである。
だが、今の私が素直なのは、そればかりが理由でもない。自分に存する原因が最も大きいことを、ある頃に理解したからだ。
もし、かつての私と同じように、「俺の上司は、課長は、部長は、社長は、どうしてこうもバカなんだろう、なんであそこまで四流、五流なんだろう」と悩んでいる人がいたら、どうか私が今から書くことを含んで味わっていただきたい。
あなたの上司がバカなのは、あなたが大バカだからであり、あなたの上司が四流、五流なのは、あなたが五流、六流だからである。
優れた人は、優れた上司の下につけられる。仮に、一時期変な上司の下につくことがあっても、優れた人は数年を経ずして、すぐに優れた部署の優れた上司の下につけ直される。
あなたは、劣った人なので、劣った人の下につけられている。
逆も同じだ。あなたの部下が劣っている理由は、あなたが劣っているからである。劣っている上司には、劣っている部下がつくのだ。無論、そうでない場合もたまにあるが、優れた部下はすぐに取り上げられてしまうのである。また、もしあなたに素直な部下がいて、いつもハイと気持ちよく言う事を聞いて指示通りにしているとしたら、それはあなたや組織なんかどうでもよく、愛していないからそうしているのだ。
まことに、単純な理屈だ。
これは、あなたのことを言っているのではない。私自身のことを言っている。だから、こんなことを私に言われたからと言って怒ることはない。佐藤俊夫は劣っているのだな、と笑っていただければよいと思う。
偏執鍋親父
涼しくなった。というか、朝晩、そぞろ肌寒さをも覚える。
そんなわけで、今日の我が家の晩飯は「初鍋」である。
はじめ、昆布のみの出汁湯に豆腐だけであったが、まあ、茶人とか食通じゃあるまいし、家族の夕餉なんだから、というわけで、豆腐の後に白菜を煮、葱を煮、肉を煮、饂飩を煮て〆る、という塩梅で、久しぶりに楽しかった。
食い終わって喋りあうことには……
長女 「やっぱり、湯豆腐でしょ」
次女 「シャキッとハリハリ鍋かなあ、水菜買ってきてさー、おいしい豚肉も買ってきて煮てさー、ぽん酢でさー」
妻 「栄養から言えば、お肉も魚も野菜も入れて、寄せ鍋でしょ?」
ワシ 「……。ぬぅ。お前らは鍋というものが分かっておらぬわ!こういうものはだな、具材が少なければ少ないほど、素材の味わいが増すのだ!……長女ッ!お前が一番ワシの考えに近いッ。湯豆腐というのが正解に近いと言えようかのう?」
妻・次女 「えーっ、豆腐だけなんて、なによー!!物足りないからイヤよそんなの」
ワシ 「だーっ!黙らんかぁ!お前らのようになんでもかんでもグダグダと鍋で煮立ててしまっては、せっかくの材料の味が台無しではないか!ワシのような達人になるとだな、もはや、鍋には具など必要なくなるのだ!更に修業が進むとだな、具どころか、出汁もいらない、火も必要ない、鍋だけがあればそれで満腹し、百年の命をそれでながらえると、これは唐代の粋人、李汎宇もその著書『全界辞言考』において言及しているッ(全部嘘)!!」
妻・長女・次女 「そんなあ!!お鍋になんにも入ってないなんてえ!?」
ワシ 「ええい、貴様らは勉強が足りぬわ!かの大宰相チャーチルはだな、本来ベルモットとジンを配合すべきカクテル、マティーニはものを混ぜすぎだと言って、ベルモットの瓶を脇に置いて睨みながらジンを飲み、精神力で脳内にマティーニを現出させたのみならず、ついには秘書にベルモットを飲ませてその息をおのれに吐きかけさせ、ほのかにベルモットの香りのまざる息を嗅ぎながらジンを舐め、これぞ究極のマティーニだと言ったのだぞ!?鍋物もかくあるべしッ!!!」
妻・長女・次女 「お父さんだけ一人で勝手にやってくださいッ!」
年金の受給を拒絶できればそれにこしたことはないのだが
先日の誕生日で、定年まで5年を切った。私の職場は学年定年ではなく、満年齢定年なので、誕生日の翌日に定年になるのだ。
私は中卒で給料取りになった。社会保障完備の職場なので、15歳からこのかた、一文一銭たりと欠かすことなく年金を払い込んできた。私の「ねんきん特別なんちゃら」には、ただ一行、昭和57年4月から現在まで、とだけ書かれている。単純明快なものだ。
だが、年金の運営というものはやはり厳しいようで、どうも、私のような年代の者が大手を振って受給することは難しいようだ。多分受給開始は70歳とか、悪くすると75歳からということになるのだろう。更に悪くすると、「あなたの年齢の方には年金はありません。あしからずご了承ください」と素っ気もなく言い放たれる日も遠からず来るように思う。
そうなってしまいつつあるものは、弱者が何か言おうが叫ぼうが、もう、どうしようもない。多分、年金はシステム的にダメだろう。こんな浅はかなものに期待する方が馬鹿というものだ。
人並みに苦労もしてきたが、若者に「爺ィとっとと死ね迷惑だ」などと罵られながら投げ銭を拾い集めるが如くに年金など貰いたくない。
「貴様らと違って俺は払うべきものは全部払っているが、逆に貴様らみたいな甘えた若造連中などから
なんとか金を儲け、腐った年金など貰わなくて済むようにしたいが、世の中うまくできていないものだ。腐ったものでもカネはカネ、情けなく縋るようにして年金でもアテにしておくより他にない。
これを単純に「老後の不安」と言う。ええいちきしょう(笑)。
少数派を理解せよ、而して
人の言う事に耳を傾け、また、人が快いと思うことをしてやり、人が嫌がることをしない。……こういうことは人間が理性の動物である以上、まことに基本的・基礎的で、必要欠くべからざる人生の態度の一つであると言えよう。そこに何らの疑問もない。
ただ、それにも限度と言うものはある。
人生の甲を経てくると、人間には実に様々な性癖と好悪を有する一群の者たちがあることを、知識ではなく実体験として知るものだが、そんな中には、例えば、
- 糞便を全身に塗りたくることを無上の喜びとしているような者
- 覚醒剤中毒患者
- 殺人がやめられなくなった者
- 児童を犯す者
- 盗癖者
- 痴漢・痴婦
……などという極端な者たちもある。
こういう連中に対するとき、生理的な嫌悪のもと反射的に遠ざけてしまうのは、ごく一般の人にとって仕方のないことだ。だが、そこを
だが、こういう極端な者たちが望むことをしてやる必要は、ない。いくら人として、相手が快いと思うことをしてやることが基本だと言っても、このような連中を調べて理解することはしても、彼らが望むことをしてやる必要などないのだ。
これを帰納すれば、
「少数の者を愛ある態度で理解することは必要だが、その好むところをなしてやるべきとは必ずしも言えない」
ということである。
最近、政治的に絶叫しだした人も多い。冷静に
しかし、その要求するところを
「ウンコはおいしいものです。あなたもこの美味を体験すべきです。さあ、みんなでウンコ食べようウンコウンコー」
……などと言われれば、
「そうですかおいしいのですか。なるほど、おそらくインドールやスカンドールなどの香味成分が脳の快感中枢を刺激して美味なのでしょうね。よかったですね。これからも頑張ってください」
と、彼らの心の内を研究し、理解はする。
だがしかし、俺はウンコなど食わん。そんなことができるか。誰がお前らの仲間になどなってやるものか馬鹿野郎。
幽霊怖いよ
暑くなると幽霊譚、怪談、オカルトの話に傾くのは、涼味をなんとか得ようとする昔の人の知恵ででもあったろうか。
この季節、雑談などするとつい話もソッチへ傾きがちで、馬鹿げているがこれはこれで夏らしくてよい。
幽霊談、心霊現象自慢、怪奇現象自慢などをしていると思い出すことがある。
小学校の2、3年、あるいは4年くらいの頃だったか。子供の頃の私は、女の子に笑われてしまうほどの「怖がり」であった。なにしろ、なによりも幽霊が怖い。長じてみると幽霊なんぞより生身の人間のほうがよっぽど怖いということが身にしみてわかるようになるが、子供は生身の人間の怖さなど知らないから、幽霊なんぞを怖がるのである。
子供の頃の私が住んでいた家は大正時代に建てられた古い長屋官舎で、戦災の焼け残りだった。古びた土壁、暗い田の字型の室内、北向きの縁側、間取りは4畳と6畳のふた間。そこに5人家族がひしめき合って暮らしていた。まあ、裕福ではなかった。
古い官舎の天井には、なにか人の手形のようなものが付着していて、それがなにやら茶色く変色しており、「血の跡なのでは……!」と想像しだすとキリがなく怖い。裏の物置から幽霊が出てきそうで、本当に怖かった。
私は末っ子だったので、学校から帰ってくるのは一番早い。母が働きに行っていたから、当然、誰もいない家に一人で鍵をあけて入る。暗い官舎にじっとしていると、幽霊があっちからこっちから出てくるような気がして、もう、逃げ出したくなってくる。
それで、恐ろしくてたまらず、ともかく家から走り出す。走り出したからといって特段することなどなく、当時多くの人がやっていた暇つぶし、商店街の本屋へ立ち読みに行く。
怖くて家を出てきたのだから、漫画の立ち読みでもして気分を明るくすればいいようなものなのに、そんな時に限って、ふと立ち止まって見上げた本棚には、「恐怖の心霊写真集・パート1」などという、当時はやった本が並んでいるのである。それをまた、よせばいいのに、つい、ついつい、おずおずと手にとってしまう私なのであった。
ページをめくる怖さ恐ろしさ。やめときゃいいのに、ずんずんページをめくってしまい、背に冷や汗が流れ、本屋のレジのウラの暗がりから今にも霊がまろび出て来そうな気がして、悲鳴を上げそうになるくらい怖い。ああ、こんな怖いものを見ているくらいなら、とっとと家へ帰ろう!
そうして本屋を逃げ出して、小走りに家に帰るのだが、一人っきりの家がまたしても怖い。さっきまで見ていた「心霊写真集」の霊が台所の障子から浮かび上がってきそうな気がする。うひゃあ!怖い!
それでまた、家を飛び出し、これがどういう脳みその構造だか、また本屋に行って、また「心霊写真集」を手にとってしまうという、ワケの分からない私なのであった。ひい、怖い、……と、また家に走って帰り、また怖くて、友達の家にでも行けばいいのに本屋に行ってしまい、また心霊写真集を見、また家に駆け戻り、……という、「猿のなんちゃら……」のような、アホなことを5、6回も繰り返すのである。
我ながら、本当に変な子だったなあ。
そういう、怖がりにバカの混じった私であったが、長じてから職業上、人が首を吊って死んだ跡地で闇夜に一晩見張りをしたり、災害地で沢山のご遺体を収容したりするうち、幽霊なんかまったく怖くなくなってしまった。
犬入札
私はなぜか犬の調達の発注側の担当者で、入札をかけなければならないことになった。
発注側担当者であるからには、犬についてどんなことでも知っていなければならない。しかし、私は犬については素人であり、そのような部署に配置されて、毎日困り果ててしまっていた。
そんな日々、これもどうしたわけか、某大手IT企業で営業をしていたはずの知り合いが、なぜか犬屋の営業に転職しており、知り合いの
ある日、なんだか、マスチーフとゴールデンレトリバーと
「これ、何ですか?」
と、その知り合いの犬屋の営業氏に聞いてみたら「これはチワワだ」という。
「へっ?チワワ!?そんなバカな、チワワは小型犬でしょう?」
「あ、佐藤さん、佐藤さんは犬が専門でないからご存知ないと思いますが、チワワを飼うときは、育たないように餌をあまり与えないようにするんですよ。そうするとずっと小型の愛らしいままなんですが、つい可愛さに負けて、ほしがるだけ餌を与えると、どんどん大きくなってしまって、こういう
「へぇーっ……そ、それは、し、知らなかったなあ。い、いやあ、いつもいろいろと教えてくださって、本当にありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。……そういえば、もうすぐ公示でしたっけ、どうか佐藤さん、よしなにお取り計らい下さいよ」
「すみませんねえ、いつも直接お力になることができなくて……」
「いやあ、わかっておりますよ、佐藤さんのお立場は。祈ってくださるだけで結構ですよ」
……などというほのぼのとした会話があった。
入札は電子入札になった。ところが、この営業氏は電子入札に1分ほど遅れてしまって、入札できなかった。締め切りになるところを、契約担当部署に入札書持参で大慌てで駆け込んできて、システム障害のための不可抗力だ、どうか
契約担当者も渋い顔をしたが、熱心に平身低頭する営業氏に負けてしまい、つい、入札書を受け取ってしまった。
結局、落札したのはこの営業氏の商店だった。予定価格と比べて適正だし、なにより最も安かったのだから、それはルールどおりといえばルールどおりではある。
ところが、納品内容の説明を聞くと、例のデカくなってしまって役に立たない、ウドの大木チワワを納品するというのである。契約担当者は腹を立て、
「あなたねえ、本来だったら遅刻した時点で資格喪失してるの、わかってるでしょう?本当なら落札できないんですよ!?それをこんなバカ犬を納品しようって、何を考えてるんですか」
「でも、でもでも、結局は入札をお受けくださったじゃないですか、ひっくり返すのはずるいですよ。仕様書には『犬』としか書いていないはずです。公定の仕様書にしたがって落札したんですよ。それに、約立たずのでくチワワだって、命のある生き物なんですよ、あなたにはそういう万物の霊長としての慈悲ってものはないんですか」
「キミは何を言っているんだ!」
……と、いうようなモメごとに発展して、発注担当の私が契約担当と営業氏の間に立ってオロオロしているというところで、目が覚めた。
ああ、よく寝た。それにしても、ヘンな夢だったなあ。
今日もメシは一つ覚え、チョコレート3かけら、