応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.17

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 「エリーゼのために」、引き続き練習中である。

 今日の出来はこんな具合、一進一退、なかなか思うようには進歩しない。弾き出し、いいかな?と思ったのだが、最後の主題部の入り口の、いいところで詰まってしまった。  

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.16

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 朝、晩と弾いている。録音してみているが、今日は第1中間部でつっかえて、うまく録音できず。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.15

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 たびたび記すところであるが、全音の「全訳バイエル」と「最新バイエル」の巻末には応用曲としてベートーベンの「エリーゼのために」が付録されている。「エリーゼのために」は、バイエル修了の総仕上げ的な位置づけにあるのだ。

 私が使っている「最新バイエル」の巻末の応用曲は、ケーラーの「半音階のポルカ」、「エリーゼのために」、それからバイエルの「アザリア・ポルカ」の3曲であり、今私は「エリーゼのために」を弾いている。

 日々練習に励んでいる。だんだんと弾けるようにはなりつつあるものの、その進度は速くはない。だが、それを引け目ともなんとも思っておらず、毎日楽しく弾いている。なにせ、自分で勝手にやっていること。ピアノを練習する義務もなにもない。いつやめようが誰に文句を言われるわけでもなく、まったく気楽な身分とはこのことであろう。

 練習は毎日一進一退の様相であり、今日はうまく弾けたかなあ、今日はぜんぜんダメだなあ、いや今日ときたら昨日より下手になっている、などということの繰り返しである。

 最近、また朝練習をするようになった。5時に起き、5時20分までに朝食をすませ、トイレから出ると5時半である。5時40分に家を出るのだが、それまでの10分間、ピアノを稽古する。無論ヘッドフォンをつけるのだが。この朝練習が非常にいい。びっくりするくらいうまく弾けることが多い。

 仕事から帰ったあともピアノの練習はするが、殺伐と仕事をして帰ってくると、自分ではそうは思っていなくても疲労は澱のように体と精神を汚しており、朝の10分間以上にうまく弾けることは少ない。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.14

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 月曜日から今日木曜日まで、職場泊まりの仕事がやっと終わった。帰ってきてさっそく「エリーゼのために」を弾く。

 たった3日ほどもピアノに触れないだけで、練度があっという間に低下している。

 だが、たった3日といえど日にちを空けて弾くピアノは楽しい。妻も子供たちもいるし、家に帰って来てよかったなあと思う。

 とてものことに今日は録音しておくような成果は得られず。

 次女は7月のPTNAのコンペティションに向けて、バイエル98番とカバレフスキーの「小さな歌」を練習している。今日はピアノの先生に褒められたといって喜んでいる。わが子ながら、弾くとなかなかしみじみした出来栄えなのだが、どうも練習不熱心で妻に怒られている。困ったものだ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.13

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 今日の「エリーゼのために」は、こういう具合である。

 なんとかかんとか、弾けているうちには入ると思う。とはいうものの、隣の鍵に触ってしまっている類のミスタッチはいっぱいある。

 更に精進する。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.12

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 「エリーゼのために」、だいぶ弾けてきたなという実感が湧いてきた。

 来週の日曜日あたりには、今の速度(♪=80くらい)でならミスをせず弾けているように思う。

 そうなれば、あとは訓練により速度を上げ、表現をつけていくのである。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.11

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 最初っから指づかいを間違えて練習していたのに気がついた。3小節目左手である。

 ミミ#ソ、 というところを5・2・1、すなわち小指-人差し指-親指、というふうに弾いていたのである。

 なんだか弾きにくいなァ、変だなあ、とは思っていた。3月からこっち、既にふた月もこれで練習してきてしまったのだ。あんまりにもなんだかヘンで、特に2→1というところで人差し指の爪が黒鍵と白鍵の間に突き刺さって爪が折れそうになり、「はうぐッ!」と呻きつつ「ぬぅ、一体コレは・・・?」などとつぶやいていたのだ。

Photo_3 よく見たら、ハッキリと「1 2」と書いてあるではないかい!!(左図)

 「指またぎ」風に親指をまたいで、人差し指で#ソを弾くのだったのだ。一度「1 2」を「2 1」だと思い込んでしまうと、もはやその部分を改めて認識しようなどとは思っても見ず、固く固く「2 1」と信じ込んでしまっていたのである。

 おっさんというものの一般特性は思い込みが非常にハゲしいということである。「アイツが悪い」とか「これが原因だ」とか「これは良くならない、原因不明」などと思い込んでしまうとガンコこの上なく、ちょっとやそっとでは意見を変えないし、よしんば自分の間違いに気づいても、前後の見境もなくブチ切れたりして、始末に負えない。つまり私もそうである。

 俺ってやっぱりアホやなァ、などと思う日曜の午後なのであった。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.10

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 「エリーゼのために」、このところ1週間、修学旅行の臨時列車をウォッチングして惚けていたわけではなく、無論毎日練習している。

 第1中間部がなぜかうまく弾けなくなってきた。よくこういうことが起こる。しばらく時間をおいて再び弾くと、うまく弾けたりする。それで、というので調子に乗って2~3度弾くと、またわけがわからなくなり、下手糞になる。

 これまでの例で言うと、こういう時にはもう一度楽譜を拾って、確実にゆっくり弾く事をすれば調子がよくなるのだが、これが意外に億劫なことで、やろうという気にならなかったりする。

 そんな日々であるが、今日の出来もなかなか大躍進というわけにはいかず、下のような程度である。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.09

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 引き続き「エリーゼのために」を練習中である。

 第1中間部がかなりよくなってきたと思っているが、更に練習を要する。

 第2中間部は、まぁ、・・・冷やかしというか冗談みたいなモンでしょうか?ええ、ええ、練習いたしますです。ハイ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.08

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 「エリーゼのために」、引き続き練習中である。

 なかなか抜本的な進歩というものは難しいが、ナニ、微進歩・微前進でいいのだ。

 今日のところはこんなデキである。

 第1中間部がどうしても慣れてこない。第2中間部はこれもナンチャッテ感横溢である。

 今、付け刃でググッて調べたのだが、こういう「エリーゼのために」みたいな曲のことを「小ロンド形式」と言うそうだ。

 小ロンドというのはつまり、

「主題 - Aメロ - 主題 - Bメロ - 主題」

・・・という、この「エリーゼのために」みたいな形式を言うらしい。