(みぞれ)()(さめ)

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 どうも今日は冷えるな、などと思っていたら、私の住む埼玉県越谷市の天気予報は「(くもり)(のち)雨、夜に至って雪、(みぞれ)とある。

 「寒いはずだ、今日は()(さめ)だという」……などと Twitter に書こうとして、ふと何か引っ掛かるものを感じ、思いとどまった。

 愛用の「角川・合本俳句歳時記第4版」で「氷雨」を引いてみて、感じた引っ掛かりに納得した。「氷雨」は「(ひょう)」の傍題で、()(づら)に似合わず、夏の季語なのだ。それを改めて知り、無知を恥じ入る次第である。

氷雨ふる道を跣足の力士かな  鈴木貞雄

 上の句など、着流しの取的(とってき)の心情まで伝わってきそうな夏らしい情景と言える。

 一方、「霙」は、これが正真正銘、冬の季語である。

 それで思い出すのが、私などが子供の頃ヒットしていた演歌「氷雨」(唄・日野美歌、作詞作曲・とまりれん、カバー元は佳山明生)である。

「氷雨」より引用

〽 外は冬の雨まだやまぬ

この胸を濡らすように

 「氷雨」という言葉の語感は、「ひ」というところに本当に無情な冷えた感じがするし、上掲の歌「氷雨」は明確に冬の歌だ。だが一方で、「(こおり)」には「氷菓」や「氷水」、「花氷」などの季語にもあるような夏の感じもやっぱり否めない。そうするとどうも、「氷雨」が冬の歌では、多少具合が悪いような気もする。

山の日

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天皇陛下万歳

 祝日「山の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 海洋国であるところに「海の日」、また同時に山岳・森林の奥深い国柄に「山の日」と、わが国には誠に相応しい祝日が揃っていると言えよう。

 季節は既に立秋を過ぎた。残暑厳しい、とは文字通り、また時疫も心配であるが、元気を出して乗り切っていきたい。

 夕暮れ、見事な夕焼けとなった。暑くはあるが、黄昏時(たそがれどき)ともなると空気に秋の香りも多少感じられる。

今週のさえずり季題

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今週のさえずり季題

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今週のさえずり季題

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梅雨の半ば過ぎ

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 暑い。

 今日などさながら梅雨明けだとでもいうような晴れ空にむくむくと大きな入道雲が育って天を囲み、はて、このぶんだと午後は夕立ちになるのでは、と思わしめるものがあった。しかし、今年の梅雨明けはまだまだ、来週以降の予想だそうで、今日は夕立ちにはならなかった。

 庭の砂利敷き小径を手入れし、防草シートを敷き込む。猫の額ほどの庭にもかかわらず、ようやっと四半分ほど。家の東側の防草シートは先々週からとりかかってやっとこさ全部終わった。南の一番端に設置してあるエアコンの室外機の下に敷き込むのが一番の難渋で、あれこれと工夫して敷き込んだ。砂利の嵩が減ったので、ホームセンターで20kgばかり買い込んで足す。

 腰が痛くなった。

 時疫は収まらず、東京の感染者は未だ200人を超す。しかし新コロの死者は全国通算でも0人~2人程度で推移している。検査を受ける者が増えていると言うだけのことだから都内だけでも200人を超すのだ。東京では感染者に給付金を出すなどと言う区も現れたと仄聞するが、そういうカラクリであれば、我も我もと検査に手を挙げるのは自然の流路とも言える。有象無象のあさましさに憫笑すら漏れる始末だが、責めるわけにもいくまい。

 風呂に入る。肌脱ぎになって冷凍庫の氷の塊を割ってたっぷりカチワリを作り、それでウィスキーを一杯。涼味が咽喉(のど)を転がり落ちていく。汗が引いていき、酩酊がやってくる。シャツの胸元に扇風機の風が入る。ウィスキーに少し垂らすライム・ジュースの味が鮮やかだ。

 たとえ沈滞していても、そんな生活の楽しみだって、ある。