応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.32

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 「エリーゼのために」、変わらず練習に励む。

 弾きなれてきた気はするが、ミスタッチをなくすことがなかなかできない。

 次女は併願していたピティナのコンペの2回目に出た。前回よりうまく弾けたように思い、これはひょっとして、と思ったものの、意外と採点は辛く、前回より悪かった。少々残念である。親馬鹿は気持ち半分にするようにしよう。

 明日はキャンプに出かける。

トムラウシ山のこと

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 前回の記事で、たまたまトムラウシ山のことを懐かしく思うことを書いたところ、今日の大量遭難である。

 お亡くなりになった方々に哀悼の意を表する。

 私自身は、トムラウシ山には7回か8回くらいも登ったろうか。そのうち4~5回はクヮウンナイ川からの登山だった。残念ながら、冬のトムラウシは知らない。

 トムラウシ山の山容は温和で、日本アルプスや日高山系のような痩せ尾根や岩場の山ではなく、標高もさして高くはない。

 だが、アプローチが異様に長く、新しい登山口の帯広側からは日帰りも可能ではあるものの、従来はどうしても片道1日以上を要し、野営が必要であった。歩行距離も長く、体力も消耗する。私がよく訪れたクヮウンナイ川などは落石・滑落でしばしば遭難者があり、登山禁止が長く続いた。

 70歳にもなろうという素人の老人が物見遊山がてらに気楽に登る山ではない。

 大雪山系は一般に火山性の山であるためなだらかで、標高もそう高くはないが、緯度が高いために、天候、特に気温は、本州の山と比べる時には1000メートルを足すのが適当とも言われる。

 昭和62、3年か、平成元年ごろだったろうか、私も大雪山随一の高峰旭岳で、8月半ば頃に吹雪に遭ったことがある。高峰とは言えど、ロープウェイで気楽に遊びに行ける山だ。だが、ロープウェイを頼みにして、薄着、手ぶらなど、油断をすると大変な目に遭う。

 その時は、みぞれのような横殴りの氷雪に叩かれ、用意のゴアテックス雨具の上にガラスのような薄氷が張った。私は、真夏の日帰り登山であったにもかかわらず、ウールのセーターをリュックサックの底に収め、ツェルトザックにレスキューシート、燃料、水、甘味品など、十分に用意をしていったから特に怖くはなかったが、周囲にいた観光客には恐怖体験だったかもしれない。十分に用意をするということは、そのまま重い荷物を担ぐということと同義であり、それには鍛えた肉体が必要になる。体力のない者は、物質面で油断のない用意をしておくことができないというその点で、既に山に登る資格がない。

 もしその日が夏日であれば、日帰りに似つかわしくない私の大荷物は、他の登山客には奇異に見えたことだろう。だが、普段奇異に見られることを営々と持続し、百回千回のうちのたった一度に役立たせることこそ、「備え」というものである。

 真冬に同じ旭岳で、偶然ガイドにはぐれた登山客を発見し、これを助けて下山したことがある。その人は防寒具、食糧など、すべてをパーティ頼りにしていたために、手ぶらに近かった。反面、その時の私は危険と言われる単独行であったが、逆にそのために周到に準備し、夏シーズンに目をつぶっていても歩けると言えるほどに同地に通い、それから決行した冬山行であった。単独行であるからこそ、重い荷物に耐えられる体を作り、十分な物資を携行して臨んでいた。一人で遭難すれば、何年も行方不明になってしまう。だから、気楽に構えず、覚悟して冬山行をした。

 老人には、自分と言うものの位置・地位をよく見極め、軽率な行動をしないように自戒してもらいたい。ガイドに頼りたい気持ちもわかるが、山で他人に頼れば、はぐれれば丸裸である。

 他人に頼る心は、何もなければ人と人との信頼や、美しい愛にも転化できようが、山はそんなことを考えてはくれない。非情なのだ。ガイドに頼らなければ行けない山になど、最初から行かないことを意見したい。

行楽の支度等

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 今日はあまりピアノの練習はせず。

 次女はピティナのコンペティションを二つ併願しており、ひとつは先週惜しい点数で終わったが、来週の土曜日にもうひとつ出願している。どうも練習に身が入らないようだが、あと0.何点ごとき、マグレか何かで運良く稼いで地区予選を通過しないものかと期待している。親馬鹿もいい加減ではある。

 それが済んだら、知人同士3家族でキャンプに出かける予定である。仕事がチョイと忙しいのだが、無理やり休暇を申請した。今日はその支度をしていてあまりピアノを弾かなかったのである。

 越谷「イオン レイクタウン」の「SPORTS AUTHORITY」で、コールマンの4~5人用のテントを中心にいろいろ入った6点セットが2万9千800円。お得感があったので買い。ディスカウントショップへ行って、その他、炭やら燻製チップやら花火やらを買い込む。丸焼き気分を楽しもうと、肉屋には「まる鶏」を一羽、注文してある。

 20年以上前の若い頃にしばらく北海道に住んでいて、仕事が休みの度に大雪山系を跋渉した。トムラウシ山やクヮウンナイ川の景色が、肉体の苦しさの記憶とともに懐かしく今も瞼裏に五体に蘇る。周りの若者が皆街へ出て女の尻を追いかけるのに余念のなかった時、私はそれらの友人たちと一線を画して山通いばかりしていて、変わり者だと言われたものだ。仕事が忙しくなったこと、また結婚したことで、危険を避けるべく山には行かなくなり、アイゼンだのハーケンだのザイルだの、数多くの山行き用具は他人にやってしまった。山行きの記憶は封印してしまい、アウトドアとも縁遠くなった。北海道のすばらしい自然に親しんだことがあれば、関東・関西の自然になど何の魅力も感じなくなるということもある。

 それがまた、家族のためにテントなど買い込むことになろうとは。わからぬものだ。

 流しの蛇口が気に入らないと家内が言うから、システムキッチン用の手頃な水栓を三郷のホームセンターで買い、脂汗流して取り付け作業をする。業者に頼めば6千円も取られるが、自分でやればタダだ。

 ずいぶん買い物をしてしまった。給料がだいぶ減らされているから、支出が多いと不安を覚える。家計はなんでも家内任せにしていて、家にいくら金があるかすらも私は知らない。だが、家内は真面目な女だから心配はない。給料は減ったものの、定額給付金と新車購入の補助金でプラマイ零くらいにはなっているだろう。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.31

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 一杯飲んでご飯を食べて、まだしつこく練習している。弾けば弾くほどいいということには違いはあるまい。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.30

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 「エリーゼのために」、ホントに今日もよく弾く。

 さて、そろそろ練習やめて、酒でも飲むか。梅の砂糖漬けがよく漬かっている。安焼酎に混ぜれば暑気によい。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.29

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 弾いても弾いても弾いても弾いても、上手くなるものではないが、ものごとというのはそうしたものだ。

 愛したから愛したから愛したから愛したから、愛される、というものではないし、尽くしたから尽くしたから尽くしたから尽くしたから、尽くしてもらえる、というものではない。

 尽くしてもらえないから、愛してもらえないから、と言って一回一回嘆息していては身がもたぬ。

 然り、而して、弾いて弾いて弾いて弾いて、弾く。うまくなくても弾くッ!

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.28

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 朝から凝りもせず何度も練習したが、どうも朝イチで弾いたぶんが一番出来がいい。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.27

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 ピアノの練習をしていて度々感じるところであるが、相当練習して、それこそ心手期せずして動くようになって、そこからしばらくすると、突然、今まで弾けていたところがうまく弾けなくなることが多い。

 「エリーゼのために」も、なぜかこのところ、うまく弾けるようになっていた第1中間部に、急に困難を感じるようになってしまった。無論、練習は怠っておらず、毎日弾いているのだが・・・。なにかこれは、大脳の複雑玄妙な働きに関係がありそうな気がする。

 次女はピティナのコンペに出た。どうも本番タイプらしい。練習ではミスが多かったのに、コンペではミスをせずサラリと弾いてのけた。地区予選通過こそ逃したものの、8.02点となかなかの好成績だった。通過ラインは8.28点であったから、惜しかった。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.26

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 朝から「エリーゼのために」の練習に励んでいる。今日もかなり弾いている。

 最後の中間部、「ラドミラドミレドシ・・・」と弾きあがっていくところの入り口でミスタッチ。ぬぅッ、まだまだッ!(笑)

 次女は明日、ピティナのコンペに出るので、私のピアノで練習に余念がない。私とかわるがわる弾いている。