昨日シェアしたYoutube動画へのリンク、もう見られなくなっている。
木根尚登が出演した「しくじり先生」の動画だったのだが、テレビ番組のコピー動画だったので、権利関係の問題があったものと見える。
オッサンは生きている。
月曜日
○ 竹田圭吾氏の死去がデビッド・ボウイのそれにかき消されてしまっているようであることに、そぞろ「もののあはれ」のようなものを感じてしまった。なんというか、不覚というか。
いや、デビッド・ボウイも竹田圭吾も、ハッキリ言ってどっちも知らんのですよ、私。……あっ、デビッド・ボウイのほうは、若い頃に見た「戦場のメリー・クリスマス」に出てたから、ちょっとだけ知ってるっちゃあ知ってますがね。だが、そもそも、だいたいからがして、何の歌を歌ってたどういう人物かとか、全く知らんのですわ。だからと言って、竹田圭吾に至っては「……誰?」状態であって、何の興味も関心もない
どうあれ、人が死んだことは悼むべきことなので冥福を祈るが、誰か知らない、自分に関係のない人が死んでも、今いち腹の底からの悲しみは湧きにくいと言うのが正直のところである。
火曜日
○ 月曜は祝日ではあったが、泊まり込みの仕事だった。それが引けて、火曜の夜は新年会だった。
職場の新年会は忙しいこともあって人が集まりづらい。そこで幹事が脳漿を絞り、「持ち寄り会」で気楽に集まろう、ということに一決した。
帰省していた人などが多いため、北海道から沖縄、はては海外からも山海の珍味酒肴が集まった。
その中に石川県は能登名産の「
これは聞きしにまさるもので、誠にうまかった。
言わずと知れたことだが、河豚の卵巣は有毒で食うことはできない。しかし、石川県名産の河豚子は古くから伝わる独特の製法によって毒が消え、逆に得も言われぬ旨味を生じるのである。河豚子の調理は法律で厳しく制限されているが、石川県の河豚子のみは特に製造を許されているのだという。
塩辛く、酒に合う。同じく持ち寄りの山形県の名酒「出羽桜」、紙コップに注いだのが、さながら消えるが如くすすむのであった。
河豚子はネット通販などでも買えるようだ。
○ 突然老眼鏡のフレームが壊れた。何もしていないのに「パチン」と蔓が切れ、レンズがはじけ飛んだのだ。うーん、不吉である。新しい老眼鏡買わなくっちゃ。
○ 「千一夜物語」1巻、読了。2、30年ぶりの再読。面白い。以前どこかで、「旅、食、エロ。この三つが含まれていると、漫画でも小説でも映画でも、おっさん連中は喜んで読む。鬼平犯科帳など、一連の池波正太郎作品なんか、そうでしょ?」という意見を読んだことがあるが、そこへいくと千一夜もそうである。なるほど。
引き続き第2巻にかかる。
水曜日
「ピンアイドル」「SMAP木村」て、アンタw。
木曜日
金曜日
○ ゴミ捨て当番だったので、ゴミを取りに行ったら前日の当番が仕事をしておらず、前々日もそうだったらしくてオッソロシイゴミの山。シュレッダー屑から食い滓から空き缶から瓶から、とても一人では運べない。さすがに前日と前々日の当番に文句を伝えたら手伝いに来て、なんとかなった。
○ FBのウォールにこういうのがシェアされてきた。
うーん。私、ここに書いてあること、全部やってるんですけど、貧乏人なんですよねえ。ToDoリストはもちろん作ってるし、テレビなんてほとんど見ないし、読書なんてもう、それ以外の楽しみったら駄文書きくらいだし、有酸素運動なんざ言わずもがなだ。
ToDoは、私が勤勉・几帳面だから作ってるんではない。どうも私はバカなので、やることを紙に書いて、それに従ってやらないと、忘れたり、混乱したり、うまくできなかったりするんですよ。
ある時、
そのことを考え合わせると、金持ちどころか、病気直前じゃねえか俺、……と思うのである。
○ やっとこさ休前日なので、酒はコッチ。
土曜日
センター試験に行く長女。頑張るのじゃぞー!と、送り出す。
今(19時ちょうど)、マフラー巻いて白い息吐いて、地域猫のハートと「ただいま~」と帰ってきた。
朝起きて、顔を洗って着替え、いつものようにリビングのカウンターに向かうと、妻が朝食を出してくれる。
いつもはジュース、トースト、目玉焼き、コーヒー、牛乳など、だいたいそんなものだが、たまにはホットサンド、シリアル、ホットケーキなども出る。
今日も
しかし、今日の肉饅は通常の肉饅ではなかった。肉饅の底面の平らな面が上になっており、普通はそこに丸い
「ふへっ!?……ジュンコ、こ、これは……?」
「……?何、お父さん、これ、知らないの?最近『めざましTV』でやってて、すごく
「ははあ、流行りか。流行りならしょうがない。どれ……」
てっきり、これはこういうお菓子風に作るための専用の肉饅で、中身は悪くしてもせいぜい
「ぐはっ!……かーちゃん、コレは、肉饅ではないか」
「……??肉饅ではないか、って、当たり前じゃない。そうよ。おかしい?」
「い、いや、……。おかしい、っていうか、うーん」
「お醤油つけるのよ、ほら。あと、練り辛子」
「ぬぅ」
生クリームと醤油と中華オイスターソースの風味がよく利いたひき肉や
だがしかし、「これは流行っているんだ、人々が皆いいと言っているんだ、新聞だってテレビだって、有名な芸能人や評論家がこれはイイと言っているんだ、朝日の社説だって天声人語だってこれをきっと評価するのは間違いない、間違っていないんだ!!だから旨いものなのだ!飲み込め!受け入れろ!」と、無理やり賞味しているところで目が覚めた。
ああ、中途半端に面白くもない夢だったなあ。
平成二十七年大晦日、最後の夢が、デコレーション肉饅だったのは、なんの祟りであろうか。業の浅いこっちゃ(笑)。
せめて明後日、初夢にはもう少し何か、富士とか鷹とか茄子とか、そういう夢を見たいものである。
昨夜のNHKスペシャルを見た。
なかなか冷静な取材がなされており、左翼主義的、反戦主義的なものを煽るような内容ではなかったので、まず、及第点であると思う。
今日は「新・映像の世紀」の、面白そうなやつがあるので、録画しておいて見ようと思う。
理性はよく無理を
生物
このようなことを端的にまとめ、ものすごく嫌な、極端な言い方で表すと、「人間の歴史においては、生物としての自然に背くものが理性とされてきた」ということである。
オスの役割の否定、メスの地位の否定、残酷さや弱者抑圧を否定すること、差別を否定することなどもその延長だと思う。
人間の理性はゆっくりだが進歩し、いまや、あらゆる次元での差別に反省と検討、考察が加えられ、女性、病者等、弱者にも光があたるようになった。
それは更に進み、GLBTの肯定、同性婚の肯定などにまで広がっている。
これらが更に進んだその先には、兄弟婚、親子婚、近親相姦などの修羅場の肯定がほの見える。動物の自然な姿としては、同性婚や近親相姦は自然に忌避され、
この先、私などの凡庸で進歩的でない者にとって、生理の根幹の部分からして到底許容できないような、それこそ兄弟姉妹婚、親子婚、幼児婚、屍婚、動物婚、植物婚、人工物婚など、あらゆる
しかし、現代社会と現代人が、レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、これらをすべて受け入れたのと同じ忍耐をもって、忌まわしい悪鬼の魂を受け入れなければならない時代がもうすぐそこまで来ている。
これまでの経緯、時代の趨勢から言って、この恐ろしい耐え難さに、ひたすら耐えるよりほかにあるまい。こういう恐ろしいものを受け入れ、それを「自由」と名付けて喜ぶような者は、進歩的な差別廃絶論者として称揚されるのであろう。
アホがテレビのチャンネルをガチャガチャやるがごとく、Youtubeやらニコニコやらを口をあけて鼻水たらしてボンヤリ見ていると、
「中国や北朝鮮や韓国の兵器はこれだけカスだアホだ役立たずだ!それに比べて、わが国自衛隊の装備はハイテクで優れていて無敵だ!!ここにスーサイド・アタックの伝統が加われば、我が国の防衛力は盤石だ!!!」
……というような、えっらい勢いのタイトル、ドガチャカ撃ちまくって連戦連勝、みたいな迫力動画に行き当たる。
みなさんね、釈迦に説法ってものかもしれませんが、これ、「もうスゴい神技の域に達してるからこれ以上防衛力を増強させる必要はありませんよ」って言ってるようなモンだから、鵜呑みにしちゃあいけませんよ。逆謀略ですよ、こんなの。
バカ言っちゃいけませんよ、保守のフリした革新に決まってるでしょ。
使うことができない、ぶっ放してはいけないことになっているミサイルや大砲や戦闘機、何千丁、何百機持ってたって、そんなもん、ゴミにしか過ぎないに決まってるでしょうが。
戦争したこともないような、イジメで自殺が続出するような、逆に言ったらそんな程度の脆弱な武装組織がさ、鎧袖一触だとかなんだとか、そんなハズねえじゃん。
安心してないで、もっと緊張感を持たなくっちゃいけませんよ。……法律?何言ってンですか、こんなくらいの改正で、何ができるワケもありませんよ。バカ言ってちゃいけませんよ。
昨日試した「
……しんどいからやらないけど。……けど、やりたいなあ。……「Media Tomb」とかRaspberry Piに入れとけば、自宅のテレビでDLNA経由で見る、とかも一気に可能だわ。
問題は、3.3Vロジックだったりするのが扱いづらいんだよなー……。もし、昨日みたいに超音波センサなんか付けようとすると、途端にひと苦労するもんな。5Vの3端子レギュレータを別建て、センサの入力も結構一苦労して読まなくちゃならん。あと、アナログ入れるのが難しい。金をかければ、プラグインみたいなものはいくらでもあるだろうとは思うんだけど……。
昨日夜遅く、くたびれ果てて帰ってくると、妻子がテレビを見ている。見るともなしにそれに耳が向いた。
不世出の歌手、矢沢永吉が自動車のコマーシャルに出演している。
何か、
「やりたくないことをやる人生など面白くない。やりたくないことをやる人生など愚かだ。俺はやりたいことだけをやってきて、愉快だ。そういう人生を送るべきだ。」
……というような意味のことを言っている。
こっちはそんな言葉を聞かされて、不愉快だ。
無論、矢沢永吉の言葉ではあるまい。チャラチャラした広告屋の台本だろう。それにしてもしかし、生活人たるもの、やりたくないことでも我慢し、何かのために奉仕して生きる、そこに何らかの意味を見出す、苦しくともそれに喜びを見つける、そういう態度が必要なのと違うか?
あんなふざけたコマーシャルを作るのが年に給料1000万貰っている電通か博報堂の社員だか何だか知らんが、まったく賛同できない。あんな言葉を聞かされて、そうだそうだと愉快がる人間が一体世の中にどれくらいを占めているか、そんなことにすら見当がつかない連中があんなコマーシャルを作って世間に垂れ流している。
テレビを見ると、そういう連中に金を払うことになるから、だからテレビはあまり見ない方が良い。
テレビは大嫌いだ。テレビ屋も、こういう映像づくりばかりしていると、どんどん視聴者が減り、自分の首をじわじわ絞めることになると心しておいた方がよかろう。