池波正太郎編「酒と肴と旅の空」を読み終わった。
開高健の著書に池波正太郎が出てきた覚えがないが、この池波正太郎編の本には開高健が手厚く取り上げられている。
図書館へ返しに行き、入れ替わりに「料理のお手本」を借りる。有名な懐石料理人、辻留こと故・辻嘉一氏の著書だ。
なんだかここ最近、料理や食い物の本ばかり読んでいるなあ。
オッサンは生きている。
池波正太郎編「酒と肴と旅の空」を読み終わった。
開高健の著書に池波正太郎が出てきた覚えがないが、この池波正太郎編の本には開高健が手厚く取り上げられている。
図書館へ返しに行き、入れ替わりに「料理のお手本」を借りる。有名な懐石料理人、辻留こと故・辻嘉一氏の著書だ。
なんだかここ最近、料理や食い物の本ばかり読んでいるなあ。
角川の俳句大歳時記が最寄り図書館に在架だったので借り出してみた。
長年俳句を趣味にしてきているが、持っている歳時記は一般的なもの(平凡社や角川の合本俳句歳時記など)ばかりである。この「角川大歳時記」(春夏秋冬正月の全5巻)は前々から勿論ほしいけれども、なにしろ1巻4320円、全部で2万円近くもするのだから、ヒョイと買い込むわけにもいかない。
しかし、図書館の歳時記を借り出そうなどと言う人は少ないらしく、どうやら5巻全部、常に貸し出し可能であるように見える。これは借りなければ損だ。
先週の土曜日、出かけた帰りに図書館へ寄り、ふと目に付いた本を借りた。さくらももこの「焼きそばうえだ」だ。
今日の帰りの電車で読み終わった。
さくらももこのエッセイは、「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」その他何冊かを読んだことがある。読んだのはまだ私が20代の頃だったと思う。だいぶ昔のことだから、ほとんど内容も忘れてしまったが、どれも平易で味わいのある、面白いエッセイだったことは覚えている。
それら昔読んだエッセイは、どれもさくらももこの子供時代などが題材だったと思う。しかし、「焼きそばうえだ」については、さくらももことその友人たちがふざけてした最近の面白いことを題材にしている。「最近」と言っても、この本の出版は平成18年(2006)なので、もう10年以上も前のことではあるが……。
岩波文庫の「北槎聞略」を読み終わった。
大黒屋光太夫の伝記については、もちろんこの北槎聞略が基本であるが、従来よく知られるのは井上靖の「おろしや国酔夢譚」である。
最寄り図書館に在架であったので、さっそく借り出す。
国会図書館へ来たので、「東京タラレバ娘」の続きを読んだ。第9巻。
読み終わってから知ったのだが、この漫画はこれが最終巻だった。去年の夏、7月に出ている。
面白かった。
国会図書館のシステムがリニューアルされて使いやすくなっている。「カート」に申し込みを一時溜めておき、まとめて申し込むことができるようになった。前はこれができなかったのだ。
腰痛で垂れ込める。
中年以降の持病で、これをカバーするべく
読み終わった「
つい、また、他の本を借り出す。以前、同郷の先輩Hさんと「矢切の
それから、岩波の「日本の酒」。その時、日本酒の銘柄に関する蘊蓄をHさんが披歴してくださったので、酒から2冊の本を連想したのだ。
更に別の本を思いつき、探してみた。
先日テレビで見た葛飾
図書館の端末で探したら在架と出たので、その書架に行って見たがなかった。まあ、拘泥しても仕方がない。今度来た時に、あれば借りてみよう。
一昨日、内田
巻末には、「
阿房列車全体も、ところどころ爆笑してしまうくらい面白かった。
しかも、さすがは明治生まれの文人で、
「
こちらの障子を開けると、しんとした静けさの中に、
杏子 の花が咲いている。花盛りの枝が、池の縁から乗り出して、音のしない雨の中に的皪 と光った。
……というふうに使われていた。基本的に面白い本なのに、こういうところの描写がさりげなく光る。百閒の本領だと思う。
「的」「皪」どちらの字も、「白い」「明るい」「鮮やか」という意味があり、「的皪」とは白く鮮やかに光る様子を言う。「的皪と光る」というふうに用いるわけだから、用言修飾ということで、副詞だ。
阿房列車を読み終わってしまったので、他に何か読むものを、と思い、図書館へ行った。
岩波の「竹取物語」が目についたので、それを借りた。文語体のものだ。その時、同じ書架で別の竹取物語も見つけた。川端康成による現代語訳で、河出書房から出ている。なんとなくそれも同時に借りた。
川端康成訳のほうから読み始め、先ほど読み終わった。この本は物語より川端康成自身による解説の方が長い。丁寧な解説で、しかも川端康成の国文学に対する通天の程が
岩波の文語体の方を読み始める。
先々週の土曜日に他の2冊と一緒に図書館から借り出した「絵でみる江戸の食ごよみ」を今週月曜日に読み終わった。
江戸時代の食べ物に的を絞った雑学本である。
幕末頃の雑学本「
図書館へ3冊を返しに行き、入れ替えに別の本を借りてくる。
「太平記」の釈本があったので、それを借りる。実は岩波の原文6巻本をじっくりと腰を据えて読みたいのだが、買うには結構高くつく。それで国会図書館で読んだのだが、国会図書館は借り出しができないので、どうしても読みたいところをポイントを絞って読むしかなく、斜め読みになってしまう。私も自分が読みたい楠木正成伝のところだけを読むにとどまってしまい、食い足りなかった。
借り出しのできる越谷市立図書館の本館には、この岩波の6巻本があることはあるのだが、自宅最寄りの南部分室にはない。本館から取り寄せもできるとのことだったので、一度申請したのだが、「取り寄せが来たら連絡する」と言われたまま、それっきり連絡がない。
しかし、この釈本もそう悪くなく、最初のページを
国内本の棚を
とはいうものの、先頃亡くなった田形竹尾准尉の手記や、樫出勇大尉の対B29空戦録、小山進伍長の飛燕空戦録などは読んでおり、その敢闘ぶりに感動を覚えても来ている。
そうしてみると、この本も読んでおかねばなるまい。
戦争からの連想で、以前に見た「スターリングラード」という映画を思い出した。スターリングラードの攻防戦を描いてはいるが、主人公はソ連邦英雄、稀代の狙撃手、ワシーリー・ザイツェフだ。
たしか原作は「鼠たちの戦争」という題だったはず、と思い出した。なぜ覚えていたかと言うと、映画を見た後原作を読みたくなり、Amazonで検索したのだが、既に絶版となっていて、古本しかなく、読むのをあきらめたからだ。当時、なぜか「図書館で探す」という選択肢や、「古本を買う」という選択肢を思いつかなかった。読みたい本は買って読んでいたからである。今はそんな
そこで、図書館カウンターの検索端末で探してみると、南部分室に在架である。すぐに借り出した。
結局、借り出した本は、古いにせよ洋の東西にせよ、全部戦争がらみである。
「雪の花」を読み終わる。150ページくらいの中編だ。
この小説は、もとは「めっちゃ医者伝」という題で出版されたものだ。一旦出版後、主人公の笠原良策の子孫から多くの資料が提供されたことをきっかけに、作者の吉村昭が大幅に加筆修正して「雪の花」と改題して再度出版された。
「めっちゃ医者伝」の「めっちゃ」とは、福井の方言で天然痘による
種痘の普及に命懸けとなり、私財をなげうって邁進した江戸時代の町医の生涯を描いている。
吉村昭の他の小説と同じく、実話を題材とし、丹念な取材に基づいて書かれたものである。冷静で抑制のきいた筆致なのに、美しい風景と厳しい疫病の落差、人々の哀歓などが躍動的に描き込まれてもいて、いつものとおり、期待を裏切らない。
引き続き別の本を読む。こちらも図書館で借りたもの。
春から
勉強はしたにもかかわらず肝心の本番試験の願書を出しそびれ、受験が見送りになるというなんとも締まらぬ
ともかくも、また読みたい本が読める。市立図書館の南部分室へ行き、3冊ほど借り出してきた。
1冊目は入り口近くのディスプレイでふと目に留まった本。片岡義男の「豆大福と珈琲」。
パラッと
表題作の「豆大福と珈琲」は、情の希薄な学者の両親の代わりに祖父母に育てられた主人公が、自分なりに再定義・再構築した家族愛に目覚めていく、というものだ。ただ、こう書くと主人公は冷酷漢のような感じがするが、決してそうではなく、暖かくのびのびと育てられた善人である。
片岡義男独特の端正な文章がよく合う内容だ。
2冊目は、好きな作家である吉村昭の「雪の花」。
江戸時代に種痘を普及しようと奮闘した福井県の町医者、笠原良策の物語である。
最後に、「絵でみる江戸の食ごよみ」という本。これも、単に目についた本を手に取っただけだ。1冊目の「豆大福と珈琲」の近くのディスプレイに置かれていた。「食べ物」が市立図書館南部分室のこのところのテーマらしく、そのディスプレイに置かれている本は全部食べ物が関係するものだった。
読んで字のごとく、江戸時代の食べ物について、絵入りで分かり易くまとめた新書だ。
図書館の帰り、明日に控えた衆議院選挙の期日前投票をしようと思った。私の住む新越谷では、図書館にほど近い新越谷駅のコンコース内に、仮設の建物で期日前投票所が設けられるのだ。しかし、投票所に詰めかけた数百メートルに及ぼうかと言う長蛇の列を見てウンザリし、期日前投票はやめにしてしまった。明日、ノーマルに投票すればよい。