時事瞥睨(べつげい)

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新型コロナより怖い

 まったく、秋とは名ばかりである。

 さすがに、都内でたった6日間のうちに30人近くの死者は、新コロでは出てないもんな。暑熱のほうがよっぽど恐ろしい。

渡哲也氏死去

 織田信長役や、晩年の東郷平八郎役など、実に味わい深いものがあった。祈冥福(めいふくをいのる
)

ああ、嫌だねえ、老害は。……俺もか(苦笑)

 多分この爺、「正しいことをした」とか思い込んでるんだろうなあ。おそらく警察のお世話になっても考えを変えることはなかろう。正味な話、こういう馬鹿は死ななきゃ治らんよ。

 瞋恚(しんに)を去る。……こんな昔から言われていることが、今や「アンガーマネジメント」などという横文字の化粧を施した嘘臭い言葉で言って回らないと理解されない。嫌な世の中である。耳順(じじゅん)従心(じゅうしん)にもなろうかという歳の者でもこうなのだから、始末に負えぬ。

 後生おそるべし、そういう気持ちで若者や子供を観ないといけない。

山の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「山の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。

 海洋国であるところに「海の日」、また同時に山岳・森林の奥深い国柄に「山の日」と、わが国には誠に相応しい祝日が揃っていると言えよう。

 季節は既に立秋を過ぎた。残暑厳しい、とは文字通り、また時疫も心配であるが、元気を出して乗り切っていきたい。

 夕暮れ、見事な夕焼けとなった。暑くはあるが、黄昏時(たそがれどき)ともなると空気に秋の香りも多少感じられる。

時事喋々(ちょうちょう)

投稿日:
今時、「脱走」てアンタ……

 「鍵を壊して脱走」て……。多分、「無理やり閉じ込められている感じ」がどうしても我慢できない脳の仕組みの人なんだろうなあ。

 私なら逆に、閉じ込められていることをこれ幸いと、自ら閉じこもるけどなあ……。

訃報

 台湾の李登輝元総統が死去したという。

 祈冥福(めいふくをいのる)

トービョルン・オーマン氏

投稿日:

 スウェーデンの鍛冶職人、トービョルン・オーマン氏 Herr Torbjörn Åhman の動画をYouTubeで見る。

 この人の動画は面白い。何より、確かな鍛冶技術が素晴らしいし、時折挿入されるスウェーデンの風物も美しいので、よく見る。

 今回の動画は、息子らしき子供さんにも手伝わせて治具を制作し、それを使って猫の置物を作る一部始終だ。

 子供たちの愛らしさ、猫のかわいらしさ、高度な技術に裏打ちされた力強い鍛冶作業、持ち味の質素で端正、かつ繊細な作品と、スウェーデンの美しい風景が渾然一体となった素晴らしい動画だと思う。

 スウェーデンの地は時疫が猖獗(しょうけつ)を極め、困難に直面していることと思うが、この点、お見舞いを申し上げたい。

スポーツの日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「スポーツの日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ、拝礼する。

 それにしてもしかし、依然時疫は猖獗(しょうけつ)を極め、とどまるところを知らぬ。

 もとは「体育の日」であったこの祝日を「スポーツの日」と改め、もとの10月の祝日から、オリンピック開催予定の今日にまで移動させて臨んだオリンピックだ。だが、そのオリンピックがこんなことになってしまうとは、7年前、平成25年(2013)の開催地選定時に誰が想像したろうか。

 何より、ぎりぎりまで鍛え抜いている選手たちは、一日一日の練習にすべてをつぎ込み、「あと残り1,500日と15時間30分!」というような、それこそ分刻み、秒刻みの鍛え方をしてきていたのであろうから、この延期は打撃であろう。お見舞いを申し上げたい。

時事遅見

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訃報

 「ノストラダムスの大予言」で大ヒットした文筆家、五島勉氏が死去したそうである。

 祈冥福(めいふくをいのる)

 私などは当時小学生であったが、「立ち読み」が庶民の公然の娯楽であった頃でもあり、ゾクゾクしながらタダでこの本を読み(ふけ)ったものだ。今にして思うに、当時の個人経営の街の書店というのは、随分と寛容だったものである。そのかわりに、当時の大人の慣例として、その書店で大部の全集ものを購入するなどしていたのだと思う。

 私が最近読み耽っている平凡社の世界教養全集は、父から貰い受けたものだが、これも、父が街の書店との持ちつ持たれつの付き合いで買い込んだものではなかったろうか。

馬鹿なことを

 欧米土人に納豆のような高度な食品が食えるわけはあるまい。ハナッから笑止千万である。

 納豆は日本人のように高度な味覚を持つ選民によって賞玩されるものであって、毛唐にその価値を評論されるなど、不愉快そのものである。

はやぶさ2任務続行

 驚くべきその耐久性。驚愕。

購読者を愚弄してんじゃないよ(笑)

 な~にバカにしたようなこと書いてんのさ。数万の票を投じた有権者の多くは、毎日新聞の上得意客、購読者様だろうがってのよ。よくこんな取り澄ましたようなこと書いてトボけておれるよ。ネトウヨ煽ってんじゃないよ糞新聞が。

結果から言えば

 結果から言えば、日本政府の生ぬるくていい加減な「緊急事態風な国民の皆様へのお願い」と、諸外国が行った強制的で武力をも実際に国民に向けた「ロックダウン」との間には、それこそ霄壤(しょうじょう)(ただ)ならぬ逕庭(けいてい)があったと言えよう。無論、霄は日本で壤が諸外国だ。諸外国のロックダウンにはまるで意味がなかった。日本と英国の死者と感染者の数を比べて見たまえ。

 だが油断してはならぬ。夏休みに開放感に浸り、いい気になってあちこち出掛けたりなんかすれば、たちどころに数万人の感染者を生じて死者を出し、「日本人はやはり劣等で愚かな未開有色人であった」などと米英仏独伊の欧米土人どもから嘲笑の的になるばかりでなく、厳しく病気を制御しつつあるアジア諸国からも「ハハッ、やっぱり日本人など『半欧米土人』に過ぎなかった(笑)」と憫笑(びんしょう)されるだろう。

 オリンピックは中止されたが、そのかわりに、新コロによって思わぬ国威レースがスタートされたと言ってよい。また、私に言わせれば、欧米土人は核開発とその実戦使用、すなわち広島、長崎の惨劇が咎となり、彼らが信じる神の罰を受けて死につつあるのだ。歓喜のうちに罰を受け止めるがいい。

 更に書けば、神罰を神によるものならしめるのは人間の精神に他ならぬ。「精」に「神」と書いて「精神」という言葉は成る。日本人の神仏は文字通り人間の精髄にあるが、欧米人の神は人間の精髄にはない。その結果をこそ見ざらめや、というほどの気概を持ちたい。

海の日

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天皇陛下万歳

 祝日「海の日」である。自宅の軒先に国旗を掲揚し拝礼する。

 生憎(あいにく)と梅雨は(いま)だ明けず、雨が降り続く。新型コロナウイルスの世界的蔓延は心胆を寒からしめる。

 だが、逆に言うと、自然は、宇宙は、海は、人間などとは全く何の関係もなくその脈動をやめぬ。そしてまた、人間が海を海と認めて初めて海は海であり、宇宙は宇宙である。人間に観測されてその存在が十全となるものが、だがしかし、人間の願望などとはまったく関係なく存在し続けるのである。

 そのようなことを「海の日」にあたり考え続ける。

米国にデモや暴動がおこると

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 米国ではCOVID-19で14万に(なんな)んとする人命が失われている。暴動も起きており、その混乱の行方は全く予測できない。

 しかも、14万もの死者を出したCOVID-19対策への不満によって暴動が拡大しているのではない。不思議なことに、14万人ではなく、2人の死者を出した黒人差別への不平で暴動が起きているのである。

 サッパリわからないのはここで、米国の黒人差別は、制度や政治によって規定されているようなものとは違う。米国人の一人一人が勝手に黒人を差別しているだけだ。むしろ、政府や体制側は、最近流行の「ポリコレ」とて、差別には細心の注意を払っているのである。しかし、民衆は黒人差別を糾弾する。米国は完全民主主義を自称する国であるから、その理屈に従えば、自分自身、国民の一人一人が、その自分自身を集団で否定しているということになる。

 まったくもって開いた口がふさがらないが、まあ、それは置こう。それよりも気を付けなければならないことがある。

 米国になんとはない鬱屈が生じてデモがのたくる時、その背景では科学技術が進展する。

 インターネットの萌芽が見え隠れした頃、米国は自ら招き寄せたベトナム戦争の泥沼に悩み、国防総省前には数十万人に及ぶデモが押し寄せ、不平不満を叫び、叩きつけた。だが、その国防総省庁舎内では、ロバート・テイラー、ラリー・ロバーツら稀代の技術者によって着々とインターネットの開発が進んでいた。

 今、米国は混乱を極めている。その裏で、何かが着々と芽吹いていることだろう。それは間違いなく世界を席巻する何かである。

梅雨の半ば過ぎ

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 暑い。

 今日などさながら梅雨明けだとでもいうような晴れ空にむくむくと大きな入道雲が育って天を囲み、はて、このぶんだと午後は夕立ちになるのでは、と思わしめるものがあった。しかし、今年の梅雨明けはまだまだ、来週以降の予想だそうで、今日は夕立ちにはならなかった。

 庭の砂利敷き小径を手入れし、防草シートを敷き込む。猫の額ほどの庭にもかかわらず、ようやっと四半分ほど。家の東側の防草シートは先々週からとりかかってやっとこさ全部終わった。南の一番端に設置してあるエアコンの室外機の下に敷き込むのが一番の難渋で、あれこれと工夫して敷き込んだ。砂利の嵩が減ったので、ホームセンターで20kgばかり買い込んで足す。

 腰が痛くなった。

 時疫は収まらず、東京の感染者は未だ200人を超す。しかし新コロの死者は全国通算でも0人~2人程度で推移している。検査を受ける者が増えていると言うだけのことだから都内だけでも200人を超すのだ。東京では感染者に給付金を出すなどと言う区も現れたと仄聞するが、そういうカラクリであれば、我も我もと検査に手を挙げるのは自然の流路とも言える。有象無象のあさましさに憫笑すら漏れる始末だが、責めるわけにもいくまい。

 風呂に入る。肌脱ぎになって冷凍庫の氷の塊を割ってたっぷりカチワリを作り、それでウィスキーを一杯。涼味が咽喉(のど)を転がり落ちていく。汗が引いていき、酩酊がやってくる。シャツの胸元に扇風機の風が入る。ウィスキーに少し垂らすライム・ジュースの味が鮮やかだ。

 たとえ沈滞していても、そんな生活の楽しみだって、ある。

読書

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 躑躅(つつじ)がすべて散り、(はな)皐月(さつき)が盛りである。時疫(じえき)最中(さなか)ではあるが、時間は静謐(せいひつ)に過ぎていく。

 引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」を先ほど読み終わった。

 この巻収載の最後の作品は「菊と刀――日本文化の型」(R.ベネディクト(Ruth Benedict)著)であった。

 戦時中に研究が始められ、終戦近くから戦後すぐにかけての時期に出版された本である。著者のベネディクト博士は対日戦のために日本研究を米国政府から委嘱され、見事な手腕で研究を完成させ、戦争に寄与加担した。

 この書は終始一貫して冷ややかな目線で論理が進められていく。日本人に対する素朴な尊敬などはそこに感じられず、あまり愉快な読書とは言えなかった。また、分析されている日本人像は、日本人からすれば既に今は存在しない日本人の姿であって現在からは到底想像もつかず、かつまた、記憶に残る古き良き日本人でもなく、あるいは記憶に残っていてもよほど極端な例ではないかと思われたり、色々と違和感があった。

 例えば日本人特有の「恩」「義理」「恥」について「それは欧米にない思考原理や感情である」と論じているところなど、確かに戦前戦後一貫した歴史をそのまま歩み続けている欧米諸国にとってはハナっから恩や義理や恥なんてものは存在していないのかもしれないが、今や恩知らずの不義理人ばかりが幅を利かせ、廉恥(れんち)の心など一掬(いっきく)だに持ち合わせなくなり、欧米人の悪質な劣化コピー人種に過ぎなくなってしまった現在の日本人にはまったく当てはまらず、逆に、この「菊と刀」を元に往時の日本人をリアルに想像することは難しい。

 また、部分によってあまりにも赤裸々に事実を指摘するのであるが、その指摘の仕方が冷笑的であり、不愉快でもあった。更に不愉快なことは、戦後すぐに書かれた巻末近く、まるで予言のように現在の日本の姿を言い当てていることだ。それがズバリと当たっているだけに、ウンザリとしてしまう。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、「菊と刀」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.402より

また軍隊では家がらではなくて、本人の実力次第で誰でも一兵卒から士官の階級まで出世することができた。これほど徹底して実力主義が実現された分野はほかにはなかった。軍隊はこの点で日本人の間で非常な評判をえたが、明らかにそれだけのことはあったのである。それはたしかに、新しくできた軍隊のための一般民衆の支持をうる最良の手段であった。軍隊は多くの点において民主的地ならしの役目を果たした。また多くの点において真の国民軍であった。他の大多数の国々においては、軍隊というものは現状を守るための強い力として頼りにされるのであるが、日本では軍隊は小農階級に同情を寄せ、この同情が再三再四、軍隊をして大金融資本家や産業資本家たちに対する抗議に立たしめたのである。

 上のあたりは、五・一五事件や二・二六事件などを抽象的に指している。

p.407より

 中国語にも日本語にも、英語の`obligation'(義務)を意味するさまざまな言葉がある。これらの言葉は完全な同意語ではなく、それぞれの語がもっている特殊の意味はとうてい文字通り英語に翻訳できない。なぜなら、それらの語の表現している観念はわれわれには未知のものであるからである。大から小にいたるまで、ある人の負っている債務のすべてをいい表わす`Obligation’にあたる言葉は「オン」(恩)である。日本の習慣ではこの言葉は`Obligation’`loyalty'(忠誠)から`kindness'(親切)や`love'(愛)にいたる、種々さまざまの言葉に英訳されるが、これらの言葉はいずれも、もとの言葉の意味をゆがめている。もし「恩」がほんとうに愛、あるいは義務を意味するものであるとするならば、日本人は「子どもに対する恩」ということもできるはずであるが、そういう語法は不可能である。またそれは忠誠を意味するものでもない。日本語では忠誠はいくつかの別な言葉で表現されるし、それらの忠誠を意味する言葉はけっして「恩」と同意語ではない。「恩」にはいろいろな用法があるが、それらの用法の全部に通じる意味は、人ができるだけの力を出して背負う負担、債務、重荷である。人は目上の者から恩を受ける。そして目上、あるいはすくなくとも自分と同等であることの明らかな人以外の人から恩を受ける行為は、不愉快な劣等感を与える。日本人が「私は某に恩をきる」というのは、「私は某に対する義務の負担を負っている」という意味である。そして彼らはこの債権者、この恩恵供与者を、彼らの「恩人」と呼ぶ。

 上の部分は、むしろ逆に、「欧米には『恩』という概念がないんだ」と私に教えてくれた。道理で、欧米化が進むほどに恩知らずが増えるわけである。また、上のベネディクト博士の指摘は正しいようにも感じられるが、「恩」というものが義務とか債務とか言った嫌なものとしてとらえられており、「恩」にはそういう嫌な側面もありつつ、「恩」というものが持つ、もっとあたたかい、しみじみとした安らぎや信頼が言い当てられていないところが片手落ちであり、欠点であると思われた。

p.515より

 日本が平和国家としてたちなおるにあたって利用することのできる日本の真の強みは、ある行動方針について、「あれは失敗に終わった」といい、それから後は、別な方向にその努力を傾けることのできる能力の中に存している。日本の倫理は、あれか、しからずんばこれの倫理である。彼らは戦争によって「ふさわしい位置」をかちえようとした。そうして敗れた。いまや彼らはその方針を捨て去ることができる。それはこれまでに受けてきたいっさいの訓練が、彼らを可能な方向転換に応じうる人間につくりあげているからである。もっと絶対主義な倫理をもつ国民ならば、われわれは主義のために戦っているのだ、という信念がなければならない。勝者に降伏したときには、彼らは、「われわれの敗北とともに正義は失われた」という。そして彼らの自尊心は、彼らがつぎの機会にこの「正義」に勝利をえさしめるように努力することを要求する。でなければ、胸を打って自分の罪を懺悔する。日本人はこのどちらをもする必要を感じない。対日戦勝日の五日後、まだアメリカ軍が一兵も日本に上陸していなかった当時に、東京の有力新聞である「毎日新聞」は、敗戦と、敗戦がもたらす政治的変化を論じつつ、「しかしながら、それはすべて、日本の窮極の救いのために役だった」ということができた。この論説は、日本が完全に敗れたということを、片時も忘れてはならない、と強調した。日本をまったく武力だけにもとづいてきずきあげようとした努力が、完全な失敗に帰したのであるからして、今後日本人は平和国家としての道を歩まねばならない、というのである。いま一つの有力な東京新聞である「朝日」もまた、同じ週間に、日本の近年の「軍事力の過信」を、日本の国内政策ならびに国際政策における「重大な誤謬」とし、「うるところあまりに少なく、失うところあまりにも大であった旧来の態度を捨て、国際協調と平和愛好とに根ざした新たな態度を採用せねばならない」と論じた。

p.519より

 ヨーロッパ、もしくはアジアのいかなる国でも、今後十年間軍備を整えない国は、軍備を整える国々を凌駕する可能性がある。というのはそういう国は国富を、健全な、かつ富み栄える経済をきずきあげるために用いることができるからである。日本は、もしも軍国化ということをその予算の中に含めないとすれば、そして、もしその気があるならば、遠からずみずからの繁栄のための準備をすることができるようになる。そして東洋の通商において、必要欠くべからざる国となることができるであろう。その経済を平和の利益のうえに立脚せしめ、国民の生活水準を高めることができるであろう。そのような平和な国となった日本は、世界の国々の間において、名誉ある地位を獲得することができるであろう。そしてアメリカは、今後もひきつづきその勢力を利用して、そのような計画を支持するならば、大きな助けを与えることができるであろう。

 最初に書いた「現在の日本をズバリと言い当てている箇所」というのが上の部分と、それに引き続く、ここには引用しなかった一連の部分である。引用しなかった部分には、東西冷戦とそれへの日本のかかわり方への危惧が予言されている。ウンザリとしながらも、同時に、東西冷戦など始まる前に出された論文なのに多くは正しく将来の日本を言い当てており、その超能力者めいた的中っぷりにゾクッとする。

 否、むしろ、ベネディクト博士の提言に合わせてアメリカが対日政策を形作ったから、当然そうなったのだろうか。

言葉
夙夜

 これで「夙夜(しゅくや)」と()む。「朝から晩まで」、ひいては「常々(つねづね)」というような文脈で使う言葉である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.378より

大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ実ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕カ夙夜眷々措カサル所ナリ

警め

 「(いまし)め」と訓む。「戒め」と通用には書かれるようであるが、厳密には「戒」の用字だと「処罰する」意味合いが強く、「前もって注意しておく」意味に薄い。他方、「警め」は「警告」というような単語もあるところからも分かる通り、前もって注意しておく意味合いが強い。

p.460より、ルビは佐藤俊夫による。

「例(すくな)からぬものを深く(いまし)めでやはあるべき」

 次の読書は、引き続き同じ平凡社世界教養全集から、第8巻「論語物語/聖書物語」である。