時事漠視

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結局は地獄の沙汰も金次第

 ああ、醜い、醜いねえ。昔から、「薬九層倍、百姓百層倍、坊主丸儲け」などと言ったもので、薬もこうなってみると九層倍どころの話ではない。……ま、「丸儲け」まではいってないからマシと言えばマシだけれどもさ。無論、今回だけの話をしてるんじゃない、今回を取ってみれば九層倍(9倍)なんてのは言い過ぎで、まずまず良心的ではあろうけれども、抗癌剤での暴利ぶりを見て見ろよコイツら。九層倍どころの騒ぎじゃないだろ。

根性試し相場(笑)

 いよいよヒリヒリヒリヒリ、導火線がチリチリと火花を上げてはじけ縮んでいく爆弾を最後まで持っているのは果たして誰か、テストされるような根性相場になった。おっそろしい。

 私は、今回は「全力売り」の方なんで、まあ、ガタンと力尽きてほしいと思ってますが、それはそれとして、皆様の幸福を祈っていることは確かです、ええ、ええ(謎)。どうかお幸せに(増々謎)。

イギリス人の(かい)(ぎゃく)はさすが年季が入っている

 イギリスの猫官僚。笑ってしまった。

 お堅い我が国政府にも、この程度の諧謔を楽しむ余裕があれば気分もほぐれて楽しいだろうなと思うが、まあ、我々日本人は糞真面目な上に()真面目と来ているから、もしこんなことがあったとしても「税金で猫なんか飼いやがって!」くらいしか言わないんだろうなあ。

時事漫策

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世間、というか新聞やテレビの方がおかしい

 東京五輪・パラリンピック組織委員会長、森喜朗元首相が失言したとされ、発言から今日でもう1週間以上も経つにもかかわらず、いまだに紛糾している。

 私には世間が「オリンピックをこういうふうにしましょう」という話をせず、「森ッ!ハラ立つから辞めろこの糞爺ぃ!」みたいなことばかり言っているように見える。つまり、オリンピックなどどうでもよく、そしてまた、森氏がオリパラ組織委員会長であろうと、他の何かの役職であろうと、それもどうでもよく、とにかく森をやっつけろ、というふうに何者かが誘導しているように感じられる。

 確かに森氏の発言は、慎重に言葉を選んで丁寧にスピーチしたとは言いがたく、失言と言えば言える。だが、私に言わせればそんなことどうだっていいし、さらに言えば、女性蔑視とされる意図が森氏発言にあろうがなかろうが、それすらどうだっていいと思う。

 というのは、本来なら、この世界的悪疫(あくえき)(しょう)(けつ)のさなか、オリンピックをやるのかやらぬのか、やるとすれば如何にするのか、やらぬとすればどう幕を引くのか、そこを真剣に詰めなければならないはずだからだ。今は、オリンピックそのものや選手たちの血の(にじ)む努力をどうするのかが話の焦点になければならないのである。オリンピックの周辺部を徘徊しているだけの老人の失言なんか針小棒大に取り上げて騒ぐことしかしていない世間、……いや、世間ではない、世間を(あお)って問題を()じ曲げようとしている新聞やテレビは、誰がどう見たっておかしい。

 思うに、東京誘致後の話題も、スタジアムの設計がどうとか、ロゴマークが盗作だとか、そんな周辺のどうでもいいようなことしか新聞やテレビは取り上げてこなかった。選手や、オリンピックそのもののことなど、うっちゃらかしたままだ。

この人、学者先生のクセに、ものを知らん人だなあ
記事から引用

Wordで文書を作って「印刷」を選ぶと「Microsoft Print to PDF」という選択肢がある。しかし作成されるのは画像PDFだから、文書の中のテキストが読み取れない。これでは、視覚に障害のある人は情報を取得できない。

 何言ってンだこれ。謎だ。この人、本当にこのメニューからPDF作ったことがあるとは思えない。学者センセイのクセして、本当に無知だなあ。

 参考に、このセンセイが言う手順を忠実・正確に()んで作成したPDFをここに置いておきますね。

 このPDFが、センセイの言う手順を忠実・正確に守って作成されたかどうかは次の手順で確認できる。(すなわ)ち、AcrobatでこのPDFを開き、コマンドメニューから「ファイル ▶ プロパティ」と操作し、作成ソフト名がタイトルに埋め込まれ「Microsoft Word」と表示されていること、更に「その他のメタデータ」ボタンをクリックし、「詳細」を選択して「PDFのプロパティ」というツリーを開くと「pdf:Producer: Microsoft Print To PDF」と表示されていることから、それが(わか)るだろう。

 その上で、文書中の「あいうえお」という文字が選択できないかどうか、また「コピー」ができないかどうか、「メモ帳」(Notepad.exe)を起動してそこに「あいうえお」という文字がペーストできないかどうか、試してみるがいい。

 ……しかし、何にせよこのセンセイ、こういうところで無知をさらけ出すと、この記事で訴えたいのであろう内容、つまり、「PDFはアクセシビリティがいいとは必ずしも言えない。他に多少の問題点もなきにしもあらずであるから、なんでもかんでもPDFにしてそれでよしとしたり、いわんやPDFに完全依存したりするのはやめたほうがよい」というような内容が(いっ)()だにされなくなってしまう、ということを知るべきだ。

野良PCR

 「野良PCR」というのが話題になっているようだ。

 あちこちにポコポコ出来ている検査店や、ネット販売検査キットになんとはない()(さん)臭さを覚えてはいたのだが、なるほど、こういう始末か。

 いまや、タピオカ屋がPCR屋に鞍替えしているというのなど、むしろ逆に商魂の(たくま)しさに尊敬すら覚える。

 金持ち連中が先を争って打っているという「中国ワクチン」も、どうも、こういう貧乏(くじ)であるような気がする。

 それにしても、感じるところ、新聞やテレビは「政治家の会食三昧を絶対許すな!」みたいなことを言い立て書き立てているが、表に出ない三流経営者連中だってこんなようなだらしないことであって、実に唾棄すべき状況である。

変なマナー作ろうとするな馬鹿

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 何か、「公的な場では布マスクではなく、不織布マスクを着けるのがマナー」みたいな、変な空気が醸成されようとしている。

 まったく馬鹿々々しい。

 左の動画で報告されている、理化学研究所で行われた研究がこの変な風潮の元になっているようだ。

 確かにこの動画では不織布の性能がよい、と指摘されているが、中身をよく見なければならない。動画内では顔にフィットしない不織布マスクの隙間から多くの飛沫が飛散していることも同時に指摘しているのだ。フィルター性能が高ければ高いほど、呼気の通行も妨げられるということもこの研究は指摘しており、それはすなわち、性能が高いとされるマスクでは、かえって呼気が逃げ場を求めてマスクの周囲から通行してしまう、ということをも示唆している。

 だから、この研究の上っ面だけをとらえて「不織布マスクが今後の正しいマナーだ」などと短絡するのは間違いなのだ。坪倉博士は上の動画内でも「経済性や置かれている状況その他を総合的に判断して選択するものであり、一般の人がどのような場合でも必ず不織布マスクを選択すべきだなどと言うことは一概には言えない」という意味のことを付言してもいる。

 したがって、新聞・テレビが「使い捨ての不織布マスクが新たなマナー」みたいなことを言い出すなど、支離滅裂である。さなきだに、昨年来、あれだけマスク不足だなんだと新聞・テレビが煽ったから社会が混乱したのではなかったか。今、ようやく一般人が布マスクなどで自衛することが定着したところなのだ。

 私などは、この悪性コロナウイルス騒ぎの前から自作の布製マスクを使用している。市販の不織布マスクが自分の顔の形に合わず、頬骨や目への無用の圧迫がある上、呼気のほとんどがマスク周囲の隙間から出入りしており、これでは意味がないと感じたからだ。目の間隔や鼻の高さ、顎の幅など、自分の顔の寸法を定規やノギスで測り、立体的に縫製し、顔にピッタリと合わせてあるので、周囲からの空気の漏れはほとんどなく、呼気は布を通る。なおかつ、着けていて変なところが痛むということもない。そのため、昨年のマスク不足騒ぎの時には全く痛痒なく、何の影響も受けなかった。

 これをしも「マナーに違背するから不織布マスクを着けてこい」などとされるのは、不愉快千万である。

スウェーデンの親子の幸福を祈る

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 左は、()(ぶと)(たくま)しい腕をしたスウェーデンの鍛冶(かじ)屋のおっさんが、精妙・精密・繊細、なおかつ質実剛健な製菓道具を作って、それでお菓子をこしらえ、可愛いお嬢ちゃんと一緒にパクつくという動画である。

 それだけの動画に、なぜだか思わず涙ぐんでしまいそうな感動を覚えるのであった。

 今しも、スウェーデン王国は1千万人強の人口に対して悪性コロナウイルス感染症により1万人を超える死者を出し、国難の()(なか)にある。国民のうち1000人に1人が既に亡くなっているのだ。

 (ひるがえ)ってわが日本は、1億人を超える人口を(よう)する過密の国であるにもかかわらず、諸外国に比べればまだましなほうだ。今、日本が仮にスウェーデンと同じくらいの人口、総勢1千万人強の国であると仮定すると、同感染症による死者は500人強ということになる。2万人に1人が亡くなっている状況だから、スウェーデンも含めた欧米の状況とはかなり異なる。

 勿論、我が国内で不幸にも同感染症で亡くなった多くの方々には、衷心より悲しみとお悔やみを共にしたい。

 さはさりながら、諸外国と比べてこの相対状況であるならば、日本はむしろ余力のある国として、他国に救助のための手を差し伸べ、俄然奮迅努力しなければならない立場にあると思うのだ。ところが、残念ながら日本国内の状況は、緊急事態宣言に目の色を変え、有象無象の勢力が互いに批判と罵倒を繰り返し、自らの不幸を嘆き、恐怖に駆られて政府や行政を()()ろし、愚図愚図(ぐずぐず)するな助けろ馬鹿野郎などと絶叫するのみに終始するばかりか、日本よりよほど困難を極める状況にある欧米が血の(にじ)む思いで開発し終わったワクチンを「とっととよこせ、俺が先だ!」などと言って争奪騒ぎまで起こしかねぬばかりの情けない有様(ありさま)、さながら女装してタイタニック号の救命ボートに潜り込もうとする卑怯な東洋人の姿そのものであることには、ひたすら恥じ入るばかりである。眼前で蜘蛛の糸がプッツリ切れて再び真っ逆さまに地獄の奈落へ消えてゆく(カン)()()のような末路すら(かい)()見えるような気がして、暗澹(あんたん)鬱然(うつぜん)たる気持ちになるのは、私だけであろうか。

 科学者の活躍が待たれるところだが、学術会議の人事にあんなにも頑固で片意地な異を唱えた学者連中がここにきて沈黙しているのは、笑止千万と言わざるを得ぬ。どんな素人が見ようと、あれなど外患誘致の疑いによる騒動でしかない。科学者は皆、学際挙げてのあの馬鹿げた喜劇の如き狼狽(ろうばい)を恥じるべきだ。敵国への卑しい通謀(つうぼう)で得た大した額にもならぬ汚いカネなど直ちに捨て、さっさと世界の困難を救う薬品の研究を完成させ、中立と潔白、そして(みずか)らの学問の高さの証明となし、それを()()げてはじめて政府に噛みついてはどうか。

 だが、「お()(こう)馬鹿(ばか)」の揃った学者連中にそんなことなどできないことはこれも知れ切ったことで、残念ながら書いて詮無きことではある。呵々(かか)、力なく吐息混じりに哀笑せざるを得ぬ。

 スウェーデンの美しい親子の動画から、そんなことをあれこれと連想する冬の午後なのであった。

成人の日

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天皇陛下万歳

 祝日「成人の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 生憎と新型コロナウイルス感染拡大中であり、緊急事態が宣言されている。各地では例年の要領での成人式は行われていないが、しかし、成人式を迎えた若い人には将来に希望を持ち、学業に仕事に、しっかり励んでほしいと思う。

 不安かもしれない。だがしかし、なぁに、何とかなるし、どうにかなるサ。

臭い臭い、外国人が臭い

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 私は自分の金融資産管理の範囲内で多少株式の売買もする。だが、社会勉強程度のもので、沢山(たくさん)の資金を()ぎ込んでいるわけではない。副業にはならない範囲で(つつ)ましく押し引きしている。

 さて、去る1月8日の金曜日、日経平均は30年ぶりの高値、2万8千139円をつけた。バブル崩壊直後、平成2年(1990)8月16日の寄り付き2万8千97円以来の値段である。その後、日経平均は絶えて久しく2万8千円の声を聞かなかった。それが30年経ってこの高騰だ。

 日本の株式市場は、新年の大発会直後は御祝儀相場などという日本らしい相場習慣が根強く残っているため、大概(たいがい)は上げ相場となるのであるが、それにしても異様な上げっぷりではある。

 そればかりか、昨年(令和2年(2020))の春から日経平均は実に堅調に推移している。昨年の春から今日までというと、まったくのところ、新型コロナウイルスの蔓延が世界を支配した時期である。この期間、日本人のセンチメントが日本株にじゃんじゃんお金を注ぎ込みましょう、なんていうような攻めの状況にあったとはとても思えない。

 ましてこの新年は、新型コロナウイルス感染症急拡大を受けての1都3県緊急事態宣言、加えて関西・中京地域もこれに(なら)わん(かな)の構えだ。新聞やテレビが(わめ)き立てる通りの状況だとするなら、新コロ休業を()いられている()(せい)は次々に倒産・廃業などし、とてものことに株に注ぎ込む余剰の資金など()()べくもない(はず)である。

 では、どこから資金が流入しているのか。

 古い言い方だが、株式市場に、外国人の体臭が芬々(プンプン)と充満しているように思う。というのも、日本人の目から日本だけを見れば確かに「買い」の状況ではない。がしかし、ではアメリカに投資するのか、あるいは欧州に投資するのかというと、日本の10倍とか100倍もの新コロ死者を出しているような()(わい)で無責任な国々や地域に、大事な自分の金を出す気はしない。欧米に比べれば、日本を含むアジア諸国は新コロに関しては多少マシとは言えるだろうが、しかし、投資先として選ぶには、中国は勿論のこと、多くの国々の先行きは不透明・不安定で、遠慮しておきたいというのが正直なところだ。インドあたりになると、新型コロナウイルス感染症の(しょう)(けつ)っぷりは欧州・アメリカとあまり変わらず、ここも手控えるに()かず、である。南米・アフリカなど推して知るべし、論ずるまでもなかろう。

 そうなってくると、単に「残った一番マシな市場」として、日本が浮上してくるわけである。そりゃあ、外国人臭い海外の資金も流入するだろう。

 上記に根拠はなく、私の妄想に過ぎない。しかし、さしずめこんなところでそう(ハズ)れでもあるまい。

 私の妄想通り、こんな理由での資金の集中であるなら、欧米が持ち直せば外国人はさっさとお金を引き上げてしまうだろう。

 山高ければ谷また深し、とはなかなか味わいのある警句である。多少余剰資金のある向きもあるだろうが、今から買いに出動するようでは、この資本主義社会、ひいては民主主義ってものを理解しているとは、言えんでしょうなァ。

図録買っておかなかったのが悔やまれる

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 3年前、六本木の新国立美術館へ「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」というのを見に行ったのだが、その時、うっかりしていて、図録を買わなかった。

 図録というのは、後になって欲しいなと思っても、なかなか手には入らない。図録はISBNのついた出版物になっていたりいなかったり、まちまちであるから、あとで見つけたとしても手垢のついた古本だったりして面白くない。

 まさか去年今年になって、ゴッホベルナールの文章を読むことになるとは思っていなかったのだ。

 読書しつつ、ちょっと図録の印象派の作品をめくってみようか、などと自分の書架を探しかけてから、あ、そうだった、アレ、買ってなかったんだっけ……などと気づく始末である。

 展覧会へ行ったなら、有無を言わせず、間髪を入れず、是非もなく、絶対に、速やかに、図録を買わねばならぬ。今度からは必ずそうしよう、と、改めて心に決める私なのであった。

 できれば展覧会へ行く前に図録を買い、一通り見てから(おもむろ)に実物を見るべきだ。そうしたほうがより鑑賞が深くなる。

 だがしかし、そうは言うものの、新型コロナウイルス感染拡大の状況下、人の寄り集まる人気展覧会がじゃんじゃん開かれるとも思えないが……。

三日

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新型コロナウイルス感染症のニュースを見つつ松の内を送る

酒につけ()(かん)()(えき)よ三日はや   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

時事漫撰

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おうおう、いよいよ差し迫ってきたなァこりゃ

 去る夏以前の日本は、諸外国、特にアメリカと比べて新型コロナウイルス感染症による死者の増加率が少なかったが、そう悠長な見方もできなくなってきた。

 死者は7日移動平均の前日差で49人、率では49(本日人)/3341(累計人)=1.5%増加している。米国ではこれが1805(本日人)/347542(累計人)=0.5%だ。無論、そもそも分母が違うから率での比較には意味があるとは言えず、そこからしても依然日本は「コロナ対策の優良国」であることに違いはないが、死者が激増しつつあることは確かだ。感染者数はもはや飽和状態と思われる検査可能数にも影響を受けるからそれで一喜一憂するのは愚にもつかないが、死者は医療のキャパシティに関わらず出るわけだから、死者数の推移は最も見るべき指標と言える。それがこの状況なのであるから、憂慮すべきだ。

水回り

 ああ、ウチのポストにも、よく「水道屋のマグネット広告」入ってるわ……。

 冷蔵庫なんかに貼っとけるマグネットシートの広告はなぜか水道屋のものばっかりだ。アレ、昔だったらフロッピーディスクとかMOを壊すから、嫌われたろうねえ。今は磁石で壊れるような露出した磁気媒体はほとんど見かけなくなったから、水道屋の広告で壊れるものもなかろうけれども。

 それにしてもしかし、やっぱり、詐欺紛いの悪徳業者には違いないというわけだ。そうだろうねえ。だいたい、人の弱みに付け込む商売って、儲かるんだよな。水道や下水に不具合があると、ほんっと、困るもんな。

 ……。あ、医者もか。病気になると困るからなあ。勤務医だって、いい給料貰ってるもンな。……ケッ。とは言うものの、まあ、今は時疫のために苦労していることは分かる。それをも()き下ろすつもりはない。

例のアイツも流れ弾にでも

 レバノンと言うとどうしても逃亡中のあ奴、カルロス・ゴーンのことが思い浮かぶ。わざわざこんな不安な国なんぞへ脱出するなんて、いろいろ満ち足りている分、()(ツム)の方にどこか足りてない部位でもあるのだろう。せいぜい祝砲の流れ弾にでも当たるがよい。大当たりの幸運を共に祝ってやるぜ、ふははは。

 うーむ、あれくらいの大金持ちとなると、呪っても良心の(とが)めを何も感じないな。自分と無関係の人物だしな。

いい加減「欧米白人主義」のことを民主主義と呼ぶのをやめろ

 民主主義と言う言葉の定義がまるっきり()(タラ)()だから(うべな)えない。

 だから試しに、記事の表題をこう読み替えてごらんなさい。「欧米白人主義の危機とはなにか?」って。ね?スッキリするでしょ、確かにのっぴきならない焦燥と危機を連中が感じているんだ、ってことが腑に落ちてさ。

 欧米白人キリスト教徒どもは、正直に「俺たちは政府から命令されてマスクなんか着けさせられているのが我慢ならないんだ、これは民主主義の危機だ!」とか、「黒ん坊やイスラム教、ジャップなんぞがよってたかって乗っ取って幅を利かせてる Twitter だの Facebook だの Instagram だのの投稿に右往左往させられるのは金輪際(こんりんざい)(イヤ)なんだよ俺らは。これは『民主主義』の危機だろ!?」って、しょうもない気分の問題をさも人類文明の終焉みたいに言い立てればいいわけだよ、馬鹿ッたらしい。

 日本?日本は違うよ、国から命令されてマスク着けてるわけじゃないもの。SNSだって、お前ら欧米白人が()ッち上げたものをこれ幸いと使ってるだけだもの。元々好きで着けてただけだし、あったから使ってるだけだ。何が悪いの。自由だろ? 悪いのはキサマらだ。

 ただ、上掲の文中には、

今回取り上げたほとんどの資料が民主主義の定義について言及していなかった。正確に言うと、EUの民主主義行動計画のみ具体的な記述があるだけだ。これは非常に奇妙で論理的に破綻している。なぜなら問題の認識と対策には「あるべき状態」あるいは「目標」が不可欠のはずで、それがなければ具体的になにがどう問題なのかわからないし、当然対策も立てられない。

……と冷静に述べられてもいて、それよ、定義によっては共産主義や社会主義だって理想的民主主義の一形態でしょうが、まずそこを定義しなくちゃ、とまあ、私なぞは思うのである。私ですか?私は私個人の利益がラクして最大になれば、ナニ主義でもカニ主義でも構いません、ええ、ええ。

訃報
これは知らなんだ

 亡くなったのは既に夏の頃、8月だという。

 「おたく」という言葉の出はじめに随分活躍した人物だった。祈冥福(めいふくをいのる)

年始慎々

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初詣

 例年のように皇居の一般参賀や明治神宮、名だたる大仏閣などへ出かけるのは新型コロナウイルスを貰いに行くようなものだから、()めるに不如(しかず)である。と言っても、もとより皇居の一般参賀は中止されている。

 元旦は住宅街の(あわい)にしんと鎮座()します近所の小さな稲荷宮を拝みに行った。「登戸稲荷神社」という小さな()(やしろ)で、400年ほど前に創建された鎮守である。

賀状

 最近は年賀状も積極的には出さなくなった。ただ、わざわざ年始から私(ごと)き者に()てて下さる懇篤(こんとく)な方には、返信賀状を出すようにしている。

 しかし、数年前から、年配の方から来る賀状には、チラホラ、「年始の御挨拶はこれで最後にさせていただきます」等の御挨拶が交じり、そうした方々からはプッツリ、もう来ない。大抵は定年後の仕事も更にリタイアし、年金暮らしになったと(おぼ)しい方々だ。

 年賀状については、「虚礼廃止」だとか「日本郵政の損得()く」だとか、はたまた「そもそも賀状のやり取りなんて戦後盛んになった新しい習慣で、昔の人はごく一部の能筆の人々しか手紙なんか出してなかった」などという批判もある。

 一方、年賀状はIT技術などで言う死活監視、つまり Heart beat watch みたいなものだし、人と人とが手を携え、つながるためにも大いに出すべきだ、という意見もある。

 そんなことにあれこれ考えを巡らせつつ、来簡賀状に返信を書く。慣れぬ下手糞な毛筆で、手本を一生懸命写して版下を作り、刷る。

呑んだくれる

 酒ばかり呑んで過ごす。私は()(せち)料理が大好きで、三が日と言うものこればかり食っていても全然食い飽きない。喰積(くいづみ)だけを肴に、元日にはほとんど一升空けてしまう。

 酒はこのところの気に入り、山梨の銘酒「七賢」純米吟醸である。近所の行きつけの蕎麦屋「SOBA 満月」で知った酒で、涼しい味と香りがする。甘からず辛からず、まことに旨い。

 肴にする「御重のもの」の中では、大海老とか出汁巻などのいわゆる「高いもの」よりも、安いもの、ごまめ、黒豆、数の子――数の子のどこが安いんだ、という話はもちろんあるが、ここでいう「安い」は、「かつて安価だった食品」ということで、その昔は数の子や鰊は肥料にまでしたほどであったのだ――といったものの方が酒に合い、食べ飽きず、旨い。ことにごまめや数の子は砂糖っ気がないのが良い。黒豆は甘いが、これもあまり砂糖の入っていないものの方が旨いと思う。しかし、砂糖をきかせないと日持ちが悪くなるので、「そこのところは加減が難しい」とは妻の弁である。

 酔っ払って啜る雑煮椀の、なんと旨いこと。針柚子と花鰹をたっぷりあしらって食べる。子供の頃は御雑煮というと4杯も5杯もお代わりをして食べたものだが、さすがに50台も後半に差し掛かろうとしてくると、もう、いけない。餅の三つ四つも食べると満腹である。

「いつもなら」と言っても詮なきこと

 例年だと正月二日には、近所に住む姑の家に、私の家族と義兄一家とで集まり、御馳走を食べ、それからカラオケに行ったりするのだが、新型コロナウイルスの感染拡大下、今年はさすがに総勢10人で狭いカラオケボックスに閉じこもるわけにもいかず、それぞれしんとして家に閉じこもっている。

 まあ、だから不安だ楽しくない恐ろしい、などというわけでもない。家にいるのも悪くない。もともと正月と言うのはそういうものではなかったか。