読書

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第22巻の3書目、「山と渓谷」(田部(たなべ)(じゅう)()著)を帰りの通勤電車の中で読み終わった。

 本書は、明治時代から昭和まで活躍した登山家、田部重治氏の山行記録である。日本アルプスを中心として、まだ地図もないような時代に山野を跋渉しているが、冒険というようなこととは趣が異なり、山野の美しさや山を行く深い情緒に心底惚れ抜いていることが滲み出るような文章である。

 この「山と渓谷」は色々な編集のものがあり、私は別に昭和26年(1951)の角川文庫のものを所有しているが、他に岩波からは新編のものが出ている。それぞれに収録されていない作品があり、配列も多少異なるようだ。尚、この世界教養全集では仮名遣いがすべて現代かなづかいになっている。

 「山と渓谷」という戦前から刊行されている山岳雑誌があるが、この誌名は本書の題を田部重治氏が山と渓谷社の社長に譲ったものなのであるという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第22巻「山と渓谷」より引用。p.200より

十八世紀末から十九世紀の初めにかけての、イギリスの批評家ウィリアム・ハズリットは、旅をする心を論じて、旅は一人でやらなければならない。そうしてはじめて、気ままに瞑想することも、のびのびと歩くこともでき、また、面白くもないことに共鳴を強いられる必要もなく、他人に同情を求めて得られない不愉快を感ずる必要もないといっている。

 この部分にはまったく同意するが、誤解のないように書き添えておくと、この文章を含む章は、良い友と喜びを分かち合う山行がどんなに快いかを記したもので、田部重治氏は加藤文太郎氏のような単独行を事としていた登山家ではない。

 引き続き第22巻を読む。次は3書目、「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(E・ウィンパー Edward Whymper 著・石一郎訳)である。著者ウィンパーは元から有名な挿絵画家であったが、登山界でも著名となった人なのであるという。

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第22巻の2書目、「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)を読んだ。携帯電話が故障したので、秋葉原の修理店へ行き、修理の待ち時間、万世橋「マーチエキュート」の神田川に面したテラスで午後のひと時を過ごし、そこで読み終わった。

 本書は、幕末の江戸時代(嘉永5年(1852))に、当時名前もなく「ピーク15」と番号で呼び過ごされていたエベレストが、その実世界一の高峰であったことが英印測量局によって確認され、大正10年(1921)に最初の英遠征隊が送り込まれて以来(このかた)、昭和28年(1953)に遂に初登頂が成し遂げられるまでの、苦闘の登頂史を迫真の筆致で(しる)したものだ。

 著者のエリック・シプトンは、エベレスト登攀路開拓の第一人者であり、戦前からほぼ30年にわたってエベレスト登頂チャレンジを続け、昭和28年(1953)の、シェルパのテンジン・ノルゲイとニュージーランド人登山家エドモンド・ヒラリーによる世界初登頂の(いしずえ)を築いた人物である。ただ、惜しい(かな)、世界初登頂がなされる前年までは遠征隊長であったが、テンジンとヒラリーによる初登頂時は遠征隊から外されており、一般にそのことを「悲劇」であるとしている世評があるようだ。

 ところが、本書の筆致はそれとは違う。自身が隊長を務めたときの遠征を誇るでもなく、また、世界初登頂成功時の遠征を妬むわけでも貶すわけでもなく、実に正確かつ淡々とこれを記録し、岳人らしく成功を深く喜んでいる様子が行間から伝わる。どうも「悲劇の登山家」とするような世評とは違うように思う。

 むしろ迫真の筆致が胸に迫るのは、自身が頂上アタックメンバーとして昭和8年(1933)・昭和9年(1934)・昭和10年(1935)・昭和11年(1936)・昭和13年(1938)、戦争を挟んで昭和26年(1951)・昭和27年(1952)という驚くべき回数にわたってエベレストの山懐に入り、8000メートルを超える地点で頂上を指呼の間に望みながらついに登頂を果たせず、苦闘する様子である。

 また、自身は参加していないが、大正13年(1924)のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンの遭難について、同時代の登山家として克明に記しており、興味深い。また、この時のアーヴィンのものとみられるピッケルが、昭和8年(1933)に自身も参加した遠征隊により発見されたことが記されている。この逸話にも胸を打つものがある。なお、余談、知られるところであるが、マロリーの遺体はその後75年も経った平成11年(1999)にエベレストで発見されている。

 さておき、本書は翻訳もよく、簡潔な記録となっていて読みやすい。おそらくは、原文も岳人らしい簡潔な文章なのであろう。

 引き続き第22巻を読む。次は3書目、「山と渓谷」(田部重治著)である。著者は戦前に活躍した登山家で、この書は岩波文庫にも入っていて有名だ。

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 引き続き平凡社の60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。先日から第22巻に入った。第22巻は「山行」(槇有恒著)「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)「山と渓谷」(田部重治著)「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(エドワード・ウィンパー Edward Whymper 著)の4書である。

 まず1書目、「山行」(槇有恒著)だ。行きの通勤電車の中、乗り換えて北千住の駅を出たところで読み終わる。

 著者の槇有恒と言えば、「世界のユーコー・マキ」と言われ、ヒマラヤ・マナスルの日本隊による世界初登頂を指揮した登山家である。マナスルの時は登山隊長であって、当時既に62歳であったから自らはマナスル山巓に足跡を刻してはいないが、彼自身はヨーロッパ・アルプスでアイガーの東山稜初登攀や、カナディアン・ロッキーのアルバータ初登頂など、若年の頃は赫々たる世界的成果を残している。

 本書は槇有恒がヨーロッパ・アルプスの登山史や、その自然を愛でる随筆の他、自身のヨーロッパ・アルプス登山記、アルバータ初登頂の記録などからなる。記された山行は数多いが、無論圧巻は「アイガー東山稜の初登攀」と「マウント・アルバータの登攀」の二つである。

 さすがは明治の人で、文章は精緻で読みやすく、臨場感が溢れていてスリリングでもあった。

 引き続き第22巻を読む。次は2書目の「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(E.シプトン Eric Shipton 著)である。かのマロリーの話なども出てくるようで、楽しみである。

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻の最後、5書めの「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)を読み終わった。珍しく「THライナー」という日比谷線の座席指定券を買い、のんびりと座って帰宅する間に本文を読み終わり、帰宅してから解説を読み終わった。

 この書は猪・鹿・狸それぞれを狩猟する話や、これら三つの獣に関する逸話を集めたものである。実に多くの話が集められているが、ところが、その話の収集元は著者が生まれ育った愛知県長篠の「横山」というところの周囲数kmの中に限られる。狭い村落にこれほどの分量の獣にまつわる逸話があるというのは驚くべきことである。

 物理的な狩猟譚の他に、特に狸については狩って食べる話だけでなく、「化ける」「ばかす」話が多く収められており、明治時代でもそうした薄暗い地方伝承の中に多くの日本人は生きていたのだな、ということを再確認した。

 この書の著者早川孝太郎も柳田國男につながる人だそうで、本書は出版されるや芥川龍之介や島崎藤村、中国の文人・周作人などに激賞され、大正時代の末期の大ヒット作であったらしい。

言葉
山彙

 そのまま「(さん)()」と読んでよい。「()()」という言葉があるが、これは言葉の集合とでも言うような意味で、「彙」という言葉に「あつめる」「あつまる」という意味があることはここからもわかる。

  •  (漢字ペディア)

 したがって、「山彙」は「山の集まり」と解してよい。ただ、「山脈」「山系」とはやや異なり、個々の山々が一むれになっているようなものとしてのニュアンスがこの「山彙」という言葉にはある。

平凡社世界教養全集第21巻「猪・鹿・狸」より引用。
下線太字は佐藤俊夫による。p.484「解説」(鈴木棠三)より

いったい、この地方は、伝記で名高い鳳来(ほうらい)()の入り口にあたり、山としてはいわゆる()(やま)というに近い。しかし、この奥山つづきは神秘な伝承にみちた山彙であった。獣たちも、伝奇の光輪を身につけて、人里近く出没したのである。

 次は、同じく世界教養全集から、第22巻に進む。第22巻は「山行」(槇有恒著)「エヴェレストへの長い道 The True Book About Everest」(エリック・シプトン Eric Shipton 著)「山と渓谷」(田部重治著)「アルプス登攀記 Scrambles Amongst the Alps」(エドワード・ウィンパー Edward Whymper 著)の4書である。これは前21巻とは違い、題名を見ただけでどんな本かはわかる。

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻のうち4書め、「東奥異聞」(佐々木()(ぜん)著)、帰りの通勤電車が草加駅で停車している間に読み終わる。

 著者佐々木喜善の師、柳田國男の代表著の一つに「遠野物語」がある。私は未読であるが、この遠野物語は、柳田國男が佐々木喜善から聞き取った岩手県遠野地方の伝承を記録したものである。

 本書「東奥異聞」は、その佐々木喜善自身が後年著わしたもので、遠野物語の底本の一部とでも言い得るものだ。日本民俗学の嚆矢の一つとして、大正時代に広く受け入れられたらしい。

 私が若い頃に読んだ故・西村寿(じゅ)(こう)氏のハードロマン小説「鬼」に東北地方の異教「オシラサマ」や「拝み念仏」といったものが登場していたが、そのオシラサマや拝み念仏を取り上げ、世間に知らせたのが大正時代の佐々木喜善だったのである。

 本巻の2書目、柳田國男の「山の人生」に、山で失踪する女の話や(うぶ)()の話などが出てくるが、いわばその「元ネタ」がこの書には多く記されている。読みやすい文章で、また珍しい話が多く、読んで面白い。

 佐々木喜善は経済的に恵まれず、病弱で、昭和8年(1933)、40歳代後半で亡くなったそうである。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は巻の最後、5書目「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)である。この書は一体何が書かれているのか、想像もつかない。

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻のうち3書め、「北の人」(金田一京助著)、早朝の通勤往路の、秋葉原の駅構内で、歩きながら読み終わる。

 金田一京助と言うと、私などが子供の時分、国語辞典の編者に必ず名前が載っていたものだが、実は私は、この人がどんな業績を残した人かはよく知らなかった。

 本書は金田一京助が若い頃から没頭した「アイヌの研究」に関する思い出などを記した随筆である。

 この書のテーマなど知らないままに読みはじめたのだが、この書によって金田一京助の業績の大きなもののうちの一つがこの「アイヌ研究」であることを、本書によって知った次第である。

 本書は、さすがは国語辞典の編者の筆頭に挙がる言語学者がものしただけあって、精緻であるにも関わらず平明で読みやすい。

 私などには、この書から、金田一京助その人の、アイヌ民族への限りない愛と尊敬、(むし)ろ平服心酔すらしているらしいことが感じられるのだが、最近の器の小さい人々がこの書を読むと、何分、昔の書なので、差別用語であったり、素朴を笑うような部分があったりするので、そういう部分に嫌悪を覚え、差別的であると断ずるかもしれない。

 読書と昔の人の評価は、時代の影響を割り引いてしなければならない。端的に言えば、江戸時代に切腹や打ち首があったから江戸時代が残酷で野蛮であったということにはならぬし、戦後すぐあたりまで日本の野菜が「下肥(しもごえ)」で育てられていたからと言って日本が未開で()(わい)な野蛮国であったということにはならないのと同様である。

言葉
題簽

 「簽」という字は「便箋」の「箋」と同じ意味であり、読みも同じ「(せん)」である。「題簽(だいせん)」というのは本の表題などを記して貼り付けるものだ。

平凡社世界教養全集第21巻「北の人」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.215より

 たまたま題簽のお願いに柳田國男先生へ伺うと、それよりも「北の人」がよいではないかと、さっそく書いてくだすったのがすなわち本書の名となったのである。

囹圄

 「(れい)()」と読む。「囹」も「圄」も「(ろう)」の意味であり、囹圄は牢屋のことである。大和言葉では「ひとや」と言う。

p.269より

今のように日本語のよくできる者のなかった時代に、アイヌ部落を一身に背負って立ち、土地の官権を向こうに廻して、六年にわたる悪戦苦闘、ついに東京まで来て、大隈伯や西郷従道侯を動かして、首尾よく旭川土人の命、今の近文の給与地を安んじた偉功、そのためには最愛の妻の死にも帰らず、あまつさえ冤罪(えんざい)に問われて、囹圄(れいご)(うち)に囚われの悲壮な物語であった。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「東奥異聞」(佐々木()(ぜん)著)である。この書については、前3書と違い、この巻も4書目ともなってテーマに想像がつくし、何より、2書目の「山の人生」(柳田國男著)の中で何度か触れられているので薄々分かるのだ。

読書

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻のうち2書め、「山の人生」(柳田國男著)、早朝の往きの通勤電車の中、北千住と南千住の間のあたりで読み終わった。著者は前読書「海南小記」と同じ、日本民俗学の泰斗、柳田國男その人である。

 この書も一体何がテーマなのかわからないままに読みはじめたのだが、読んでみてなるほど、これは柳田國男一流の民俗学小論であることがわかった。すなわち、日本の各地に、誰某(だれそれ)が山に入って行って帰ってこなくなったとか、それが時折人前に姿を現すことがある、などの言い伝え、また或いは山男、山姥、(うぶ)()、巨人などの半ば神霊めいたものや神隠しなど、深山に対する畏敬が根底にあるとみられる伝承がある。これらは全国に様々な口碑などになって残っているが、うっすらとした輪郭に、なんとは言えない共通項の存在が感じられる。

 この書はそれらを概観しつつ、考察を加えるものだ。

 柳田國男は伝承や口碑を丹念に集積しつつ、ただ、しかし、結論めいたことはこの書ではあまりはっきりとは述べていず、後学の更なる継承を期待しているようである。

 この書で「サンカ」というものについて触れられている。サンカとは山中を住処とし、定住しない賎民のことである。この書以外の他の資料によると、柳田國男がこれについて取り上げたことによって山中に暮らす賎民の存在が認知され、昭和40年代頃には文学作品の題材などになり、一時はよく知られたものであったらしい。

 本書は、前書同様、文章に味わいがあって美しく、読みやすい。

言葉
香蕈

 「蕈」という字は音読みでは「シン」とか「タン」と読み、その意味は「きのこ」である。で、「香蕈」と書くと、「コウシン」か「コウタン」と読むのかな、と思いのほか、これは「重箱読み」の言葉で、「香蕈(こうたけ)」と読む。意味は「椎茸」のことであり、訓読みでそのまま「香蕈(しいたけ)」とも訓ませる。

  •  (モジナビ)
  •  香蕈(コトバンク)
平凡社世界教養全集第21巻「山の人生」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.198より

 四 文政中、高岡郡大野見郷島の川の山中にて、官より香蕈を作らせたもう時、雪の中に大なる足跡を見る、その跡左のみにて、一、二間を隔て、また右足跡ばかりの跡あり、これは一つ足と称し、常にあるものなり。

丘壟

 「(きゅう)(ろう)」と読み、丘の高いところというほどの意味である。「丘隴」という字遣いもあり、読みも意味も同じである。「壟」「隴」とも小高いところという意味の漢字だ。

p.198より

丘壟の上に腰かけて大海のハマグリを採って食ったと言い、足跡の長さ四十余歩、広さは二十余歩とある。

踰ゆる

 これで「()ゆる」と訓む。「踰」という漢字には「またぎこす」という意味がある。

  •  (モジナビ)
p.198より

播磨風土記の多可郡の条にも巨人が南海から北海に歩んだと伝えて、その踰ゆる迹処、かずかず沼を成すと記してある。

迹処

 「迹」は「あしあと」という意味の漢字であるが、読みは「セキ」とも「シャク」とも読む。

  •  (モジナビ)

 で、「迹処」であるが、この組み合わせの単語に調べ当たらない。「迹処(あしあと)」と訓んでも「迹処(せきしょ)」と読んでも、どちらでも可ではあるまいか、と思う。

p.198より。但し、前の「踰ゆる」の引用部分と同じである。

播磨風土記の多可郡の条にも巨人が南海から北海に歩んだと伝えて、その踰ゆる迹処、かずかず沼を成すと記してある。

天地剖柝

 「(てん)()剖柝(ぼうせき)」と読む。

 「剖」は「解剖(かいぼう)」という言葉があることからもわかる通り「わかつ」こと、「柝」は「析」の別書で、「分析」という言葉にある通り、これも「わかつ」意味である。したがって「天地を分かち、()し上げる」というのが「天地剖柝」の意味である。

 しかし、「剖柝」でネットのQAサイトの回答などは見当たるが、信頼に足る辞書サイトはもとより、私の手許の辞書や漢和辞典などでもこの単語には調べ当たらない。

p.199~200より

つまりは古くからの大話の一形式であるが、注意すべきことはことごとく水土の工事に関連し、所によっては山を蹴開き湖水を流し、耕地を作ってくれたなどと伝え、すこぶる天地剖柝の神話の面影を忍ばしむるものがある。

匡す

 これで「(ただ)す」と訓む。「(ただし)」という名前の人がいるが、その「(ただ)し」である。意味は「(ただ)す」と同じ意味だと思ってよい。わざわざこの「匡」の字を用いるのは、「正」に比べると「矯正」というような、無理にまっすぐにするような意味合いがあろうか。

  •  (モジナビ)
p.206より

導く人のやはりわが仲間であったことは、あるいは時代に相応せぬ鄙ぶりを匡しえない結果になったかしらぬが、その代りには懐かしいわれわれの大昔が、たいして小賢しい者の干渉を受けずに、ほぼうぶな形を以って今日までも続いてきた。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「北の人」で、著者は柳田國男と学系を同じくする金田一京助だ。これも、どういう内容か全く想像がつかない。

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 引き続き60年前の古書、世界教養全集を読んでいる。第21巻、「海南小記」(柳田國男著)「山の人生」(柳田國男著)「北の人」(金田一京助著)「東奥異聞」(佐々木喜善著)「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)に取り掛かった。

 まずは「海南小記」(柳田國男)。職場で昼休みに読み終わった。

 この巻は一体何がテーマなのかわからないままに読みはじめたのだが、この「海南小記」のしみじみとした読み応えによって納得がいった。

 この書は日本民俗学の泰斗、柳田國男その人が、大正時代に九州から沖縄、先島諸島までを旅したときの記録である。ところが、紀行文としてまとまった紀年体になってはおらず、訪れた土地や島々での深い印象を、さながら印象記のようでありながら、ところが明晰かつ丹念な聞き取りの記録としてこれを(とど)めているものだ。

 日本人は大陸から来た、否、南洋から海伝いに来た、と、昔から議論は尽きない。今は遺伝子分析により相当な学術的探究がなされているが、この書が著わされた頃には、口碑や遺跡により推定するしかなかった。柳田國男は本書で、日本人大陸渡来説に真っ向から異を唱えることを控えつつ、様々な伝承や風俗の痕跡から、もしかすると日本人は南から海を渡ってきたのではあるまいかという提言を立てることに成功している。

 戦争で完全に破壊された沖縄には、この書にある古い古い日本は、もはやひとかけらも残っていない。その点で稀有にして貴重の書だと思う。

 本書は書かれた時期から言って全文旧仮名で書かれていたであろうことは疑いないが、この全集では仮名遣いを新かなづかいに直してあり、また文語体ではないので、昨日書かれたもののように読みやすいばかりではなく、文章に味わいがあって美しい。

言葉
盤崛

 音読みは「盤崛(ばんくつ)」には違いないと思うが、この漢字で辞書を引いても調べ当たらない。近い言葉に「盤屈」「蟠屈」があり、どちらも「ばんくつ」だが、意味は「曲がりくねること」である。ところが、この言葉が出てくる文脈は、

平凡社世界教養全集第21巻「海南小記」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。下線太字は佐藤俊夫による。p.21より

 昔工藤犬房丸(いぬぼうまる)の子孫が遠く下って、この辺に盤崛しなかったら、すなわち酒谷(さかたに)盆地の歴史はないのである。

……というものであり、どうも「曲がりくねる」では意味が通らない。あるいは編集による誤植であろうか、ひょっとして、名文家柳田國男にして「蟠据(ばんきょ)」を誤ったか、いずれかであるような気がする。

劈く

 「(つんざ)く」と()む。私たちが知っている意味、「耳をつんざく」という例での「つんざく」である。

p.39より

護国の神今は何かあらんと、おおいに憤ってその神石を劈き、分かって四塊となしたという、石の長さ五尺ばかり、青色堅実なり、十文字に割れていると、遺老説伝などにはあるが、今見るところは二尺以内の灰色の石で、竪に二つに割れている。

 次も同じく世界教養全集第21巻を読む。次は「山の人生」で、著者は同じ柳田國男だ。これも、どういう内容か想像がつかない。

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 引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読む。第20巻「魔法―その歴史と正体― The History of Magic」(K.セリグマン Kurt Seligmann 著・平田寛訳)を土曜日の夜、自宅で読み終わった。

 昨年の暮れも押し詰まった12月29日から読んでいたわけで、随分とかかった。2か月だ。

 前回のエントリにも書いたが、この本は私の大阪の実家の本棚に、私が子供の頃から並べられていたもので、この全集の他の巻と共によく開いたものだ。特にこの「魔法―その歴史と正体―」は題名が刺激的だから、子供を駆り立てるには十分すぎるほどの妖しさを放っていた。実際、本書を開けば、あちこちに悪魔を呼び出す魔法の呪文や魔方陣や魔女やベルゼブブやアスタロトの姿の挿絵などが所も狭しと並んでいるわけである。

 ところが、この全集の他の巻に収められている「燈火の歴史」や「技術のあけぼの」「微生物を追う人々」といった子供が読んで楽しいものとこの書とは違う。「燈火の歴史」その他は、小学校の高学年くらいまでに私は読み通してしまっていたが、この「魔法」に関しては、あちこちをつまみ食いのように拾い読みしただけで、全部読み通してはいなかった。

 さもあろう、五十幾星霜を経た今、大人の読書力で改めてこの本を読み通してみると、「魔法使いになるにはどうしたらいいか」「魔法をかけるにはどうしたらよいか」というような子供の興味に応えるような本ではなく、徹底的に客観的、かつ批判的な姿勢で呪術や迷信の歴史を著述したものであることがよくわかるのである。載せられている魔方陣や魔法の呪文は浩瀚にわたるが、資料たるにすぎない。なるほど、きちんと読めば読む程、難解・(かい)(じゅう)で、大人になった私にして、通勤電車の行き帰りだけの読書にもせよ、読むのに2か月もかかってしまうわけである。

 題名はむしろ「迷信―その歴史と正体―」とか、「呪術」としたほうが正確であったろう。実際、訳者平田寛の巻末解説には、「呪術」と訳題する予定であったところ、一般への理解のしやすさという出版上の要求から「魔法」と題された、とある。

 この巻の前の巻は主として考古学の書が集められていたが、最後だけが違っていて、「悪魔の弁護人」という未開人の迷信を扱ったものであった。組み立てとしては、前巻の「悪魔の弁護人」と本巻が一組になっていると考えてよかろう。

 著者のセリグマンは画家・美術評論家である。美術評論家としての興味から中世の宗教画、そして呪術的な美術などに関心が遷移し、その分野での博識を極める結果となったもののようだ。

 本書はメソポタミア、ゾロアスターから語り始められ、ペルシア、ヘブライ、エジプトの宗教や迷信について順に述べられていく。

 科学の発端であった哲学発祥の地ギリシアやその後のローマでも生き胆による占いが行われていたことなどが述べられており、哲学というものが内包する迷信深さへの指摘は、さすがであると思う。

 「グノシス主義」についても述べられている。グノシス主義について聞いたことはあったが、どんなものかは知らなかった。グノシス主義というものが、日本の多神崇拝も真っ青と言うほどの複雑さを持った、いわば「キリスト密教」とでもいうべき混沌怪奇なものであることを改めて認識した次第である。

 「錬金術」にも多くの紙幅が割かれている。著者は必ずしも錬金術が後代の科学の礎となったなどとは言わない。当時の錬金術は「人間の完成」を目指した、きわめて精神的なものであったと認定している。

 悪魔や魔女、特に悪魔狩り、魔女狩り、宗教裁判についてはこれでもかこれでもかと、繰り返し繰り返し、その異様な状況を描き出す。

 グノシス主義に多大な影響を与えたであろう「カバラ」――ヘブライ密教、とでも言えばよかろうか――について紙幅が割かれる。

 人相、手相、占星術、はては「ほくろ占い」についても述べらる。原書には「タロット」について述べられていたそうだが、訳者の解説によると「省略した」そうで、これは惜しいと思う。昭和30年代(1950頃)は、タロットというものは日本ではあまり知られておらず、読者の興味を惹かない無関係なものとして切り捨てられたようだ。

 バラ十字会、フリーメイソン、吸血鬼について触れられる。そして、近世に至って、科学によって崩れていく「魔法」「迷信」の姿が描かれる。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第20巻「魔法―その歴史と正体―」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.67より

 イシスは、それらすべての上にそびえ立っていた。彼女の母らしい心づかいと対照的なのは、アスタルテ、アナイティス、キュベレなど、オリエントの女神たちの恐ろしさだった。彼女たちは、気まぐれで残虐なふるまいにおよび、処女や不具の青年たちを虐殺した。これらの女神は、人間のいけにえと戦争と不毛とを愛した。ところがイシスが愛し保護したのは生命であった。

 彼女の崇拝は、ヨーロッパと西アジアにわたってひろまった。そしてついに、発生期のキリスト教に接近していった。聖処女の多くの属性――無原罪聖母、神の母(マテル・ドミナ)(「マドンナ」という言葉でのこっている名称)――は、イシスからの借りものであった。

 カトリックの聖母信仰がエジプトの宗教の影響を受けている、というのは知らなかった。なるほど、実に合点がいく。

p.310より

 「このあと、薬屋が知っていて販売している血玉髄と二本の神聖な蠟燭(ろうそく)を手に入れ、呪文がじゃまされないでやれるような、さびしい場所を選べ。悪霊はこわれた建物を好むから、廃墟となった古城はうってつけである。自宅の離れの部屋も、やはりあつらえむきである。血玉髄でもって床の上に三角形を描き、三角形の二辺に蠟燭を立てよ。三角形の下辺のところにJ H Sの聖なる文字を書き、その両側にそれぞれ十字を書け。

 この部分を含む2ページほどは、子供の頃にドキドキしながら読んだので覚えている。何しろ、悪魔との契約の仕方が書いてあるからだ。それで試してみようとするのだが、まず「血玉髄」というところで引っかかる。「『血玉髄』って、何……?」というわけだ。家に百科事典があったから調べてみたが解らない。広辞苑もあったが載っていない。それで大人たちに聞くのだが、母も父も先生も「さあ……?」という。私の周囲に限ってではあるが、大人も知らない言葉だった。「どこに書いてある?」と反問され、この本のページを開いて示すと「こんな大人の本なんか読むな。課題図書とか教科書を読め。……算数の宿題はやったのか!?ナニ、まだだと!?」……などというしょうもない成り行きになったものである。

 今は有難い時代だ。Googleに血玉髄と入力して検索すれば、たちどころに「ブラッド・ストーン」という宝石であるとわかる。

p.474より

 ユベールやモスのような現代の人類学者の主張によれば、原始的な呪術師は詐欺師ではなく、仲間の同意のもとに自分自身が超自然力をもっていると信じ、その身分はみなの一致した意見で与えられていた。

 集団が魔法を実体化していた、ということである。

 次も引き続き世界教養全集を読む。次は第21巻で、「海南小記」(柳田國男著)「山の人生」(柳田國男著)「北の人」(金田一京助著)「東奥異聞」(佐々木喜善著)「猪・鹿・狸」(早川孝太郎著)の5書が収められている。

 開いたこともない巻で、内容に想像もつかない。

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 矢野峰人訳の「ルバイヤート集成」、大晦日に読み終わる。

 もう、涙、涙である。

 解説が変わっていて、文学者の南條竹則氏と高遠弘美氏が書いているのだが、高遠弘美氏のそれは全文旧仮名遣いである。高遠弘美氏は昭和27年(1952)生まれであるから、戦後の人であって、「旧仮名遣いネイティブ」の人ではないはずなのであるが、これは訳者矢野峰人へのリスペクトであろう。

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