さえずり季題【398】は「炎昼」です。夏の昼、夏真昼でも。真夏の灼けつくように暑い昼をいう。比較的新しい季語だとか。未体験の暑さが続きますね。くれぐれもご自愛のほど。
鉄の刃の鉄を截りとる夏まひる 加藤楸邨 #saezuriha_odai #saezuriha— boubun (@boubun) July 20, 2018
月: 2018年7月
読書
池波正太郎編「酒と肴と旅の空」を読み終わった。
開高健の著書に池波正太郎が出てきた覚えがないが、この池波正太郎編の本には開高健が手厚く取り上げられている。
図書館へ返しに行き、入れ替わりに「料理のお手本」を借りる。有名な懐石料理人、辻留こと故・辻嘉一氏の著書だ。
なんだかここ最近、料理や食い物の本ばかり読んでいるなあ。
人が死んでるのに「宝庫」はなかろうよ。
ある著名な方の文章に曰く、
日本列島は地震や津波や台風や豪雨や土砂崩れや豪雪や火山噴火や酷暑や、ありとあらゆる自然災害の宝庫だ。
……。なんというか、「地震や津波や台風や豪雨や土砂崩れや豪雪や火山噴火や酷暑」は、「宝」なんですかねえ。なんだよ「宝庫」って。
ここは、
……というふうに書いてほしかった。
いや、この方特有の皮肉を込めて、「民族を磨く試練にこれほど恵まれているにもかかわらず、なにをボンヤリしておるのだ、災害は日本民族を磨き照らす宝だ、覚醒せよ、日本民族、喝~ッ!!」とでも言うのなら、「宝庫」でもいいとは思う。
だが、多分うっかり「宝庫」と書いただけで、深い意味はないだろう。
人が死んでいるのに「宝庫」は、ない。
このこと、主義主張にはまったく関係ない。単に日本語の話である。
どいつもコイツも「ぶっちゃけ」「ぶっちゃけ」言いおって、目障りだ
「包み隠さず打ち明ければXX情勢は」というふうに書けばいいものを「ぶっちゃけ、XXは」と表現するテレビ・新聞・雑誌が多いようだ。
なんだよ、「ぶっちゃけ」って。汚い言葉だ。どこの方言だ?東京か?
どいつもこいつもぶっちゃけぶっちゃけ言いやがって、目障りである。
「ぶちまけて言えば」と言いたいのだろうか。だとしても、「ぶちまけて」というのも、相当下品だ。「ぶちまけて」の「ぶち」というところが駄目だ。
「正直に言えば」とか「包み隠さず書けば」とか、他に書きよう言いようはいくらもあるはずだ。
思うに、今上陛下を「今の天皇」と書いたり、皇后陛下を「美智子さま」と書いたりするのと同様の下品さだと思う。
何?このブログの言葉
大会社の大学出の学士様修士様の報道であるなら、もうちょっと自分の親から貰った学歴を汚さぬような言葉で記事をものしてもらいたい。
熱いやんけッ!!(笑)
いやもう、ホンマのホントに暑い。いや、字が
クーラーがブンブン唸りを上げるから、温度計持って表に出てみたら、どないだ、この始末でっせ大将。
……とまあ、おもわず大阪弁になってしまうほどの暑さだ。
天気サイトその他ではこれほどのことにはなっていないから、これは私の住む住宅密集地のアスファルト上の特性なのだろう。
それにしても熱い。蝉が鳴いていなくても暑さでジーィ~……、と耳鳴りがするような気がする。私の住む越谷市は、ヒートアイランド現象が名物でもある。
ワールドなんちゃらとか、やめてしまえ、こんなおかしなもの
こんなことの何が面白く楽しいのか、まったく理解不能である。わからない。「わからない」と口に出して言うと、「お前も見てみろよ、面白いから」と強制される。その、強制的なところも嫌だ。
- W杯勝利に沸くフランス、各地で衝突や事故相次ぐ 死者・重傷者も(AFP、平成30年(2018)07月16日(月)10時15分)
人死にまで出ているという。もはや、スポーツとか娯楽とか言う範囲を逸脱している。嫌悪感しか覚えない。
だいたい、なんだよ「Wカップ」て。AカップBカップCカップDカップか?Fカップか?遂に巨乳趣味が寸前まで行きついて、しまいに
死人まで出して、どうするんだ。人命は娯楽スポーツより軽いのか?こんなもの、禁止もしくは廃止すべきである。
もし、この「ワールドなんちゃら」とかいう変な騒動で死んだ人を積算したら、福島の原子力発電所災害で死んだ人より多いであろうことは疑いない。
そもそも、学校でサッカーなど教えたり、強制したりするからよくないのだ。善良な児童に
ワロタ
テレビ番組ふたつ
昨日の夜録画しておいたテレビ番組二つを見た。
- 人類誕生 第3集 ホモ・サピエンス ついに日本へ!(NHK、平成30年(2018)07月15日(日)21時00分~放映)
遠くアフリカに発生したホモ・サピエンスたちが、南は台湾から琉球諸島沿いに日本へ渡ってきた道筋と、樺太ないし沿海州から流入した道筋の二つを取り上げており、面白かった。しかし、当然考えられ得る「朝鮮半島経由のルート」は、意図的かどうかはわからないが、スッポリと捨て去られており、やや不満足な感じがした。
- 若手ピアニスト頂上決戦~第86回日本音楽コンクール・ドキュメント~(NHK『Eテレ』、平成30年(2018)07月15日(日)21時00分~放映)
出場していた若手ピアニストたちが、どの人も爽やかで、本当に真面目にピアノに取り組んでいる様子が伝わってきて、いい番組だった。
本業
【例え話】
私の田んぼで働いている雇い人も何人かいますので、ともかく田を打ち、稲を植え、収穫を上げるのが本業だと自ら任じています。
ですが、なかなか集中できません。子供の頃からそうなんですが、私の親も何を考えたのか、「幅広い国際人になることが今の世の中大切だ。大学入れ」などと言い、なんで農家の跡取りが大学に行くんじゃ、などと思いつつも勉強して大学に入りました。しかし、根が馬鹿ですから、特別に賢い大学に行けたわけでもなく、地方の私大を遊びながら中途半端に卒業し、結局は米農家になったわけです。大学は経済学部でしたが、大学で習うマルクス経済学なんぞ、田んぼを打つこととは何のかかわりもなく、意味はありません。
それはそれとして、どうも年がら年中、農協の役員選出だとか、どこの息子を農協職員に雇うべきかとか、村議会の運営だとか、私にとってどうでもいい議論に忙殺され、本業の田植えや潅水、刈り取りと言った作業にとりかかることができません。それをやろうとすると、「この減反政策のさなか、何が田植えだ!やめてしまえそんなもの」と怒鳴りつけられ、米農業に集中できないわけです。
そんな状況なのに、農協の副理事が「お前は米農家の誇りを忘れたのか、米を作れ」みたいなことをこれまた怒鳴りつけてきます。そうかと思えば「高付加価値の作物を作らん奴はバカだ、意識革命だ」みたいなことをまた
理念だとか信念だとか、そんなこと、どうだっていいんです。私は自分が米農家でありたいと望んだわけではなく、やりたいことをやっているわけではありません。ですが、それを悔やんでなどもおらず、つまり今は米農家なんです。それが私のなりわいです。米を作るよりほかにどうしようもないわけです。それが私の人生であり、任務なのです。
そのように自分を納得させているし、人を雇い、食べていけるだけのサイクルだってきちんと回しているのに、田なんか打ったり刈り取ったりするわけでもない周りの人たちが「田んぼつくれ」「いややめろ」「そうじゃない、田んぼつくれ」「違う、これからの農家は改革だ、変われない者はバカだ」と私を怒鳴りつけては、そのくせ、農協の用事や村会の世話や、そんなものばかり持ち込み、もともとそんなのどうでもいい活動ですからうまくいくわけもなく、そのせいで近所の人々との関係も険悪になってしまいました。
それで悩み、「私、どうしたらいいんでしょう?」と旧知の人に漏らしたら、「お前は何がしたいんだ!?人間は信念だ方針だ哲学だ!!」とこれまた詰問です。哲学て、ねえ(笑)。百姓になにが哲学ですか。
なんで人間は本業をさげすむんですかね。私には農協の人が馬鹿に見えます。誠実に本業に励むことに、なんで哲学だとか改革だとか、歪んだ考えを持ち込まなけりゃならんのでしょうか。
普通の人は、そこまで大げさにものを考えて生きてなんかいませんって。哲学だ改革だ言う側だって、実際は何も考えないで叫んでるだけなんじゃないですか?
上記は私佐藤俊夫が妄想した例え話で、実際の農家の状況や農協の状況などとは何のかかわりもない。単なる文字列である。