オモロイ、と思ったので、で浄書してみた。
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携帯を修理に出すと
携帯を修理に出すとき、液晶面に貼ってある保護フィルムをはがさなければならない。一度はがした保護フィルムは角が傷んで使えない。
それで新しいものを買って貼ることにするが、私のはソニーの「Experia A」(SO-04E)というやつで、もう古いので、フィルムやケースは店頭にはないのである。
それにしても便利な時代だ。こんな時はAmazonでポチ。
カバーと液晶フィルム両方込みで、1000円。
それにしても面白いのは修理の内容だ。たまたま買った時の条件が「3年保証」になっていたので、修理代は無料だったのだが、修理の伝票に「メイン基盤交換・リアケース交換」とあり、これはつまり「ほとんど全交換」みたいなもんで、いやーっはっはっは、トクした、と思う。
携帯電話の修理
携帯電話の修理が終わったので取りに行った。
データのリストアなどに小一時間かかる。
ポインセチア
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「ポインセチア」)
ポインセチア
さえずり季題【263】ポインセチア 初冬の頃、苞葉が鮮紅色に変わり美しく、クリスマス用の装飾花として普及してきた。花屋の店先が鮮やかですね。 ポインセチアどの窓からも港の灯 古賀まり子 #kigo #haiku #saezuriha #saezuriha_odai
— Gorobe (@Gorobe_smile) December 19, 2015
CIO補佐官
来年度の政府CIO補佐官の募集が開始されました。 是非、募集要項のご確認を! (^○^) ちなみに、よく、○○省CIO補佐官といいますが、それは、政府CIO補佐官(○○省担当)のことです。 https://t.co/wTr0n2n8HH
— 経済産業省情報プロジェクト室 (@openmeti) December 18, 2015
そ、ソレはナイw
噂のアトム。だ、ダメだ、腹の皮がよじれちまうー(笑)
内乱罪 | 刑事事件を弁護士に相談
http://www.atombengo.com/news/keijibengoposttag/%E5%86%85%E4%B9%B1%E7%BD%AA
2550コネクタ(QIコネクタ)の圧着を動画に撮った
このブログは、なぜか「2550コネクタ」で検索して見に来る方が多い。
なにかニーズでもあるのかしらん、とも思うので、圧着方法を動画に撮って解説してみた。ピンボケだが……
● 過去記事
● 2550コネクタ、QIコネクタの圧着
● 2550コネクタ、またはQIコネクタ
Raspberry Pi Zeroの続報がなかなかないなァ
Raspberry Pi Zero。どこで扱い始めたとかいつから買えそうとか、そういう続報がなかなか出てこない。
先週はいらないモノがいろいろと入ったセットがAmazonでも売られていたが、あっという間に売り切れたようで、今週はリストにも出てこない。
世界的に品薄で、売り切れているようだ。
多面的にものを見る
「多面的にものを見ている気になっているだけ」という人と、「本当に多面的に見ている人」の違いを考えてみた。
「本当に多面的に見ている人」というのは、決心・決断が速いように思う。そうして、現地現物を重視していて、一次情報を自分で集めたりする。
他方、「多面的にものを見ている気になっているだけ」の人は、安心したいがために情報をわんさか集め、ところがそれらは人手を借りた二次以下の情報ばかりだったりする。それらを精選できず、そのためにかえって迷いを生じ、決断できなくなり、躊躇逡巡し、その結果、機を失することが多いように思う。そして、愚にもつかない責任回避策を練ったりする。
こういう、単に検討要素を数多く集めて並べるのが得意で、ところが何も決心できないというタイプの人は、はたで無責任に見ていると、頭の中に検討要素が単純にフラットに並んでいるばかりで、それらに優先順位などもないようだ。整理するために検討要素を書き出してみるという単純作業すらやっていないこともよくある。例えば、検討要素を紙に書き出し、次にそれらを構造化し、重みづけするという、簡単なことをやればいいだけに見えるのだが、本人は情報に溺れて青息吐息の最中、もがくだけで精いっぱいだから、そんなことすらできなくなってしまっているのだ。
これは「これだからエラブツは」などと言ってせせら
情報の洪水に溺れている最中の人は、決心・決断ができないことを責められると、「俺はお前みたいに小さい視野でものを考えているんじゃないんだ、これこれこういう、こ~んなに多様なことにまで目はしを利かせているんだ、だから黙ってろ!」と怒り出すものだ。
このように、「多面的にものを見ている気になっているだけ」の人は、いたずらにものを紛糾させてしまう。
無理もないとは言うものの、こういう溺れがちな人が人の上に立つというのは、まことに悲しむべき、そして有害なことだ。だが、人間だから、しょうがない。
こういう人の下に、うまく問題を整理してやれる番頭役がいればいいのだが、なかなかそんなにうまくはいかない。忠実に番頭の地位に甘んじ、自分の出世など脇へ置いておいてくれる老練な人物など、いるはずもない。そういう有能な番頭は、自分が経営者や指揮官になろうと虎視眈々としている。逆に欲を捨てて枯れ切った人は、心底忠実に尽くしてなどくれないだろう。
自分に溺れ迷う特性があり、多面的に見るのが不得手だと知っている人は、対象が小さかったり、組織が小さい場合、あるいは単に個人の問題だというとき、論理ではなく、「自分の魂に問う」というのも一つのやり方としてあると思う。決断は速くなる。だが、冷徹な数字を出さなければならないような人は、単に魂に問うのではダメだろう。ましてや魂ではなく気分や感情に問うのなど、論外と言うべきだ。