- 映画を見たい。
- 「ルーブル美術館展」に行って、フェルメールの「天文学者」を見たい。なぜといって、アレは私が好きなアンソニー・レーウェンフックがモデルだと言われているからだ。
- 庭の草を引く。
- ピアノの稽古をする。
投稿者: 佐藤俊夫
古川緑波
屈託と言う言葉
以前、屈託して気晴らしにどこかへ行ったりすると「屈託するとここへよく来る」なぞと書いた。
最近屈託しているけれど、以前のように「屈託している」と書かなくなった。悔しいとか負けたような気がするとか認めたくないとか、そこまではいかない、だが、なんだか、もやもやとした、ソッチの方向に向いた気持ちがするからだ。
それに、明らかに屈託しているのに、屈託なんかしていない気もするのだ。
どちらも本当だ。
もう、本気で腹の底から怒ろうと思っても怒れないのと同様、芯から悔しいと思おうとしても思えない。まあ、オッサンなんてそんなものだ。
蕎麦屋でダラダラ
ヨドバシのスタインウェイ
泊まり込み。仕事やっとこさ終わり。
市ヶ谷見附から外濠の土手、靖国神社にいたる桜樹は青々と葉が繁り、今日の春うららかな様子なら、もうぼちぼち花水木も咲こうかという頃おいだ。
陽光が眼に沁みる。
……ヨドバシ寄ってスタインウェイ弾いて帰ろう。
古川ロッパ
リーガル・ハイ
くぅーっ、ウィスキーはなぜかくもうまいのか、……なぞとほざいて毎日毎日酔い痴れていたら、NHKドラマ「マッサン」の大ヒットで誰も彼もウィスキーブームになってしまい、しかも皆いい酒飲んでいるのでなにやら不釈然である。
であるにもかかわらず、日曜が暮れていくとなるともう、酔わずにはおれぬ。
妻がレンタルビデオで「リーガル・ハイ」を借りてきたので、続けて見て大笑いする。いやもう、半沢直樹で名声不動の堺雅人であるが、怪優ぶりがこんな何年も前から炸裂しているとは知らなんだ。
ブログサイトをGoogleにクロールさせる
GoogleのウェブマスターツールにサイトURLを登録して、クロールを待つなど。
ブログ刷新記念演奏
まるでアホの一つ覚えで恐縮だが、心機一転ブログ、WordPress設置記念演奏で、飽きもせずノクターンである。
やっぱり、「オッサンとバイエル、ピアノ等」と看板上げるからには、どうあっても演奏データがないと、ねえ。
昔のソ連のほうがよっぽど怖かった
例えば、昨今、新聞記事の影響でか、軍事問題への関心が高まっているように感じられる。日本をとりまく軍事的脅威はますます高まっている、不安だ心配だ、国はなにをやっている、憲法はどうなんだ、官僚は軍備を真面目に整えとるのか、自衛隊はどうなっとるんだ……というような論調に傾いてきたように見えるのだ。
が、私は、現在の我が国を取り巻く軍事情勢、
ところが、どうも、人々は「昔のソ連や北朝鮮なんか怖くなかった、はっきり言って日本に関係なんかなかった、戦後の日本は戦争を放棄して、安心で安全だった、あの頃はバブルでお金もいっぱいあって幸せだった」と思い込まされているように思う。あるいは、単にその頃若かったか子供だったかして、そういう感覚を持っていなかった、という人もいるかも知れない。
昔のほうが切実な軍事問題があった、ということには、感覚に訴えやすい好例がある。よく思い出してみてほしい。昔の北朝鮮のほうがよほど怖かった。その例は拉致問題である。
気の毒にや、日本人が北朝鮮に相次いで拉致されていた頃。考えても見てほしい、かの横田めぐみさんが
その一方で、30年前の一般の人々の意識はどうであったか。かわいそうに、30年前、拉致の被害者なぞ
そればかりではない、ソ連によって日本に照準された核ミサイルはいつでも発射可能な状態に温められ、その数は何百発という途方もない数だった。しかもなお、彼らには上陸戦闘をやってのける潜在力があった。
韓国も恐ろしく、竹島近辺で拿捕された何百という日本の漁民の中には殴り殺される者すらいた。
そして、何千万という粛清が続いていることだけが断片的に伝わってくる、国交のない中共の不気味さと言ったらなかった。しかも、中共は昭和39年にはとっとと核実験をすませ、核武装国になりおおせていた。田中角栄大活躍の国交回復後、日本がせっせと献上した金で、せっせと核ミサイルを増備して日本に照準を合わせていたのだから、笑えぬ冗談もいいところだ。
たとえ日本に直接の関係はなくても、子供の頃、クラスにインドシナ難民の子がいたという人もいるだろう。兵庫県の人には覚えがあると思う。難民キャンプが姫路にあったからだ。ベトナム戦争を持ち出すまでもない。あの頃、人々が国を捨てて逃げ出すようなアジアの戦乱は、即、日本にも指向されておかしくなかった。
そして、日本に原爆を叩き込んで虐殺の限りをつくし、沖縄の人々を虐げていたアメリカ人を、誰も彼もが大好きという、もう、脳味噌はどうなっているんですかと言わざるを得ない、狂気のような状況に日本はあった。
昔のほうがよほど、日本とその周辺国がそういう不気味な殺戮の嵐に包まれていたのに、ほんのごくわずかな人しかそれを直視しようとせず、何とかしようという努力を誰もしていなかった。そして、防衛費はGNP比1%の枠に
新聞にそれらの問題が論じられることはまったくなかった。狂気の中でちいさい平和を見つけては、平和経済大国日本万歳とみんながみんな言い続けていた。
私に言わせれば、むしろ最近は日本をとりまく軍事的脅威の絶対量なんか弱まっている。そうなってから、みんな軍事問題に首を突っ込み出した。
勝手なものだ。
アラビア~イスラムと言うけれど、9.11でどれほどの人が死んだか、広島・長崎の10倍も人が死んだのか、アメリカ人もよくよく自問自答すべきだ。
これらがすべて、新聞の作用によると言ったら、言い過ぎだと非難されるだろうが、私は言い過ぎだと思わない。
ただ、なにか、私自身がルサンチマンめいたねじれ方をしている、ということは、多少なりとも認めざるを得ないとは思う。