平成25年いっぱいの佐藤俊夫俳句

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不信心ちくりと痛し松飾

初東風の鉄路に颯と強からず

声低くなりて吸ひけり雑煮椀

裏がへす賀状の赤に衝かれけり

かんなぎの爪淡白に初詣

人は皆血も骨も眼も寒に入る

寒に入ること言ひにけりいとま無し

小寒を吾子跳びはねつ帰りけり

オイと人声にてPoke寒がらす

歌といふものなく寒鴉いどみくる

覚悟など言ふまでもなし寒に入る

人日や変哲もなき明けの駅

人日の始末一本槍の如

レントゲン欅枯る如透きにけり

猿曳の半纏赤く街低し

鏡割舅ゐぬ事殊更に

遠富士も寒に入りけり私鉄線

かまくらの明り瞑りてをりにけり

息つめて言葉は万と初句会

石膏の如く白鳥をりにけり

かまくらの一つに情痴めくほむら

餅花の紅の力を得てしがな

点在のかまくらに人なかりけり

小正月廃るゝ唄の聴こえけり

阪神忌雀を慈しみて朝

去り難し霜焼けの指さよならを

妻のゐぬ夜を過しかぬ薬喰ひ

かんなぎに霜焼あらん杜暝し

鴨あそべ大和島根はかくもある

眼鏡など拭き寒喰ひの論を止む

遠野まで暗くなりけり雪もよい

大寒や身捨つるほどの意義の地に

寒椿来し方これを贈らざる

蜜柑さへ笑みてゐたりき帰りたし

採氷の湖胡麻粒の如く人

裸木の温みを知るや無垢無邪気

冬月も莞爾とベッドタウン哉

裸木の温みを知るや無邪気の手

燈明の見ゆる麓や冬安居

高楼を知らぬげの銀冬の海

釣堀に竿軟らかし春隣

凍滝に星も落つらむ音白し

嘘などもありて垂氷に憐れまる

春めくや武蔵野の雲溶けて昼

寒椿何の映画の紅さぞや

彼の影手を切る如し冬の果

春めくや掛取りの足さぞ急きて

佳き事の多かりし冬果てにけり

立春の気味鴉にも猫にも来

あけぼのに春めく音のなかりけり

立春や鉄路の夜明け煌々と

雨握る拳二月の固さかな

岩海苔やその日の五人瓶ひとつ

初午の幟彩々はれわたる

懐かしき一瓶を酌め日脚伸ぶ

クロッカス植うらむくにへ二十余里

春泥に脛汚してや半ズボン

春スキーワックス論の男共

子等の髷短し絵踏捗りぬ

鉛筆の文かするゝや春遅し

石段の角まろき谷水温む

草萌ゆる上あまりにも雲速し

あのひとに降りけむ春の雨届く

春燈の昏さ一盞おぼつかず

風呂窓に春暁入るや唄低し

朝まだき獺祭のうを干からびる

獺祭の鱗曙光にひかるらむ

ひつそりと帰るひとあり斑雪

春ショール巻きて夕べを忘れけり

バーボンのグラスかちりと冴返る

料峭の音鉄橋を渡りけり

靖国や夜々に桜の芽は充つる

魂魄もかくや椿の葉は万と

麗日の電車とろりと都心迄

蕗の芽をほろほろ噛む夜澄みゆかず

浅春の波細やかに池黒し

恋猫のジャズ・ノートにも似たりけり

春塵にいでてや光こそあらめ

春寒や隣家のあかり乃し消ゆ

焼山の型に青空切り抜かる

重空の意外に青し二月逝く

囀の色は白きや降りきたる

見ぬふりの姉妹喧嘩や古ひいな

待つことは大人のならひ春動く

半世紀瞋恚あるなし妻の雛

霾天の奥幾億の眼のひかり

朧月更地の上に痩せ細る

霊気凝るごとく花芽の忠魂碑

笑顔さへ角も取れけり霾

霾天の下老人の耳遠し

霾りの土手に蛇行の轍かな

神農の声張り上げて梅の昼

外濠を揺らしてドウと春嵐

彩々に春を載せけり停電車

春陰にがしりと重し聖橋

晴嵐に似合わぬ春の甘味かな

去る彼も居残る我と春疾風

彼も去らば風光りけりさようなら

のろのろと雨拾ひけり春の闇

人もなく罪なくげんげ野の嵐

靖国や五体を花の下に恥づ

春陰を纏ふ擬宝珠の鬱金かな

神保町顔Yシヤツもドカと春

容れらるゝこともあるべし春彼岸

春塵やをみなのきびす瞬転す

佐保姫のこゑの如しや水ながる

花曇ベッドタウンに罪あらず

むさし野を隔つ筑波の山笑ふ

はしゃぐこと静かにおさむ初桜

彼我の間に高くきららと彼岸潮

端的に不倫と言はず春の雨

週末や私鉄に沿ひて花曇

朧月ピンクノイズを胃の腑迄

満載の艀も鈍し春の川

春天にくるまれてゐる眠き哉

旅もはや終ひの車窓や残る雪

花冷えの駅やスーツは陸続と

呻吟やまた霾天の街の底

春服に居眠り蔽ふたよりなし

小娘の嵩日々変はる花の候

万愚節あの子晴野を走ってく

花筏避ける水棹の不慣れかな

雨に色つけて散りけりさくら花

拘りもあるや懐かぬ猫の夫

新社員視線投ぐるや濠の波

泣く事もありけり百花繚乱す

春荒の空へ手を振る梢かな

農のこと会議してゐる葱坊主

桃色の真逆に止みぬ春の雷

新緑や研修生の背を押す

パトカーの底も真つ赤に冴へ返る

パトカーの底も真つ赤に冴返る

新緑の下女めく無口の子

桜餅ひとつ残りて夜は朝に

今やつと街春闌けて目覚むらん

ソプラノの歌をてんでに花躑躅

わがことをまたぼんやりと木の芽和へ

山独活のあをそれほどに青くなし

言ふことの在るゆゑ躑躅この色す

花水木はや通学に慣るゝ路

啓かるゝ街に沿ひけり花水木

先生の噂花水木の街路

音もなく黒部鎮むや蜃気楼

小糠雨はや背に重し伊勢参

君の脛白し春夜の端にゐる

燕も稍遅く飛ぶ曇かな

生きて在る痛みもあらばけふ穀雨

春濤の奥に富士あり雲厚し

武蔵野や溜りも黒し残る鴨

罪の在る写像を言ふや石鹸玉

ユリノキの葉に風当てて夏隣

同じ顔してまた迎ふ花躑躅

スカートの紅さ遠かり豆の花

五月てふ上着のフード重からず

育まるもの陰連れて竹の秋

殺生もある潮の香や河豚供養

蒼天に雲生れてけふ昭和の日

春筍を買ひ来たりけり扨夜は

曇りけり勿忘草と過ぎゆきと

揺れ遅し洗濯物に四月尽く

雲独り憲法記念日は晴るゝ

夏立つや旗竿きらと軒高に

新しき茶を持ちて来よ伝多し

ベランダの左右すがしやこどもの日

つい歌ふ九夏の端や闇軽し

男の子をらでかしまし柏餅

むさし野や驟雨馬の背のみならず

新緑の工事現場や打音張る

竣工のマンションあれに風薫る

薫風やそろそろ目覚む住宅地

すみだ川黒光りして風薫る

夏蝶のゐる心地してまたゐ寝る

行水の肌もすべらにウィスキー

端居してカットグラスを見詰めけり

姉めくや同級生の洗ひ髪

韜晦に慰めありてサングラス

魂還る市ヶ谷台の木下闇

片陰も早し人その脚速し

みづ色に予報図も冷ゆ走梅雨

待人や衣更へのち笑みて来つ

帰りなむ驟雨の気味は風を染む

走梅雨ノー・ダメージと言ひにけり

一むらの笑みあかあかと花さつき

雨蛙眼の醒むる程緑濡る

庭の狭や蟷螂生るあをし濃し

ひと息にからころと置くラムネ瓶

蒼穹と吾を隔つやつばくらめ

吾がうへも汝がうへも梅雨かな

尾の揺れも大儀さうなり大緋鯉

黒鍵の響きかそけし五月闇

万緑に依れたまきはる命こそ

赤き汗拭をみなごのをるらむ

責難は成事にあらず今年竹

惜別を今年竹にも寄せにけり

あぢさゐの佳し老人の家ならむ

掌裏にくたる悔しく汗拭ひ

鳴る前に目覚まし止むや夏いたる

辛き酒注ぐ頃合ひや燈取虫

まらうどの帰る梅雨寒暮れはじむ

やご生るゝ様見入る子の頚細し

燈取虫死にて修飾ともならず

五月雨の切れ間や一書誰に宛つ

千住から日光みちを夏の月

かの人も端居するらむ酒の味

あなたとの事青梅雨の先に在る

果てもなく咲くらむ百合の谷遠し

懊悩と言ふ程でなし半夏生

高気圧パイナップルの棘に吹く

棘痛しパイナップルと高気圧

雲の峰取らば取り得る程近し

端居ふと双肌窶る事を知る

をしむべき優しき事や夜短し

木下闇正邪の論を嗤ひけり

肌白き少女の汗や晴れ上がる

ゆつくりと水飲む喉やけふ小暑

たまきはるいのちの半ば暑気払い

たまきはるいのちの半ば暑気払ひ

なすことを為すそばかすの炎暑かな

「疲れたわ」妻に梅酒を酌みにけり

父をればビール瓶さへ恐ろしき

一つ減る心配事や風涼し

地に沿へど花魁草は空のいろ

けふ終ふる期末試験や青田風

靴下も穿かず夏芝こそばゆし

甲虫ゐる気配して閨の街

我がことをいとしむべかり夏やつれ

蜜垂るゝ如く遍し夏の月

大暑てふ疲れの味も鹹き

低徊のサングラスはや正午かな

あつさりと喰らふ四十路や冷し汁

炎天にをみなはなべて色白し

百日紅赤し向かひ家孫来たる

期する事都心へ高し雲の峰

いきものの性止むを得ず夜の蝉

土用波九十九里にも高からむ

屈託を雪ぐ荒さや蝉時雨

終業や否夕焼けは澄んでゐる

蝉時雨聴きて暮るらむ人を恋ふ

宿六を起こしてどんと揚花火

かはほりを肯ふところありて夜

絞り稍開くカメラに秋隣

罪すこと秋隣にもありにけり

赦さるゝこと何時かあれ夏の果て

かなぶんのかけらはキラと街の隅

結納の済む縁先や酔芙蓉

四人にはをさまり佳き屋秋暑し

山祇も哭くや八月いくさやむ

秋暑し昭和は遠くなりにけり

夕まぐれ空のあを濃き残暑かな

新豆腐暮るれば角の濡れひかる

戸口まで送らば眩し秋旱

生るゝものみな智慧聡き葉月かな

撹乱や脚ほそぼそと押し黙る

君との間一つ置かるヽ小鰭かな

あを瓢長し似る人ありぬべし

所望する朋友ありて走蕎麦

秋扇せはしき話相手かな

稲妻やサイレンの間のおそろしき

秋口は如何にぞと文手は細し

地方都市駅舎に秋の燈は点る

あるなしの議論は昨夜盆の月

墓々にゑのころ草の生ひにけり

曙光やゝ眩しく低く涼新た

棟上の槌音硬し涼新た

犬蓼や電信柱曇天に

あかまんま笑ひ転げて口づけす

嵐未だ庭にはえ来ず青蜜柑

寒蝉の止むや漆喰塗り終る

夕暮れの雲もぽつりと震災忌

軽トラの白桃すべて産毛づく

秋涼をさもさも望之似木鶏矣(デクににやがって)

秋の燈へ帰らざらまし雨止みぬ

何事の卒る心地ぞけふ白露

山水に理路うつくしく龍田姫

南京の味の眠さや昼餉すむ

煮炊きの香弓張月を背に帰る

稲掛の向う普く陽の昇る

山祇の物言ふが如木通あく

花紅き模様の裾も秋祭

わが庭に一色足らず小鳥来る

月ひとつ喰うてしがなと帰る途

吾子の唄吸ひて月やゝ膨れけり

十六夜を母は病むらむ夜は来ぬ

空高し普請の響き消えてゆく

おゝ怖わと毒茸跨ぐ里古し

月欠けて馬鹿は死ぬやら生きるやら

指のあと残る土師器や古酒は澄む

燈ともしの頃茸飯の色を誉む

広峰を増位へ行くやましら酒

柚子ひとつ需むる舗や黄に赤に

ゐ寝てより縁をなゝめに後の月

秋霖の強きにひと日暮れにけり

走蕎麦青みはかくも還れ友

さなきだに老いは拙し菊枕

柿守の子は国道を睨みけり

酒もやゝ濃きを欲して秋湿

かの日々も芒垂れけむ戦やむ

じんと音聴こゆる程に暮の秋

むさし野のしら露に雲映りけり

やゝ濡れてゐる裾連れて秋の暮

馳す人に家もありけり秋時雨

学窓の山茶花滲む次はいつ

優男夜々燗酒を呷るとは

猪口ひとつ潤目の塩を噛みて愚痴

しぐるゝや走者眦たかく過ぐ

黝く冬麗俺を嗤うとは

時雨来る真空めいて彼の場所

火吹竹影をなゝめに黙りゐる

冬天を国際線は裂くが如

水洟に唄なぞあらず強き酒

念彼観音力冬ざれをすみだ川

枯園に重機のあぎと人は死す

まらうとは来ず大雪の日暮れかな

鰤起し撃つらむ水も膨る如

わが胸を刺さばや冴ゆる月をもて

開戦の日の悲願てふ字や淡し

核家族背もさまざまに畳換

短日やごめんなさいもさよならも

我が翳のをしくもあるよ一茶の忌

はや五年ポインセチアを呉れしこと

襟足もふと情痴めく年忘れ

玉にぬく冬至の糸を惜しみけり

年守の瞼は重し猪口ひとつ

よもやまに箸のろのろと去年今年

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

靖国神社と春香クリスティーンと私

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 「春香クリスティーン」とヒョンなことで検索エンジンにキーワードアシストが出てきて、なにコレ誰?と何の気なしに手繰ってみたら、まあ、面白いことwwwww。

 まあ、罪のない女のコのおバカ、と見るか、嘆かわしいと見るか、いろいろと見方はある。

「…それを言うならアーリントン墓地なんて、テロリストの集団埋葬所だろ。戦士の墓?笑わせんな、原爆落とすような人殺し連中がワンサカ埋められてる墓だぜ?しかも、「命令されてしかたなくやった」んじゃねえ、任務達成の充実感を味わいながら大喜びでやりやがったんだ。つまり、洗脳された狂信者たちだ。そんな連中が埋められてる墓なんだアーリントン墓地なんてものは。

 ケッ。言ってやった、ザマァ見ろ。そう言われて胸糞が悪けりゃあ、コッチのやることにもいちいち文句をつけンなよな。」

 …なぞと暴言のひとつも書いてみたくもなるが、実のところ、これしきのことで腹を立てる私ではないし、そこまでヒドい気持ちは持っていない。だいたい、人間、中年になると、怒ろうと思っても逆になかなか腹も立たたないものなのだ。それに、アメリカは靖国神社のことなどいまやハナも引っ掛けない。終戦時は焼き払おうとしたらしいが、むしろ最近献花しようとして逆に日本政府から再検討を促されたくらいだそうな。支那、朝鮮にしても、単に新聞売りたかっただけの朝日新聞が中曽根総理のころに書きたてたから、ああ、そうなの、それなら、まあ、反対の立場で言説でも組み立てときましょうか、ってんで成り行きでこうなっただけで、靖国神社なんて彼らにとってはどうでもよかったのである。

 つまり、靖国神社が無残にコケにされるのも、もとはと言えば日本人が自分自身で招きよせたことであるから、人のことは悪くは言えないのだ。だいたい、中曽根サンのころまでは天皇陛下も御親拝、あるいは悪くしても勅使が参じていたくらいなんである。こうなってしまったのは、気分は悪いが、かえすがえすも私たちが自分で招き寄せた結果なのだ。

 「戦う」と書くが、本当に殺し合いをしている人たちなんて、日本にはごく特殊なやくざ者などを除いてほとんどいない。「必死」と書くが、それは比喩の文字面であって、文字通り「必ず死のう」なんて考えて仕事をしている者もいないのだ。ほとんどの戦いは、所詮デスクワークのたぐいだ。「必死で仕事をする」というのが文字通りなら、日本の自殺者なんて3万人どころではない、3000万人くらいになってしまう。

 だから戦え、というのではない。戦わなくてよくて、本当に幸せなこっちゃ、と腹の底から思わないことがあろうか。

 戦うことや死ぬことを、一生懸命に追体験しようと、また、わがこととしてそれを考えようとするかしないかだけでも、だいぶ違うのだが、実際に戦うということとの間には、それでも天と地ほどの違いがある。

 支那にも朝鮮にもアメリカにもドイツにも、同様の戦士の墓や顕彰所はあり、そして、戦うということを考え込む場所がそういうところなのである。平和主義の人は

「国家権力にだまされた知能の低い人を思いのままに操って、命を捨てさせたりするためには、権力がそういう風にうまくだます場所が必要だ」

…などと言うと思う。自分のことを「知能の低い人」と言われたように感じて、右翼や保守の人はここで激昂するのだが、まあ、会社の命令にだまされて、首をつる人もたくさんいる世の中だ。政府が企業にさしかわっても、2000年来海ゆかば水漬くかばね、みたいなもので、だからだまされているというのも、そんなに間違ってない。

 これらのことをくだくだと言い立てたところで、通じないし、噛み合わないし、議論などもするだけ無駄なのだろう。無駄なことはしないことだ。それを言うと、こうやってヒマにあかせて文字列を量産している私も、まあ、無駄なことをしてるわなあ…。


 この記事は、平成25年12月30日(月)にFacebookに書いたものをコピー・ペーストしたものである。(下リンク)

自分の見送り

投稿日:

 今日の私は、私を見送るためのセレモニーに出る以外、特に用がなかった。今の部署の最後の日だからだ。多くの人が時間を割いて私を励まし、見送ってくれた。まことにかたじけないことだった。

 昵懇の同僚二人が私を名残惜しんでくれ、「ちょっと今日、何か美味しいものを食べませんか、なにか、食べたいものってありますか?」と聞いてくれた。

 そこで、神田の名代の鮟鱇料理「いせ源」に行くことになった。

 鮟鱇のいろんな味と歯応えの身を、濃いめの出汁で煮て、積もる話を沢山した。菊正宗をたっぷり飲んで、鮟鱇雑炊をふうふう吹いて食べた。鮟鱇雑炊は、鮟鱇を煮たあとの出汁でめしをひと煮して、卵をとじ込み、葱を十分に散らして作るのだ。

 それから、先日同期生に教わった、秋葉原TX改札傍・トリム5Fの82エールハウスでビールやウィスキーを飲んだ。

 二人とも体を壊さないよう、これからも健康で仕事をしてほしい。

いせ源1
いせ源2
いせ源3
いせ源4
いせ源5

明治大帝超讃頌(さんしょう)

投稿日:

明治節 さて…。

 キサマらは全員たるんでいる。今日という日を単に「三連休の中日」としか呼べないようでは、何が日本だ何がグローバルだ。0点である。良い学校を出てテストで100点を取っていても、日本人としてキサマらは0点だ。日本人でないものは、国際人ではない。最低限日本人たりえて、初めて国際人と言えるのだ。今日が何の日か答えてみろ。

 「文化の日です」だと?50点だ。

 100点満点の答えは、

「戦後、11月3日は「祝日・文化の日」と定められましたが、もともとこの日は、畏し、明治天皇の誕生日、明治節です。」

…これである。

 今日というこの日に、明治天皇を称揚する人は誰もいない。だから、俺だけがホメちぎることにする。明治大帝超讃頌(さんしょう)である。どうせキサマらは、日本なんか大嫌いなんだろ?日本が大好きなのはこの俺だけで十分だ。日本が大嫌いなキサマらは、ほめなくてよい。俺だけの日本であり、明治天皇だ。キサマらに愛されると明治天皇が汚れる。日本が汚れる。キサマらは未来永劫、日本が嫌いでいてくれ。キサマら如き非国民に好かれなくても十分だ。

 以下、明治天皇をホメちぎるから、そう思え。

○ 文明をひらき、産業を起こし、戦争に打ち勝ち、独自の方法、すなわち五箇条の御誓文をもって議会制民主主義を徹底し、文字通りアジアの人たちを鼓舞した巨大天皇、明治大帝の誕生日が、今日である。

○ 明治天皇は質素の人であった。日清戦争の折には当時天皇として進出できる最大限の戦地近端の要所、広島に行宮をあそばし、古机ひとつ傍に置いたきりで、戦争指揮をされたのである。留まること二百日以上にも及んだという。

○ いつまでも同じ御服(ぎょふく)をお召しあそばし、修理して着るようにされていたが、しまいにはボロボロになってしまった。修理するよりも買ったほうが安いので、周りの人たちが「あのう、新品買ってもいいでしょうか?」と聞くと、「バカモノッ!!値段の問題ではなーいッ!!」とお怒りになったそうだ。資源とか国民への影響とか精神とか、そういうトータルで判断されていたのである。昨今エコが流行っているが、100年以上前のとうの昔に、既に明治天皇はエコであった。

○ 朝鮮人は何かというと明治天皇の悪口を言うが、明治天皇は西郷隆盛の征韓論を非常の命令「勅旨」でもってやめさせた隠忍・自重・我慢の人でもあるのである。

○ あほうな非現実平和主義左翼は、大東亜戦争の惨禍で国民が血を流して勝ち取った議会制民主主義により今の日本の政治がなされているという妄想論をほざくことがあるが、これはもちろん全部誤りである。日本の現在の議会制度は、明治天皇の五箇条の御誓文第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」が今もってなお根拠となっているのである。

○ 明治神宮があそこまで大きいのは、このように明治天皇が偉いからだ。

○ 明治天皇が整えた皇室制度は、なんと、国民の税金は使わなかった。知らない人が多いだろうが、驚くべきことに、戦前の皇室は、「独立採算制」だったのである。そのからくりは林野事業だ。国有林の材木商売で皇室は運営されていた。国民の税金で飲み食いしなかったので、皇室は国民から愛されたが、その礎を確立したのは明治天皇である。戦後、マッカーサーの下品で暴力的なイジメにあい、国有林その他の財産が皇室から全部剥奪されてしまったのは、まことに残念なことであったが…。

○ 西洋式の「ノーブレス・オブリージュ」を取り入れ、元来武士ではなかった皇族を、そのはたすべき義務として、皆軍人として戦うように制度をととのえたのは、明治天皇である。

○ アメリカ・イギリスにだまされて結んだ不平等条約の屈辱を、40年有余にわたる血の努力と呻吟の末、ついにはねつけ返し、日本を完全な不屈の独立国にしたのは、明治天皇だ。

○ 昭和聖帝が大東亜戦争の開戦時に御前会議において繰り返しお読み上げになったという「よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ」の御製は、いうまでもなく、明治天皇が詠まれたものだ。

○ そもそも、日本が核爆弾を二発もブチ込まれるという人類史上類例を見ない核戦争の屈辱を浴びてなお、ジプシーやロマやユダヤのように、「解散!」となって国を失くし、奴隷化して世界を彷徨させられるような事態にならなかったのはなぜか。それは畢竟、明治天皇が整えた国家基盤が強固だったからである。

○ 明治天皇は教育勅語を発せられて教育制度の根拠を強力に定めたが、これにより日本の教育制度はどんな田舎にも迅速に徹底された。明治一桁代(1870年代)には日本の義務教育は制度を完結し、就学率は8割を超えた。が、文明先進国と思い込まれているイギリスはどうであったか。その頃のイギリス人は、なんと全国民の半分くらいしか小学校に行ってない。つまり、日本人みんなが文字を読み書きし、文明の暮らしができるのは、明治天皇の業績によるのであるから万民は感謝すべきである。

○ 鉄道マニアの人に言っておくが、日本に鉄道を走らせてくだすったのは、明治天皇である。安穏と鉄ヲタやってられるのは、明治天皇のおかげである。

○ 明治天皇は映画とかレコードの普及にも尽力されたのである。キサマらオタク連中がアニメだなんだと言って耽溺しておれるのは、もとはと言えば明治大帝のおかげなんであるから、感謝しやがれ。

ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」 その1.01

投稿日:

 先週の木曜日、いつものとおり朝のピアノ稽古をしていたら、前回のよりかはいくらかよくなった演奏が出来たので、録音を残した。

サティ「ジムノペディ1番」

投稿日:

 「雨だれ」を一段落ということにしたので、前から次女のピアノの先生に楽譜を頂いていた「ジムノペディ1番」を練習してみることにした。

ショパン・プレリュードOp.28-No.15「雨だれ」 その1.00

投稿日:

 毎朝、ピアノの稽古をしている。

 今日もショパンの「雨だれ」を弾いた。とてもスムーズに弾くと言うわけにも行かず、間違いだらけである。

 だが、どうしたわけか、間違い、つっかえているにもかかわらず、「今日は、弾けた」と、思った。

 弾けたと思ったので、これを「その1.00」としたい。

 「その1.00」にしたからと言って、練習をやめてしまうわけではない。数少ないほかのレパートリー、「エリーゼ」や「ノクターン」同様、これからも楽しく練習を続けて、磨きをかけて行きたいと思う。

 1年半以上の長丁場の稽古だった。次の新しい曲に移ろうと思う。

「はだしのゲン」に関する私の考え

投稿日:

 「はだしのゲン」が某地方の小学校の図書館において閉架となったことに関する紛糾が、もはや人々から忘れられ、取り上げもされなくなった。世の中なんて無責任なものだ。芸能ニュースとこの種の問題はわけが違うのだが、人々の頭の中ではアイドルも教育も一緒であるらしい。

 私の考えは、「『はだしのゲン』の閉架処置は正しい」。まことに単純だ。

 ただし、その考えにいたる筋道は、どうも人とは違う。自分と同じ考えの人をネット上でも見たことがないから、ここに記しておきたい。

 今更言うまでもないが、「はだしのゲン」問題については、

1 極端な描写の問題。「はだしのゲン」は、残忍な絵やレイプなどの描写があってよくない。戦争?戦争なんかどうでもいい。
2 戦争に関する認識の問題。「はだしのゲン」は、戦争に反対しているから、よくない。描写?描写なんかどうでもいい。

…という、まったく別の角度のことを、一緒くたにしているところにも、紛糾の根があるように思う。ここで、私の考えは、後者、「戦争に関する認識」のところに軸足があることを断っておきたい。極端な描写の問題は、別の問題だ。

 私の「『はだしのゲン」の閉架処置は正しい」という考えには、条件がついている。「はだしのゲン」を小学生が自由に読めないようにするなら、明治天皇や東郷平八郎や乃木希典、木口小平、下って佐久間艇長、加藤少佐、金光少佐、若林中尉、坂井中尉といった戦争の英雄の話や、「のらくろ」だとか「紫電改のタカ」だとかいうような、戦争がカッコよく見えるようなマンガや本もまた、小学生が自由に手にとって読むことをできなくするべきである、という条件である。

 そんなものが、前提として、これまで小学生に自由に読めたのであれば、であるが…。

 つまり、逆に、「はだしのゲン」を、小学生がいくらでも自由に手にとって読める状態にするのならば、明治天皇も東郷平八郎も乃木希典も木口小平も佐久間艇長も加藤少佐も金光少佐も若林中尉も坂井中尉も「のらくろ」も「紫電改のタカ」も、どの物語も平等に、自由に小学生が手にとって読むことができなければならない。

 それができない以上は、「はだしのゲン」もまた、戦争という観点からは自由に読んではならないのだ。

 難しいことではない。それらの本は、世の中に存在している。単に、これまで、あらゆる学校から棄却・排斥されてきたと言うだけのことだ。

 子供には、一方に偏らず、幅広く物事を俯瞰させるべきだ。

月は忌むべきものではない

投稿日:

PHM24_0270 さて、毎年毎年、知ったかぶりの同じネタで恐縮だが……。 ‪

 秋の名物と言えば月である。しかし、「中秋の名月」が終わった途端、誰も月を見なくなってしまうのは残念なことだ。人々が三々五々祭りの喧騒から帰ってしまうような感じは、なんとしても惜しい。

 最近は欧米白人の言説に惑わされてか、「月の光を浴びると狂気が生じ、犯罪が多発する」なぞと言いふらす輩が増えているが、古来日本人は四季のはっきりとした日本の風土とともに独自の文化をはぐくみ、月を美しいものとして鑑賞してきたのであって、月を見たからと言っていちいち欲情したり犯罪に走っておっては身が持たぬ。

 一般ピープルは中秋の名月を見終わってサアヤレヤレ、ほなサイナラ、と月から去ってしまうが、私のような玄人(マテ(笑))は、ここからが違う。万事、「人のゆく裏に道あり花の山…」なのである。

 中秋の名月にしても、私なぞ、十五夜で大騒ぎはせぬ。まず、その前日、「十四夜」で騒ぎ始める。十四夜は「待宵(まつよい)」といい、また「小望月(こもちづき)」とも言う。翌日が十五夜であるから、これを明日に控えて待つ夜である。また「望月(もちづき)」に少し欠けているから小望月というわけだ。成長途上の若い果実がことさら愛しいように、少し満たない月の美しさもまた、愛でるべきものである。

便々(もやもや)もあらざる身過(みすぎ)小望月

佐藤俊夫

 さて、そうして十五夜を迎え、人々の喧騒が去った翌夜、また私の出番(笑)となる。

 十五夜の翌夜は、そのまんま「十六夜」と言う。これは()んで「いざよい」である。また、既に満月が終わったところから、「既望(きぼう)」とも言う。これを音読するには、「希望」とは違って、最初の「き」にアクセントを置くことが正しい。いざよいの語源は、満月よりも出が少し遅れるので、ためらうという意味の古語「いざよふ」から付いたものという。

いざよひを母は病むらむ夜は来ぬ

佐藤俊夫

 この次もまだある。中秋の名月の二日後の月を「立待月(たちまちづき)」という。名月を過ぎると月の出がだんだん遅くなってくる。月の姿も痩せ始めるが、これを惜しんで「立って月を待つ…」ことから、立待月と言う。

立待や二人隠るゝやうにして

佐藤俊夫

 これくらいかというと、まだまだ月は終わらない。その翌晩の月を「居待月(ゐまちづき)」と言う。前日の立待月よりもまだ月の出が遅く、今度は座って待つところから居待月と呼ぶそうな。

名も知らぬ(こずえ)より()て居待月

佐藤俊夫

 まだありますよ(笑)。十九夜、つまり四夜後の月、もうこうなってくるとだんだん下弦に近づいてくるのであるが、この月を「寝待月(ねまちづき)」という。立って待ち、座って待って、遂には「寝転んで」待つ、ということで寝待月となるわけだ。同じ意味で「臥待月(ふしまちづき)」、あるいは「ふせまちづき」とも言う。夜の長い感じが段々に強くなる。

寝待月一盞(いっせん)さらに加へけり

佐藤俊夫

 これで終わりかと思ったら、まだまだ引っ張りますとも、ええ。二十夜の月を「更待月(ふけまちづき)」と言う。寝て待って、まだ月が出ず、夜更けまで待って、だが、もうこの頃はかなり月が欠けているから、「ああ、お月さん、終わっちゃう(涙)」という、そういう感懐もあろうか。寂莫たる秋の夜である。単に「二十日(はつか)月」と言ってもよい。

嬰児泣く声よ更待(ふけまち)出はじむる

佐藤俊夫

 で、二十夜も過ぎると、見えるところに月が上がってくるのは、午後九時ほどにもなってしまう。こうなると、月のことを言っているにもかかわらず、月を指して言わずに「宵闇(よいやみ)」なぞと言ってみたりする。

寸鉄を()宵闇(よいやみ)幕営地(ばくえいち)

佐藤俊夫

 さて、中秋の名月に続く夜々はこんな具合だが、まだ秋の月は終わらない。なかなかシツコイ(笑)。そのひと月後、つまり旧暦九月十五日(今年は10月19日(土)にあたる)も、当然満月である。これを「(のち)の月」と言うのだが、正確な満月の十五日ではなく、その二日前、十三日の夜を後の月と呼ぶ。つまり今年は10月17日(木)がその日だ。

 豆や栗を供え、「中秋の名月」のように月見をする。中秋の名月にだけ月見をして、この十三夜に月見をしないと、「片月見」と言って縁起がよくないものだそうな。

ひかり濃くベッドタウンの十三夜

佐藤俊夫

 なんにせよ、月は美しい。カレンダーというもののない昔の、文字の読めない人たちでも、「空にカレンダーがかかっているように」、月の満ち欠けで日にちを知ることができるという実用上の意味も月には大いにあった。妖怪や犯罪、性欲なぞ言う無粋なことはこの際置いて、かぐや姫のおとぎの居所を眺めてしみじみしたいものである。

法定冷涼

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 まことに申し訳ないけれども、私は、日本と言う国が再び力を得て、人類と文明全般に対する責任と言うものを果たすためにはグローバル化などではなく、「核武装」が必要であって、100年かかるか200年かかるかわからないけれども、いつの日か欧米白人の頭上に神罰の鉄槌を炸裂させて奴ばらの非を悟らしめるためにも、原子力発電所は必要であると考えるような非道なオッサンである。

 どうか、そのことをなんとでも責めてくれたまえ。

 ただ、今日と言う今日は、そこを、百歩どころか、万歩、億歩ほど譲ろう。

 譲りに譲って、原子力発電所は、全廃しようという、そういう主義になりましょうよ、ええ、ええ。

 それであるならば、キミたち。この夏場の、電力がなんとかフクシマがどうとか、したり顔でヌカすわりには、この、冷房のための電力需要はどうしたことか。

 これは、わけもなく厚着をしているのが悪いのである。服なんか脱げ。脱いで、パンツ一丁になってしまえ。

 クールビズなどと言っているが、何を甘いことを言っているのか。

 あらゆる職場における、男の「パンツ一丁」を法制化すべきだ。

 女性は、これは、薄着にすると性犯罪が増えるし、女は冷え性と相場が決まっており、ただでさえ女性が職場に増えている昨今、冷房の温度設定が低すぎると男女間のトラブルの原因にもなっているから、オーバーでも毛布でもなんでもかぶって、暖かくして勝手にすればよろしい。ただ、オッサンは、総員、職場における全裸を許可、いや、許可などと甘ッちょろい、義務とすべきだ。

 フォーマルの場合はパンツ一丁にビーチサンダル、首にはネクタイを結ぶ。カジュアルはフリチンか、パンツ一丁だ。

 こうすることによって、体感温度は人によるとはいうものの最大5℃ほどは下がり、夏場の電力需要を著しく低下させることができるにちがいない。

 品とか見た目がどうとか、そんなのは気分の問題で、「全裸法制化」ののち、5年ほどもガマンすれば、なに、全員慣れるに決まっている。

 見た目を気にするキザな連中は「筋トレ」を始めるなどして、体脂肪が減少して健康になり、生活習慣病が激減して、健康保険問題が劇的に改善されるであろう。

 あと、夏場に湯など使うのは、罪深いことだ。男は全員、4月から11月まで風呂のかわりに「(みず)垢離(ごり)」をすべしと、エネルギー消費制限法というようなものでも作って強制すればよろしい。ぜいたくをやめさせろ。そうすると、原子力発電所の半基ぶんくらいは廃止できるのではあるまいか。ナニ、冷たい!?アンタらの言う、子孫のため、地球のためだ、ガマンせんかい。

 女性は、まあ、冷え性だから、湯でも何でも好きなだけつかえばよろしい。