「半音階のポルカ」である。
毎日練習を続けている。着実に上達している感じはある。だが、上達スピードは遅いといわざるを得ぬ。それでも毎日弾いている。
この前の土・日、練習できていれば、弾けていたかもな、とも思わなくもない。この前の土日は仕事で、家に帰っていなかったのだ。
5日も練習しない日があると、見る見るうちに練度が下がるのがわかる。もうオッサンなので、物覚えも悪い。
・・・だが、やる。楽しく、やる。
オッサンは生きている。
「半音階のポルカ」である。
毎日練習を続けている。着実に上達している感じはある。だが、上達スピードは遅いといわざるを得ぬ。それでも毎日弾いている。
この前の土・日、練習できていれば、弾けていたかもな、とも思わなくもない。この前の土日は仕事で、家に帰っていなかったのだ。
5日も練習しない日があると、見る見るうちに練度が下がるのがわかる。もうオッサンなので、物覚えも悪い。
・・・だが、やる。楽しく、やる。
全音「最新バイエル」の最後のほうにある応用曲、「半音階のポルカ」、けっこうマジメに毎日練習してはいるが、なかなか上達しない。
今日の出来はこんなところである。
もう一息でつっかえずに弾けるようになるとはおもうのだが・・・。
ピアノの発表会で次女と連弾をするためにすっかりお留守になっていた「半音階のポルカ」である。
去年の10月15日から練習しているわけであるから、もう4ヶ月も経つのだが、まったく弾けていない。いや、ピアノの発表会があってからこっち、じつはコツコツと練習してはいるのだが、発表会が終わった気抜けもこれあり、なかなかはかどっていないのだ。
今日の出来は下のような具合である。
・・・まったく、自分で聞いてみてもイライラする(笑)。
私が煙草をやめたのは、確か平成12年のことだったか。
一発でやめることができた。それなりに苦心はしたものの、だがその結果、禁煙の苦労ということを1回こっきりしか経験していないということになる。そんな私だから、人に偉そうに禁煙について語る資格はないかもしれない。
だが、禁煙について書かれていたりすると、つい反応してしまう。
"zodi"さんの禁煙に関するブログが「ブログ人情報局」で取り上げられていたときも、もう黙っておれない感じで、コメントなどさせていただいた。
zodiさんという人は寛容な人だ。私は何を書くにつけてもキツい言葉を選んでしまいがちで、相手にされないこともかなり多いのだが、この人は相手をして下さる。それで、2~3度ほど、コメントをした。zodiさんはいい人だから、多分禁煙も成功するだろう。
さて、先に記した私の記事からあと、禁煙に関してよく他人に語ることが二つほどある。どちらも、私が自分の肉体と精神を通して感じとったことで、多分よそには書いていないことだと思うので、書きとめておきたい。
禁煙した人の多くが「煙草を吸う夢を見る」という。私も実際によく見た。また、周囲の人に聞いても、禁煙に成功した人は煙草を吸う夢を見たと言っている。そして、その旨さについても皆が異口同音に言っている。さすがに、私の場合は今はもう煙草の夢は見ない。
これは私自身の経験だが、禁煙中に夢の中で吸う煙草のうまさを何かに例えるとすると、誤解を恐れずありのままここに書けば、「夢精」するときに似たうまさなのである。これは男にしかわからないと思うが・・・。
性的な快感は、人間などの高等な生き物の場合、実は肉体的なものではなく、大脳新皮質の働きが大きくあずかると聞く。夢にしても同じで、大脳の不思議な働きの深奥に大きなかかわりがあることは専門家ならずとも想像はつく。
「夢の中」の「煙草」が、「非常に強い快感」をともなった、ということは、私の大脳が煙草から極めて強い感作を受けていた、ということではなかろうか。
煙草の成分に目を転ずる。タールについては吸い味や香りに作用するが、ニコチンというのは、これはつまり、植物性アルカロイドであって、向精神作用をもたらすものだ。
これらのことは、煙草の向精神作用が私の脳細胞にどれほど深い瑕疵を刻み、壊していたかを物語っている。
煙草をやめてしばらくの間、頭に血が上ることに悩まされた。顔が火照り、赤くなる。こめかみの辺りがとくとくと脈を打ち、しかも怒りっぽくなっていた。
煙草を吸っていると赤血球が増える。これは煙草からの一酸化炭素の吸引で足りなくなった酸素を肉体が補おうとするためだ。私は100本からゼロ本にハードランディングでやめたので、おそらくは血液の酸素運搬機能が余り気味になったのだろう。
だがこれは、3ヶ月ほどで治ったと記憶する。
今日はいよいよ本番、次女のピアノ発表会であった。連弾で出る私は、ワキ役とは言え、初めての舞台である。近所に住む義兄夫妻までが見に来てくれた。
出演する人たちは、四十過ぎの私は別格として、上は高校2年生から、下は幼稚園の年中組の子まで、男女取り混ぜて幅広い。
次女は小さいせいか、緊張というものを知らない。ソロのプログラムの3人目にショスタコービッチのワルツとケーラーの「バースディマーチ」という曲を続けてサラリと弾いた。バースディマーチは一箇所間違えてしまい、惜しかった。だが、我が子のことで身内びいきながら、ショスタコービッチのワルツはなかなかしみじみとした出来ばえで、上手に弾けていたと思う。
休憩を挟んでプログラムは連弾に移る。いよいよ私たち父娘の出番だ。今日の出演者の中で、家族で連弾をするのは私たちだけだ。
出だしで少々呼吸が合わなかったが、次女が合わせてくれた。弾き始めたとたん、細かなことは全部頭からすっ飛んでしまい、ただただ弾くのに夢中になってしまった。ミスタッチはするわ強弱はヒドいわ。はじめはそれほど緊張しなかったのに、なぜか途中から指が震えるような緊張を覚えた。
それでもなんとかかんとか弾き終えた。ヘタでも、とてもうれしい満足感があった。次女もだいたい満足したようで、うれしい顔をしている。義兄夫妻から花を貰った。四十過ぎたオッサンに花があるとは思いがけないことで、うれしかった。
何人かの人に誉められたりして、お世辞とわかっていてもうれしいものだ。ピアノを演奏することの醍醐味はこのへんのところにあるのだろう。
状況さえ許せば、来年もまたやってみたいものだ。
いよいよ明日は次女のピアノ発表会である。主役は次女だが、連弾で登壇する私にとっては大げさに言えばステージデビューである。
今日も土曜日で休みだから、直前の稽古ということで、次女のピアノの先生が見てくださることになっていた。あいにくと東京近辺は朝から嵐だったが、うきうきと教室にお邪魔する。
今日は直前ということもあってか、たくさんのご指導はいただかなかった。だいぶ自信がついたように思う。
しかし、より高度な演奏を目指すなら、という意味を込めてか、私にとってはかなり難しい「終盤のピアニッシモの弾き方」をご伝授くださった。その内容は多分に体感的なもので、文字で表すのは非常に難しい。グランドピアノのキーを押し下げていくと、ある点で手ごたえがあり、ピアノのハンマーが、トン、と弦を叩くところがある。デジタルピアノのカタログに見る「エスケープ」のところだが、そこのところで手首を一緒に下げて力をやさしくしながら、ハンマーに弦を叩かせるのである。これはなかなか加減が難しく、一朝一夕にできるものではないと思った。
また、左手が伴奏的で、右手が「歌う」ような曲のとき、「左手は少し弱く、右手は強く」弾く、ということがあるが、これは初歩の段階で練習することで、またそれほど難しくない。ところが、先生によると、「左手右手のバランスだけではなく、和音を弾いている片手の中でも、『小指を強く、親指を弱く』というような差をつけて弾く」のだそうで、実際に右手のドミソの重音の和音を、ソが強い場合、ミが強い場合、ドが強い場合と弾き分けて聞かせてくださった。それは、音感のない私にも明確な違いの感じられる弾き分け方で、さすがはプロ、ほれぼれと聞き入るような美しい響きである。小指を強くしたものには澄んだ意志のようなものが、中指が強いものには複雑な味付けが、親指が強いものには揺るぎのない安心感が感じられた。
これは私にとってはかなり難しく、思わず「エエッ、無理ッ」とつぶやくと、「ムリじゃない、ムリじゃない」と先生。ピアノをきちんと習っている人には基礎的な事柄のようである。
こういったところが、先生に習うことと、独習することとの違いなのであろうな、と感じ入った次第である。
風邪気味であるが、ひどくならないように心がけ、今日は早く寝て明日に備えたい。
昨日、川口駅前「そごう」の中の楽器店をうろついていて、ワゴン積みのなかにウラジミール・アシュケナージ演奏のショパンがあるのを見つけた。デッカのレーベルで吹き込まれたもので、値段はたった千何百円である。当然買いである。
別れの曲~ショパン名曲集 価格:¥ 1,800(税込) 発売日:2003-06-25 |
更に店の中をうろつくと、グールドのゴールドベルグ変奏曲のCDがあった。なぜか2種類ある。よく確かめてみて驚いた。
グレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」は、バッハ演奏の不滅の金字塔として有名だが、グールド自身は今私たちが入手可能な新しい録音に不満を持っていたらしく、昭和30年(1955年)に出したモノラル録音のもののほうを気に入っていたらしい。
このモノラルのものは今はもう入手できないと聞いていたが、どうやら再び発売されたようだ。昭和56年(1981年)の新しいほうの録音と一緒に、たった1600円でそれが置いてあった。もちろん買いである。
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル盤) 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2008-11-19 |
さっそく携帯電話に入れ、ピアノにつないで聞いてみる。どちらのCDもうっとりするようなすばらしいものだ。自分が最近ピアノなど弾き出したものだから、よけいにそう感じる。
暮れに、訳あって大金を投じ、携帯電話をNTTドコモの最新シリーズ「Prime」の、「SH-03A」に換えた。快適であり、おおむね満足している。だが、2~3の不満足な点もある。良し悪しを綯い混ぜて、ここに書き留めておきたい。
SONY ワイヤレスオーディオレシーバー BT15 ブラック DRC-BT15 B 価格:(税込) 発売日: |
これは実に快適なもので、この小さく軽いレシーバーのスイッチを入れると、携帯電話の音楽プレーヤーが連動して立ち上がり、前回スイッチを切ったところから続きの音楽再生が始まる。電話がかかってくれば、側面にある小さなボタンを押せば良い。内蔵マイクで快適な通話ができる。人ごみで突然、ポケットに手を突っ込んだままハンズフリー通話をすると、さすがに周りの人が引きますがね(笑)。
普通、ヘッドフォンを携帯に接続するにはいわゆる「平形」のコネクタでつなぐものだが、平形コネクタは繊細なつくりで、強度はあまりない。ポケットなどに無造作に入れておくと、ともすれば折れてしまう。その点でも、このブルートゥースレシーバーは実にオススメで、ワイヤレスであるから、脆弱なコネクタ類が出っ張るということもなく、携帯を壊すことがない。
また、どうしたわけか、FOMAの以前の「平形ヘッドフォンコネクタ」はなくなってしまっており、以前に買ったコネクタは使えなくなっている。このシリーズでは、ヘッドフォンをつなぐところは、充電のコネクタと一緒になってしまっているのだ。したがって、別売りの「充電スタンド」を使わないと、充電しながら音楽を聴くことはできない。だが、このブルートゥースレシーバーを使えば、充電しながら支障なく音楽が聴ける。充電スタンドにセットした状態でも、ブルートゥースは5メートルや6メートルはまったく問題なく飛ぶから、同じ部屋の中であれば大丈夫である。
引き続き連弾用のトルコ行進曲の練習を進めつつある。
今日の午前中は、特に連弾のレッスンということで、次女のピアノの先生にかねて約束があった。次女と二人、教室に伺って稽古をつけていただいた。
やはり、専門の先生に稽古をつけていただくということは、独りで弾くのとは次元のまったく違う、刺激の多い、すばらしいことであった。
レッスン後、先生に手の格好はどのように考えるべきかを尋ねてみた。私は手首がどうも下に下がる傾向があるようで、それが前から気になっていたからだ。そうしたら、意外なご教示を下さった。すなわち、「音中心」で考えよ、とおっしゃるのである。
子供の場合は、基本を身につけさせるため、あくまで、例の「卵を握るように」という手の「型」を重視して教える。(『ちかちゃんにもそう教えています』と先生)だが、それはそれであり、大人の場合は必ずしもその限りではない。つまり、「ある演奏」や「ある音」を追求した結果、「その演奏」「その音」を出すための「ある手の型」になるのであり、逆に「手の型」に拘泥して「要求される音」が出ないのは主客転倒である。
・・・とのことである。なるほどなあ、と非常に納得のいくところ大であった。
得たところが非常に大きかったので、この先生のピアノのレッスンに通えたらなあ、と思った。だが、仕事をしているとなかなかそうもいかない。ここ一番の緊要な段階で、単発で稽古をつけてもらえないかと考えた。そこで、帰り際に、
「きょうスグ、いまスグ、というわけではありませんが、『単発』で稽古をつけていただくというわけにはいきませんでしょうか。応分の謝礼をいたしますので。仕事をしていますと、なかなか、週1回とか通うのが難しいもので・・・」と言ってみたら、快く「そのつど言ってください、ご相談に応じます」と言ってくださった。
来週も連弾の稽古をしてくださる。その次の日にはいよいよ発表会である。楽しみだ。
レッスンに行く前にも帰ってからも、次女ともども、相当気合いを入れて稽古をした。弾いた回数を楽譜に「正」の字で記していたら、エラいことになっている(笑)。
次女との連弾の練習を進めつつある。
緊張下で練習するため、ビデオにとり、YouTubeにその動画を上げた。