「あの、そう、ゾウリムシみたいな柄」とか「ミトコンドリアみたいやつ」とか言うなああああ!!
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自転車珍妙乗り
FBのウォールやツイッターのタイムラインを漫然と見ていたら、何か、
「この6月1日に道路交通法が改正されて自転車の違反にも青切符が適用されるようになるが、その前の今日現在の段階では、自転車に対する青切符の制度(要するに行政処分の制度)が法律上存在しない。そのため、自転車の交通違反は即「赤切符」を切られるというのが現状だ。赤切符を切られると、裁判所に出頭したり手続きをしたり、いろいろと面倒にもなるし、最悪『前科持ち』にされてしまうので、自転車には気を付けて乗ったほうが良い。」
……というような趣旨のニュースがフィードされてきた。
大阪で捕まってしまったある人はブログにこのことを詳しく書いておられ、淡々と反省しておられる。 改悛の情顕著にして、しかも史上初めてのケースということで、この方自身は不処分になったようだ。
この方は「こうなってみてから周囲を見回してみると、自動車の通る道路でスマホを操作しながら自転車に乗っている人もいることにあらためて気づかされる。危険だし、事故が起こってからでは遅いのでやめましょう」というような趣旨のことも書いておられ、まず、もっともなことだと思う。
このことを味わいつつ、ふと思い出したことがある。
このところ自転車乗りというのは、警察も神経をとがらせるようになったこともこれあり、その危なさがよく取り沙汰される。
普通の自転車で信号無視や蛇行運転、脇見、スマホ操作、飲食、無灯火、二人乗り、まあいろいろあるが、カッコいいぴちぴちレーシングスーツに昆虫みたいなヘルメット、虹色サングラスで前傾集中、スポーツ車を一心に漕いでいくスポーツ・ライダーも、周囲がまったく見えておらず、危険きわまる。しかもなお、スポーツライダーの場合、何か自分が正しいことでもしていると信じて疑わぬフシが感じられ、それが危なさに一段輪をかけている。
そんな最近の自転車交通事情だが、私がある朝、ふと出勤途上の公道で見かけた男の自転車の乗り方は、一頭二頭、他から抜きん出ていると言わざるを得なかった。
その男は、食事をしながら自転車に乗っていた。
いや、飲食しながら自転車に乗る人は、実は見ていると結構多い。缶コーヒーを片手で飲みながら自転車を漕いでいたり、アイスキャンデーをなめていたり、まあ、せいぜい、サンドイッチかホットドッグかハンバーガーをぱくつく、というのはよくある光景だ。
だが、その男は違っていた。
プラスチックの丼を左手で抱え、右手に正しく持った箸で、牛丼のようなご飯をもりもりと食べ、時々「ンガほほッ」などとむせ返りつつ、そして、両足で自転車のペダルをこいでいた。
左手は、なんだかものすごく器用な持ち方で、丼と一緒にカップ味噌汁みたいなものも一緒に持っていて、時々「ズーッ、ズーッ、……かーっ、ふぅ」と、うまそうな吐息が聞こえる。
自転車のハンドルは、だいたい両肘か片肘を使って操作していた。そうやって無駄に巧みな舵取りで左右にふらつきつつ、時々手放しになり、休まず飯を食い、抜け目なく周囲の交通に目を配り、向こうから来る歩行者をヒョイと避けたりなぞし、信号のある交差点に来ると、箸を持った右手ですばやくブレーキを掛けて停まり、信号を待っている間また牛丼をむしゃむしゃガツガツと食べ、青信号になるとまた休むことなく牛丼を食い、味噌汁を味わいながらペダルを漕いでどこかへ行った。
……。ぬぅ……。
メシぐらい、どこかへ座ってゆっくり食えよ兄ちゃん(笑)。
そんなに急いでるなら、どこかのベンチで牛丼食ったあと、大急ぎで自転車こいで仕事に行ったほうが早いぞ!?
私は自分が目にしている光景がにわかには信じがたく、その男に注意してお節介焼きをする、あるいは、地域の安全に一定の責任を持つ善良な市民としてその男を諌める、といったような、そういう行動はその時にはまったく思いつくことができなかった。
ともあれ、彼が事故に遭わず、その後も無事に働き、生きていることを心底祈っているが、牛丼を食いながら自転車に乗ることは、やはり、よくないからやめたほうがよい。
久しぶりに
「軍艦島」など世界遺産へ ユネスコに勧告、3年連続19件目 明治産業革命23施設(1/2ページ) – 産経ニュース
「日本が推薦した候補で過去に登録勧告が覆された例もないが、今回は委員国の韓国が「朝鮮半島出身者を強制労働させた施設があり、世界遺産の基本精神に合わない」と強く反対しており、審議が紛糾する恐れもある。」
……って(笑)。
私は中国人・韓国人と共に手を携え、白人文化に目にもの見せてやりたいと内心考えているような変な男なので、もう韓国人を蔑視するようなことは書きたくもないのだが、向こうのほうでこれじゃあ、なあ、ハァ(ため息)。
「エイプリル・フールズ」
「エイプリル・フールズ」、MOVIX三郷で見た。
WordPress入門
WordPressの情報サイトにある「はじめてのWordPress」、更にその中の「計画を立ててみよう」という項目は、非常に良い。けだし名文である。
「なぜこのサイトを始めたのか?」という質問を思い出してほしい。というのも、君が共有するに値する有益でタイムリーな情報をもっているからであり、君が自分に興味のある主題について語りたがっているからであり、もしかしたら、ただ語ると面白いと思っているからだ。なぜ? みんなそうしているじゃないか!
いいね。ぐっとくる。
女子高生をバカにするな
ネット上には、よく、「腹の立つ出来事」とか「感動した出来事」などの、「なんぼなんでもこれはウソやろ」という、コラム風で一見感動実話ふうな、よく見るとおかしいだろコレ、という変な話がある。Facebookでもよくこのテの話がシェアされている。
大抵はよく読むと極めていびつで、出所もよくわからず、信用するに足りないヨタ話の類なのだが、そこにはよく女子高生が出てくる。
こういう文章に出てくる女子高生は、たいてい、知能が低く、行儀も礼儀も知らないという意味での記号として取り扱われている。それは「こんな立派な女子高生がいた」という話であっても逆説的に同じことで、「女子高生はバカ」という伏せられた前提があってはじめて成り立つのである。
男女同権の観点から、こういう記号の使用はやめるべきだ。
高校生というなら、男子高校生のほうがよっぽど知能が低く、エロで、バカである。男子高校生と言ってよくなければ、男と女と言い換えてみよう。警察庁のサイトに犯罪人の発生率がある。数字の見方にもよるが、男は女の5倍とか10倍の犯罪を起こす。ウソだと思ったら調べてみたまえ。
そんな現状にあって、バカで無知の記号にされる女子高生の方ではたまったものではあるまい。
逆に言うと、女子高生をバカで無知の記号として使用している文章は、だいたい疑ってかかったほうが良い。よく読むとツッコミどころ満載で、たいていウソがバレる。
この文字列は、Facebookのウォールに書いたものの転載です。
回教とダイエット
「ダイエットなんつう贅沢なことで悩むような人は、いっそ相互理解のため回教徒の断食のマネでもしたらどうか」などと暴言というか、雑想を書きつけてから、追っとり刀で回教徒の断食のことをWikipediaで読んでみた。
回教の断食月とは彼ら独特の陰暦の9月のことを言い、この月に1ヶ月間行われる断食のことを「サウム」という。
まさかに、1ヶ月も断食を継続するわけではない。日の出ている間飲食をしないという戒律であって、逆に日中の戒律を守るためには、日没後は大いに飲み食いすることが推奨されるのだという。このため、断食の時にはかえって食料品の消費が上がり、肥満する者が増えるのだそうである。
肥満する者が増える、と言うのは、それはそうだろうなあ、という気がする。つまり、相撲取りが稽古のあとでチャンコを食って昼寝をし、それによって成長ホルモンの分泌を促してあの巨体を手に入れるのと似た理屈だ。喰い溜め・寝溜めは成長期には身長を伸ばすが、成長期以外は「横幅を伸ばす」のである。
そうすると、回教徒のマネをしてダイエットしようなどというのは、まったくの逆効果であるばかりか、幾分、回教徒に対して失礼というか、不謹慎な気もしてきた。
まあ、異教に対して失礼だということを言うなら、その昔のキリストの誕生に思いを致す気なんかさらにないくせに、クリスマスツリーなど飾ってプレゼント交換するくらいならまだしも、若者はクリスマスと言うと彼女とホテルに籠って性交三昧に励むことだとでも勘違いしている、なんてことのほうが、よっぽどキリスト教徒に対して失礼なのではあるが……。日本を取り巻くキリスト教圏白人国家は、よくこんなキリスト教をバカにしているとしか思えない日本人を許しておくものだと思う。
回教の見解では、「回教徒が断食によって受けられるご利益は、異教徒が仮に断食しても、ない」のだそうで、するだけ無駄とのことである。
この断食の起こりは、次のようなものであるそうな。
その昔、回教が呱々の声を上げたばかりで、マホメットも教団の隆昌のために粉骨砕身努力していた頃、武勇を尊ぶ彼らは強盗をやって暮らしていた。おいおい(笑)という感じもするが、誤解のないように言っておけば、強盗をしていたからといって、時代とその地域、またかの地の文化ということを幅広く考え合わせれば、必ずしも責められることではないのである。
で、メッカから富裕な隊商がやって来るという情報に接した彼らは、教団全勢力を挙げてこれに襲いかかったのであるが、食うや食わず、腹が減っていることもあって、また、思いもかけず敵の予備兵にしてやられ、全滅寸前のところでアラー神の加護あらたか、回教の消滅を免れたものだそうな。こうした苦難の教団揺籃期を忘れぬため、いまでも断食をして、その頃に思いを致すことになっているのだ。
他に、面白いことが書かれていた。回教圏では今も陰暦を使うが、かつてのアジア圏のように「閏月」を置かないので、どんどん暦がずれていき、1月2月といった月の名前は、季節を表してはいないそうだ。このずれは約33年間で一巡し、もとの季節に戻るそうである。断食月の9月が浮動するわけで、だから、断食は夏であったり冬であったり、季節は一定しないのだそうである。
このエントリは、Facebookのウォールに書いたものの転載です。
ダイエットで悩む人が多い
ダイエットで悩む人が多い。
私のようなバカの貧乏人は、何がダイエットだ、と鼻じらむ。食うや食わずで働けば、脂身なんぞあっという間に落ちてしまう。飯なんか食わずにガレー船の漕ぎ手や奴隷のように、粉骨砕身して働けばよろしい。
そこで、ふと思いついたのである。
私たちはその昔、欽明天皇の頃に「百済仏」を輸入してこのかた、宗教的な文物の輸入には無頓着であった。
近代に至って、クリスマスはもちろん、最近はハロウィーンなどが、大手商業の商戦だけではなく、俳句の季語にまでなるほどである。日本独自の詩歌に使われるとなるとこれはただ事ではない。
で、考えた。昨今、イスラム教徒とうまく行っていない。そこで、少しでも彼らに近づき、たとえ外側だけでも相互理解を進めるため、イスラム教の断食を取り入れ、禁酒し、彼らの習慣をまねてみてはどうか。
クリスマスやハロウィーンの精神はないがしろに、その外形を取り入れることには日本人は一流だ。面白いと思えば十字を切ってプレゼントをわたし、数日を分かたずして神社に賽銭を投げ初詣をする私たちにとっては、イスラム教をまねることは大して敷居は高くない。
イスラム教徒のようにひれ伏して断食したまえ。
ただ、条件がある。クリスマスやハロウィーンは「面白そう」なのである。そこで、断食のインセンティブ、面白さを考えると、「痩せる」、これだろう。また、家庭の台所をあずかる女性男性にとっては、煮炊きをしなくてよいというネガティブな楽しみもあろう。
……回教断食をやるんだ。痩せるぞ。魅力的だろう。フォトショップの出力みたいになれるはずだ。
そして、イスラム圏の人々は、「日本人と言う連中は、ここまでして俺らを理解しようとしている」と思うかもしれない。
断食だ!嫌いなものを食べ残して、無駄なゴミを量産するような不届きなことはよして、断食だ、断食。無駄なオーダーして食べ残すくらいなら、二三日断食した方がよっぽどいいぞ!
このエントリは、Facebookのウォールに書いた文章の転載です。
水の秋の片聞
戦前の日本は航空大国であった。「えっ、そんなバカな?」と思う向きもあるかもしれないが、本当だ。
わかりやすいところで、子供さんのおられる方や、あるいは自分がお好きな向きは、街の模型屋さんやホビーショップをあらたまった目線で覗いてみるといい。置かれている模型の、半分は戦前の日本の飛行機ではなかろうかと思うくらいである。戦前から戦中、日本がこんなにも多くの種類の飛行機を製造していたのかと目を見張ることだろう。まあ、現代の模型ファンの嗜好にあわせてそうなっているという点も無視はできないが、それでもその数は異様なくらい多い。
アジアで航空機の自力製造ができた国は、当然と言えば当然だが、戦前には日本だけであった。中国は眠れる獅子というよりもずーっと寝てばかりの雄ライオンみたいなものだったし、いわんや朝鮮半島、東南アジア、南洋、インド、どこの国だって工業なんてものはないも同然だったのである。飛行機を設計し、つくり、飛ばすという、そこまで行き着くことすらできなかったアジアの貧しい状況の中で、大日本帝国だけが異様であった。
今も、アジアは貧しい。涼しい顔をしているのは中国、韓国、日本くらいなもので、躍進中の中国にしたって、地方の農村戸籍の人たちなど、哀れをはるかに通り越した貧しさだと聞く。ましてや東南アジア、南洋方面など推して知るべしだ。
そんなアジアの中で、明治以来の日本人の、飛行機を作れるようになるまでの努力というか頑張りというか、その急激な躍進ぶりは、もう、痛々しいくらいである。頬かむりをして田んぼを耕し、米を作って泥鰌をすくっていた人たち、あるいはショーグンの命令一下、カタナでハラキリをしていたような人たちが、黒船の号砲一発でびっくりするや、
「これは何かの間違いじゃないだろうか。というか、コピー、そう、コピーだろう!!猿に飛行機なんか作れるわけがないんだから、ジャップの飛行機は全部コピーだ!HaHaHa!」
……と思い込もうとしたのも無理はあるまい。しかもなお、その猿の数多の飛行機が太平洋を横切ってきて、一発パール・ハーバーをやらかして見せたのだから、我を忘れて激怒もしようというものだ。「猿のくせに、ナニヲ!」というわけである。仕返しの原爆はいくらなんでもやりすぎだったが……。
さて、そんな戦前の日本の飛行機だが、昭和期も十年代に入ってからの陸軍、次いで海軍の飛行機の命名が、漢籍風・国風で、なんともいえない味わいのあるネーミングなのだ。昭和15年(1940)頃までは、ご存知の「零式艦上戦闘機」だの「97式戦闘機」だのと、味も素っ気もないナンバリング命名だったのだが、この頃以降になると制度が変わり、渋い名前を付けるようになった。
私が覚えている限りでも、隼・鍾馗・飛燕・疾風・屠龍・呑龍・飛龍、雷電・紫電・紫電改・強風・烈風・銀河・流星・彗星・彩雲・紫雲・櫻花・梅花・橘花・秋水…等々、すばらしいネーミングの数々なのである。
今、上にずらりと挙げた中で、最後に「秋水」というのがある。
このロケット局地戦闘機そのもののことは、別のサイトでマニアの方々が深く語り尽くしているので、あらためてここでは触れまい。私としてはちょっと変わって、「秋水」という言葉そのものについて触れたい。
【今日の季語1755】秋の水(あきのみず):「秋水(しゅうすい)」の漢語傍題でも。「清水」に代表されるように水に関する季語は夏に多いが、秋の水は清澄さと静けさを本意とする。◆二またに細るあはれや秋の水(蕪村) #jhaiku #kigo
— HAYASHI Yoshio (@twryossy) October 17, 2014
私がいつもリツイート・シェア等している「今日の季語」というのがある。これはツイッターで林さんという方が、かれこれ1500日以上も休まず折々の俳句の季語を紹介しておられるものだ。林さんは大学の教員を定年でお辞めになった方だそうである。その今日の季語が、この「秋水」なのである。
今日の季語のほうは上記URLでご覧いただくとして、あらためて手元の歳時記(角川のもの)を繰ると、次のように書いてある。
秋の水 秋水 水の秋
秋の水は透明で美しい。その曇りのないさまは、研ぎ澄ました刀の譬えにも使われる。「水の秋」は水の美しい秋を讃えていう。
(例句は抜粋)
秋水の
昃 ることのまたはやし 倉田紘文秋水がゆくかなしみのやうにゆく 石田郷子
「研ぎ澄ました刀の譬え」「曇りのないさま」といった季語の本意が、今は悲しく心に響かないだろうか。
旧海軍が終戦間際に作ったロケット戦闘機の命名を「秋水」とした本意がどこにあったかは、今となっては不明ではある。
あげて徹底抗戦を唱え、数千人という乗組員もろとも戦艦大和を特攻に差し向けて死なせるという暴挙に出た海軍といえども、やはり内心、軍人ひとりひとりの心の中に、もうこの戦は長くはない、という意識は、やはりあったものと思う。
そうした意識が、知らず知らず、崩壊してゆく航空大国・大日本帝国への名残惜しさとなって、詩情横溢するこの季語を、その終末期にあたって出てきた特殊な戦闘機に付けさせたのではあるまいか。
このように思ってから、まさか作者は戦闘機のことを詠んだのではあるまいけれども、例句の二つ、
秋水がゆくかなしみのやうにゆく 石田郷子
……これを鑑賞すると、なんとも言えぬ懐古の情、秋の詩情があふれる気がする。
