自分が詠んだ俳句のことをくどくどと解説するのは、誰が言ったのだったか、「女形が楽屋で
8年前に書いた「月は忌むべきものではない」という記事の中で、
と一句詠んであります。8年前に “
オッサンは生きている。
自分が詠んだ俳句のことをくどくどと解説するのは、誰が言ったのだったか、「女形が楽屋で
8年前に書いた「月は忌むべきものではない」という記事の中で、
と一句詠んであります。8年前に “
板わさで一杯やる動画を作り、YouTubeに上げた。
板わさは簡単にでき、安く、酒に合い、何より旨い。こういう肴を考えたのはどこの誰ぞ、などといつも有り難く思う。
動画の中で、岩波文庫の「夫婦善哉」、織田作之助の名作を取り上げた。この本は本当に好きな一冊だ。
ブリア・サヴァラン「美味礼讃」上巻。
先々週図書館で借りて、ダラダラ読んだり読まなかったりしていたので、まだ3分の1ぐらいしか読めていない。
今日が図書館の返却期限なので、スタバでコーヒー飲みながら、急いで読んでしまうことにする。
前半90ページは退屈で全然面白くないが、90ページ以降あたりから俄然面白くなってくる。
午前中で一挙に読んで返却し、一旦返却してあった下巻を借り直す。
文中随所に出てくる。フランス革命前後の往古のヨーロッパでは、今でいう旨味成分の一つ「イノシン酸」をこの「オスマゾーム」として理解していたものであるらしい。
自動車レースで知られるル・マンは、鶏だの鶉だのの名産地であったそうな。
ちなみに「鶉鶏類」と書いて、「じゅんけいるい」と訓むそうな。
この三つの使い分けは難しいものだそうで、「コケット」などと言う言葉と同じく、適訳もどうもないらしい。本書中でもそのまんまカタカナ書きで「グルマンディーズ」と書いてあり、脚注・訳注などもない。
しかしどうやら、
グルマン 食通・健啖家・食いしん坊
グルマンディーズ 食通連・貪欲連
グルメ 美食家・食通
……という使い分けでいいようだ。
キニーネの原料。
ダラダラ読んでいた開高健「巷の美食家」を図書館へ返しに行った。
この前までに読んだ「最後の晩餐」と同じ文章が編み込まれていたりして、ああ、開高健の文章って、アッチコッチ使いまわしなんだな、と、少しガッカリする。
入れ替えに小泉武夫の「ぶっかけ飯の快感」と言う本を借り出す。
いつも立ち寄る棚でふと目についたから借りただけで、この小泉武夫という作者が他に何を書いているどういう人なのかなど、何も知らない。
ついでに、その30センチほど離れた並びにあった岩波文庫、ブリア・サヴァランの「美味礼讃」上下を借り出す。
これは、美食について書かれた本にはだいたい引用される有名な本だ。
ちょっと怖いもの見たさと言うか、読んでおかなくては、というか、ムリヤリ借りた感じ。
引き続きゆっくりゆっくり、岩波の「北槎聞略」を読み進めている。通勤電車内の楽しみだ。
もうこの本も終わりのほうに近づいてきたが、次のような面白い部分があった。引用し、現代語訳を付してみる。
帝号を称する国をイムペラルトルスコイといひ、王爵の国をコロレプスツワといふ。
彼邦 にて他邦の者どもおち合、互 に其許 の国は何国 にて何爵ぞと問 とき、コロレプスツワなりといへばとり合 者もなし。イムペラルトルスコイなりといへば席中 形を端 し上座を譲 ると也。世界の間 四大部洲 にして其容 る所の諸国千百に下らず、其内帝号を称する国僅 に七国にて、皇朝其一に居る。されば光太夫等何方 に行 ても少しも疎略にせられざりしなり。
現代語訳(訳:佐藤俊夫)
「なになに帝国」という国のことをロシア語では「
империя 」と言い、「なになに王国」という国のことを「королевство 」と言います。ロシアで外国人同士が寄り集まって、「あなたの国はどこですか、王様の位は何ですか」と尋ねあうような場合、「なになに王国です」と答えると、誰も相手にしてくれません。
ところが、「なになに帝国です」と答えると、集まった外国人達は姿勢を正し、上座を譲ります。
世界、つまりヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカなどの中には、数え切れぬほど多くの国々がありますが、そのうち「帝国」を称する国はたった7か国しかありません。わが日本はその7か国のうちの一つに入っています。
そのため、大黒屋光太夫らは、ロシア国内のどこへ行っても、少しもぞんざいな扱いを受けることはなかったのだそうです。
キリロおよび今度来れる
蕃使 等が説に、日本国国体 、風教 、礼儀、衣服、制度に至るまで殊 に全美 にして議すべき所あらず。そのうへ軍事、武備整 り、武芸の精練なるに至りては諸国のおよぶべきにあらず。刀剣弓矢 の制作器械の良好なる、実に万国に冠 たり。然 るに外洋 の諸国を畏怖し 、我魯西亜 をも懼 れ憚 らるゝと聞 およべり。大に謂 れなき事といふべし。これしかしながら和蘭 国人等久しく貴国に通商し、その貨物 を諸国に市易す。もし諸国より貴国に通信互市 の事あらば其利 を失はむ事をいめる根なし言 より起 りしなるべし。これ其本 外洋 人たゞ支那と和蘭のみ通商を許されて其他諸国の舶 を入 られず、また外邦 へ舶をも出されず、外国の形勢、事理、情実を詳 にせられざるよりしてさのごとく畏怖せらるゝなるべし。貴国人物制度の全備 もとより外国の軽侮 をうくべからざる事は上 にいふ所のごとし。足下国に帰るの後よく此事理 をもて貴国の人々に告知 しむべしといひしとぞ。
現代語訳(訳:佐藤俊夫)
今回、大黒屋光太夫たちを送り届けてきたキリロ・ラクスマンらロシア帝国の使者たちは、我が国を評して次のように言っています。
「貴日本国は、国のありよう、教え、礼儀、服装や制度など、あらゆるところがよく整っており、文句をつけるような部分がまったくありません。刀剣や弓矢などの武器を作る技術や道具も優れており、これは世界のほかの国々と比べてもトップクラスです。にもかかわらず、外国を恐れ、わがロシア帝国をも恐ろしがり、避けていると聞きました。これはまったく根拠のないことです。
そのように思い込んでいるのは、おそらく、オランダ人達のせいでしょう。オランダは長年日本と貿易をし、日本からの輸出品を世界中に売って利益を上げています。もし他の諸国が日本に連絡をはかり、相互に貿易を始めると、オランダは日本との独占貿易の利権を失うのです。オランダ人達はそのことを嫌い、根拠のない説を日本に吹き込んでいるのだと思われます。
このようなことになってしまうのは、日本のほうにも原因があります。日本は中国とオランダだけに通商を許可し、他の国々の船の入港を拒絶し、また日本からも諸外国へ一切船を出しません。そのため外国の形勢や情報、詳しい事情などがよくわからず、むやみに外国のことを恐れる結果となってしまっているのだと思われます。
貴日本国は、国民も制度もきちんと整っており、もとより外国から侮られるような要素が全くないことは、先に述べたとおりです。
あなた(訳者注:大黒屋光太夫のこと)が国へ帰ったら、このことを論理的に、よく日本の人たちへ説明してください。」
使者のロシア人たちは、上のように伝えたそうです。
先日より岩波の「
「北槎聞略」は、江戸時代、伊勢・白子浦の千石船の船頭大黒屋
このロシア帝国での見聞録の中に、驚くべき内容が含まれていることを知った。著作権はとうに消滅しているので、以下に現代語訳とともに摘記してみる。
〇 赤ちゃんセンター
ロシア帝国には「赤ちゃんセンター」というものがあり、これは親から手放された赤ちゃんを育てるところです。ペテルブルグに1か所、モスクワに1か所あります。
四方を取り囲むように3階建ての長い建物があり、部屋ごとに「第1」「第2」などの番号がついていて、看板が掛けられています。
敷地の中央には学校や各種の技術を教える専門学校が置かれています。
赤ちゃんを預けるところは高い窓になっており、その窓に大きな箱状の引き出しがついています。
様々な事情で赤ちゃんを育てられず、手放したいという人がいる場合、その人は夜中の目立たない時間に窓のところへ行きます。赤ちゃんの誕生日を札に書いて首にかけてやります。それから壁をトントンと叩くと、内側から引き出しが押し出されて開きます。その引き出しに赤ちゃんを入れ、もう一度壁を叩くと、引き出しが向こう側に引き込まれます。
赤ちゃんセンター側では引き出しの中から赤ちゃんを引き取り、今度はその引き出しに5万円のお金を入れて外へ押し出します。赤ちゃんの親はそのお金を貰って帰ります。これは、血のつながった赤ちゃんすら育てられない程の貧困を憐れみ、救済のため政府から支給されるお金です。
あくる日の朝早く、赤ちゃんセンターの門に札がかかります。その札には「昨夜何時ごろ、確かに赤ちゃんを預かりました。その子の誕生日は何月何日で、こういう色の服を着ていて、お守りに何々を持っており、そのほか、これこれこういう特徴があります。その子は第何番の部屋で育てることになりました」と、それとわかるように大きな字で書かれ、また同じものがその部屋の入り口にも掛けられます。赤ちゃんを手放した親は、こっそりとそれを見に来て、わが子が無事引き取られ、育てて貰えるようになったことを確かめ、安心して帰ります。
赤ちゃんセンターの門には番兵がいますが、通り抜けは禁止されていません。それは、赤ちゃんを手放した親が時々ひそかにやって来て、わが子が無事かどうか、それとなく様子を見ることができるようにしているのです。
センターにはベテランの女性や保育士が多く勤務しており、彼女らによって赤ちゃんが育てられます。赤ちゃんが成長して子供になると、学校や専門学校に入れ、その子の希望や適性によりそれに応じた勉強をさせます。
もし赤ちゃんの実親の事情が変わり、もう一度赤ちゃんを取り戻して育てたいと希望する場合、赤ちゃんを預けた年月日や誕生日、第何番の部屋の子ということを書類に書いて、赤ちゃんを預けた引き出しに入れれば、すぐに赤ちゃんがその引き出しに入れられて親の元へ帰されます。
こうして育てられた子供が大人になれば、軍曹に取り立てられて官職に任じられ、社会に出たり、あるいは親元に帰ることができます。
以下は上記現代語訳の原文である。
〇 幼院
幼院は
是 棄児 を養育する処なり。ペートルボルグに一処、ムスクワに一処あり。四方に三層 の連房 を建 めぐらし、房 毎に第一、第二の字号 を書たる牌 をかけおくなり。かまへの正中 に学校及び百芸の院を設く。児 を送り入る所は高き窓にて、内に大きなる箱を活套 のごとくに仕かけおく。児を送り入る者、夜陰 に及び小児 の誕辰 を牌 に記 して頸 にかけさせ、彼窓 の下につれ行 墻 をほとほとと敲 けば、内より活套 の箱を押し出す。やがてその内に小児を置 、また墻をうてば活套を内に引いれ、小児を取出し、其箱に銭五百文入て又押出す。児の親その銭をうけて帰るなり。是は肉親の児 を養育する事さへ能 はざる程の困窮を憐れみ、救ひの為に官 より給はるなり。夫 より翌朝未明に彼 院の門に牌 をかけ、昨夜何時 に送り入 たる児何月幾 日の誕生、衣服は何色、守 は何、その外徴 に成 べき程の事を詳 に書しるし、其児 は第幾号 の房 に養ひおくと大字にて書て掛 、その房にも左之ごとくに記 したる牌 を掛 おくなり。其親人しれず来りて彼牌を見合せ、其居所 を認 て帰るなり。幼院の門には番卒 あれども通りぬけを禁ぜず。棄 たる親のおりおりに来りてその児の安否をよそながら見る為にしたるなり。院中は老嫗 乳母 を多くおきて児を養育せしむ。漸々 に成長すれば学校作院 に入れその児の好む処を学ばしむ。其親また取戻し養 んと欲 れば、送り入 たる年月日日時及び誕辰 第幾号 の房 の児 といふ事を詳 に書記 して件 の箱に入るれば、即時に其児を箱に入て押出 すなり。其内にも業 の成 たる児をばセリザントに封 じて帰さるゝとなり。
世界史的にはこの頃はフランス革命前後の時代だ。しかし、これほど帝政ロシアという国が爛熟・成熟した文化を持っていたとは、驚くほかはない。多分、イギリスや、文明の先頭を突っ走っていたフランスだって、こんな制度は持っていなかったのではないだろうか。
井上靖の「おろしや国酔夢譚」が、最寄りの図書館「越谷市立図書館南部分室」に在架であることを知る。
大黒屋光太夫について書かれた小説では、吉村昭の「大黒屋光太夫」よりも井上靖の「おろしや国酔夢譚」のほうが昔に書かれているから有名ではある。ならばやはり、これも読んでおかずばなるまい。
但し、何日か前に書いたように、「おろしや国酔夢譚」のほうは、大黒屋光太夫に関する重要な資料が発見される前に書かれているので、光太夫帰国後の状況について、やや事実と異なるそうである。
それにしても便利な時代である。自宅に居ながらにして最寄り図書館の在架状況がわかるのだから、本当にいい時代だ。
今読んでいる「北槎聞略」を読み終わったら、「おろしや国酔夢譚」も借りて読んでみよう。
「北槎聞略」、さっそく通勤電車の行き帰りの楽しみに読書中である。
ロシアの1里 500間 約900メートル
1間 約1.8メートル
10丁 約1090メートル
送還船エカテリーナ号の大きさ 長さ15間幅3間弱 長さ27メートル幅5.4メートル弱
当時の千石船の大きさ 長さ29メートル幅7.5メートル
北槎聞略の口語訳は、雄松堂書店から7200円で出ているものしかないことを知った。
私が他のものを何も見ずに口語訳するのもいいかな、と思った。……暇がないし、一文の得にもならないが。
注文しておいた岩波の「北槎聞略」、夕刻帰宅したら届いていた。さっそく読み始める。
文語体とは言っても中世のものとは違って江戸時代のものだからかなり読み易い。また漢字の異体字は通用のものに直す等してあるので、かなり楽に読める。
書店を覗くと「君たちはどう生きるか」という漫画が平積みになっている。原作者名を見て驚いた。「吉野源三郎」とあるから、間違いなくあの本である。
原作を読んだことがある。良い本である。戦前の本だ。
私は残念ながら子供の頃にはこれを読んでおらず、読んだのは19歳の頃で、それがまた、どうしてか、当時通っていた夜間大学のゼミの教授に「ゼミのテキストとして」、児童文学の範疇に入るこの本を薦められたのである。
どうして教授が、「学生は大人ばかり」というⅡ部(夜間部)のゼミのテキストにこの本を選んだのか、私には今もよく解らない。良い本と言えば確かに良い本なのだが、大人向けの内容ではなかったと記憶する。
しかし、復刻漫画化されるほどであるところからも感じられる通り、ある種、その内容が万人受けするとは思う。間違ったことは書かれていないし、また、ああすべきだ、こうすべきだ、というような説教臭い内容でもない。題名の通り、少年にどう生きるのかを問うてやまない内容だ。