天皇陛下万歳
祝日「建国記念の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。
建国記念の日はその由来を遠く記紀神話に
今年の旧正月は明日、2月12日なのであるが、このように旧暦は新暦上では数日移動するため、建国記念の日と旧元日は
オッサンは生きている。
昨日は旧暦十一月三日で、日中は
入れ込みで少し寒い入り口傍の席に座を占め、蕎麦前に酒をぬる燗で一本、肴に焼海苔。
向かいに座った頑固者らしい不愛想な男が身欠き
心地よい海苔の香りが立ち上る。蕎麦の喉越し、蕎麦汁の加減、どこをとっても申し分なし。
程よく
海苔は春に収穫されるが、新海苔は冬寒いうちから「初物」を珍重して早々と出るのだ。暮の贈答用に選ばれるということもある。
宵の口には針のように細く、キリッと尖った三日月が陽とともに沈んでいった。脇にクッキリと宵の明星を従えていく。
冬らしくなった。明日はもう十二月、師走である。
今朝は今週の「さえずり派」の季題を出題した。「さえずり派」はTwitterの俳句ハッシュタグ「#saezuriha」で詠む素人俳句だが、名の知られた俳人の方もいる。季題当番は適当に回る。当番は先週の土曜、平坂謙次さん @hedekupauda から回ってきていたのだ。
「短日」で出題した。実際、とうに秋も終わり、夜長と言うより短日の実感が濃い。
記して、「漫生活」である。
昨年、長年にわたりお気に入りの床屋だった「ファミリーカットサロンE.T.南越谷店」が業態替えして「mod’s hair men 南越谷南口店」としてリニューアルオープンしたのだが、同時に値段の方も倍以上となってしまい、それにもまして、私は美容院に行くような美青年ではなく
これはこれで、いっそスッキリして良い。
本当は丸坊主にしたいのだが、妻が難色を示すので髪を残している。つまりこのモヒカン風の
早いうちにひと風呂浴び、汗を流す。
曇、晴、また曇……と天気が入れ替わる。曇る時には季節らしい羊雲が出る。しばらくして窓外を見上げると、今度は真っ青な空がひろがっている。
晩秋と初冬が好きだ。初冬は汗ばまず清潔である。古くから日本を悩ませる風水害も初冬にはようやくおさまる。ただ惜しむらくは花に乏しいことだろうか。しかし、月や鳥を見るにはこの時季がよい。
一昨夜は十六夜の月が美しかった。旧暦九月十三日(今年は新暦10月11日)の「後の月」も、
米国の天気のことはよく知らないが、この時期に
アイスピックでカチワリを削り、日の高いうちから安いウィスキーを一杯。気取らずドップリ注ぐ。
鍛冶屋の動画をのんびりと見る。楽しい。スウェーデンの人らしい。
動画の中で、何か、「スウェーデンの盆踊り」みたいなことをして人々がのんびりと踊っているシーンや、動画作成者本人らしい人が広々とした湖にザンブと飛び込むシーンなどがそれとなく紛れ込ませてあり、見ていて休まる。
盆である。
「ウソ
その辺の理屈は、このブログの2年前のエントリでまとめて書いておいた。
夏は盆がたくさんあるのである。無論、言うまでもないが、真の盆は一つだけだ。しかし、前掲の記事に書いたように、明治の改暦
前掲のエントリには一昨年の日付が書いてある。新暦は変わらないが、旧暦は毎年ずれる。
そこで、今年の盆について、下に整理しておきたい。
各盆 | 日付 | 旧暦 |
---|---|---|
盆(新暦旧盆・旧盆) | 7月15日(月) | 六月十三日 |
地蔵盆(新暦旧地蔵盆・旧地蔵盆) | 7月24日(水) | 六月廿二日 |
盆(月遅れ盆) | 8月15日(木) | 七月十五日 |
盆(旧暦盆) | 8月15日(木) | 七月十五日 |
地蔵盆 | 8月24日(土) | 七月廿四日 |
旧暦地蔵盆 | 8月24日(土) | 七月廿四日 |
例年だと、旧暦七月は新暦9月頃になることが多いのだが、今年はたまたま、旧暦七月と新暦8月の日付が一致しており、月遅れ盆と旧暦盆の日付、地蔵盆と旧暦地蔵盆の8月の日付も偶然同じである。
先頃からすっかりファンになった新越谷駅前の蕎麦
店主が体調を崩していて、先週、先々週の土曜日は閉まっていて残念であった。今日は本復されたようで、いつもどおりの営業だ。
今日は季節メニューで「桜エビと新たまねぎのかきあげ」というのが出ていたからそれと、いつものように新潟県の銘酒「吉乃川」で蕎麦前をやって、生粉打ち十割の「もり」で〆。
美味、至福と言う他なく、やめられぬ。
妻と近所の川べりの桜を見に行く。
地元の隠れた名所で、美しい。
改めてテストしてみる。
……良く動く。いい感じだ。24時1分、なんぞというところも私の考えた動きである。
明日は旧暦三月三日、つまり旧
このところ涼しく、まことに秋らしくなった。ご近所の柿がうっすらと色づいている。ようやく秋も半ばというところか。昨日はお彼岸、秋分であった。
今夜はお月様だが、私の住む埼玉県越谷市の天気予報はあいにくと曇りで、今夜はどうやら
妻に「今夜はお月さんだよ」と言うと、「15日頃なんじゃないの」と言う。ああ、旧暦のな……、と答えると、ふうん、と興味もなさそうである。
天文学上の満月は明日の昼頃だが、暦法上は今日が旧暦八月十五日、夜は十五夜で、いわゆる「仲秋の名月」である。しかし、七夕同様、季節の変わり目で天候不順、また二百十日も過ぎたばかりで嵐が来ることもよくあり、月が隠れていることも多い。
そこで、「
富安風生に
いくたびか無月の庭に
……という名句がある。単に「月」と言えば秋の季語だが、「無月」も秋の季語で、しかも月の傍題ではなく、れっきとした「見出し季語」である。
無月のたびに、その昔理論物理学の
目をつぶろうと人類が死に絶えようと、原子の集まりである月はそこにあることは科学が証明している、とするアインシュタインに対し、タゴールは、人間がそれを月であると認めなくなれば月はなくなる、人間の意識の中にしか月はない、と述べて譲らなかったという。
私は科学者でも哲人でもないからどちらが正しいのかはわからない。それより、この対談をどちらが正しいとかどうとかいう評論の的にするのもあたるまい。しかし、名月の価値は人間が決めたものであろうし、反面、雲の裏に見えない月がある、というのも真実ではあろう。
してみると、無月と言う言葉は、詩人タゴールの側にあるようにも、アインシュタインの側にあるようにも思える。ないものを認める、というのは、死者の霊魂をどう扱うか、ということにも似ている。
報道によると、なにやら東京オリンピック開催を睨んで、戦前から再燃しては消えていた「サマータイム導入」の
何がサマータイムだ、馬鹿馬鹿しい。
日本は明治維新まで、不定時法、すなわち日の出を明け六ツ、昼を順次五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、日の入を暮れ六ツ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツとし、毎日連続量で変化させるとともに、鯨髭のぜんまいを使用した機械式振り子時計でこの不定時を正確にシミュレートさせるなど、明るさや気温、季節に合わせた刻時方法を実現していた。つまり、とうの昔に「連続式サマータイム」を実現していたのである。
この「九・八・七・六・五・四、九・八・七・六・五・四」という数字の繰り返しは、古く支那文化に由来する五行説によるものだ。
だが、そういう天然・自然に即した刻時が合理的でないとして無理にやめたのだ。
それを今更、「欧米が皆やっているからサマータイム導入だ」などと、人工的で不自然なことをワケのわからない理由で強制しようとする。愚劣の骨頂である。どうして「欧米が~ッ」ではなく、「日本ではこうである」と言えないのか。主体性のなさに憫笑すら覚える。
今日、年用意の買い物に出かけたので、ついでに「高島暦」を買った。いつも買うものだが、今回は奮発して、「百彩暦」と題されたカラー版を買った。
実のところ私は、易断の方にはとんと興味がない。毎年正月に
高島暦を買うのは、「旧暦」を引くためだけに買っていると言っても過言ではない。
それで、来年の年初あたりをパラパラとめくってみたところ、来年(平成30年(2018))は、元旦が旧十五日でその夜が十五夜、正月二日が天文学上の望であることがわかった。これは晴れればいい夜になりそうだ。除夜の鐘で外に出れば、
そして、当然と言えば当然だが、旧元旦(旧正月、来年は新暦2月16日)は
平成30年は望と朔がそれぞれ元旦と元旦、となって、面白いし分かりやすい。