林望の「イギリスはおいしい」。先週、市立図書館南部分室で借りたものだ。昨日読み終わった。
かれこれ30年近く前の作品で、もはや古書の
軽妙かつ端正、しかもおかしみのある文章で、ところが読者の期待をユーモアたっぷりにはぐらかし、大部分はイギリス料理のことを散々に
続けて、一緒に借りておいた辰巳芳子の「味覚日乗」を読み始める。「イギリスはおいしい」と同じ棚の、すぐ近くのところにあったので、ヒョイと手に取ったものだ。
言葉
「昏 れなずむ」
惜しいところ一件。
季節柄、四時と言えばもうすっかり日没で、昏れなずむ町には、あちこち灯がともり、その明りにクリスマスの飾り付けが浮かび上がっている。
これは「いざ行け、パブへ!」という一章の中に出てくる描写である。クリスマス近いイギリスの田舎町の素朴な様子を美しく書いてあり、読者をしてイギリスへの憧憬を否応なく抱かしめる名文だ。
だが、季節はクリスマス前、つまり冬だ。イギリスは北半球であり、冬の日没は早い。「四時と言えばもうすっかり日没で」と書くからには、「日が落ちるのが冬であるため非常に早い」ということを言っていなければならない。そこに持ってくる言葉として「
言うまでもないことだが、「くれなずむ」というのは「暮れにくい、日が永くて落ちにくい」という意味である。漢字で書けば「暮れ
武田鉄矢がかつて「♪くれなずむ街の/光と影の中……」と歌い、歌詞のほかの部分の誠実な詩文とあいまって、「くれなずむ」という語彙が身近になり、定着した。ところが、この言葉の意味を理解して味わっている人は少なく、ただなんとなく「暮れなずむ」を「味わい深く日が暮れていく様子」のことだと思っている人が多い。
名文家・林望氏ですら、ここのところを完全に間違ってしまったわけだ。惜しい。ここは「昏れなずむ町には」ではなく、「日暮れて昏さに包まれてゆく町には」とでも書いておくべきであった。
但し、「暮れ(る)」と書かず、「昏れ(る)」と書いたところに、作者が何らかの意味を込めたというのなら話は多少、別である。「昏」は「昏睡」という言葉からもわかる通り、「
でも、多分、そうじゃないと思う。